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昭和の北海道について
人口や経済、生活スタイルなど、北海道は昭和の時代どのようなものだったのか、詳しい方いましたら教えてください。よろしくお願いします。(特になべ底不況や岩戸景気あたりの昭和33年頃について詳しく知りたいです。)
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- hamaendou
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no1さんの回答を見て思い出しました。 黒いダイアともてはやされた石炭道内の あちこちから貨車に山積みにされて 製鉄所の門をくぐるのを見ていました。 私の市では道路も立派建物も近代的に なりつつあり、東京から来た芸能人が こんな立派な道路を車で飛ばして気持 良かったとか言ってました。 炭鉱もごたぶんにもれず賑わっていました 西ドイツに技術研修に行った若者がドイツ 人の花嫁さんを連れ帰ったと言うニュース もありました。それから幾らもしない うちに炭鉱はあっという間に不況、 40年代はじめには鉄の町も設備の老朽化に 伴い愛知県や九州の新しい工場に人員配置 となり活気もなくなりジリ貧状態です。
昭和33年頃の北海道変革と言えば、炭鉱が全盛期を誇っていた時代と言えるでしょう。 採炭現場の鉱夫は高額な報酬を貰い。その家族は電化製品のテレビ・洗濯機等を何所の県より街より炭鉱住宅に普及しました。だからこれらの製品をローンで購入して悠々自適の生活をしていました。 現代の年齢で70~90歳の人は炭鉱夫で中心的労働者だからこの年代の人の子供はまだ小さいし、お金も掛かる。また祖父母を抱えているので家庭の中心的人物でした。 しかし昭和35~6年頃から石油の世界流通に伴い日本も例外ではなく自動車が普及してきました。それは、すざましい勢いで普及しました。 するとあちらも、こちらもと小さい炭鉱はバタバタと閉山に追い込まれてしまいました。 炭鉱夫家族は東京都方面・埼玉県方面の自動車工場へ就職をしました。ところが全ての人がうまく生活出来たわけではない。家族が多いから住宅問題。または通学問題。通勤問題とそれは予想もつかない程の苦労がありました。