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死刑廃止をどのように訴えればいいのか
微力ながら死刑廃止を訴えてます。一日でも早く死刑を廃止したいですが、現状では廃止できる見込みは立ってません。 死刑廃止の訴えが、国民の半数以上の死刑支持派や中間派の人たちから支持されないのか、運動や訴え方のどこに問題があったのか、考えてもよくわかりません。今まで廃止運動に取り組んでこられたみなさまは、どこに問題があったと考えてますすか。 死刑廃止の訴えが国民の半数以上に支持されるには、運動の方法、訴え方をどのようにすればいいのか、今までの運動方法や訴え方に改めるところがあるなら、どこをどのように改めたら、廃止の実現に役に立つと考えてますか。 私の個人的体験ですがが、私が死刑を廃止すべきと理由を主張したのに対して、死刑支持派に反論されて、それに再反論できずに、議論に負けてくやしい思いをしたことがあります。皆様は下記のような死刑支持派の主張にどのように反論してますか、それとも、死刑支持派が主張するように、死刑支持派や中間派に納得されない理由なのかわかりません。 例.冤罪だったら取り返しがつかない 現実的には、再審で無罪になった4事件、執行されずに天寿を全うした3事件とそうなりかけている2事件がある。死刑囚が無実を訴えて再審を請求し、法務省もその死刑囚は冤罪と判断している場合はその死刑囚を執行せず、再審を待つと表明しているが、再審の受理はめったに無いので、結果として仮釈放されない終身刑と同じ処遇になっている。法務省がそういう運用方針でなので戦後の日本で無実で執行された事例は無く、今の日本では説得力がある理由にはならない。無実で執行された事例があるなら、その事例と根拠を示せ。 論理的には、冤罪は死刑に所属する問題ではない。刑事訴訟法上の被疑者被告人の権利保護に不備が多々あり、警察検察裁判所が誤認するか冤罪を作ろうと思えば、法の不備を利用されて無実の人が有罪にされるので、冤罪と死刑は根本的には関係ない。冤罪で刑を執行されたら取り返しがつかないことは、死刑も懲役も原状回復が不可能という意味で差は無く、執行後に再審で無罪になった場合は政府が金銭で賠償している。再審の困難さも死刑と懲役の差は無い、狭山事件を見よ。 例.死刑は殺人の抑止力にならない 感情的な死刑支持者は、死刑に犯罪抑止力があると思っている人が多いが、冷静沈着な死刑支持者は、各国の統計で犯罪の一般抑止に刑罰の効果があるとは確認されていないことを知っている。刑罰に犯罪の一般抑止力が無いから廃止しろという理由だと、死刑と殺人だけでなく、他の罰と罪にも当てはまる論理なので、全ての罰を廃止して、他の方法で犯罪を処遇しろという主張になり、死刑を廃止する理由にならない。 抑止力が無いからという理由は、一般予防と再犯予防を故意に混同し、死刑や他の刑罰に、社会からの隔離や教育による再犯予防効果や予防可能性があることを故意に無視している。刑罰が重いほど、社会から隔離される時間が長く、隔離中は再犯が予防される。例えば、殺人、誘拐、強姦、強制わいせつ、強盗、傷害、放火、テロ、銃や麻薬の密造密売をした犯罪者が、反省の感情や意思が無いか乏しく、再犯の可能性が高いと予想される場合、懲役10年<20年<30年<無期と刑罰が重くなるほど、社会からの隔離による再犯予防効果が高まる。死刑の場合はそれが100%確実であるにすぎない。実際、殺人の再犯も殺人以外の重罪の再犯も、社会全体の殺人や各種重罪の発生率よりも桁違いに高い。国家が死刑も懲役も、冤罪で執行することは絶対に許されないと主張しながら、刑罰の緩和や再犯可能性を誤判断して仮釈放した結果、私人が殺人や他の重罪の再犯をしている現実も、再犯をする可能性が高いことも無視しろと主張することは、殺人や他の重罪に対して国家と私人に対するダブルスタンダードの使いわけであり、そんな理由に説得力は無い。 例.修復的司法 修復的司法に一定の効果があることは認めるが、殺人や植物状態や痴呆のように被害回復が不可能な事件に対して「修復的」と称し、被害者と加害者が対話し和解し関係を修復できるかのように主張することは詭弁でしかない。私人が人を殺しても植物状態や痴呆にしても被害の修復と加害者との関係を修復できるなら、国家が死刑を執行しても死刑囚の被害や国家との関係を修復できるだろ。和解を望まない被害者遺族や家族が無い被害者もいるので、修復的司法に普遍性は無い。死刑廃止と修復的司法を組み合わせて訴える必然性も、それによる社会的利益もない。 字数制限のため上記しか書けませんが、上記だけでなく、国民多数派から死刑廃止を支持されるためには、どのような理由で訴えるのが有効か、皆様の考えや、経験や議論の方法を聞かせてください。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者さんに限らず、死刑廃止を訴える人って、ほとんど下記の内容に該当すると私は感じています。 1)根底に死刑廃止という思いがあり、それを達成するために理論構築する 2)構築した理論に対し、死刑賛成派や懐疑派から反論がある 3)その反論に対し、さらに反論する 4)反論に夢中になって、1の目的がどこかに行ってしまう 私はどちらかというと死刑制度廃止には理解をもちますが、現実の世の中は理屈だけでは動かないことも知っています。 ですので、理論だけで相手を屈服させればよいという考えの持ち主には、感情的に反発するんですよね。 私もそうなんですが、人間は論理的な思考だけで生きるのではなく、感情もあるんです。 そして、この感情的な反発について、質問者さんのような死刑廃止派はあまりにも無頓着なため、大衆の賛意を得られないのです。 この質問の回答をじっくり読めば、どうすれば社会を死刑廃止にもっていけるか、貴重なヒントはいくつも隠されています。 ポイントで言えば 1)終身刑の問題 2)今後、裁判員制度が本格的に普及した場合、一般庶民の心理として 死刑を言い渡すことは非常に心理的負担が高い この2点の問題に対して、理屈onlyではなく感情的にうまく丸める意見が社会的なコンセンサスを得られれば、平安時代の日本のように法制上は死刑が残っていても、実質死刑判決0という世の中になることは決して不可能ではないだろうと、私は感じています。 相手を論破することだけが、社会的目的達成の手段ではないのです。 その辺の智恵を、是非とも死刑制度廃止派の皆さんには身につけて欲しいと願っています。
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- rikukoro2
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>今まで廃止運動に取り組んでこられたみなさまは、どこに問題があったと考えてますすか。 所詮は人事だからじゃないの? オウムで有名な坂本弁護士一家の家族は今まで死刑廃止論者でそのような活動をしていたそうです。 しかし坂本弁護士のご家族がオウムに殺された後、坂本弁護士ののこったご家族は死刑賛成論者です。 又、坂本弁護士の所属するも「横浜法律事務所」はリベラル色が強く、「自由法曹団」に所属しており、死刑廃止を主張する弁護士が多かった。だが事務所仲間である坂本堤弁護士が殺害された事件を機に、死刑制度賛成へと主張を大きく変えました このように、死刑廃止を訴えた人でも、その家族、親類縁者が殺された後、意見が多く変わります 自分は死刑廃止論者の多くは、死刑というものを深く考えていないように思います だから他者に対して説得力がないのではないでしょうか? 貴方は自分の家族が皆、残虐に殺された場合でも・・・犯人に対し死刑はよくないといえますか?
