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Sは隠れM・Mは隠れS
質問1.友人からSは隠れM・Mは隠れSといわれたのですがどういう意味でしょうか?
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例えば、ものすごい暴君な人がいたとします。 サド的性格だと思ったら、ちょっとしたことで、「あーん ごめんなさい 許して」とつい口が滑って言ってしまった場合、「この人はサドであり、マゾもあるんじゃないか。」と思える。 サドってのは極端に人を支配したい人。 マゾは極端に支配されたい人。 猟奇殺人を起こす人って、獲物として狩をして人を誘拐して、拷問をして、泣き叫ぶのを楽しみますよね。 「そんなことしちゃいけない」ともう一人の自分が心にいる。 どうしても止められないので、やっちゃうわけです。 怒涛の欲望になすすべもない。 相手が息絶えてしまうまで止めることができない。 獲物が息絶えたことで、やっと続行できないので、止る。 その後、どっと後悔がやってきて、自分を罰せずにはおられなくなる。 だから、会社のワンマン社長によっては、女王様プレイで、いじめられる側をやるんじゃないかと。 自分で「そんなこと社員にやっちゃいけない 社員があんなに怯えている」とわかっているが、どうにも自分を止められない。 そのままでは、自責の念に押しつぶされるので、女王様に鞭打ち踏みつけてもらう。 痛い思いをすることで、罪の許しを得ようとする。 宗教信者の中には、自虐を好む人がいて、裸になって自分の背中に鞭を打つことを好む人もいます。 信者の人に聞いたことがありますが、やはり家に鞭があり、時々自分を鞭打って罰を与えているのだとか。 痛い思いをすると罪が消えるという観念により、率先して自分や子供を叩いているようです。 痛い思いをする→罪が消える→痛い思いをすればするほど、神に愛される 痛い思いをする=神に支配されている→快楽。 というわけで、些細なことでもすぐ懺悔して、自分の肉体を痛めつける。 やればやるほど神に愛してもらえると、喜んで痛い思いをする。 痛い思いをしないと、不安でしょうがなくなる。 だから、わざと悪いことをして、例えば人を誘拐して、虐待して、殺して、その後懺悔して自分を鞭打ち痛めつける。 まあ ここまでくると病気になりますが。。。。 程度はどうであれ、これがSとMの両方を内在している人の特異のパターンじゃないか と。
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- tikusyou2001
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語源や余計な注釈は省きますがSMは凄く深く、突き詰めれば人生学や哲学までに行き着きます。 ですので、ただ麻縄で縛って「この牝豚がー」と無理で折檻するのをSMと思ってるならばきっと話が通じないと思います。 ただ一つ言える事は人間の属性をSとMの2極で分けるのは危険です。 例えるなら喜怒哀楽で「喜」や「怒」だけの人間は居ないからです。 喜怒哀楽の傾向は、個々の置かれてる状況で現われるものであり、例えば叩かれた時に「怒る」人間も居れば「悲しむ」人間も居ます。 しかし、悲しむ人間だからといって、誰に対してもそうであるわけではありません。 ある特定の人間に対しては、他の人間の追従を許さないほど烈火のごとく怒る場合もありえます。 詰るところSMとはそういう属性です。 元々の気質としてのSMの傾向だったり、性癖でしかない場合もあります。 ですので、あまり深く考えない方が宜しいと思います。 本気で突き詰めれる程の浅い世界ではありませんので。
- qzec
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Mはいじめられる事が好きだから自分で自分をいじめる 自分をいじめている=Sである Sはいじめる事が好きだから自分で自分をいじめる 自分にいじめられている=Mである ってことかな? 真意は友人から聞かないと分かりようがないですね 色々解釈できますから