- ベストアンサー
幕張東、西、北高校の違いについて
かなり昔、幕張の地図をみて何じゃこりゃぁと思いました。 幕張東、西、北高校がキュっと1地点にまとまっているのです。 凄く不思議でした。そして解決できませんでした。 しばらくぶりにこの疑問を思い出したので質問です。 1幕張総合高校の前身は幕張東、西、北高校ですが、同じ敷地なのになぜ三校に分かれていたのでしょうか。 2三校は科が違っていたのでしょうか。どれかが普通科でどれかが工業科みたいに。 3三校の間に敷居はあったのでしょうか。他校の敷地に侵入しちゃいけないとか、お互いによそよしかったとか、あるいはあけっぴろげな交友していたとか。 なぜ統合しちゃったのでしょうか?(最初から分けなきゃいいのに)
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
人口が急に増えると考えられていた時期に、広い敷地が確保できる場所があったので、県立高校として標準的よりもはるかに大きな規模の3校を同時に開校したんです。 中身はほとんど同じでした。制度上、入試上の問題で、分かれていた、というよりも、バラバラな高校を土地の都合で1カ所に作ったと考える方が正しいかと。 当時の高校不足は酷い状況で、千葉地区の例でいうと、千葉地区の中学生は周辺隣接学区の高校も受験できましたが、逆方向の受験は禁止されるなど、不平等な制度があったりしました。また、千葉県全体で高校数校分の退学者が出始めた時期でもあります。これは今も続いていますが。 開校時点で難易差ができるか、塾講師の間では話題になりましたが、千葉にも方角が付く高校があって、その方角の難易差と同じになったのは面白かったですが。 単位制の高校で、これらの学校間では、単位互換の制度がありましたので、授業でも生徒の行き来がありました。 地域の人口増が人口減に向かい各校の生徒数も落ち着いた、単位互換のある高校間での入学時の難易差が大きくなり始めた、また、他県で大規模高校の成功など、マンモス高校を作る機運ができたため、最終的には「看護高校を含めた4つの高校」が統合され、今の状態になっています。
お礼
そんな背景があったのですね。 積年の疑問が氷解してくれました。 ありがとうございました。