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文章が好きです。評価してほしいです。

以下について悪いところを言って欲しいです。 難しいことを書こうとして書けてない雰囲気が出て間違っている単語とかもありそうで恥ずかしいのですが、どうぞ宜しくお願いいたします。 相手の身になって考えるのもっと上 人によって価値観が違うのは当たり前で 価値観の相違している人に価値観を否定されるとこの上なく腹が立つ。 でも世の中には相手の身になって考えるという言葉が定着している。 これは大切なことだと思う。 でも僕はもっと効果的で凄い方法を思いついた。 相手になるのである。 いわば憑依とでも言えば分かりやすいだろうか。 会話をしてたとすると自分もしゃべっているんだけれど それを見ている相手の脳内を想像する。 これをすると何が起きるのかというと 非常に会話がしやすい。 相手の脳内をいわ鏡を見ているかのように映し出してみるのである。 例えばオペレーターと電話で会話していたとしよう。 オペレータ側から自分の声を聞いている感覚である。 さらには同一空間内、同一時間平面状に第三者を作り出しその第三者に憑依して 客観的にではなく客観に自分を見ているというようなことも可能である。 これをすると例え嫌いな人に自分の価値観を否定されても腹が立たない可能性がある。 なぜなら自分は相手だからである。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#89054
noname#89054
回答No.6

すみません、一読では文章の意味が良く分かりませんでした。 質問者さんの文体が普段自分が使わない表現なので、一旦、自分の言葉に直して書き起こしてみます。 意味やニュアンスが違っているところもあると思いますが、この方が私には日本語として意味が分かりやすいので。 そして、アドバイスなのですが、あまり堅い言葉を並べたり同じ表現を繰り返すと文章の流れが悪くなり、意味が通りにくくなると思います。 また、感じ方は人それぞれなので、断言できない部分は、言い切る表現はなるべく避けた方が良いと思います。 では、手直ししてみましたので、ご参考になさってください。 *―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―* >相手の身になって考えるのもっと上 人によって価値観が違うのは当たり前で 価値観の相違している人に価値観を否定されるとこの上なく腹が立つ。 相手の身になって、深く考えてみよう。 人によって価値観が違うのは当たり前で、 価値観の違う人に否定されると、自分を否定されたように、この上なく腹を立てる人もいるのだから。 >でも世の中には相手の身になって考えるという言葉が定着している。 これは大切なことだと思う。 でも僕はもっと効果的で凄い方法を思いついた。 相手になるのである。 世の中では、「相手の身になって考える」ということが、当たり前の様になっている。 これは大切なことだと思う。 でも、僕はもっと先を行く方法を考えた。 相手に成り切るのである。 >いわば憑依とでも言えば分かりやすいだろうか。 会話をしてたとすると自分もしゃべっているんだけれど それを見ている相手の脳内を想像する。 これをすると何が起きるのかというと 非常に会話がしやすい。 相手の脳内をいわ鏡を見ているかのように映し出してみるのである。 例えるならば、憑依と言えよう。 会話を交わしながら、相手の脳内を想像するのだ。 すると、非常に会話がし易い。 これは、相手の脳内を鏡のように自分に投影していることになるからだ。 >例えばオペレーターと電話で会話していたとしよう。 オペレータ側から自分の声を聞いている感覚である。 さらには同一空間内、同一時間平面状に第三者を作り出しその第三者に憑依して 客観的にではなく客観に自分を見ているというようなことも可能である。 例えば、電話でのオペレーターとの会話だ。 オペレータ側から、自分の声を聞いている感覚を想像してみて欲しい。 それに留まらず、今度は、同一の空間・時間・平面状に、第三者を作り上げて、その第三者に憑依した状態をイメージする。 すると、自分を傍観している状態になる。 客観的になるどころか、客観視できるというわけだ。 >これをすると例え嫌いな人に自分の価値観を否定されても腹が立たない可能性がある。 なぜなら自分は相手だからである。 これが出来れば、例え嫌いな相手でも、自分の価値観を否定されたと腹を立てずに済む可能性がある。 なぜなら相手は自分だからである。 *―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―* ――ここからは、文章の内容に関しての感想です。―― これは、もしかすると相手は自分にとって非常に為になる話をしてくれているのかもしれない。 なのに、カッカしては、何の実りもなくなってしまう。 そう言った感情の高ぶりを抑えたり、先入観を持たずに相互理解するための方法を質問者さんが考えたと言うことですね。 でも、実践は難しいですね。 あとからシミュレーションなら出来そうですが、相手の中に入ってしまうと、“私”が抜きの状態になってしまいますからね。 一度聞き役に徹してみたり、討論して話が上手くまとまらなかったときに、反省の意味を込めて何度かをシミュレーションを繰り返すと、現場で仰っていることと近い感覚を持つことは出来るかもしれないですね。 瞬時に頭を冷やせるようになれば、確かに会話は結論まで導くことが出来そうですね。 でも、やりすぎると自分自身は、あまり会話に参加できない状態になってしまいますね。 ――この場合は、まとめ役ですよね。 発言好きで、まとめ役が嫌いな人はやらなそうです。 会話は、引きと責めのタイミングが難しいですよね。

wiietto
質問者

お礼

凄いです。 堅苦しい書き方より回答者さまの書き方のほうが良いですね。 これはこれから文章を書いていく上でお手本にさせてもらいます! 丁寧にありがとうございます!