お礼
回答ありがとうございます。 >所詮は人事だからじゃないの? >自分は死刑廃止論者の多くは、死刑というものを深く考えていないように思います >だから他者に対して説得力がないのではないでしょうか? 死刑廃止運動は本来は純粋に人道的な観点からの運動なのですが、一部の死刑廃止運動家の中には、ある特定の思想や政治的立場に基づいて、殺人に対するダブルスタンダードを使い分け、殺人について、特に独裁政権による超法規的な処刑や、司法権を乱用した死刑などについて、その存在を認めず、無関心や不作為を貫いたり、殺人を積極的に賞賛している人もいます。そのような姿勢は死刑廃止運動の信用を失わせてます。 廃止運動家が死刑支持者や中間派と対話し、認識の違いを埋め、意見の違いを超えて合意を形成しようとする努力が不足し、廃止派と支持派を二分法で分断し死刑支持者を蔑視し、廃止論者だけで自画自賛して自己満足に終始する傾向もあったと思ってます。 廃止運動家が従来から掲げられてきた死刑の廃止を求める理由に固執し、死刑支持者や中間派から死刑廃止の賛同を得て多数派を形成できるような、納得される理由を見出せず、死刑支持者や中間派から受け入れられ、多数派を形成できなかった。 上記の原因の相乗作用で納得されなかったと思ってます。 >死刑廃止を訴えた人でも、その家族、親類縁者が殺された後、意見が多く変わります 死刑に限らず、人間は時間の経過や何らかのきっかけで物事に対する考えが変わることはよくあります。 遺族の感情も人それぞれで、加害者に対して厳罰を求める人も、生きて更生を求める人も、事件や加害者を忘れて生きて行きたい人もいます。 >貴方は自分の家族が皆、残虐に殺された場合でも犯人に対し死刑はよくないといえますか? 死刑支持者がよく使う論法ですが、死刑も含めて刑罰は国の刑事政策に基づいて刑法で定めるものであり、刑罰は被害者や遺族の個人的な処罰感情や復讐心に応えるものではなく、全体的には社会秩序の維持、個別的には犯罪者の更生です。標準的な感覚の成人は、自分の感情だけで考え行動するわけではなく、感情と理性は切り離して考えます。例えば、知能や精神の状況により責任能力を問えない人や、一定年齢未満の少年は、刑事政策の対象にしないことを国民の多数派は納得してます。
- bananasand
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諸外国と比較したり、死刑制度が犯罪の抑止になっていない 等々を データで論理的に説明しても、相手は唸るしかなく、でもやっぱり、死刑はあった方がいいと思うと言われて終わります。 なぜなんでしょう。立法あるいは司法の机上の議論に終始するから支持されないのだと思っています。 犯罪は、司法で起こっているのではなくて、実生活上で発生しているのであって、本来は、如何に凶悪犯罪を撲滅するかという行政の対策の方がはるかに優先なんだと思うんですね。行政側において機能する強制力なり、法制度なり、他のシステムなりが薄いと感じ、立法、行政にそういった創造性が欠けているから死刑肯定が続くんですよ。 個々に報じられる犯罪が、なぜ発生し、二度と発生させないためには、 具体的に何を対策するのかということなのですが、行政が出来ることを適切にかつ迅速にやっていないと感じているのですよ。非常に難しいのはわかりますよ。でもあまりにやっていない。 したがって、死刑廃止に向けては、行政(立法)に対して凶悪犯罪へ具体的対策を打ち出すシステム作りをやらせ成果を出させることが有効だと思いますね。
お礼
回答ありがとうございます。 >犯罪は、司法で起こっているのではなくて、実生活上で発生しているのであって、本来は、如何に凶悪犯罪を撲滅するかという行政の対策の方がはるかに優先なんだと思うんですね。行政側において機能する強制力なり、法制度なり、他のシステムなりが薄いと感じ、立法、行政にそういった創造性が欠けているから死刑肯定が続くんですよ。 報道は凶悪犯罪の増加や治安の悪化などと調べもしないで、間違った情報を垂れ流しているが、事実は殺人も他の凶悪犯罪も昔と比べて発生率は低下しています。国連の統計によると殺人や他の凶悪犯罪の発生率は世界各国と比較して驚異的に低いです。日本と比べて殺人発生率が高い多くの国が死刑を廃止しています。だから、上記のような理由で死刑が肯定されているという認識は正しくないと思います。 事実はそうでも、報道が垂れ流す情報を検証する考えが無く、情報をそのまま信じれば上記のように誤認してしまう。 政府や国際機関の統計なんか調べる者は、報道を信じる人から見れば異常性格者の類だから、変な人が細かい数字を振りかざしてるが、相手にする気になれないと思われるかもしれません。データよりも感覚を重んじる人と対話して理解され納得される能力があればいいのですが。 >個々に報じられる犯罪が、なぜ発生し、二度と発生させないためには、 具体的に何を対策するのかということなのですが、行政が出来ることを適切にかつ迅速にやっていないと感じているのですよ。非常に難しいのはわかりますよ。 完全無欠の社会も個人も存在しないので、犯罪の社会的・個人的原因を完全に除去することは不可能です。犯罪発生率がゼロの国も存在しません。人間の中には常軌を逸した感覚や考えを持つ人も、非常に希少な確率だが存在するので、そういう原因で発生する犯罪は人力では防ぎようが無い。犯罪を二度と発生させるなとの要求は人間には実現不可能です。日本は犯罪の予防力が高いのに、犯罪発生率がゼロでないことを理由に、それを政府の怠慢と指摘して、死刑を廃止しない理由にするのは、最初に結論ありきで、理屈を後付けする極論だと思います。
ここは意見発表や募集の場ではないです。
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- phj
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私も原則的に死刑廃止論者です。 死刑賛成者を論破するのは非常に難しいです。なぜなら(特に気軽に書き込めるこのような場所だと特に)感情だけで書いているからです。よくある反論が「被害者や遺族の気持ちを考えないのか」というものです。 しかし法治国家における刑罰のあり方は社会正義と公平・平等が原則であり、復讐感情とは相容れないものです。(つまり冤罪による社会の不正義の重さはそれほど重いということでもあります) 廃止論者は、このような反論があった場合には、大胆に「遺族感情は刑罰に関係ない」と言い切るべきでしょう。 その観点からスタートしないと、議論が平行線をたどるからです。 次に個別に反駁します。 例.冤罪だったら取り返しがつかない >現実的には、再審で無罪になった4事件、執行されずに天寿を全うした3事件とそうなりかけている2事件がある。(中略)無実で執行された事例があるなら、その事例と根拠を示せ。 そもそも無実の人が死刑判決を受けるような裁判及び判決が行われること自体が、警察・検察の怠慢であり、裁判システムの不備とリスクを示しているといえる。「無実で執行・・・」云々をいうのなら、そもそも無実の人が起訴されること自体が問題であり、無実の人が起訴される以上、「無実で死刑が執行された事例はない」と言い切ることはできない。 「疑わしきは被告の利益」を徹底することと、死刑の適用範囲そのものを見直すべきである。 >論理的には、冤罪は死刑に所属する問題ではない。(中略)再審の困難さも死刑と懲役の差は無い、狭山事件を見よ。 