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中村春雨『無花果』の結末(三浦綾子『塩狩峠』)
中村春雨(吉蔵)のキリスト教小説『無花果』の結末に関する質問です。 学生の時分にこの小説が授業で取り上げられたことがありました。 三浦綾子の長編『塩狩峠』にも登場する作品です。 ところがこの『無花果』の結末、授業で学んだものと『塩狩峠』に書かれているものとでは著しく異なっているのです。 ●授業での結末(授業バージョン) 主人公の牧師鳩宮が紆余曲折の末、家族に温かく迎えられて幸福の涙を流す場面で終わりです(七十五章)。 ●『塩狩峠』での結末(塩狩峠バージョン) 授業での結末の続きが書かれています。 主人公が苦悩の末に家出し、汽車にはねられて死ぬところで終わります。 私は実際に読んでおりませんが、 この『塩狩峠』に書かれているエピソードがあるかないかによって、 『無花果』の読後感は180度変わってくると思います。 「授業バージョン」は物語の御都合主義的な欠陥が際立つ結末となっています。 授業でも「入信→救済」という単純な図式が指摘されていました。 つまりキリスト教の宣伝小説のような印象を受けるのです。 一方「塩狩峠バージョン」はいわばバッドエンドです。 『塩狩峠』の主人公信夫もこの結末に考え込んでいます。 「せっかく鳩宮家に平和が戻って来たというのに、どうしてこんな結末になってしまったのだろう」と。 しかしこの結末に考え込んだ信夫は以前にもましてキリスト教に強く関心をもつようになります。 当時この点について授業の担当教員に質問したところ、 「おそらく三浦綾子の記憶違い」とのことでした。 しかしこれほど重大な部分について記憶違いが起るだろうかと私は疑問に思うのです。 たとえば中村春雨が結末に手を加えるなどして、異なるバージョンが存在することになったということもありえます。 『無花果』を読めばすぐに疑問が解決するのでしょうが、 たいへんに古い作品のため容易に読むことができない状況です。 『無花果』の結末についての真相をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示のほどよろしくお願いいたします。
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- kogotokaubewe
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検索してみました。 「yahoo!オークション」の、 オークション > 本、雑誌 > 文学、小説 > 小説一般 > 日本人作家 > 複数作家 に、 ◆現代日本文学全集【歴史・家庭小説集】改造社◆昭和3年◆ というのが出品されています。 ------------------------------- 当時全集ブームにのって、大ベストセラーとなった改造社の現代日本文学全集です。 天の部分が金色になっており豪華に作られております。 大変古いものですので入手困難な貴重なものだと思います。 由井正雪 塚原渋柿園 元禄女 村上浪六 無花果 中村春雨 小松嶋 村井弦齋 経年によるヤケ、シミ、折れ、角に傷み、汚れ、函破れあります。 ご了承いただける方のご入札お待ちしております。 ------------------------------- との説明があります。写真を見ると全集の中の「第34集」のようです。 現在の価格は700円、あと4日です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ただネットオークションはもろもろの理由から利用をためらっております。 検討はしてみますが現時点での購入は少しむずかしいかもしれません。 しかし調べてくださりありがとうございました。
補足
先日図書館に行って調べてきました。 (それまでうっかりしていたことに中村春雨名義でしか調べていなかったのです。 中村吉蔵で検索したら『無花果』を所蔵している図書館が見つかりました) その結果「授業バージョン」の結末が正しいことがわかりました。 主人公鳩宮は釈放され、帰宅して家族に温かく迎えられる。 しかし罪の意識に苛まれ、家出してしまう。 自殺を遂げようとした彼は線路の真ん中に立った。 ここまでは「塩狩峠バージョン」とおなじです。 しかし鳩宮は死なないのです。 汽車が目前に迫ったとき、鳩宮は天の声のようなものを聞く。 そうして無意識に線路の外へと逃れたおかげで、間一髪のところで命を拾う。 その後偶然に立ち寄った教会で牧師の説教に心打たれ、生き抜くことを決意する。 家に戻った鳩宮を家族は感激をもって迎え入れる。 皆入信して彼の無事を祈っていたのだった。 鳩宮は神に感謝し、幸福の涙を流す。 これが正しい結末です。 三浦綾子は結末部分を記憶違いしていたようです。 また『塩狩峠』で主人公信夫が『無花果』を読むのは彼が二十歳のとき、明治三十年か三十一年です。 しかし実際に『無花果』が発表、出版されたのは明治三十四年。 明治三十年の時点で『無花果』を読むことは不可能なのです。 『塩狩峠』のなかで中村春雨は「三十近い男」と記されていますがこれも間違いで、 明治三十年当時中村は二十歳、つまり信夫と同い年でした。 どうやら三浦綾子は『無花果』の発表時期も誤って認識していたようです。 (もちろんこのことによって『塩狩峠』の文学的価値が下がるわけではありませんが。 なお、中村はのちに棄教したそうです) 『塩狩峠』は口述筆記で書かれたのでこのような間違いが起こったのだろうと思います。 ご回答いただいたkogotokaubeweさん、ありがとうございました。