• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:和歌:「みをせめだまの露としらずや」の意味教えてください。)

和歌「みをせめだまの露としらずや」の意味とは?

このQ&Aのポイント
  • 和歌「みをせめだまの露としらずや」は一遍上人の作品で、意味は「身を責める玉の露だと知っているのか?」です。
  • この和歌は、須弥山の高い雲も低い雲も消えてしまう様子や、月の光で宙に浮かんで見える塵などを表現しています。
  • また、念仏に自分の心が反応する鈴の音が、身を責める玉の露であると述べています。この和歌は、消えゆく雲になろうとする心こそが月の光の障害ではなくなるというメッセージを含んでいます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kzsIV
  • ベストアンサー率53% (238/446)
回答No.4

『一遍上人絵伝』に3首この通りの順で並んでいます。 又或人法門たづね申ける返事   須弥のみねたかしひきしの雲きえて    月のひかりやそらのつちくれ   念仏にもをのかこゝろをひくすゝは    みをせめたまの露としらすや   あともなきくもにあらそふこゝろこそ    なかゝゝ月のさはりとはなれ 『一遍上人語録』には1首ずつ独立しています。 1   興願僧都に示し給ふ御返事のおくに 須弥の峰たかしひきしの雲きえて月のひかりや空のつちくれ 興願僧都への御返事「念仏の行者は智慧をも愚癡をも捨て善悪の境界をもすて貴賎高下の道理をもすて地獄をおそるる心をもすて諸宗の悟をもすて一切のことをすてて申す念仏こそ弥陀超世の本願にもっともかなひ候へ……須弥山の周囲には高い雲も低い雲もありません。月光も大空の中の一片の土塊に過ぎません。確実に存在しているのは須弥山だけです。 「ひきし」は誤写ではありません。「低」の意味の「ひくし・ひくい」は16世紀に「ひきし・ひきい」から変化して成立した語です。平安時代には形容動詞「ひき-なり」という語があったようで、ここから鎌倉時代には「ひきし」という形容詞が成立したようです。  2   或人法門を尋ね奉りけれは 念仏にもをのかこゝろをひかすれは身をせめたまの露としらすや 数珠の逼珠(せめだま=ぎっしりつまった玉)を引き繰りながら、念仏を唱えていても、自分の心(我執)まで引き出してしまうと、身を責めて、せっかくの念仏が玉の露となって消えてしまうとは思いませんか? 「念仏にも」は鎌倉時代には[nembutunimo]と5音で発音。「ひくすゝは」は「引く数珠は」です。念仏を一誦するごとに数珠玉を指で引き繰る意。 3   信州御化益のころよみたまひける 跡もなき雲にあらそふこゝろこそなかゝゝ月のさはりとはなれ すぐに消えてしまう雲のことでいらいらする気持ちが、かえって名月を見ようとする目の障害になるのですよ。雲(妄念)のことなど気にせず念仏に専念すれば清らかな月(心)が見えてきます。 この歌の次に、にわか雨にあって尼たちが袈裟などを脱いだので「ふればぬれぬるればかはく袖のうへを雨とていとふ人ぞはかなき(どうせ乾きますよ、雨にぬれたぐらいで脱ぐことはないでしょうに)」という歌があり、さらに次には、ある尼がカンシャクをおこしたので「雲となるけぶりなたてそあまのはらつきはおのれとかすむものかは(妄執となる怒りを立てなさるな、月(心)は自分で曇ったりはしませんよ)」とあります。「月のさはり」は普通には月経を意味しますから、尼法師への御諭しの歌のように思われます。 以上、仏教の深遠に近寄りがたい老生の愚考です。

zatousan
質問者

お礼

こんにちは、ご回答本当にありがとうございます。 一遍上人の和歌は平仮名が多すぎて、元々の単語すら中々イメージできませんでした。 「一遍上人語録」なんて物があったんですね! 知りませんでした。 一遍上人は、自分の語録をすべて焼き尽くせと命じていたと聞きましたので、きっとお弟子さん達が、内緒で残したんでしょうね! 御陰様で、やっと理解できました。 あ~、やっぱり一遍上人の和歌はいいですね~! 心がスッキリしました。 本当にありがとうございます。 >逼珠(せめだま=ぎっしりつまった玉) >「ひくすゝは」は「引く数珠は」です やっぱり、仏教の基本的知識がもっと僕には必要なような気がします。 色々と本当に親切なご解説をつけていただき本当にありがとうございました。 改めて御礼申し上げます。

その他の回答 (3)