だとしても、死刑囚の「今日執行されるかもしれない」という恐怖と終身刑の絶望は違うし、終身刑ならば無実を勝ち取る為に本人が行動することが出来るし、無実が証明されれば(失った時間は帰らないが)生きている限り、刑事裁判のあり方を良くする為に行動できるし、社会に貢献できる。また現状の判決では被害者の死の恐怖を鑑みて、量刑判断が行われるが、死刑は国家が殺人を行うことであり、「無実」の人にその恐怖を可能性があるということ自体が、最大の人権侵害といえる。 死刑の量刑が「犯罪者に再犯を犯させず社会の安定を図る」という意図を持って行うのであれば、終身刑で目的を達することができる。現状の裁判システムから冤罪を排除できない以上、死刑により1個の人格が失われることと、終身刑により少なくとも天命まで人格を保持できることは、天と地ほどの差があるといえる。 例.死刑は殺人の抑止力にならない >感情的な死刑支持者は、(中略)全ての罰を廃止して、他の方法で犯罪を処遇しろという主張になり、死刑を廃止する理由にならない。 抑止力がないなら、死刑の意味はない。他の刑罰と同じように犯罪者を収監し、抑止できるまでとどめ置けばよい。必要なら終身収監すればよい。終身刑のメリットは上記に書いたとおりである。 また「全ての罰が無意味」と言うのは暴論である。たとえば飲酒に対する罰則規定が強化されただけで、この五年間に交通事故死亡者が約半分に減った。一番軽い罰則である「罰金刑」だけでもこれだけの効果があるのに、刑罰そのものに意味がないという論理は、議論するに値しない。 >抑止力が無いからという理由は、一般予防と再犯予防を故意に混同し、死刑や他の刑罰に、社会からの隔離や教育による再犯予防効果や予防可能性があることを故意に無視している。刑罰が重いほど、社会から隔離される時間が長く、隔離中は再犯が予防される。(中略)死刑の場合はそれが100%確実であるにすぎない。実際、殺人の再犯も殺人以外の重罪の再犯も、社会全体の殺人や各種重罪の発生率よりも桁違いに高い。国家が死刑も懲役も、冤罪で執行することは絶対に許されないと主張しながら、(後略) 刑罰を社会的に効果のあるものと考え、それを個人を拘束する事による再犯の防止に求めるなら、死刑でなくとも仮釈放無しの終身刑で100%確実といえる。終身刑の利益、冤罪の社会に与える不利益は上記に書いたとおりである。 例.修復的司法 修復的司法に一定の効果があることは認めるが、(中略)修復的司法に普遍性は無い。死刑廃止と修復的司法を組み合わせて訴える必然性も、それによる社会的利益もない。 そもそも修復的司法は、被害者の傷つけられた人間的尊厳を回復することが主目的である(加害者の尊厳を奪うことで被害者感情が回復するなら応報的司法のみでよい)、喫緊の司法改革による裁判への被害者参加は、被害者及び遺族の感情に配慮した良い方向性であると評価しているのは、ほかならぬ死刑賛成論者ではないのか。 また、遺族の中にも「犯人の死刑を望まぬ」方もおり、修復的司法に普遍性も社会性もないというのは、逆に被害者および遺族に対する侮辱であり、第三者による盲目的な断定にすぎない。 また犯罪が発生するの事案と言うのは、必ずしも本人の瑕疵によるものだけではなく、その裏に社会による不正義が隠れていることが多々ある。被害者感情だけに囚われた議論は、むしろ社会が健全に発達することを阻害し、トータルで住みにくい犯罪の多い社会を助長する側面もある。修復的司法は、そのような面に光を当て、犯罪者には悔俊と被害者の尊厳回復の義務感を発生させ、また第三者には犯罪の裏に住む不正義を正す努力に誘導することになる。 このため、無差別殺人などの犯罪者であればあるほど、修復的司法の効果は高く且つ社会に対する影響と効果も高いものになるといえる。 池田小事件の宅間守元死刑囚は、自ら望んで早期に刑を執行されたが、逆にそのために同様の犯罪構成者の動機や背景を発見し社会が是正する機会を失ったといえる。その後秋葉原の事件など影響を受けたと思われる事件がたびたび発生しているが、犯罪にいたる動機や犯罪を起そうと決断にいたる過程が解明されず、修復的司法の役割はむしろ増大しているといえる。 また結果として宅間守元死刑囚の死刑執行後も同様の事件が起こっていることは、応報的司法の限界、死刑の限界を表すものといえる。 死刑で犯罪が抑止され修復的司法が必要ないなら、死刑賛成者は池田小事件や秋葉原事件が起こった原因を説明するべきであるし、このような犯罪と死刑の抑止効果について意見を出すべきである。 また死刑賛成者の詭弁に「貴方の家族が殺されたら・・」というのは非常に卑怯な発言です。基本的にディスカッションでは、社会を構成する第三者として議論しているわけであり、逆にいえば死刑賛成論者が被害者・遺族になることで、死刑反対に変わる事例もあるからです。 このような場合は、「私は自分の手で犯人を殺してやりたいと願うが、死刑で無念が晴らせるとは思わない」と答えます。 また死刑反対論者は比較的「社会」を念頭において議論を出発しますが、賛成者は「遺族感情」を念頭において発言します。これではかみ合うわけがありません。 日本の司法問題を考えるときに一番欠落しているのが「社会」の視点だといえます。まず死刑という量刑があるのは、国民全体の意思であり、「それは貴方や私が死刑に加担している」のだという視点があまりにも欠落しているという意味でもあります。 その証拠に、死刑の存廃のアンケートを取ると80%程度が死刑に賛成するのに対して、5月から始まる裁判員制度に対して積極的に参加するというのは3割~4割しかいません。 つまり「死刑には賛成だが、自分がその判断をするのはごめんこうむる」ということなのでしょうか。まるで虫が良い子供の考えですね。 ぜひ死刑賛成者に賛否を聞いてみたいものです。 今後裁判員制度が始まり、死刑そのものを国民が判断するようになることで、世論が変わると期待しています。
お礼
回答ありがとうございます。 >死刑賛成者を論破するのは非常に難しいです。 >よくある反論が「被害者や遺族の気持ちを考えないのか」というものです。 >廃止論者は、このような反論があった場合には、大胆に「遺族感情は刑罰に関係ない」と言い切るべきでしょう。 >その観点からスタートしないと、議論が平行線をたどるからです。 議論の開始点を設定すべきとの指摘は同感です。死刑に賛成か反対かを問う以前に、死刑という個別の刑罰の上位の命題として、刑事政策は何のためにあるのかという原点を問えば、近代法治国家においては、刑事政策の根本的な目的は全体的には社会秩序の維持であり、個別的には犯罪者が罪を犯した原因を教育や医療により矯正して、社会に戻して更生を促すためであり、国家が被害者に代わって加害者に対する復讐を代行することではなく、同害報復をすることでも、被害者や家族の処罰感情を満たすためでもないです。同害報復が不可能なことは、他の回答に対するお礼で述べたとおりです。死刑支持者でも刑事政策の目的が復讐や同害報復だと主張する人は極めて少数であり、大部分の死刑支持者は刑事政策の根本的な目的については廃止論者と同じ認識を持ってます。 そうであるなら、社会秩序の維持、犯罪者の更生、犯罪の一般予防、被害者に対する支援のために、死刑が必要不可欠な刑罰か、必要の無い無益な殺害かは最初から結論が出ています。 死刑支持派の人々に、刑事政策の根本的目的に立ち返って、死刑が必要の無い無益な殺害であることを納得していただけるように、対話を通じて合意を形成していけば、多数派を形成できると思ってます。刑事政策の目的を復讐や同害報復と設定せず、社会秩序の維持と犯罪者の更生に設定するなら、必ずそういう結論になります。 私は死刑廃止派と死刑支持派を対立構造とみなし、死刑支持者を論破しようとは思ってません。廃止派も支持派もお互いの意見は尊重して、犯罪の原因や予防や、犯罪者の処遇や、被害者の支援をどうすればよいかについて、対話を通じて認識の違いを埋め、意見の違いを乗り越えて、社会秩序の維持や、犯罪者の更生や社会復帰、被害者への支援も、どのようにすれば社会全体としての最適解になるのか考えて、合意を形成していけば、社会の統治に死刑は必要ないとの結論が多数派を形成できると思います。