その他の回答 (8)

noname#89054
noname#89054
回答No.9

No.6、7です。何度もすみません。 今回は、No.6での回答の文章を訂正しに来ました。 後から読み返して文字の変換ミスに気が付きました。 文脈から分かっていただけるかと思いましたが、回答者としての立場上、やはりこのままなのも良くないので訂正させてください。 訂正箇所は、No.6での回答の一番最後の行です。 ・会話は、引きと責めのタイミングが難しいですよね。(誤)         ↓ ・会話は、引きと攻めのタイミングが難しいですよね。(正)   「責め」ではなくて、「攻め」です。責めてどうする?…ですよね。 ここで、「攻め」と言う言葉を使いたかったのは、「一気に畳み掛けるポイント」と言う意味で使いました。会話は流動的なものだから、流れに上手く乗れないと、相手に自分の気持ちを伝えることが難しくなってしまいます。 その事が言いたくて、「攻め」と言いたかったのですが、「責め」では「非難」になってしまいますよね。 質問者さんのテーマは会談のように、お互いの意見を深める会話をテーマにしていらっしゃるのだと思います。だから「責め」では内容にそぐわないし、私が言いたかった事ともまるで違う意味になってしまいます。 なので、「責め」は「攻め」に改めて読み直してください。 真剣な質問なのに、こんなミスをして申し訳ございませんでした。 勉強頑張って下さいね。

noname#110555
noname#110555
回答No.8

全く文章を読んでいなくて申し訳無いのですが、句点が無いのが気になります。あと無駄に改行をいれると、どんな素晴らしい論文でも馬鹿っぽくなりますよ。話はそれからです。

noname#89054
noname#89054
回答No.7

No.6です。蛇足ですが…。 後から皆さんの回答や、質問者さんのお礼と補足を読みました。 「相手の身になって考えるのもっと上」はタイトルだったんですね。 タイトルを「相手に憑依してみる」に変更するのはイメージ的にはマイナスだと思います。 だって、誰だって憑依されたくないですよね。 憑依とは“取り憑く”という意味で、“自分の体を乗っ取られる”という感覚がありますから、テーマにはそぐわない気がします。 No.1さんが仰るように「相手の身になって考えるとは」辺りが適切だと思います。 質問者さんが“憑依”という言葉を使ったのも、おそらくは“同化”とか“共鳴”“同調”と言う意味で使ったのだと思います。 また、“シンクロ”という言葉も思い浮かんだのですが、“シンクロ:synchronize”の意味を確認したのですが、(とある人気アニメで、人造人間と主人公達がシンクロ率~%と使われていましたね) その意味は、 ・同時に起こる、同時に進行する、同時性をもつ(もたせる)同一時刻にする   ・(映像と音声が)同調[同期化]する ・〈機械装置・電気を〉同調[同期]させる などで、人の感情には使わない表現のようです。 これ(シンクロ)こそが憑依に近いのかもしれません。 でもシンクロしてしまっては、やはり、「私はいない」ことになってしまいそうです。私もあなたもいない状態…。 言葉って難しいですね。でも、あのアニメで“シンクロ”という言葉を使ったのは、ぴったりな表現だったと言えますね。 あれは“取り込まれる”感じでしたから。 タイトル…難しいですね。 提案ですが、「共感とは」じゃ駄目ですかね?

  • spring135
  • ベストアンサー率44% (1487/3332)
回答No.5

なんだかこの上なく不毛な議論をしているように感じます。 文章を書く練習だから内容はなんでも良いのだということかもしれませんが、内容がアホらしいと、その先ついていけません。 >でも僕はもっと効果的で凄い方法を思いついた。 この内容はまさに方法論の議論ですがそれが「魔法で解決します。」と答えているのと同じのように感じます。 >相手の脳内をいわ鏡を見ているかのように映し出してみるのである。 相手の腹を探る、心を詠む、という作業はだれもが無意識に、時には必死になって行っているのであって、その意味では新しい内容ではない。改めて記述するには当たらない。読んだと思っても外れているのが現実であって、自分と他人は決定的に違う。  このような文章を書くのであれば、いかにして、読みの精度を上げるかという、現実的な方法を提示する議論を展開してもらいたいと思う。

