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「世界に1つだけの花」について
SMAPが歌って、文部科学省認定の歌にもなった「世界に1つだけの花」を高校の卒業式や会社の同僚が気持よく歌っているのを見かけて自分としては以前は違和感を感じていました。 以前は「同じものはないから、No.1にならなくてもいい、もともと特別な Only one」という部分に関してですが、 「仕事や人生で未熟な自分をいかに高めていかなければ」と考えていた私にとってはOnly oneはその道でなくてはならない人になることでありまだ私は代わりのきく、Only no oneであると考えていたことが根底としてあります。 しかし仏教に関する書籍などや講演会に出るについれて、比較できないものを比較することが不幸の根源になることをなることを知りました。 でも日々精進して自分自身を高めていかないことは説かれています。 歌詞にも「その花を咲かせることだけに、一生懸命になればいい」と精進を進める部分があります。 私自身は言わんとすること理解したつもりですが、もし受取り方を間違えてしまうと思わしくない結果を出しそうな気がします。 あまり具体的ではありませんが、自己愛を満たして悦にいってしまうとか・・・・。 これは単なる穿ったものの見方(倒見)になのでしょうか? 忌憚のないご意見が聴けましたら幸いです。
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質問者が選んだベストアンサー
仏教での教えは、方便という言葉もあるぐらい、二者択一的な悩みに対しては180度異なる回答が導き出すこともできてしまうように思っています。したがって、立場の違う事象に対する回答を一般的な回答として拡大解釈すると、誤った見解に至る危険性を孕んでいると思っています。 ご質問の内容は、2つの異なる立場を引き合いに出しておられます。 1.比較できないものを比較する --- only one が該当する。 2.比較できるものを比較する --- number one が該当する。 質問の文中にても、無意識(?)のうちに用いられているようですが、「比較できないもの」であれば、優劣といった概念は無意味でしょう。 「何を・何と」比較しようとするのか? 「極めたいもの」が、自らの内部基準ではなく、何らかの外部基準にて比較可能になっていて、その基準に照らし出して精進したいと思うのであれば、number oneを目指すということになるでしょう。 「極めたいもの」に適切な外部基準が無くて、あるいはあったとしても、最終的に自らの内部基準に照らし出さざるを得ない場合、暗中模索の末、number oneといった概念が適応不可能だと認識したならば、only oneを目指すといったことになるでしょう。また、only oneを目指している過程で、他者の目から見た場合に、いつの間にかnumber oneになっていたと言うこともあるでしょう。 もし仮に「自己愛を満たして悦に入」ったとしても、「受け取り方を間違えて」いると気づいているならば、何らかの外部基準を意識している訳ですから、他者と交わるときに自然とnumber oneという概念を受け入れざるを得なくなるでしょう。 only oneしか無い世界とnumber oneしか無い世界を分離して(二者択一的に)考えておられるかもしれませんが、通常は両者ともに並列しているはずです。どちらか一方を選択しようとするのではなく、多面的に受け取ることができて「そういう見方もあるよね」と思えば、気持ちよく歌えるのではないでしょうか?
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- toshipee
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歌は単なる意見、表現です。本に書かれていることも、仏教もキリスト教もそう。真理というモノを追い求めすぎ。もしあれば、世の人の人生同じになることが最上となる矛盾ができあがる。それが己に生きやすくすれば取り入れればいいだけのこと。個々の考えでいい。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私が気にしていたのは精進を怠ってしまうことになりかねないかということです。 個人、個人ではなんら問題がないのですが、それが多数になると変な流れになって いかないかとうことです。 私自身としては同じ真理を求めてもそこにはいくつかの道があり、人生も自ずと 違って来ると考えています。
- ringox
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この歌詞は嫌いです。 花屋に並んでいる花は、選ばれた「花」です。 花屋に劣っているとされ並ぶことがない草木がいかに多くあるか。 そしてその花屋に並んでいても明白に優劣があります。 薔薇とカスミソウでは、間違いなく薔薇がメインでカスミソウは従です。 その花屋の「優」ばかりの花を見て、比較していないなんぞ片腹いたい。 そういうことは少し考えれば分かることであり、 そういう現実に目をむけないのはただの理想主義か逃げです。 しかも完全に選ばれた勝ち組のナンバーワンのスマップが、ナンバーワンなんて考えるなという歌を歌うなんぞ腹立たしさを覚える。 また、この歌は、おそらく、成績重視ではなく個性重視しようという日教組の教育に毒されたものでもある。個性個性と言って、利己を芽生えさせ、学級崩壊をまねき、学校を出て社会の大海原で出る杭打たれ、うなだれるだけの教育だ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おそらく作曲者やSMAPが意図してないところで、別の意図で使用されそうな危惧は あります。文部科学省の指定になるところなどは少々気にしています。
- Hiyuki
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たしかに、人によってこの曲は評価が分かれる歌ではあります。 友人は、運動会の徒競走で、手をつないで一列にゴールするのを良しとするようなものだと言っていました。 でも、穿ちすぎです。歌は所詮歌ですよ。 聞く人がどうとらえるかはそれぞれでしょう。君が代なんてのは端的な例かもしれません。 私がこの曲に関して思うことは、要するに比較するなと言うことです。 競争するな、ではなく比較するなということです。 相対的に自分が高い低いではなく、絶対的な位置を目指す。それだけのことです。 他人を低く見て自分が高い位置にいると思うようなことはするなということです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 この歌が出た当初はあまり気にしていませんでしたが、高校の卒業式で、そして職場の飲み会の 後のカラオケで皆が歌うようになると、影響力の大きさを感じました。 私もやはりこの曲に関しては比較するなというとだと思います。ただ、比較するなとはいえ、実際 の社会では同じ条件の基で「競争」が行われていることも事実。しかしながらNumber1になるのは 一人だけなので、その他の人たちはその競争以外のところで自分の持ち合わせたものを最大限に生 かすよう精進しなさいということだと解釈しています。 私自身もNunber1ではないです。だからと言って何もせずに無為に日々を過ごすことなく精進(努力だけではありません) して自分をより高いレベルに持っていきたいと考えています。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 自分がまだ2者択一的な到見を持っていたことを実感しました。 同じ仕事をしていて、能力の差が歴然とすることがありますが、能力が低い人が無能であると レッテルを張ることはできないはずです。だれでも得意なものがありますから。 しかし、その仕事をする場合はすくなくても能力向上の機会を与えられているので、能力の低い ことに安住せずに努力が必要であると思います。 Only oneについてですが、お釈迦様も「自分以上に尊いものを見出すことはできない。」とおっ しゃっています。 これから私自身も正見を持てるよう日々精進(努力だけではありません)していきたいと思います。