補足
補足です。 >死刑反対論者は比較的「社会」を念頭において議論を出発しますが、賛成者は「遺族感情」を念頭において発言します。これではかみ合うわけがありません。 >日本の司法問題を考えるときに一番欠落しているのが「社会」の視点だといえます。まず死刑という量刑があるのは、国民全体の意思であり、「それは貴方や私が死刑に加担している」のだという視点があまりにも欠落しているという意味でもあります。 ご指摘のとおりと思います。刑事司法制度は大部分の人にとって身近な関心事ではなく、刑事司法の専門家や個人的に関心を持っている人以外には、深く考える機会が乏しく、罪と罰に限らず物事の本質を問わない扇情的な報道が繰り返されていることも、上記の問題の原因と思います。 >刑罰を社会的に効果のあるものと考え、それを個人を拘束する事による再犯の防止に求めるなら、死刑でなくとも仮釈放無しの終身刑で100%確実。 その意見は、死刑支持派でも廃止派でも根本的な差は無いと思います。死刑廃止議員連盟の刑法改正案は、現行の無期刑の仮釈放条件を厳格化する方法であることはご存知と思います。仮釈放の可能性が無い終身刑だと、若年時に罪を犯し、長い服役生活を通じて真摯に反省し、再犯の可能性がゼロになっても終身収監しなければならず、運用の融通性が無いので、大部分の国は仮釈放の可能性がある終身刑であり、運用方法によっては天寿を全うするまでの収監もあり、現状は30年くらい昔と比較すると、仮釈放を許可される受刑者より獄死する受刑者のほうが多くなっていることはご存知と思います。 >無実の人が死刑判決を受けるような裁判及び判決が行われること自体が、警察・検察の怠慢であり、裁判システムの不備とリスクを示している ご指摘のとおりです。刑事訴訟法上で捜査段階や公判段階で被疑者や被告人を保護する規制が不十分なため、捜査段階では、弁護人の接見交通が十分に保障されず、国選弁護人による支援が無く、代用刑事施設に勾留して録画録音の無い尋問が自白の強要になりやすい、刑事司法の知識に乏しい人に対する捜査官の不利益な誘導が行われやすい、公判段階では、捜査段階で警察が収集した証拠のうち、検察が公判に提出する証拠以外は開示されない、捜査段階での自白を強要された調書が証拠として採用される、被害者や共犯者の供述を唯一の証拠として有罪判決をする、などの冤罪を生みやすい欠陥が多々あります。それは死刑廃止の付属条件で行うものではなく、刑事司法制度全体に関わる問題で、別個のテーマと思います。 国民の多数派から賛同を得て死刑を廃止することが目的なら、廃止を求める理由には固執せず、国民の多数派から理解されやすく賛同されやすい観点や理由を模索して、論点を絞るほうが有効だと思っています。弁護士会は60年以上前から廃止運動をしてきましたが、冤罪論と抑止力論は過去60年間国民の多数派から賛同されず、今後も賛同されないように思うのですが、どのような理由を訴えれば国民の多数派の賛同を得られるのか模索しています。回答者様や他の廃止論者の皆様はこの点についてどのようにお考えでしょうか。 >修復的司法 刑事司法とは異なり、被害者と加害者の対話は強制はできず、両者の合意が無いと成り立ちません。被害者や家族が犯罪の被害を受けたことや加害者に対して、加害者が自分の侵した罪や被害者に対して、どのような感情や意見を持つか千差万別です。加害者に対して、厳罰を求めるか、寛大な処分を求めるか、対話や和解を望むか望まないか、事件を思い出したくない、事件や加害者のことは忘れたい、忘れることで立ち直りたいという人もいて、被害者や家族にとって加害者との対話や和解は、一つの手段ではあるけど、万人に適用できるわけではないです。先進国では法律は当事者の意思を最大限尊重するので、加害者との対話や和解を望まない人にそれを強要することはできません。修復的司法も被害者や加害者に対する処遇の一つの方法ではあっても、唯一の解決策ではなく、他の方法もあり、どの方法を望み受け入れるかは当事者しだいです。被害者や家族に対する処遇は、死刑の廃止と連携して行うことではなく、別個のテーマだと思います。
- gootaroh
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質問文が長すぎて全文はとても読み切れませんので、気付いたことだけ述べます。 死刑廃止論の本質は、「そんな犯罪者を作ったのは社会の責任でもある。それを社会(国家)が殺すのは責任放棄だ」という点ではないでしょうか。「殺すのではなく、できれば更生させて社会復帰させるのが社会の責任ではないのか」ということだと思います。違っていたらごめんなさい。 もしそうだとして、私などは、安易に社会の責任にするのはいかがなものか、と思うわけです。大半の人は社会に適応しています。社会の責任ではなく、あくまでも当人の責任だと思うのです。 「国家による殺人」との論理もよく聞きますが、国民同士が暴力(腕力)で物事を決めるのを防ぐため、暴力を一か所に集中させたのが国家ですので、法治国家である限り、国家が処刑する分には問題ないというか、逆に、処刑する資格は国家しか持っていないと思います。 もっと根本的には、被害者は権利はどうなっちゃったの?ということです。加害者にも権利がありますので、それを守るのは大切ですが、他人の権利を奪っている事実は消えません。これがスタートラインだと思います。 冤罪について、よく終身刑の創設を提案する死刑廃止論の方がいますが、終身刑だって、獄死後に冤罪が分かった場合、取り返しがつかないのは変わりません。冤罪の心配は死刑に限った話ではありませんが、少なくとも事実関係に争いがない場合は、どんどん死刑にしてもよいと思います。 あと、死刑廃止論がなかなか賛同を得られない理由の一つは、コストの問題もあると思います。死刑を廃止し終身刑を創設するとして、終身刑は執行開始から執行終了までの期間が長く(死刑だと10分程度)、その間、自然死しない限り税金で命を保障するわけですよね。「終身刑創設のため、消費税率をアップします」といっても、国民は多分納得しないと思います。 それと、本気で死刑廃止を訴えるのであれば、死刑判決が出そうな裁判で実際に死刑判決が出たとき、裁判所の前で死刑反対を訴えてみてはいかがでしょうか? 例えば、麻原裁判や光市母子殺害事件、和歌山毒物カレー事件などの判決公判の際は、そういう人はいなかったように思いました。机上の論理だけで、実際に行動する人が少ないことも、死刑廃止が理解されない一因だと思います。そういう意味では、各裁判における被告人の弁護人は立派(?)だと思います。その上で、最終的には、どちらに説得力があると多くの人が思うかでしょうね。やはり行動は大切だと思います。 いずれにせよ、死刑廃止論と死刑賛成論の違いの「本質」は、犯罪の責任を、社会(他の国民)に求めるのか、本人に求めるのかという「哲学」の違いだと私は思っていますので、絶対に議論がかみ合わないんですよね。ぜひ頑張ってください!