noname#101110
noname#101110
回答No.4

ひとつの面白い話を思いついたので、これを添削してまともな文章にし、どこかに発表したい、というような動機でここに質問のかたちで書き込まれたのですね。 内容はなかなか奇抜なもので面白いと思いました。いろいろ添削を受けておられますので、私は文章そのもののよしあし以外に、いくつか気になったことを書かせていただきます。 >でも僕はもっと効果的で凄い方法を思いついた。 相手になるのである。 いわば憑依とでも言えば分かりやすいだろうか ”憑依”という刺激的な言葉がこの文章のいわば目玉になっていますので、ことさらに気になったのですが、この憑依という言葉を辞書などで確かめられたのでしょうか。 憑依というのはあるひとの人格に狐や狸などがとりついて、狐そのものになるということで、普通は人間が別の人間の心に入って(しかもその人間に代わって取り仕切るということになるのですが)その人間を監視するというようなことには使わないと思います。 第一、その人間が相手の人格になったらお互いの会話などまったく成り立たなくなると思います。 意図されるものはわかりますが、こういったことは文章以前の問題で、もうすこしこの憑依という言葉の使い方、そして、どうしたら貴方の意図が正確に文章に表わすことができるか、もうすこし考えてみてはいかがでしょうか。 要するに貴方は相手の心理状態(と自分が相手からどう見られているかも含めて)をそっくりリアルタイムで知ったうえで会話を進めたいということなのでしょうね。 >これをすると例え嫌いな人に自分の価値観を否定されても腹が立たない可能性がある。 >なぜなら自分は相手だからである。 なかなか面白い考え方です。 でも、自分が相手になったのなら、自分はどこにいったのでしょうか? ちょっと疑問が沸きました。

wiietto
質問者

補足

文章に興味を惹いてもらうために憑依を使用したのですが、適切ではないようですね。 深い意味はありません。 憑依は不可能ですが、憑依するぐらい相手の価値観や育った環境まで考えた上で会話できたらお互いに分かり合えるのではないかという話です。 この場合憑依は適切ではないですが、インパクトを持たせるために使用しました。 憑依を使用してしまうと自分がいなくなりますね。 自己意識を保ったままの憑依とでも言えばよいのでしょうか? それは憑依ではないですね苦笑

回答No.3

相手の身になって考えることが大事だと訴えたいのですよね。 しかし実際にはかなり読みにくい文章だと感じました。 まず難しい言葉を無理に使わないことは大事だと思います。 憑依という言葉も、心霊的なことを表すつもりがないのですから、そぐわない感じがします。 次に出だしです。 なんだかとっつきにくい印象がします。 (タイトルも意味が分かりませんでした。「のもっと上」は口語なら分かりますが、文章だと意味がつかめるまで時間がかかるか、小学生などが書いた文章だという印象に繋がります) 「人によって価値観が違うのは当たり前で」 から始めるのではなく、 「価値観の相違している人に価値観を否定されるとこの上なく腹が立つ。」 ということから書いた方がいいと思います。 その上で 「人によって価値観が違うのは当たり前だからだ」 などと繋げていく。 または 「価値観の相違している人に価値観を否定されるとこの上なく腹が立つのは何故か」 や 「価値観の相違している人に価値観を否定されるとこの上なく腹が立つことがある」 などにするのもいいと思います。 ついでに 「価値観の相違している人に自分の価値観を否定されるとこの上なく腹が立つ」と書くとより分かりやすいかもしれません。 私も普段人に伝えるための文章を書いていますが、こうやって人の書いた文章を読むと勉強になります。 色んな人の表現を勉強するのがいいと思います。 例えば森見登美彦の小説は文体が面白いです。 「走れメロス」という単行本を読んで下さい。 その中でいくつか短編があるのですが、わざと文体を変えています。 しかし全て森見さんの文体だと分かりますし、読みやすさは抜群です。 こうやって、人に読んでもらうこともいい方法ですよね。 ひとりよがりにならないことが大事です。 ブログ用だとは思いますが、文章力を高めたいのであれば、改行ではなくぜひ「、」を使って文章を区切る練習もした方がいいと思います。 本当に改行すべき場所なのか、「、」を打つ場所なのか、この判断も重要です。

wiietto
質問者

お礼

ブログで書いていても文章の構成を指摘してくれるような方はいないので質問してみました。 やはり生のアドバイスをいただけると非常に勉強になります。 感激です。ありがとうございます。

