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なぜ神は人間に性欲を残したのですか?

タイトルのままですが・・・。 何故ですか? 繁殖の為に必要というなら動物の様に発情期があって も良いではないですか。 それなら期間も短いし欲望に苦しむ男性も少ないでしょう。 又一部の動物の様に交尾したら後は死が待っている状態なら どれ程の人間が救われるでしょう。 大体この性欲(特に男性)がなければ世界の半分以上の犯罪 はなくなるのではないでしょうか? ただ単に性犯罪がなくなるという意味ではなく それに関連した物欲も減るのではないでしょうか? 俗的な言い方をすれば良い女を得る為に余計な 努力はしなくて良いとか・・・。 人は神に似せて造られのではないですか? それなら何故煩悩を増長させる様なものを残したのですか? それを乗り越えよ!というのが神の意思なのですか? 気楽に回答頂ければと思います。

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回答No.20

神という概念は 人間の歴史において、社会に秩序を必要とした時に作られた道徳に対してその権威化のために人間の中のそれなりの知恵者とかが 創作した概念とも言えます。 おそらく最初に「神」という言葉が生まれた源泉、つまりその語源をたどれば、そこにいきつくと思います。  しかし、その中でも強力な権力と結びついてしまった一神教の神の概念は 創造主とか造物主とかいうこの宇宙を作った存在としての神という概念であったため、  この存在を科学する哲学者達が そういう存在は存在するかとう命題を真剣に考えるようにもなったわけです。 そこにて発見されてきた「神」の概念は、創作というよりも、謎は謎、わからない神秘はわからない神秘であり、 そういう地点の知的発見の歴史であり、  そのすごさへの驚きの世界であったはずです。 科学への畏敬の念とか 存在への感謝(自分で存在した人はいなくて、いつしか気がついたらここに存在自覚者として存在していただけです。 わたしもあなたも。)とか、 命への連鎖への感慨とか、 そう感じる心の存在自体への驚きとか、 そういう命どうしとしての 人間が私たちであることへのリスペクトとかとかの概念です。 神が存在するかどうかは また別の問題として考えたいところなのすが、そちらの質問が 動物も含めた性の姿を 神は何故?という地点で質問されているので、一応 神がすべてを作られたと簡単に考えておいて 話を進めることにしたわけです。 しかし神というとあまりにも擬人化もされてきました言葉でもあるので、 そのへんを簡単に解説してみたわけです。 そんな中で 人間の性や性欲の世界を 眺めなおすと性の世界は、まったく文明の社会の一般常識とはまた違った 新鮮な神からの贈り物の世界としても見えてくる世界です。 まず、こう考えてください。 五感がほとんど感じられないそういう病気にかかったとします。 (私は実は青年の頃、そんな感じの時期が何年かありました。)何をたべても、少しもおいしくないんです。 例えば どんなに昆布とカツオで 丁寧にしっかりと出しを取って、おいしい味噌汁を作ったり、 あるいはすぐれたスープを作ったとしても  全部 無味無臭の純水と同じでなんの味すら感じないとしたら、。   あるいは、視覚であれば、どんな美しい夕日を見ても、 青空を見ても、雲の流れを見ても、 何も何も感じず すべてが灰色に感じられたら、。 聴覚で言うならば、 どんな優れたクラッシックのオーケストラを聴いてもただ眠くなるだけ、 海の波の音も、 木々の風の音も、 これなどは聞こえてないに等しい感じであったとしたら、。 海の潮の香り、 草いきれ、 若さがムンムン息づいてくるような森の木々たちの香り、 そうしたものが たとえ森林浴をしたところで まったく感じられないとしたら。 …。 私の体験からは 感じるということが この命 この意識、 この心の世界でどれだけ大切なことなのか、 あまりにも明白なのです。 逆に 私は ある集団暴力下のおかれていた時に、都会の片隅のおんぼろアパートの二階にて、恐怖のために夜中にうなされては目を醒ますような神経であった只中にて、  風呂場件トイレの小さな湯船似使っていた時、 真冬にて、ふと何かを感じて窓を開けたら 二階まで延びていた大きな木の大きな葉っぱの上に、 たった今 雪が降り積もりだしたところだったのですが keukegenさん、  なんといったらいいのか たったそれだけのことなのに、 その葉っぱが たった一枚の葉っぱがどれだけ私の魂の奥深くまで癒し 心やすらげてくれたことか。 それは 今では想いでの一つにすぎませんが、 たった一枚の葉っぱですら、今でもその時の感動を思い出すと、ふつふつと涙がでてきそうになります。   静かでした  ただただ、静かで幸せでした。 本来神が 与えてくれた私たちの体は、 その葉っぱ以上に奥深く美しく心癒す存在であるはずなんです。  科学者や哲学者が発見した神の世界からは そういった世界が見えてくるはずなんです。 しかしながら、神話の神の世界は違いますよね。  秩序のために 欲望を否定します。 欲の皮突っ張った欲張り爺になんかなるなよ。 みにくい争いはやめよう。 それは社会規範であると同時に道徳にもなっていきました。  心の中での規範です。  そこに性欲のような強い欲は、その悪の象徴のような感じになってしまったわけです。 不浄という概念の発祥です。 それは どの宗教からも生まれた概念ですが、一神教、なかでもキリスト教にてとくに強められてしまってもいます。 こうなると、 神から与えられたありのままの欲エネルギーとかの世界は「見つめる」以前に 最初から歪んで醜く見えるようにもなってしまいます。 それが不浄の概念の世界です。 ほんとうは すべて逆な現象が起こってしまっているということです。 キリスト自体は、 「野のユリを見よ、何もしないのにどんな着飾った人よりも美しいではないか。ましてあなた方は 何を着飾る必要があるのか」といった意味の事を それこそ実際に命をかけて語ってくれた人ではないですか? そこを、 「山上に垂訓」という有名な 過去の教えへの反逆の教えの中で セックスについて彼がこんなふうに言ってしまったので、 いよいよ、へんな矛盾がキリスト教徒の中に起こってしまったんです。 「あなた方は 姦通はするなと教えられてきている しかし私は言う、心の中でも姦通するならそれは姦通したことになるのだ。」 実人生にては いろいろな深い意味合いがこれだけでも感じられる部分、そこを おそらくは弟子達が キリストの話のその続きを すでに不浄の概念を持って聞いていたので理解不能となってしまって記述漏れの形になってしまったのでしょうが、   なんと 後のキリスト教徒たちは、心の中でも つまりイメージの世界にてもセックスを想像してはならないというふうに受け取ってしまったんです。 いよいよ不浄感も膨らみますし、 逆な発情とかも歪んだ形でも起こってしまいます。   よく考えてみてください。 もしキリストの言った意味が、その部分だけ昔の教えへの反逆ではなく強調だったとするならそれも可笑しな文脈ですが、 それよりも何よりも、 キリストがすでに姦通の罪を犯してしまっているということになるはずなのですが、_? なんでこんな簡単なことに弟子達やキリスト教徒たちは気がつかなかったのでしょう? 私有財産制の所有欲も ここにはまた絡んできたりして こうしてセックスはいよいよ汚らわしいというイメージのものとなってしまっています。 (このへんの詳しいことは 今は略しますが) 同じ 欲望でも支配欲とか所有欲(独り占めの欲、現代でのそのへんのごまかしの心)とか、権力欲とかが絡むと すべてが実際に醜くもなっていきます。 が、そういう心からではなく 男女が純粋にセックスを楽しむことが出きるときには それは なんと、まさに  どんな美しい山や川や、海や夕日や朝日や青空や雲や 草花より以上に すばらしい世界に気がつけるせかいなんです。 実は 神は 一切 誰をも助けない存在です。 哲学が発見したという神の世界とか キリストが語るような神の世界はそういう世界なんです。 人間がすべて発見してゆくしか無いんです。 あるいは自分の足で進んでいくしかないんです。 じぶんで考え 自分で乗り越えていくしかないんです。  助け合えるのも人間どうしだけ。 しかして、それが すでに実際に与えれていて この大地に私たちは今を生き そしてこれからを生きてゆく存在だということです。 だから、この問題は 経験者や正しい科学者とか哲学者とかに悩みがあったら質問してください。  また あなた自身が 悩みを解決してあげられるようになって欲しい課題です。  詳しく書くのはそのためです。 性欲で悩んでおられるとのこと、 もしそれが社会全体の問題としての悩みならば、大枠は上記の回答をさらに探ってゆけば、答えは見えてくるかと思います。 奥さんも子供の愛している でも男性としてほんとうは欲求不満な状態だ。   うーむ。 ということでも悩んでおられるならば  もう少し、具体的に深く突っ込んだ回答にもしてゆきたいのですが。 現在、独身なのですか?   私は現在61歳で、84歳の母と暮らしてる独身です。 ワーキングプアーの肉体利労働者ですが、 よろしければ、 お気楽に個人的な迷いとかも書いてみてください^^。  