お礼
回答ありがとうございます。 >冤罪について、よく終身刑の創設を提案する死刑廃止論の方がいますが、終身刑だって、獄死後に冤罪が分かった場合、取り返しがつかないのは変わりません。冤罪の心配は死刑に限った話ではありません その指摘については、質問文に死刑支持者に論破されて例でのべたとおり、冤罪は死刑に所属する問題ではなく、死刑だけの問題でもなく、刑事司法手続きにおいて被疑者や被告人の権利を保護する規定が不十分であることが原因です。死刑と冤罪を組み合わせて主張することは、むしろ冤罪の問題の焦点をあいまいにすると思います。冤罪→http://ja.wikipedia.org/wiki/冤罪 >死刑廃止論がなかなか賛同を得られない理由の一つは、コストの問題もあると思います。死刑を廃止し終身刑を創設するとして、終身刑は執行開始から執行終了までの期間が長く(死刑だと10分程度)、その間、自然死しない限り税金で命を保障するわけですよね。「終身刑創設のため、消費税率をアップします」といっても、国民は多分納得しないと思います。 そのような指摘は死刑支持者からよく言われますが、今の先進国では国により程度の差はあっても、医療と福祉と社会保障の予算が、一般歳出の大部分を占めています。2009年度予算では法務省は6721億円であり、政府の当初予算(補正予算を含まない)の一般歳出51兆3170億円の1.3%(補正予算を分母に含めれば1%以下)なので、社会保障予算のための消費税増税などとは比較にならない程度の歳出です。死刑判決確定は近年は10~20、無期も50~100の範囲なので、無期の母数と比較すると著しい負担増にはならない。この論は具体的な数字を示すと説得力が無いと思います。
補足
補足です。 >死刑廃止論の本質は、「そんな犯罪者を作ったのは社会の責任でもある。それを社会(国家)が殺すのは責任放棄だ」という点ではないでしょうか。「殺すのではなく、できれば更生させて社会復帰させるのが社会の責任ではないのか」ということだと思います。違っていたらごめんなさい。 >いずれにせよ、死刑廃止論と死刑賛成論の違いの「本質」は、犯罪の責任を、社会(他の国民)に求めるのか、本人に求めるのかという「哲学」の違いだと私は思っていますので、絶対に議論がかみ合わないんですよね。 死刑廃止の理由として、犯罪の原因は環境にあるとの説を掲げている人も少数派ですが存在していますが死刑廃止国でも、犯罪の原因は環境にあるとの説に基づいて個人の責任を否定し、刑罰を否定する国は無く、罪を犯した個人に社会の構成員として責任を負わせ、罪を犯した個人の犯罪の原因を教育や医療により矯正し、社会に戻して更正を促す政策です。
- Cupper
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もう一度 Cupperです 質問者や廃止派の主張は感情の押しつけにしか感じないんです それらしく飾っただけの中身の無い空っぽの言葉 責任が感じられない場当たり的な言動 それじゃ絶対に受け入れてもらえませんよ って言うかさ 今まで死刑を求刑されて実際に刑の執行を受けた受刑者は何人いるの 執行されるまでに病気や老衰などで亡くなった受刑者は何人いるの 今現在、刑の執行を待っている受刑者は何人いるの その辺りの数字は把握していますか 現状の死刑制度は言っちゃなんですが、終身刑ですよ 表現は悪いかも知れないけど、たまたま大臣が死刑執行の命令を下してるだけ ちがう? 数字を調べてみてください ついでに… たまたま執行命令を出した大臣に罪はあるの? 無いよね 反論できないのは思慮が足りないからだと思いますよ 存続派の主張に対してその内容を十分理解できていないから 一度、逆のことを考えてみましょう もう徹底的に存続させるという立場で考えるんです そうすることで、相手の主張を理解できるようになります 良い社会を作ろうと考えるのは良いことです ですが一時の感情の昂ぶりを他人に押しつけるのはどうかと思います 冷静になって双方の主張をよく吟味することが一番大切だともいます また、死刑制度を廃止した諸外国の刑罰の制度を勉強されると良いかもしれません がんばってください
お礼
重ねての回答ありがとうございます。 >質問者や廃止派の主張は感情の押しつけにしか感じないんです >一時の感情の昂ぶりを他人に押しつけるのはどうかと思います >それじゃ絶対に受け入れてもらえませんよ 死刑に限らず、公的なことでも私的なことでも、自分の感情や主張を一方的に押し付けて満足する人は、どの国でも時代でも一定の割合でいるので、今の日本で死刑廃止を訴えてる人の中にもそういうタイプの人はいますが、相手に立場や意見も尊重した上で、対話によって合意を形成しようとする人もいます。そうしなければ意見が違う人に受け入れられないとのご指摘はそのとおりです。 >たまたま執行命令を出した大臣に罪はあるの? 法務大臣は国民が選挙で選出した国会議員が作成した法に基づいて職務を遂行してるだけなので、死刑を執行したことに対して法務大臣の責任にすることは論理的に間違ってます。法務大臣に就任して、自分の信念に基づいて死刑を執行しない(公職者でありながら法律より自分の考えに基づいて職務を遂行する)と公言する大臣のこそ間違ってます(法律より自分の意見を優先させたいなら就任を辞退するべきでしょう)。もし責任があるなら20歳以上の国民全員です。
補足
補足です。 >今まで死刑を求刑されて実際に刑の執行を受けた受刑者は何人いるの >執行されるまでに病気や老衰などで亡くなった受刑者は何人いるの >今現在、刑の執行を待っている受刑者は何人いるの >その辺りの数字は把握していますか >数字を調べてみてください 不勉強のまま政治的社会的な主張をいている人もいますが、私は世間に垂れ流されている情報を検証もしないで信用するのではなく、情報の正確性や多様な観点からバランスの取れた見方をしているか、自分で調べないと納得しないタイプ、自分が詳しく知らないことについて、知ったかぶりで論じたり、調べもしないで知ってるつもり理解しているつもりで論じる(世の中にはそういう人もたくさんいるけど)ことは望まないので、論じているテーマについては可能な限り調べています。ご指摘の数値は法務省が発行している犯罪白書に全て記載されています。Wikipediaにはそれをまとめたページもあります。 死刑→http://ja.wikipedia.org/wiki/死刑 死刑存廃問題→http://ja.wikipedia.org/wiki/死刑存廃問題 日本における死刑→http://ja.wikipedia.org/wiki/日本における死刑 日本の犯罪と治安→http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の犯罪と治安 日本の刑事司法→http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の刑事司法 >反論できないのは思慮が足りないからだと思いますよ >存続派の主張に対してその内容を十分理解できていないから NO11以前のお礼にも述べましたが、私としては、一部の死刑廃止運動家が廃止を求める理由として主張してきた、冤罪だったら取り返しがつかない、抑止力にならない、修復的司法、許すことで癒される、国家は絶対に人を殺してはならない、殺人を犯罪として罰する国家が死刑をすることは自己矛盾、犯罪者は社会によって犯罪に追い込まれた犠牲者、などの理由は、どれも論理的には死刑の本質と無関係であり、現実的にも廃止実現にはなんら結びついてないので、日本の死刑廃止運動家は、もういいかげんこういう理由を振りかざすのは止めたらどうかと思っています。他の死刑廃止運動家はどのようなつもりでこのような理由を振りかざしているのか、廃止の実現に結びつく確証や根拠があって主張してるのか確認するつもりで質問しました。 >一度、逆のことを考えてみましょう >もう徹底的に存続させるという立場で考えるんです >そうすることで、相手の主張を理解できるようになります >冷静になって双方の主張をよく吟味することが一番大切だともいます NO11以前のお礼にも述べてるように、一部の死刑廃止運動家のように、死刑廃止論者と死刑支持者を敵対する存在として分断し対立させるのではなく、私としては、死刑廃止論者も死刑支持者も中間派も、意見の違いに対して、どちらが優れているとか劣っているとか、どちらが正しくてどちらが間違っているとか、優劣や正誤の対称にするのではなく、相手の認識や意見も尊重して上で、認識の違いをすり合わせ、意見の違いを超えて合意を形成しようと努力することが大事だと思ってます。死刑だけでなく公的なことでも私的なことでも全てそうだと思います。 ですから、意見が違う人とどのように関わるかという意味では回答者様と私は全く同じ考えかたを持っていることが、今回の対話を通じて確認できました。それだけでも意味があったと思ってます。
