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心の病になってから感性がなくなりました。
タイトルの通りなんですが、以前病気になる前(と言ってもかなり何年も前ですが)には自分で言うのもなんですが、人と比べると大したことはないかも知れないけど、音楽に対してや、ひとつひとつ言葉に対して(これは病気の原因かも知れませんが神経質だった)天体に対して、色へのこだわりなどの感性が豊かだったと思います。 ところが今まだ病気はありますが、以前のような感性もなく、感動できません。なので涙を流すこともありません。いつからか頭で考えるほうが楽なんだと思ってしまったんです。それに染まっていくにつれ心で感じるということが薄れ、なくなりました。 正直悲しいです。病気はいやですが感性がなくなるなんて。どうすれば感性を取り戻すことできますか?心の病だから脳の動きなんですかね?長くてすみません。アドバイスをお願い致します。
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どんな病気かお書きになってないので難しいところですが、 落ち込みを伴うような病気ならば、病気が治れば元に戻ることが 多いはずですよ。脳の働きが、あまり物事を鋭く感じないように 働いていると考えられます。 頭でものを考えるほうが、確かにこころが振り回されないという点では 楽は楽です。でも、それがもし病気の症状や、もともとの自分の 神経質さをカバーしたり無理に変えよう、押し隠そうして自分に無理を 強いていたとしたら、それもそれで疲れて感性がますます鈍ったり、 病気の回復が上向かない原因にもなりはしませんか? 病気をとにかく治していくことが大事だと思いますよ。 感性を早く取り戻そうと無理に焦るのではなく、治れば感性も 次第に戻ってくるものだ、とゆっくりかまえることです。 調子が上向いてくれば、少しずつものごとに何かを感じることが 多くなり、それが自信や手応えになって、さらに調子が上向いていく、 といった具合に回復していくはずです。 もともとの神経質さについても、そのために良い面もあるはずです。 普通の人にはわからないことにも気づけたり、物事への前向きな こだわりや表現の細やかさなどに活かしていけます。 ストレスの受け止め方・考え方さえ気をつけていれば、 神経質なところがあってもそれが自分の個性でもあり長所でもあるんだ、 と客観的に受け止めることができますよ。そのように自分のあり方を 根本から捉え直していくことも、病気の回復への一歩になります。
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喜びの感情は人間の脳の最も高度な働きだそうです。 私の息子は幼い頃、脳炎を患って最後に残っていた感情は苦痛でした。 回復にともなって、寂しい、悲しい、怒りと順に感情を取り戻して行き、最後に戻ったのが喜びです。 主治医も、 「この子が笑うようになったらもう治ったと言えますよ。」 と言ってくださいました。 笑顔を取り戻した息子は、程なく退院出来ました。 素人が言うことですから、間違っているのかも知れませんが、息子が感情を取り戻していく段階は、誕生の時からやり直している様に感じられました。 きっと脳や心に大きな負担が掛かると、生存するのに必要最低限の感情が残るのだと思います。そこから少しずつ感情が回復していくのではないかと思います。 質問者さんから感情が消えてしまったように思えるのも、心(脳)に大きな負担が掛かったからだと思います。 人間の体は大きなダメージを受けると生存するのに必要な機能が最後まで残るようになっているのだと聞いたことがあります。 感情もその通りなのだと思います。 質問者さんの心に悲しみの感情しかない様に思えても、今はまだ回復途中なんだと思います。心がこれ以上壊れないように、命を守るために残った感情が悲しみなのだと思います。 “可愛い”と“可哀想”と言う言葉が似ているのは偶然じゃないと思います。 “可愛い”と思える愛情を注げる存在が、傷ついたり“淋しそう”にしていると“可哀想”という感情が湧きます。 また、“可哀想”に思える存在には“愛情”が注げます。 感情は言葉で表すとときにまるで違うもののようだけれど、糸のように何処かで繋がっていると思います。 今はその繋がりが上手く行かなくなっているけれど、消えてなくなったのではないと思います。 今残っている悲しみは、ゆっくりでも喜びや感動のような暖かな感情に繋がっていくのだと思います。
お礼
ご丁寧なご回答ありがとうございます。お子さま元気になられて良かったですね。喜びは最後なんですね。とても勉強になりました。ありがとうございました。
前頭葉はもともと自分で目的を作らないと存在理由がないところだと思います。頭で考えてという時に自分が対象を見つけるとか、企画から始めないと感動できないのではないでしょうか。やはりご自分で自発的にやってみないと感動はないのが普通ではないでしょうか。病全土のような時に感動していたか考えてみてはどうでしょうか。と
お礼
ご回答ありがとうございました。
- edoyasiki
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私も以前、心の病気にかかっていたことがあります。 そういう時期はあると思います。感情がなくなり、音がとにかくうるさいと感じました。テレビを見ても楽しくなく、気分が暗いのでとにかく笑おうと思ってお笑い番組を見たりしましたが、ちっとも面白いと感じず、泣いてみたいと思い、泣けるようなメロドラマをみても感情が出ません。ストーリーも追えない位集中も出来ません。 心を落ち着かせようと音楽をかけるのですが、それもイライラしてうるさく思いました。 あるときから、音がないほうが楽だと気付き、無理して喜怒哀楽や感情を求めるのを辞めました。静かに音のない暮らしをしているとなんとなく楽になりました。 この時期はただ静かに休んだり、起きたり散歩したりの毎日でした。 見るものは自然にあるもの、月や星、風の音だけ。別にきれいだとかなんだとか感想はなくただ見ていただけです。他人から見たら怠けているとしか見えなかったかもしれませんが、きっとこころがそれを求めていたのだと思います。 しばらくして、ラジオから流れるクラッシック音楽なら聴けるようになり、また、ラジオ番組のトークが心地よく聞こえるようになり、、、だんだん復帰していったと思います。 そういう時期もあるのですから、無理して活気づこうと思わず、静かに心の求めるままにいたらよいのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。経験されてるだけあって、正しくその通りという感じでした。ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。とても分かりやすかったです。おっしゃる通り気持ちの落ち込みを伴う病気です。ご回答を励みにゆっくりがんばります。本当にありがとうございました。