  • mi_p
  • ベストアンサー率18% (17/93)
回答No.2

外国人の方ですか? 日本語が母国語じゃないように思われますが。 文章(を書くの)が好きです 先ずタイトルからしておかしいです。文章がの後に書くことがとか組み立てることがとかを入れれば意味が通ります。 相手の身になって考えるのもっと上 (つまり、最良のコミュニケーション法ってこと?) 人によって価値観が違うのは当たり前で価値観の相違している人に価値観を否定されるとこの上なく腹が立つ。 (この上なくはネガティブなことには使いません。 非常に腹が立つ、でしょう。)  でも世の中には相手の身になって考えるという言葉が定着している。 (言葉は定着しません。 考えが定着するだとおもいます。) これは(コミュニケーションをする上で) 大切なことだと思う。 でも僕はもっと(コミュニケーションを)効果的(に行える)凄い方法を思いついた。 相手になるのである。 いわば憑依とでも言えば分かりやすいだろうか。 会話をしてたとすると自分もしゃべっているんだけれど それを見ている相手の脳内を想像する。 これをすると何が起きるのかというと さらには同一空間内、同一時間平面状に第三者を作り出しその第三者に憑依して 客観的にではなく客観に自分を見ているというようなことも可能である。 (ただ相手を客観的に見るだけではなくて、相手の視点から自分を見ることもできるのだ。) これをすると例え嫌いな人に自分の価値観を否定されても腹が立たない可能性がある。 (これをすれば、相手がどんなに自分と価値観の違う人であっても、頭にくることはないであろう。) なぜなら自分は相手だからである。 *ちなみにあなたが述べているこの方法はフィードバックを念頭に置いて話すプロセスを「反映的傾聴(リフレクティブ・リスニング)」と呼ばれる方法です。

wiietto
質問者

お礼

日本人です。 出直してきます。 母語でないと思われた理由は文面からでしょうか? それとも未熟な日本語からでしょうか? 相手の身になって考えるのもっと上 タイトルは我ながら酷いですね。 「反映的傾聴(リフレクティブ・リスニング)」非常に興味深いです。 自分の未熟さを知ったと同時にもっと良い文章を書きたいという意欲が沸きました。 ありがとうございます。

  • kotoby2003
  • ベストアンサー率15% (280/1755)
回答No.1

文章力を高めるなら、まずは日本語を正しく書くべきでしょう。 相手の身になって考えるのもっと上 → 日本語になってないです。文章の内容からして、 「相手の身になって考えるとは」 くらいでよいと思います。 価値観の相違している人 → 価値観が相違している人 ※このほうが自然です。 脳内をいわ → 脳内をいわば ※人にチェックしてもらう前にケアレスミスはなくしましょう! 文章の誤りの前に根本的な指摘ですが、 「でも僕はもっと効果的で凄い方法を思いついた。」 とありますが、すごい方法って・・・これってごく普通のことなので、読み手は「何がすごいの?」ってしらけると思いますよ。 「でも僕はようやく効果的な方法に気がついた。」 くらいにして、最後に、 「みなさんは、どうなのでしょうか?」 と投げかけておくほうがよいでしょう。 あと気になるのは、 「相手になるのである。 いわば憑依とでも言えば分かりやすいだろうか。」 の部分。 いまいちぴんときませんね。なんか大げさすぎる。 ストレートに、 「その相手に憑依してしまうのである。」 と言い切って、 「つまりこういうことだ。」 と説明を続けるとよいと思います。

wiietto
質問者

お礼

ありがとうございます! タイトルは少し人を惹き付ける効果を狙ったのですが日本語になってませんね。 相手の身になって質問するべきでした。 だめな部分を直してもっと良い文章を書けるようにがんばります。

wiietto
質問者

補足

校正してみました。 すっきりしたようです。 ありがとうございます。 相手に憑依してみる 人によって価値観が違うのは当たり前で 価値観の相違している人に価値観を否定されるとこの上なく腹が立つ。 でも世の中には相手の身になって考えるという言葉が定着している。 これは大切なことだと思う。 でも僕はもっと効果的な方法にたどりついた。 相手に憑依するのである。 会話をしている時に自分もしゃべりながら それを見聞きしている相手の脳内を想像する。 何が起きるのかというと 相手側からの自分が見えるので非常に会話がしやすいし、 挙動不審になってしまう僕のような人間にはぴったりだ! 相手の脳内をいわば鏡を見ているかのように映し出してみるのである。 例えばオペレーターと電話で会話していたとしよう。 オペレータ側から自分の声を聞いている感覚である。 さらには同一空間内、同一時間平面状に第三者を作り出しその第三者に憑依して 客観的にではなく客観に自分を見ているというようなことも可能である。 これをすると例え嫌いな人に自分の価値観を否定されても腹が立たない可能性がある。 なぜなら自分は相手だからである。

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