- Bayonets
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一般的に死刑廃止論は人道的見地、道徳的見地からが多いと思います。 単に死刑廃止を叫ぶだけでなく、それに替わる量刑制度の提案がなされると賛同者も多くなるのではないでしょうか。 単に死刑だけを廃止してしまうと今の日本では、どんな殺人犯でも終身刑といいながら実質10数年で社会に舞い戻ってくるようになります。 これらが合理的に改訂されない限り、死刑制度は存続止むなしと思います。 裏を返せば、死刑制度に替わる量刑が設定され、それに伴う全ての量刑について見直しがあるなら死刑制度廃止に賛成します。 しかしながら、単に量刑制度のみ弄れば解決する問題でもありません。 司法制度全体の見直しが必要です。 司法制度の見直しまで含まない単なる死刑制度廃止運動は、何か特定政治勢力の恣意的な活動と思えてくるのです。 ユニセフに対して、日本ユニセフ協会のように偽善的政治活動を行なっているようにしか見えません。 日本の死刑制度については被害者の仇討ち的要素も含まれています。 死刑制度が廃止される社会的状況は、忠臣蔵の人気が衰えて社会的支持を失うまでは無理だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >単に死刑だけを廃止してしまうと今の日本では、どんな殺人犯でも終身刑といいながら実質10数年で社会に舞い戻ってくるようになります。 NO4の回答に対するお礼で述べたように、近年日本の無期刑の運用は著しく厳しくなっていて、仮釈放される無期受刑者より、服役中に天寿を全うする受刑者のほうが多く、仮釈放無しの終身刑の処遇をされている受刑者のほうが多いです。無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ→http://www.geocities.jp/y_20_06/ NO6の回答に対するお礼で述べたように、死刑廃止を求める超党派の国会議員団は、仮釈放を許可する条件を著しく厳しくすることと引き換えに、死刑廃止に持ち込もうと計画してますが、国会で過半数の賛成が得られる見込みが立たないため、法安提出を保留している状況です。
補足
補足です。 >司法制度の見直しまで含まない単なる死刑制度廃止運動は、何か特定政治勢力の恣意的な活動と思えてくるのです。 >偽善的政治活動を行なっているようにしか見えません。 ご指摘の件は死刑支持者からたびたび厳しく指摘されています。 例えば、人権と平和をめざす政党と称しながら、自国民を大量に殺害や拷問している朝鮮労働党や中国共産党の友好政党であると宣伝し、党幹部が北朝鮮を訪問して金日成主席への尊敬と忠誠を誓い、非武装中立を訴えながら中国を訪問して中国の軍拡を賞賛する政党とか、世界中に人権を実現する団体と称しながら、東アジア半日武装戦線の革命理論を賛美し、三菱重工爆破事件を賛美し、北朝鮮の人権状況は認知できないと称し、世界の主要な死刑執行国に北朝鮮を含めず、拉致された人たちの今後は彼らの自己決定を尊重すべきなのに、日本政府は日本を一時訪問中の人々(注:帰国した拉致被害者のこと)を彼らの意思を無視して、日本に留め置いて政治的取引の材料にしていると主張する団体など、自らの政党や団体に対する信用だけでなく、死刑廃止運動に対する信用も失わせています。 某首相は退任会見で、「私は自分のことを客観的に見ることができるので、日本のためにも自民党のためにも、首相の地位に固執しない。」と述べましたが、上記の政党や団体は自分たちの言動が死刑廃止運動の信用を失わせ、死刑廃止の実現を遠ざけているとは自分では認識していないでしょう。それを認識していたらそんな言動はするはずないのですが、特定の思想に自分の思い込みで執着していて、それ以外の見方や考え方をできなくなり、自らの考えや言動が他人からどのように評価されるかを自分で認識できない状態になっています。 ただ、そのような政党や団体は組織の衰退を止められず、政党としての政治的影響力も、市民団体としての社会的影響力も失っているので、死刑廃止にとってのマイナスの影響も微々たるものだと思います。
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
結局のところ、死刑の議論は議論と言うより、各人の信条や考え方による感情論の言い合いに過ぎません。 死にそうなくらい腹をすかせた人が、パンを盗みました。 周りの人は「死にそうだったんだから、しょうがないじゃないか」や「それでも罪は罪だ」と言う人がいますが、パン屋の主人が許してやるか警察に突き出すかを決めることだと思います。 被害者が「こうしたい」というのを尊重して然るべきで、周囲が強制することではないことだと思います。 もちろん窃盗と死刑になるほどの犯罪を一緒に扱うことはできませんけどね。 でも要は被害者(被害者の遺族)の感情がどうかであることが問題だと思います。 しかし残念ながら、殺人などで殺された遺族たちは「犯人を死刑にしてほしい」と願うケースが多いような気がします。 (マスコミの印象操作もあるでしょうけど) 自分の身内が被害者でもないのに、死刑廃止と声を高らかにしてもむなしいだけです。 死刑廃止を願うなら、加害者を死刑にしないでほしいという被害者遺族の声を集めて、感情に訴えることでしょうね。 (あくまで仮定ですが) あなたのご家族が犯罪に巻き込まれ、亡くなられても、あなたが「冤罪の可能性もあるので、加害者を死刑にしないでほしい」とカメラの前で泣きながら訴え、多くの署名を集めることができたら、効果は相当大きいでしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 >死刑の議論は議論と言うより、各人の信条や考え方による感情論の言い合いに過ぎません。 私事ではなく国の司法制度なので、個人の信条や感情で決まるわけでもないです。成人なら大部分の人は、司法制度に限らず私事ではない公的なことに対しては、個人の感情では決めずに、国や社会や組織の維持や発展のために必要なことは何かを考えそれを優先して決めます。 >被害者が「こうしたい」というのを尊重して然るべきで、周囲が強制することではないことだと思います。 >死刑廃止を願うなら、加害者を死刑にしないでほしいという被害者遺族の声を集めて、感情に訴えることでしょうね。 私事ではなく国の司法制度であり、全体的な目的は社会秩序の維持、個別的な目的は犯罪者の更正なので、検察も裁判所も被害者遺族の感情で決めているわけではないです。検察の起訴不起訴の判断も求刑も、裁判所の量刑判断も、遺族の感情とは無関係に決められ、遺族が死刑や他の厳罰を望んでも、死刑や他に厳罰にならないこともあり、遺族が罪を憎んで人を憎まずと寛大な処分を望んでも、死刑や他の厳罰になることもあります。 >あなたのご家族が犯罪に巻き込まれ、亡くなられても、あなたが「冤罪の可能性もあるので、加害者を死刑にしないでほしい」とカメラの前で泣きながら訴え、多くの署名を集めることができたら、効果は相当大きいでしょうね。 冤罪ではないけど遺族が死刑に反対した事例(例えば1979~1983年に愛知県で発生した3件連続保険金殺人事件)もあり、その遺族は著書を発行して加害者との和解を訴え、一部の死刑廃止運動家は遺族の主張と著書を宣伝材料にして活動したが、その死刑囚は遺族の意見と無関係に執行され、制度としての死刑廃止の見込みも全く立っていない。冤罪や抑止力の理由付けと同じで、何の効果も無いです。
- tamoht