  • natu56
  • ベストアンサー率48% (16/33)
回答No.3

ここに書かれている文のままでは、意味がよく通りません。既出の回答の方がおっしゃるように、聞きながら書き取った時などに書き間違えたのではないでしょうか。 須弥のみね たかきひくきの雲きえて 月の光や そらのつちくれ 念仏にも おのがこころひくくすは みをせめだまの露としらずや あともなき雲にあらそふこころこそ なかなか月のさわりとはなれ 「須弥山の峰にある高い雲も低い雲もきえて 月の光が出たよ、雲は空の土くれだったのだね 念仏を唱えていても、自分の心を低くするのは(そんな人は) 身を苦しめているだけだと全く知らないからであろうか もう跡形もないあの雲のように、むやみに自分をおとすように努めているのは かえって美しい月を見る障害となるのに」 ひとつかなり気になる発言があったので、失礼ながら付け加えます。 「>まず、仏の深遠な教えには無縁のものが発言していると、お考え下さい。 そんな事は、古文解釈に関係ありませんから、、。」 いいえ、大いに関係ありますよ。古文でも現代の文でも、書いた人や言った人がどのような立場でどのような思想を持っているかによって、読み取りの解釈は変わります。そんな風に関係ないと言い切るようでは、今後も正しく文を読み取れるようにはなれないと思います。 一遍上人がどんな人物であったか、国語便覧や日本史の参考書で見てみてください。

zatousan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >一遍上人がどんな人物であったか、国語便覧や日本史の参考書で見てみてください。 一遍上人については、一応「聖絵」などを通して読んでいるのですが、今回の和歌は正直言って分かりにくかったんです。 一遍上人が、観想念仏のように仏をイメージして念仏するは、妄執にとらわれていると考えている事は、様々な会話から理解していました。 この和歌もきっとそのような事を言っているんだろうな~、とは思いつつも、なんだか平仮名ばかりで、もともとの単語すら分からない始末、、、、。 なんとか、NO4さまのお陰で、一遍上人の哲学に矛盾しない、そして、もっともな訳が分かりました。 回答者様もお忙しい中、ご回答ありがとうございます。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.2

わたしが「写本の段階で」と言ったのは、たぶん一遍上人の自筆文でなく、誰かが書き写したものだろう。その段階で、という意味であなたが写し間違えたと言ったのではありません。誤解なきよう。  「たかしひきし」なら写本の間違いか、一遍上人が書き違えたと思われます。「きへて」なら「きえて」が正しいと思います。「消ゆ」はヤ行下二段ですから。もっともこの時代には、こうした活用語尾の間違いはかなり多かったようです。  それ以外の「補足」については、あまり拘らなければ、この現代語訳は前回書いた通り、よく出来ていると思います。最後だけは肯定になると思いますが。

zatousan
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 なんとか、No4さまの登場で、やっと現代語訳と意味が分かりました。 >最後だけは肯定になると思いますが。 その通りでした。 改めて、ご回答ありがとうございます。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.1

まず、仏の深遠な教えには無縁のものが発言していると、お考え下さい。 1. これは、短歌が三首書いてあるのでしょうか。それとも、長歌の形を取っているのでしょうか。これに節をつけて歌うものなのでしょうか。 2. そして、たぶん写本の段階で間違えたとも思える部分もあります。 「須弥のみね『たかしひきし』の雲」は「高き低き」なのか「高く引きし」がそうなのですが、後者なら「の」は不要でしょう。それから「つちくれ」が「塵」を意味することはあるのでしょうか。わたしが知らないだけならごめんなさい。 3.「『みをせめだま』の」は「身を責む(る)玉の」か、「責め玉の」なのか、よく分かりません。 4. 「雲にあらそふ」は「雲と競争する」か、「雲を押しのけようとする」のか。  以上のようなことがよく分かりません。しかし、「現代語訳」はなかなかよく出来ています。(最後の部分を除いて)「こころこそ なかなか月のさわりとはなれ」は係り結びで「こころがかえって月の障害となる」という肯定と考えます。

zatousan
質問者

お礼

こんにちは、ご回答ありがとうございます。 >まず、仏の深遠な教えには無縁のものが発言していると、お考え下さい。 そんな事は、古文解釈に関係ありませんから、、。 <1. これは、短歌が三首書いてあるのでしょうか。それとも、長歌の形を取っているのでしょうか。これに節をつけて歌うものなのでしょうか。> 長歌の形をとっています。 <2. そして、たぶん写本の段階で間違えたとも思える部分もあります。> 写し間違えたのは、 >>須弥のみねたかしひきしの雲きえて は、 須弥のみねたかしひきしの雲きへて でした。 「へ」と「え」の間違いです。 他は確認しましたが、間違えていませんでした。 <それから「つちくれ」が「塵」を意味することはあるのでしょうか。> そらにある、土塊といったら、「塵」かな?と思いまして、、、。 <3.「『みをせめだま』の」は「身を責む(る)玉の」か、「責め玉の」なのか、よく分かりません。> 僕も分からなくて質問しました。 原本は平仮名で、「みをせめだま」でした。 <4. 「雲にあらそふ」は「雲と競争する」か、「雲を押しのけようとする」のか。> そこも分からないです。 <係り結びで「こころがかえって月の障害となる」という肯定と考えます。> なるほど。そうでしたか。 補足要求にはこれで答えれたと思います。 もし、現代語訳ができましたら、よろしくお願い致します。