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友人が交通事故で助けた行動に罪悪感を抱く理由とは
- 友人が交通事故で助けた行動に罪悪感を抱く理由は、自分がその場にいることに対して無力感を感じているからです。
- 友人は救急車を呼ぶ以外に他に何もできなかったと感じており、知識や経験の不足から自分の行動を後悔しています。
- しかし、友人の行動は正しいものであり、目の前で困っている人を放っておくことはできません。友人には自身の行動を誇ってほしいと伝えてあげましょう。
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ご友人ショックな場面に経ち合ったのですね。 そのご友人は今回の事で学ぶ事が出来たわけですね 何も出来なかったとありますが、見守る事は出来た。 そこにいなければ、それすら出来なかったわけです。 野次馬が全て悪いわけでもありません、目撃者として大事な存在でもあります。 否定する事はありません。 わからないものを無闇になにかしようとしたらもっと 悲惨な事になって、何もしなかったことを褒めてあげてください。 大事なのは出来る事をするということ、ご友人は出来る事をした それでいいんです。 苦しんでいる人にしたら、傍にいてくれたご友人がどれだけ有難かったか。 ただ、ご友人は慰めより、ただ聞いてほしいだけかと思います。 傍にいて、そっと聞いてあげていてください。 ご友人もだんだん、自分の道を見つけていくと思いますよ。
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そのような現場を見れば、誰でも足がすくみ、何もできない状態になると思います。 私は、ご友人の勇気と優しさを心から尊敬致します。 そして、ご友人のことを心配されている心優しいあなたのことも。 ここからは経験談です。 長文になりますことをお許しください。 少しでもご友人の救いになれば、私も嬉しいです。 私は40代女性ですが、過去に息子を交通事故で失いました。 彼には何の落ち度もない事故でしたが、どのような事故だったのか、それはここでは割愛しますね。 病院から電話をもらって、救急治療室に駆けつけたとき、すでに息子の意識はありませんでした。 その後、ICU(集中治療室)に移されましたが、事故から数日後、皆の願いも届かず他界しました。 それから何日経ったのか… 当時は混乱していたので、今でも日時はよく思い出せないんですが、警察に行った時の話です。 「ある男性が救急車を呼んでくれて、救急車が到着するまで一緒にいてくれたんですよ。」 この話を担当警察官から聞きました。 その方は、救急車が到着するまで、『頑張れ!頑張れ!』と、息子の耳元で必死に呼びかけてくれたそうです。 あなたのご友人と同じようにね。 その話を聞いて、私は本当に有り難く嬉しかったです。 (後日、その方にお礼の電話等をしたのですが、これも割愛しますね) 突然息子が亡くなって、暗闇の中でさまよっていた私達に、ほんの少しの光が差したような、そんな気持ちです。 たった一人で苦しんで亡くなったと思っていたのに、意識がもうろうとしていた最後のとき、誰かがそばにいてくれたなんて、そんなことは思ってもいませんでした。 遺族として、こんなに有り難いことはありません。 もちろん、天国の息子も同じ気持ちのはずです。 自転車に乗っていた方のその後はわかりませんが、たとえ天国へ逝ったとしても、あなたのご友人には言葉では言い尽くせないほど感謝しているはずです。絶対に。 そんなことはあってはならないことだけど、例えば…あくまでも例えばの話ですよ。 もし、逆の立場だったらどうでしょうか。 段々意識が薄れていって苦しいとき、もう駄目だと思ったとき、誰だか分からない見ず知らずの人が必死に呼びかけてくれているんです。 そんなときは、「ありがとう、ありがとう、頑張るからね。」と、そう返事をしませんか? たとえ声が出せない状態でも、心の中で声にならない声で伝えているはずです。 最後になりましたが、息子を助けてくれた男性の話です。 「彼(息子)は、私が手を握って声をかけているとき、その手を握り返してくれました。」 あなたのお友達が罪悪感から開放されて、心穏やかに過されますよう、心からお祈り致します。
お礼
ご回答ありがとうございます。 その男性の声はきっと、確かに息子さんの耳に届いたと思います。 息子さんを亡くされた時の心中は私では推し量りきれるものではありませんが、 おつらい経験を聞かせてくださったご回答者様に深くお礼申し上げます。 実は昨日、自転車に乗っていた被害者の方が亡くなったことを紙面にて知りました。 事故から一週間以上経っているのですが、 なんだか無性に気になって友人に連絡を取ると、携帯の電源が入っていません。 大げさな気もしながら家まで行くと留守で、 他の友人たちに電話を入れても(皆社会人ですので)居場所はわかりませんでした。 友人の落ち込み様が頭を過って混乱しながら探していたら、 事故現場に一人で立っていました。 「あ、(私の名前)」ってあまりにもあっけなく振り返るので拍子抜けしてしまいましたが。 聞くとお花を供えたかったそうで、お盆の墓参りと同じ感覚で携帯の電源を落としていたそうです。 でも歩道には何もなくて、 もしかして供えるの自体が通行の迷惑とかだからやめた方がいいのかもしれないと ずっと考えていたとのこと。 怒ってやろうかと思いました。 その後ですが、友人が少し落ち着いていたようなので皆様から伺ったお話をさせていただきました。 また友人は泣いていましたが、今度は罪悪感からくる涙ではないようでした。 心から気持ちが晴れた、なんて安易なことは言えませんが、 友人なりの気持ちの整理がつけられたのだと思います。 no.4のご回答者様には失礼をいたしますが、事後報告を書かせていただきましたので、 ご一緒にご回答くださった皆様へのお礼も重ねさせていただきます。 本当にありがとうございました。
