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デマゴーグの具体例
はじめまして。 デマゴーグについて、「ペリクレス死後、クレオンを始めとする煽動的指導者が続き、衆愚政治へと堕落した。 この事からデマゴーグは煽動政治家のような悪い意味で使われるようになった。」 とありますが、具体的に、クレオンなどは、どうやって当時の人々を 扇動してのでしょうか。具体的な事例をおわかりの方がいらっしゃれば 教えていただけますか?
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アテネでは、政治的な事を決めるときに市民集会で決めていました。 市民集会にはクリステネスの改革(508B.C.)移行、20歳以上のアテネ市民なら誰でも参加することが出来ました。 誰でもが参加できると言うことは、多くの政治の素人さん(一般大衆)も多く参加していたということです。 で、そうした中で、議題の賛否などの結果に影響したのが、ソフィストと言われた人たちの「演説」だったわけです。 クレオンは、この市民集会において、スパルタとの戦争(ペロポネス戦争)について徹底抗戦を主張し、民衆もこれに乗っかったわけです。 結果として、アテネはスパルタに敗北しその黄金期に終止符を打ったわけです。 他にも、アテネに対して反乱をしたを起こしたミュティレーネーの成人男子全員を殺害する議決を先導したりしてます。(もっとも、この扇動は失敗におわりますが) で、このデマゴーグの象徴とも言えるのが、「ソクラテス裁判」です。 ソクラテスは、彼を苦々しく思っていたメレトスという人が「ソクラテスは異郷の神々を信じ、若者を堕落させた」として扇動して裁判にかけられたのです。 ソクラテスは、結果的に「有罪」となり服毒刑に処されました。 友人の脱獄の勧めにも「脱獄することは、国家の法に反することになり不正義である」と頑なに拒み、刑に服しました。 このことから、「悪法も法なり」という「法治主義」の原則が生まれます。 ・・・と、ちょっと話が脱線しましたね。 まぁ、つまるところアテネの民主制は、「演説」の上手いヤツの「口車」に乗ってしばしば国益と反する決定を市民が下すこともあったわけです。 なので、これを「衆愚政治」と言い、民主主義の堕落した姿とされたわけです。 雰囲気を少しでも感じる為に下記の本を読んでみてはいかがでしょうか。 プラトン著『ソクラテスの弁明』岩波書店 ソクラテス裁判について、弟子のプラトンが書いた本です。 ソクラテスが裁判で弁明するシーンが描かれています。 短い作品ですから、手軽に読めますよ。 岩波文庫版を買うと、友人の薦めを断る話を描いた『クリトン』がもれなくが付いてきますよ(笑)
お礼
ありがとうございます! さっそく読んでみます!