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相手を傷付ける行為について
相手の体を傷付けると罪になるのに、なぜ、相手の心を傷付けても罪にはならないのでしょうか?
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私はどっちも罪だと思います。でも、体を傷つけるのは証拠とできるけれど、心の傷は誰にもみえません。法律では人をかぎられたことでしか裁けないのです。 相手の心を傷つけた人は、あとになってその傷がその人に降り掛かってきます。そのときに自分は罪を犯したといういたい思いをするでしょう。法律をやぶることだけが罪ではありませんよ。人間生きているうちに一度は罪を犯すものだと思います。でも、それが大人というすばらしい人間にしたてあげると私は信じています。
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- syunnda
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言葉は時に刃物になりますよね。誰でも容易に扱える最大の凶器です。実際刃物で人を刺したらその刃物や傷は証拠として残りますよね。でも言葉の刃物は残念ながら見えないんです。刺された心に一生突き刺さったまま残るんです。その刃物は刺さってから大きくも小さくもなります。心の傷も外見からは見えないんです・・・。 うわ俺きも・・・。
罪だと思いますよ。だから、心の部分が罪状になってるやつもあるとおもいますよ。ただ、どの程度心を傷つけたのか?などが、外傷とは違い、程度が第三者に解らないのと、解っても、それを社会全体に証明する事の難しさでしょうね。そして、また、それらを、悪用する奴らが出てくる事です。法律と言うのは判例法なども取り入れられてて、人によって判決を変えるのは、差別や前例と矛盾するなどが、問題とされてしまう点なども有るでしょうね。つまり、法律は融通性がないといえましょう!だから、正しい心の持ち主が法律などを勉強して、抜け穴のないような法律に変えていくべきなのでしょうね。ですが、悪党も手口が巧妙で組織化されてますよね。例えば、痴漢でも痴漢された側が、痴漢されても居ないのにでっち上げる事件起きてますよね?つまり、どちら側にも悪党が居て、善人を苦しめるシステムがあるということです。これと同じ事が癒えるんだと思います。最初は、被害者を守るため、作られたものでも、悪党は、それを逆手にとって、被害者になり、慰謝料などをせしめようとして来ると言う事です。なので、そういうことを、どうすれば、防げるのか?など、みんなで考えていくしかないように思いますね。更に言うなら、善人同士のネットワークが、必要な時代と言えるでしょうね。悪党が組織化しているのに、善人同士が徒党を組まなくて、どうして対抗できると言えるでしょうか?話が大きくなりましたが、決して、心を軽視しているのではないのでしょうが、それを、社会正義のために活用することが、今の時点では困難なのでしょうね。
- misaemasa
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第三者が客観的に判断できないのと、まだ裁判官や弁護士などが 人の苦しみがわからないのでしょう。 法律はどうしても遅れてできますからね。 社会的に問題視されれば法律もかわります。 あと精神的な苦痛で医師に診断書をもらえば請求できるでしょう。