keukegen
質問者

お礼

>感じるということが この命 この意識、 この心の世界でどれだけ大切なことなのか。 確かにそうですね。 全て何も感じない世界ならそれはそれで恐ろしい事かも しれません。 >一枚の葉 う~ん何故かこの話を読んで、「夜と霧」という本の 話を思い出しました。 アウシュビッツでの過酷な生活の中でのある囚人の言葉。 この世は美しい・・・。 静かですね。 ひたすら静かです。 私の悩みと言っても俗的でとてもくだらない事なので。 現在妻はいます。 ただ現在何の宗教とは言いませんが求道者なので 余分な性欲が邪魔なのです。 御回答ありがとうございました。 なんかじーんときました。

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その他の回答 (22)

回答No.2

恒常的な性欲なしでは結婚はありえません。 結婚なくして家族はありえません。 社会の最小単位の家族なくして人間社会は存在しません。 社会なくしては人類は絶滅あるのみです。

keukegen
質問者

お礼

恒常的な性欲がなくては 人間社会は存在しないと言う事ですか。 なるほど・・・それも一理あるかも。 でも社会はどうでも良いから (動物は常に発情してなくても存在してますよね) この苦しみをなんとかして欲しい気分です。 御回答ありがとうございます。

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noname#130980
noname#130980
回答No.1

それは一人一人の視点であって 別の視点からみればそうでもないこともあります。 もちろん子孫繁栄という目的もあるので 神は持たせたのでしょう。 ご期待に添えた回答ではでなくてスイマセン

keukegen
質問者

お礼

一人一人の視点。 そうですね。 私が欲望が強いのでそう思うのかもしれません。 御回答ありがとうございます。

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