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「帰り着きましょう」に違和感が
「生徒の皆さん、午後5時になりました。交通事故に注意して午後5時30分までに家に帰り着きましょう。〇〇校区生徒会よりの連絡でした」冬休みや夏休みになると放送される呼びかけの文言ですが聞くたびに違和感を覚えます。「帰り着きましょう」が気になります。「家に帰り着くように致しましょう」とか「帰り着くようにしましょう」とか「家に帰りましょう」が自然ではないかと思うのですが如何でしょうか?文法的にもどうなんでしょうか?
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- finalewo
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>帰り着きましょう 違和感ありますね。 これは「着く」という動詞が「無意志の自動詞」だからです。 「着く」という動詞に意志性が感じられますか? 感じられませんね。 勝手に着くという感じがしますでしょう。 こういうのを「無意志の自動詞」といいます。 自動詞は大抵無意志です。 「消える」「届く」「冷える」「治る(なおる)」などたくさんあります。 「家に帰りましょう」は違和感がありません。 これは「帰る」が「有意志の自動詞」だからです。 「帰る」には意志性が感じられます。 「帰る」「寝る」「笑う」「泣く」・・・このような人が主語で使う自動詞には意志性がありますので、「家に帰りましょう」はOKです。 「帰り着く」に意志性を持たせようとすれば、おおせの通り、助動詞「ようだ」の連用形「ように」をくっつけて行動の基準や目標・目的などをハッキリさせ、最後に「しましょう」をつけることになります。 「しましょう」は、「する」という他動詞の連用形「し」にていねいの助動詞「ます」の未然形(意志)「ましょ」に、話し手の意志決意を表す助動詞「う」です。 自動詞と他動詞 http://www014.upp.so-net.ne.jp/nbunka/6ga.htm 文法というのは後付けの理屈です。 最初に日本語の文法ができて、人々はそれに基づいて日本語をしゃべっているのではありません。 文法より先にしゃべりがあります。 みんなが文法なんか意識せずにしゃべっている中に、一定の法則性があるわけです。 それらを整理して格好をつけたのが、文法というややこしいものです。 「文法を」というご要望でしたので、分解してみましたが、余計ややこしくなったかも知れません。 まあ、意志性のない自動詞に意志を表す「ましょう」をくっつけてもチャンと着かない、「ように」という接着剤が要るということでしょうか。 質問者さんは、普段のしゃべりの中に、無意識に法則性を身につけ、自分で文法を作っていたということだと思います。
- merlionXX
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そのような放送は聞いたことがないのですが、状況としては、冬休みや夏休み等の長期のお休みの間、校内ではなく、校区内のスピーカーから夕方5時に流されるんですよね? お書きになった通りのアナウンスであれば、わたしも 「午後5時30分までに帰り着きましょう」 には違和感がありますね。 文法上は「帰り着きましょう」に別に問題はないと思います。 かえって「午後5時30分までに家に帰りましょう」では、5時半までに家に帰り着くのか、あるいは5時半までに家に帰るため現在地を出発するのか、どちらを呼びかけたのか明確でありません。 では、なぜ違和感があるのか考えてみました。 おそらく、「家に帰り着く」という結果を呼びかけているからだと思います。呼びかけなくてはならないのは、結果ではなくあくまでこれからする行為でなくてはいけません。 「家に帰り着くように致しましょう」や「帰り着くようにしましょう」なら、「致しましょう」も「しましょう」も呼びかけているのはその場を出発するという行為ですから違和感がないのだと思います。
お礼
参考になりました。ありがとうございました。
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