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伊勢神宮の斉宮
つい先日、伊勢神宮に参拝しました。荘厳で、身が引き締まる思いでした。 さて、現地で伊勢神宮について少し調べようと、式年遷宮のパンフレットを購入したのですが、その冒頭の儀式の写真で、並み居る神官の先頭にかなり年配の巫女さまが写っていました。 そこで思い出したのが斉宮です。独身女性を伊勢神宮に巫女として天皇家が送っていたような制度だったと思います。 そこで質問です、現在もこの斉宮の制度は続いているのでしょうか?またその写真の年配の方はいわゆる斉宮なのでしょうか?現在の制度の状況を教えていただければと思います。
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No.3です。 すみません、さらに調べていたら、こんなのが見つかりました。 この方のことだと思います! もし参考URLで飛べないようでしたら、Wikipediaなどで「祭主(さいしゅ)」を調べてみてください。
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- rinrin2355
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うろ覚えですみません。 学生時代に日本史を専攻しており、その時のご縁で国文学の先生に伊勢神宮のご遷宮の祭礼にお供させていただいたことがあります。 現在は斎宮という制度はありませんが、その代わりに女官(だったかな・・・)が巫女として伊勢神宮で奉仕している、と言った話を聞いた気がします。 斎宮ではなくて、お名前(役職名?)があったと思うのですが、忘れてしまいました^^; 式年遷宮の際、宇治橋渡始式で1番最初に橋を渡られるのがこの方だそうです。 質問者様がご覧になった写真は、その写真ではないかと思うのですが、いかがでしょう。 実家に置いてある資料や本を見れば、もっと詳しいことが分かったと思うのですが・・・。
- Tacosan
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「斉宮」ではなく「斎宮」です. 現在では存在しません. とりあえず参考URL をどうぞ.
こんにちは。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E5%AE%AE 上記サイトによりますと 初代斎王は10代崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命で それまでは宮中において祭られていた天照大神を倭の笠縫邑に祭らせたとあります。 笠縫邑は奈良県桜井市大神神社の摂社である檜原神社など比定地は数箇所あります。 11代垂仁天皇の時代、豊鍬入姫の姪にあたる皇女倭姫命(2代目斎王)が 天照大神を祀るべき場所を探して各地を巡行し、伊勢国にやってきました。 このとき天照大神が 「この神風の伊勢の国は 常世の浪の重浪(しきなみ)帰する国なり、 傍国の美し(うまし)国なり、この国に居らまく欲し」 と言ったので、ここに天照大神を祀ることにしました。 その後31代用明天皇朝を最後に斎王の伊勢派遣は一度途絶えました。 しかし、天武天皇の時代に復活します。 天武天皇が壬申の乱の戦勝祈願の礼として伊勢神宮に自らの皇女・大来皇女を捧げたといわれます。 その後、天皇の代替わりごとに新しい斎王が選ばれるようになり、南北朝時代まで続きました。 上記サイトに歴代斎王の名前があげられていますが 1333-1334 の後醍醐天皇皇女・祥子内親王が最後のようです。 ですので、今は斎王の制度はないのではないでしょうか。
お礼
私もここまでは調べがつきましたが、その後が分かりませんでした。早速にご回答いただきありがとう御座いました。
お礼
大変ありがとう御座いました。まさしく写真の方でした。 私はてっきり齋宮の制度が綿々と続いているのかと、知ったかぶりしていました。 現在の天皇陛下とお顔が似ていらっしゃるので、そうではないかと思っておりました。疑問が解決してうれしいです。