- 締切済み
創価学会員です。
学会員と日蓮正宗の両方に質問したいです。自分は現役の地区副リーダーです。学会活動、というよりも教義そのものに疑問を感じて活動から遠ざかっています。 学会が正しいのであれば、なにも疑問はありません。しかし、そうは思えないことを日常から感じています。御書を拝する限り、仏法正当性は日蓮正宗にあることがわかります(唯授一人の血脈など)。けれど学会では日蓮正宗を毛嫌いし、悪口ばかりをいっています。この血脈相承のことを尋ねても、学会では「日顕に相承なんてない」の一点ばりで話になりません。 そういう学会では、宗門の悪口をいいながら、自分たちは大聖人の言葉よりも池田先生を絶対視していて、とても日蓮門下とは思えない人ばかりが目立ちます。池田先生は、日蓮門下のひとりでしょう? 大聖人の言葉よりも、重く拝さなければならない理由があるのでしょうか。庶民が平等なのなら、池田先生も僕らと同じ日蓮門下の一信徒であるはずです。 なにが正しいのかわかりません。 ある幹部に聞いたところ、「日蓮正宗はぶっつぶす」といっているし、壮年大幹部も、「まぁ日蓮正宗は消えてなくなるだろうねぇ」なんて笑っていっていました。 日蓮正宗は、日蓮門下の総本山なのでは・・・・・・・日興上人が開山された大石寺をぶっつぶすんですよ? もうおかしいとしか思えません。 日蓮正宗に考えがなびくことも多くありました。けれど、日蓮正宗でも同じように、今度は創価学会の悪口を繰り返すのでしょうか。 学会には学会なりの、宗門に対する不信感(たとえば腐敗堕落したなどの)があり、宗門には宗門なりの、学会に対する不信感(過剰な政治参入や急激で内容のない折伏活動など)があると思うのです。 昔は仲がよかったのに、ここまで急激で極端な抗争に発展するのはおかしいはず。 なぜお互いが忌み嫌うのでしょうか? どちらかが正義なのでしょうか。 あるいはどちらも正しいのですか。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
みんなの回答
- marcy1
- ベストアンサー率27% (96/346)
すいません。私は宗教関係者ではありません。 ですが、きっと答えは法華経の中にあるんじゃないでしょうか。 また、「しちぶつつうかいげ」(ごめんなさい漢字をわすれました) という仏教をあらわした先人のことばがあるそうです。 「悪いことをしないで、良いことをする。これが仏教だ」という意味のものらしいですが、どんな形であれ悪口が良い行いであるとは思えません。そういった思想であるはずなのに、宗派によって争ったり、毛嫌いすること自体が???です。世界平和はきっと、小さい平和の積み重ねです。悪口は平和を招かないでしょう。宗教に関係ある人もない人もみんな仲良くした方がよいですよ。思想の違いで喧嘩するより、共通点を探して共感しあう方が有意義です。
- 1
- 2
お礼
ありがとうございます。法華経はすべての人の成仏を説いている教えです。法華経を受持、折伏イコール「偉くなった」と勘違いする傾向は多かれ少なかれあると思うんです。 大聖人はすべての人に仏性が備わっている(つまり仏ですよね)として、自分より知恵のある人にはすすんで師事するように教えられていたと思います。 自分は選挙活動というのはあまりやらなくて、ほとんど折伏活動をしていました。その際に偏見で論争になることはとても多いのですが、不思議なことに、外部と論争になることはあまりなくて、(理解を示してくれる人が多い)内部と論争になる(教義上の食い違い。思想の食い違い)ことはとても多いです。 論争によって(自分も相手も)正しさが導かれるのであればそれはよいと思えるのですが、根拠のない大組織ぐるみの悪口を目にすると、本当に境涯が高いのか疑いたくなります。 折伏を通じて、外部の方から学ぶことはとても多いんです。これが本音です。ありがとうございました。