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私も、死刑絶対廃止論者です。 このOKWaveでは、死刑廃止論を訴えると、よってたかって反撃をうけつぶされてしまう場合が多いのですが、ご質問者様のように堂々と反対論をぶつけてこられる方はすばらしいと思います。 ご質問者様のご意見全く賛同いたします。私は下記のように訴えております長いので最初の部分だけにしましたが参考にしていただければ幸いです。 「死刑は、あってはならない残酷で非人道的な体罰です、健康に生きている人間の体を強制的に絞首して死にいたらしめる身体刑は、最も野蛮な究極の人権侵害であり、人間の尊厳と名誉を踏みにじるものであって絶対に許されることではありません。人の命を尊重し、如何なる理由があろうとも人の命を奪ってはならないことは、人類共通の原理であり、民主主義の原則であります。 死刑は司法の名を借りた国家による計画的で冷酷な殺人に他なりません。法律によって殺人を禁じておきながら国家による殺人を合法的に行うことは、民主主義における世界のリーダたる先進国家としてあるべき姿なのでしょうか、殺人に対して殺人で返す応報刑は、国家が殺人者と同じレベルになっているということです。そしてその国家を構成しているのは我々国民です、国民一人一人が国家による殺人に否応なしに手を染めさせられていることになるのです。 「人間一人の命は地球より重く、尊いものである」と子ども達に教えているのに、一方では国が率先して人の命を奪うことの矛盾、「命の尊さを訴える為に“死刑”にする」という矛盾をどう説明するのだろうか。誰でも生まれた時は純白な赤ん坊であり、環境によって偉人にも死刑囚にもなりうるのです、死刑囚は社会が作ったという事実を認めれば、おのずと死刑廃止につながるのではないでしょうか。 死刑賛成論者のなかには「死刑は犯罪の抑止効果がある」と論じる人がいますが、実際に統計を見ればそれが無意味なことは明らかです。むしろ国が合法的に人を殺している社会の方が、人命軽視の風潮がたかまり、殺伐とした社会を生み「殺人」を何とも思わない世界を助長しているのではないでしょうか。 大阪の児童連続殺傷事件の犯人は異常なスピードで判決が出て異常なスピードで刑が執行されました、しかしその後もかつてないほど通り魔殺傷事件が相次いでいます。これこそが「死刑は犯罪の抑止効果がない」ことの良い例だと思います、むしろ、社会に恨みを持つ自殺願望者が、死刑制度があるが故に「どうせ自殺するならただ自分が死ぬのであれば負け犬みたいで腹立たしいから多くの人を巻き添えにして死刑になろう」と考えてしまう危険が大いにあります。。 死刑制度は、被害者の犯人への憎しみの感情を癒す効果しかありません、仇打ちの制度が旧態依然として継続しているにすぎません、裁判は社会の秩序維持という公益のためのものであって、個人のかたき討ちや社会の憂さ晴らしとして機能してはならないのです。 死刑執行の場面を想像すると、目を覆いたくなるような残酷なものだと言います、救いの望みを絶たれ孤独と絶望の中、死の恐怖と執行時の苦悶を想像し恐ろしさのあまり狂乱状態になって、肉親の名を叫び、友の名を呼び、助けを求めてあえぐ死刑囚を、一片の慈悲も与えず、死刑という殺人のために編成された屈強な刑務官達が武器を使い殴りつけ血まみれにした死刑囚をひきずって絞首台に連れて行き、くくりつけて吊るす様は、血の通った人間が同じ人間にできる行為とは到底思えません・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 これは、ほんの書き出しの一部ですが、完成文をあらゆる投稿の場、新聞、雑誌の投書欄などに送って訴えています、その他廃止団体の運動を支援したり、直接国会議員に訴えたり、国連の人権委員会に訴えたり、文と行動の両面から死刑廃止が実現するまで運動を続けていきたいと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 >ご質問者様のように堂々と反対論をぶつけてこられる方はすばらしいと思います。 >ご質問者様のご意見全く賛同いたします。 私の思い違いかもしれませんが、もしかして、私が廃止論者を装った死刑支持者と誤解されましたか。私は死刑廃止論者です。 質問の趣旨は、今の日本では死刑支持者や中間派が多数派で、死刑廃止派は少数派だけど、死刑支持者や中間派の人々に死刑廃止を納得していただき、死刑廃止に賛成する人が多数派になるためには、死刑支持者や中間派にどのような働きかけをしたらいいのか、どのような理由で訴えればいいのかという意味です。 そのためには、死刑支持者や中間派の意見も尊重した上で、意見が違う人とも対話によって、認識の違いをすり合わせる(例えば、死刑も含めて刑罰に犯罪の一般予防効果は確認されていない、犯罪発生率は刑罰とは関連性が確認できない。)、意見の違いを超えて合意を形成してゆく必要があるけど、今までそういう姿勢が不足していたのではないか。国民の多数派の納得を得られなかった冤罪や抑止力に代わる理由付け(例えば、死刑にしなくても社会復帰させなければ再犯を予防し社会秩序を維持できる、生かして反省や更生や贖罪させることも犯罪の事後処理の一つの方法ではある。)は何かなどです。
補足
お礼欄の字数制限のため、ここに追加して書きます。 >如何なる理由があろうとも人の命を奪ってはならないことは、人類共通の原理であり 死刑存置国でも廃止国でも、私人の行為でも国家の行為でも、正当防衛や緊急避難、法律が承認している業務上の行為は違法性を阻却されていますので、警察や国境警備隊や沿岸警備隊や軍隊が、自国の領土領海領空内で、市民の生命や身体の安全や自由、市民や国家の財産や社会資本を、外国の軍隊や武装民兵や犯罪組織や犯罪者の暴力から自衛するために武力行使は、結果として相手を死亡させても、違法性は問われません。死刑の執行は正当防衛や緊急避難には該当せず、社会秩序の維持の目的は社会復帰させないことで維持できるので、死刑を法律で正当化する必要も無いということです。 >国が合法的に人を殺している社会の方が、人命軽視の風潮がたかまり、殺伐とした社会を生み「殺人」を何とも思わない世界を助長しているのではないでしょうか。 殺人発生率は死刑が有る無しに関わらず、国により著しい差(100倍以上)の差があり、日本は世界の中でも著しく低いグループに属してます。 近年の日本の殺人発生率は戦前のピーク時の4分の1未満、戦後のピーク時の3分の1未満に減ってます。 >環境によって偉人にも死刑囚にもなりうる 個人的原因を否定した環境決定説は科学的根拠が無く、世界各国とも多数派の支持もないので、死刑廃止国でも刑事政策として、個人の責任を否定した国は無く、犯罪者に犯罪の個人的原因を矯正するための教育や医療を施して、犯罪者の人格を改善更生させることをめざしてます。
- oska
- ベストアンサー率48% (4105/8467)
>死刑廃止の訴えが国民の半数以上に支持されるには、運動の方法、訴え方をどのようにすればいいのか 先ず、弁護士業界・死刑廃止論者の「加害者の人権は、被害者の人権より数倍重い」という基本理念を強く主張する事です。 今は未だ、加害者の人権は被害者の人権の2倍程度しか重さがありません。 (たった2人しか殺していないのに、死刑判決になるのが原状です) ですから、「加害者の人権は、被害者の最低10倍以上重い」という方向に持っていく努力・活動が必要ですね。 「殺す者より、殺される者の方が悪い」という、素晴らしい世の中を目指す活動が必要です。 質問者様が望む、素晴らしい国になるように頑張って下さい。 余談ですが・・・。 死刑制度は、江戸時代の「仇討ち」とは異なります。 国と個人では、基準が異なるのは当然ですね。 ダブルスタンダードを止める場合は、個人でも「処刑する権利」を認める必要があります。 江戸時代は、各藩から「仇討ち赦免状」が発行され合法的に仇を殺す権利を認めていました。 日本は法治国家ですから、法律を改正して「裁判所が、仇討ち赦免状(殺人許可書)」を発行する必要があるでしよう。 裁判員制度が始まりますが、死刑廃止論者の方は「この制度では、加害者の人権が守れない」と裁判員制度の廃止運動を行なっています。 質問者さまも、1人で活動しないで(これら団体と)一緒に活動した方が良いですね。
お礼