- arap6260
- ベストアンサー率14% (55/384)
私も10年前位の夜中、自宅前で起きた交通事故を目撃しました。 飲酒運転の車に自転車に乗った中学生が撥ねられた。 ぶつかった交差点から10数mも吹き飛んでました。 すぐさま救急車と警察に電話してうちの母と駆けつけましたが 血の海でした。無意識に痛みでもがくのか立ち上がろうとする行動を するたびに耳から大量の血が流れ出た。頭を強く打ってるであろうから 動かさない方がいいと近所の人みんな心配してタオルやら毛布やら 持ってきた。救急車の到着するまでの長い事長い事。。。真っ赤に染まる タオルを見ながらみんなで必死に「頑張るんだよ」って声がけする だけだった。 救急車で搬送されていって残った血の海、消防車が高圧放水で流したが 中々流れない。その生々しさが恐ろしかった。 どうか生きてて!と願ったが翌朝警察の方が来て明け方亡くなったと 言われました。中学3年生の男の子でした。ご両親が事故現場で嗚咽 した状況も今でも忘れられない。 人の命の重さ、虚しさを感じた。 医療の技術がない者は励ましでも少しはその人の為になるのかなっと 自己満足かもしれないけどそう思いたいです。 お友達もご自分を責めているようですがショックを癒すのは時間だけ! 落ち着いたら一緒に救急講習等受けるなど今回の経験がいつか生かせる 事に繋がるかもしれません。 ご友人思いのご質問者様、お話だけでも聞いていただくと本人にとっては 有り難いと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 あなた様も大変な場面を経験されたのですね。 友人の周りにも、 ご回答者様やご近所の皆様のような「一緒に声をかけて心配」してくれる方が 一人でもいればよかったのかもしれません。 どうしていいかわからない状況で、 自分と同じように必死な人がいればどれだけ心強いだろうと思ってしまいました。 消防車の放水でも流れないような血、ですか・・・ 友人もそんな怖いところに膝をついて頑張ったんですね。 あなた様やご近所の方のしたこと、決して自己満足などではありません。 私の友人にも、そうなのだと分かってもらいたいです。
- 505reo
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病院勤務の者です。まず、ご友人の行為は完璧だったということをお伝え下さい。 AED設置場所の増加に伴い、救命処置講習を受ける方々が増えたとはいえ、その場に出くわしたら殆どの人が助けたい気持ちがあっても指をくわえて見ざるを得ない(中には写メする不届き者もいるくらいです)のが現実です。 救命処置は、「意識があるか否か」の確認を含む声かけと、回りの人へ救急車の要請、意識がない場合は、気道確保と心臓マッサージが重要です。 ご友人は、その中の二つをされています。勇気ある行動です。救急に精通している方が偶然二人もいたことは不幸中の幸いでしたね。 責任感の強いご友人は、完璧主義なところがあるのでしょうか。最善を尽くしても、絶対自分を赦せない。自分を受け入れられない…とか。 もし、そのような方でしたら、あなた様が、これからも受け入れてあげる、ご友人の「歎き」に耳をそばだてる人であり続ければ良いと思います。 ご友人にとって、あなた様の存在は大きいし、被害者の傍らに寄り添い続けられたご友人の存在も、被害者の方には大きく尊い存在であったはずです。 ご友人の勇気ある行動に拍手を送ります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >ご友人の行為は完璧だった。 医療関係の方にそういっていただけると説得力がありますね。 ぜひ伝えさせていただきます。 そうなんです。友人は少しばかり自分に対して完璧主義で、 こうであるべきだった、とたまに過去を振り返ります。 いままでは「責任感でできているなぁ」と他の友人たちと笑える程度だったんですが、 今回ばかりは心底ショックだったようです。 だからこそこんなに思い悩んでしまったのだと思いますが、 これから少しずつでも浮上してくれるよう願います。 友人のしたことを〝勇気ある行動〟と言ってくださって本当にありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >見守る事は出来た。 そうですよね。具体的で直接的なことをしなくても、 友人にはそこにいた意味が確かにあったんですよね。 ただ友人はその倒れていた方が否応なく生死の境に立っている事実を目の当たりにして、 気持ちだけあってもなにもならないと感じたんだと思います。 私自身、なんといったらよいか・・・ そういうことを真剣に考えるような優しい友人に、 自分自身でそれを否定してほしくないんです。