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いろいろな漢字を読まないで、平仮名でおねがい
象 山 象山浦(七里亭)を距る陸路約十五支里、石浦に至る陸路九十支里の地に在り、 即ち寧波地方との交通は縣城の北西方象山浦岸の高泥より汽船に由るものとす、象山の地勢は南方田園稍開けたるを除く外、全く山岳を以て圍繞せられ足る小都邑似過ぎず、従手他地との交通甚だ不便にして、人智未打開發せられず。商業殆ど見るベさなく、市況亦何等記するに足らず、城壁は稍完全なりと離も、周圍甚だ狭隘にして高からず、東西二支里半、南北―支里内外なり、城門は四あれ其西門の往来最も多し、是れ定海、寧波等に至るは勿論、當地石浦間の交通も皆此西門世リするを以てなり、従手市街も西門より起り右折して南門に至る間の一條最も殷賑なり、就中衛門前は商店相並び、種々の露店相集り手、稍雜沓を呈す、魚類、米の商賈多し、街路は幅二間乃至一間半、圓石を敷けども甚だ不潔なり、當地の人口四千、飮料水は井水アリと雖不良なり、城内は稻田多さを見る。 高 泥 高泥は象山浦東方に灣入セル北岸に在り手象山の咽喉を扼す、世人の呼んで象山港と稱するは即ち此高泥にして、此地より定海其他に汽船の發着在り、地勢は三方山高く聳え一方は、象山浦深く灣入セルに臨み、水深く廣濶荷して、頗る良灣を形成す、高泥山最も高く江の南岸に迫り、象山城は此山脈の背面に在り、支那政府に於手も近時此港灣の頗る有望にして將來軍港として適當なるに着目するに至れり、されど未だ其施設の計劃あるを聞かず、此地は人家約二、三十戸の一村落に過ぎず. 兩地間の交通 高泥山を越へ手象山に通ずる路ありと雖も、甚だ險阻荷して且つ迂回するを以て現今に於手は之に由るもの殆どなし、他の途は即ち高泥にて汽船を捨て更に民船に乘換へ二十餘支里にして七里亭に達し、是よリ陸路十五支里象山城西門に至るものにして、道路平坦交通便利なる爲め、此通路を採るもの多し。 大正六年三月 東亞同文會よリ
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- DIooggooID
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