回答ありがとうございます。 私はまじめに質問してるので、できればまじめに回答していただきたい。 >「加害者の人権は、被害者の人権より数倍重い」という基本理念を強く主張する事です。 >「加害者の人権は、被害者の最低10倍以上重い」という方向に持っていく努力・活動が必要ですね。 論理的には全ての罪と罰を同害報復にすることはできません。例えば、1人の加害者が10人殺しても10回死刑にすることも10回終身刑にすることもできません。1人の加害者が100人誘拐しても100回懲役10年にすることはできません。1人の加害者が100人強姦しても100回去勢することはできません。1人の加害者が横領や背任や詐欺で100億円を奪っても、窃盗で1億円盗んでも、個人の財力では弁済不可能です。逆のパターンで、10人がかりで1人を殺しても、10人がかりで1人を誘拐しても、10人がかりで1人を強姦しても、法定刑も量刑判断も10分の1になるわけではないです。 近代国家では一般論として、刑事政策や刑罰の目的は、政府による復讐や同害報復の代行ではなく、被害者や遺族の処罰感情を満足させることが主目的でもなく(結果として満足することまでは否定しない)、全体的には社会秩序の維持、個別的には犯罪者を教育や医療により矯正し改善更生させることになってます。社会秩序の維持や再犯予防のためなら、社会復帰させなければ目的は達成できるので、社会治癒所の維持には死刑は必要不可欠ではないです。 >裁判員制度が始まりますが、死刑廃止論者の方は「この制度では、加害者の人権が守れない」と裁判員制度の廃止運動を行なっています。 裁判員法は2004年の国会で衆議院と参議院で全員賛成で可決されました。全員賛成なので、政党として死刑廃止を訴えている共産党の議員も社民党の議員も、民主党や公明党や自民党の死刑廃止派の議員も賛成投票しました。裁判員制度の設計には裁判所や検察庁だけではなく、弁護士会も参加してますので、死刑制度と裁判員制度は関係ありません。
お礼
回答ありがとうございます。 >死刑廃止を訴える人って、ほとんど下記の内容に該当すると私は感じています。 >1)根底に死刑廃止という思いがあり、それを達成するために理論構築する >2)構築した理論に対し、死刑賛成派や懐疑派から反論がある >3)その反論に対し、さらに反論する >4)反論に夢中になって、1の目的がどこかに行ってしまう >相手を論破することだけが、社会的目的達成の手段ではないのです。 >その辺の智恵を、是非とも死刑制度廃止派の皆さんには身につけて欲しいと願っています。 ご指摘のことは私もいつも感じていたので、どのような訴え方をしたらいいだろうかという質問を、今までの廃止運動家の論理や運動のやり方やに対する反省をこめて、ネットで廃止運動家に対して質問を投げかけたのです。実世界で私が同じ趣旨の質問を投げかけた時と同じで、回答の大部分は死刑支持者からで、多くの廃止運動家は回答者様が指摘される問題に対して、自分を省みることがない、自分で自分に酔っていると思ってます。 死刑支持者の意見も尊重した上で対話を通じて、犯罪や刑罰や刑事政策に対する認識の違いを埋め、どのような刑罰や刑事政策を採るかについて、意見の違いを超えて合意を形成する、政治的な妥協点や落とし所を見出す、そのために死刑支持者にも納得される刑事政策のあり方を模索することが必要ではないかと、問いを投げかけているのですが、反応の大部分は死刑支持派からで、回答者様が指摘されるような死刑廃止派は自分たちだけの殻に閉じこもって、対話をしようとする姿勢にかけ、死刑の廃止を訴えている自分に酔っている。という問題点については回答者様の認識は私と同じだと思います。 >質問者さんに限らず、死刑廃止を訴える人って、ほとんど 死刑支持派も廃止派も全員が同じ考え名わけではなく、支持や廃止へのこだわりも、その理由も、訴え方もかなり差があります。回答者様から見ると、私も回答者様が指摘されている問題を自分で認識できない死刑廃止派と同類とみなされているので、死刑支持派に理解されるような表現力や訴え方をもっと磨く必要があると思ってます。
補足
>現実の世の中は理屈だけでは動かないことも知っています。 >理論だけで相手を屈服させればよいという考えの持ち主には、感情的に反発するんです。 >人間は論理的な思考だけで生きるのではなく、感情もあるんです。 >感情的な反発について、質問者さんのような死刑廃止派はあまりにも無頓着なため、大衆の賛意を得られないのです。 死刑支持者の回答に見られるように、死刑支持者の中には、刑罰や刑事政策は「加害者に対する被害者や家族の処罰感情を政府が代行する制度であり、復讐や同害報復の代行制度である(またはそうであるべき)」と考えてる人もいますが、日本も含めてそのような趣旨の刑罰や刑事政策を採用している国は(中国や北朝鮮の刑法でさえも)ないです。どこの国でも刑事政策や刑罰の目的は、全体的には社会秩序の維持であり、個別的には犯罪者の更生です。他の回答に対するお礼で述べたとおり、同害報復は全ての罪と罰に対して成り立つことは不可能です。 もし、被害者の処罰感情に応えることが刑罰や刑事政策の目的なら、事実認定を厳格に行い、被告人が真犯人であると証明できたなら、裁判所が被害者や家族の処罰感情を承り、法務省がそのとおりに執行すればいいので、罪刑法定も量刑判断も不要になります。 もし、そのような制度にした場合、法定刑と量刑の判例に照らして、無期や30年などの厳罰相当の犯罪者でも、たまたま被害者や家族が寛大な処分を望めば、不起訴または短期の懲役になり社会秩序は維持できず、短期の懲役相当の犯罪者でも、たまたま被害者や家族が厳罰を望めば、罪に対して過剰な刑罰になり、法の下の平等も罪刑均衡のバランスも成り立ちません。 だから、刑事司法制度では、犯罪者の処遇については、原則として加害者に対する被害者の処罰感情は無視して、法定刑と判例に基づいて量刑判断してます。 被害者や家族に対する支援や救済は重用な政策テーマであり、今までそれが著しく不十分であり、今後は充実させて行かなければならないのですが、それは刑罰や刑事政策とは別個のテーマです。 上記についてご理解いただければ、認識の違いから派生する意見の違いを超えて合意を形成できるのではないかと考えてます。 >この質問の回答をじっくり読めば、どうすれば社会を死刑廃止にもっていけるか、貴重なヒントはいくつも隠されています。 >終身刑の問題 日本では報道機関の不勉強のため、終身刑と無期刑は全く別の刑罰と誤解されてますが、刑法や刑事政策の分野では、終身刑と無期刑は同義語です。日本の無期刑は別の言葉で言うと「仮釈放の可能性が有る終身刑」、英語表記では「Life Imprisonment With Possibility of Parole」です。 刑期が有期か無期かと、仮釈放制度が有るか無いかとは別個の問題で、アメリカの一部の州や中国などの少数の国を除いて、大部分の国では仮釈放制度が無い有期刑や無期刑は運用が硬直的になるので採用してません。 仮釈放制度が有っても、実際に仮釈放されるかされないかは、受刑者の反省や更生の状況やと、法務省の仮釈放の運用方針で決まるので、仮釈放を許可されない人もいます。つまり、仮釈放の可能性が有る有期刑・無期刑は、仮釈放の可能性が無い有期刑・無期刑の処遇を含んでいます。 法務省の無期刑受刑者の仮釈放の運用状況等についてのページの「無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について」の節(→http://www.moj.go.jp/HOGO/hogo21-2.pdf)、無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ(→http://www.geocities.jp/y_20_06/)の「無期懲役・仮釈放者のデータ」の節、Wikipediaの日本の刑事司法(→http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の刑事司法)の、「刑罰の執行と仮釈放の実数」、「無期刑受刑者の服役年数別の内訳」、「刑罰の執行と仮釈放の実数の推移」、「刑罰の執行と仮釈放の比率」、「刑罰の執行と仮釈放の比率の推移」の節を見ると、現在の無期刑の運用において、1998~2007年の10年間では、無期懲役確定者は887人、仮釈放を許可された無期受刑者は104人、受刑中の死亡者は120人であり、過去には年間50~100人仮釈放されていた時期と比較すると、運用は著しく厳しくなってます。 超党派の死刑廃止議員連盟は、現行の無期刑の仮釈放条件や審査方法を厳格化するとともに、死刑の廃止または執行の停止を盛り込んだ刑法改正案を提案していますが、国会で可決される見込みが立たないので、法案提出は保留しています。