• 締切済み

人間という動物について

こんな18の高校生がこういう事を思うのもなんなんですが、今も昔も変わらず殺人事件(バラバラ殺人など)とか車に乗ってて過失で人を致死させたのにも関わらず自分の都合で逃げたり、何キロもひきづったりする人や討論などで解決できず、すぐ手を出してしまう人たちって人間だけに備わってる理性を失っていると考えてもいいのでしょうか。また、言葉を知らず、そして感情があるからそのような事が起こるのでしょうか。よく、国語の先生は「人間って悲しい動物」だと言いますが、そういうことかもしれないですね。僕は、まだわからないですが・・・。 皆さんの意見・経験からわかって自分なりに気づいたこと、また人間について語ってくれても結構です。

みんなの回答

noname#88701
noname#88701
回答No.3

>人間という動物について 悲しい表現ですね。 人が人らしいと思う基準が定まっていないように思えます。 人間らしさ、とは何でしょうか 一般論的に少し書いてみましょう。 助け合うこと 思いやりの心があること 良心があること 善悪の判断ができること 深い知恵があること 創造性があること きれいな面から捉えれば以上のような感じでしょう。 しかし、きれいでない面もあるのです。 きれいでない面も少し書いてみましょう。 争いを好む 欲に負けて悪いことをする 怒りに捉われて人を傷つける 愚かなままに浅はかな事をする こんな感じでしょうか。 人間らしさ、とは 広く見ればこの全てがあてはまるような気がします。 だから悲しいのですね。 きれいな面だけだったら良いのですが どうしても、きれいでない面も無くならないように思えます。 ですから、最低限のモラルだけは守る事が大切になってくるのです。 それも少し書いてみましょう。 生き物を殺さない  人も動物も意味無くその命を奪ってはいけない 人の物を盗まない  泥棒や万引きをしてはいけない     不倫をしない     夫婦以外の性的関係をつくらない 人を騙さない     上手い事を言って人を陥れてはいけない 人の悪口を言わない  過ぎた悪口をつつしむ これぐらいは守れないと人間らしいとは言えないですね。 また、そうしなければ人間らしい社会が成り立たないですね。 自由だからといって何をしてもいいわけではないのです。 道徳の基本、戒めです。 大切なのは心の中の、自然で素直な善悪の判断です。 良心とよく言われますが、誰もが持っている知恵のことです。 この知恵が本当の人間らしさでしょう。 この知恵を大切にしたいですね。

回答No.2

こんばんは、 人間は大変素晴らしい生き物であると同時に、悲しい生き物です。 杉浦千畝氏のように自らの命を賭けて、見知らぬ大勢の人間を救う人間も居れば、 自らの欲望の為に、他人を殺したり、悪事を隠蔽するために、 救助義務を怠り、自己保身に走る、人間も大勢居ます。 出発点は、同じハズの同じ五体を持つ人間と言う生物なのに いったい何が違うのでしょうか。 人の行動を決めているのは、その人間の考え、観念と呼ばれる 思考体系です、その思考体系の中で倫理観と言われる、 考えが“人を殺し(傷つけ)てはいけない”とか、 人間として守るべきモラルを規定しています。 色んな生い立ち(生育暦)のなかで、倫理観が育ったり、育たなかったりします。 狼に育てられた子どもが、最後まで人間になれなかったように、 http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/karadashinri/041ookami.htm 人間は、人間として生まれてくるのではなく“人間に育って行くもの”です。 ある程度の年齢までは、親の影響が大きいことは仕方のないことですが、 思春期以降は、自分で自分自身を育てて、 社会的なモラルに沿った自分自身の欲求の充たし方を学習して、 行かなければ成らないものと思います。 ※この欲求の充たし方の学び方を間違ったのが、   秋葉原の殺人犯人や、マンションのバラバラ殺人犯です。 (親や社会からの)教育が人間を作り、 教育されてつくられた考えが、自分自身を育てて行きます。 最終的に人間の修行は、「自分自身をどのように、育てるか?」と 言うことにあると思います。そして、何も社会に認められることが全てではなく 立派な魂を持った無名の素晴らしい人間は、この世に大勢存在します。 それを、見極める目も一緒に育てると人生が幸せになります。 国語の先生は「人間って悲しい動物」というのも一面ですが、 それを全面的に受け入れることはありません。 貴方自身の目で見て、一生を掛けて貴方自身で考えて見る価値のある課題です。 不肖、私も5-6歳頃から「人間てなんだろう?」と考え続けて、45年余り 未だに結論は出ていませんが、人間の多様性と面白さに魅せられています。

noname#100496
noname#100496
回答No.1

昔の古典や仏教で言われる様に、この世界は諸行無常の、仮の世界です。自我、脳の、不完全不調和と、無我、大自然の心の、調和が交わる、シュミレーションの世界です。宇宙が成長するために、不完全不調和を、調和に変換するための場所として、地球ができました。だから完全調和の世界が、高次元にあり、そこから投影されてる、虚像の世界が、地球です。だから人の心の中にも、自我の、脳の、不調和の世界と、調和の無我の、癒しの世界があります。だから日本の伝統文化は、脳を休めて、無我にチャンネルをあわせて、心を癒す事を追求しています。座禅、茶道、文楽、日本画、邦楽、太極拳など