- ベストアンサー
不器用な自分にほとほと嫌気がさします。
30歳、男です。 私は今までの人間関係において、人といるとうまくコミニケーションが とれない自分にほとほと嫌気をさしてしまいます。 今日は会社の忘年会でしたが、やはり必要以上に周囲に気を使い、 ほとんど酒ばかりついで回って、 ろくに料理も食べられませんでした。 いつもそうです。起用な人は、会話も盛り上げつつ、人に適度に気をつかいながら、上手に立ち振る舞っているのに不器用な自分は それができません。毎回会の終わるころ、内心の馬鹿らしさと悔しさで、笑って しまっています。あまりに様子がおかしいのか、周囲からは「大丈夫か?」と心配されることも。 一人で家に帰ると、悲しくて泣いてしまったり、一人で暴れてしまった りします。誰もわかってくれないわからない、という気持ちと、一方で こんな歳で、そんなことで悩む自分が悲しくなってしまいます。 同様の経験をお持ちの方、アドバイス下さい。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
私も同じですね。 私も、とことん不器用なおかげで、色々、考えさせられてきたので、本当に気持ちが伝わります。 最近、ようやく考えがまとまってきましたが・・・。 「気を使うこと」と、「気を利かせること」って、やっぱ違うんだなって思います。 私は、「気を使っている」ことが、とにかく辛かったです。 だけど、自分の考えから一歩引いてみて、会社の飲み会を見てみたときに、「飲み会に感情移入してる人」は、それほど居ない気がしてきました。要は、「楽しければ良い」という印象です。周りの人って、自分のことしか考えてないものですよ。よっぽどの「空気が読めない発言」とかがないかぎり、「誰にお酌したけど誰にはお酌しなかった」とか、そういうことまでを見ている人は居ません。 質問者様と、同じ・・・と決め付けてしまうのは気が引けるので、私の場合、ですが。 「人に求めすぎる嫌い」があります。 ひとつひとつの「行為」に、「自分で意味」を見出してしまうところがあるんですね。飲み会の席でも、お酒が入る入らないに関わらず、私はいつも「心を込めてしまう」ところがあるなっと、最近気が付きました。 でも、周りの人って、そんな風に見ていないんですね。その場が楽しければ良いし、必要な情報交換が出来れば良いし、発散になったり、人間関係がスムーズに行けばそれで良いんだと思います。 「必要以上に」・・・とお話されているので、「割に合わない」ということは、十分判っていると思いますし、判っているのに出来ないもどかしさって、やっぱりありますよね。家に帰って泣いてしまったりするのも、おそらく、「求めすぎる」ところからかな?っと。 人と親密になったり、人と上手に付き合うためには、ある程度、「自分を出す」ということをしなくてはならないんだなって、思います。「気を使っている間」は、まだ、「自分の殻を破れていない」のではないかな?っと、私は思っていました。たぶん、上手に立ち振る舞える人は、「気を使わなくちゃいけない場面」を、判っていて、そのときだけ、「自分を抑えれば上手く行く」ことを、「感覚として判っている」んだと思います。 不器用だと、どうしても「やり方」が回りくどい方向になっちゃいませんか? 私の場合は、「求めている何か」を得るために、「気を使ってます」が、それを得られるようになるには、まず、「自分自身のためにその場を楽しめるようになる」のが先決だった・・・と、思います。逆に考えて、私がもし「必死に私に気を使って食事も食べられなくて落ち込んでいる相手」を考えると、「悪かったな・・・なんか」と、思ってしまうかな?と。 考え方を変えて行くって、難しいことですよね。 今までそれで何とか乗り切っていた自分のパターンを、変えるって、結構勇気がいることです。でも、少しだけ、人付き合いに手を抜いて見ても良いんだと思います。それで離れていくような人や、非難するような人なら、始めから自分のためになる人間関係は築けないと、割り切ることも大切かな・・・っと。 逆に考えて、「あの人はお酌した」とか、「あの人にはしなかった」と、お酒が入った状態で、相手の人がチェックしてるんだろうか?と考えてみると、「大丈夫?」と心配される・・・ということは、「見てない」んだと思います。 「自分が思うほど、相手の人はあなたのことを見ていないよ」と。 ↑正直、私はこれを言われると、恥ずかしくて辛かった。 でも、そういう気持ちで居た方が、深い人付き合いって出来ると思うようになった最近です。「気を使わない相手」だから、一緒に居て「楽しい」って思える飲み会になるんだと思いますし。もっと、ドライに構える方が、良いのかと思います。 「求めず」に、「楽しむ方法」を考えてみては・・・と思うのですが・・・。 もしくは、「演じきること」に徹して、飲み会を仕事と割り切ることが出来れば、無敵なんですけどね(苦笑)。私はちょっと苦手な発想です・・・。やっぱ人だから、ある程度は求めてると思うし・・・。 最後に、こんな歳で・・・とお話されてますが、歳に関わりなく、痛みを抱えていることは悪いことじゃないと思います。むしろ、その他大勢の「器用な人」には「理解できない」ことを、質問者様だったら、理解してあげられると思うし。現に私もこうしてコメントしてるのも、「共感するトコロ」があるからだし。 恥を感じる必要はないのだと思います。 むしろ、この質問を、「この人は・・・」と思う人、一人に自分の言葉で打ち明けられるくらい気持ちがあれば、一人で泣いたりすることもなくなるのかもしれません。恥は、晒したもの勝ちなのかも・・・。あまり、自分を責めたり、自棄になったりしてしまう前に、もう少し周りに「甘えてみる」のも、手だと思います。 きっと、理解してくれる人って、居ると思います。 私も、札付きの不器用です。でも、質問者様と同様で、最近、変わりたいって思い始めてから、私なりに「器用な人から学んで」ます。周りの人を手本にして、真似したりして、なんとか身につけようって、思ってます。 質問者様に、良い人付き合いが巡ってきますように、祈りたいです。
その他の回答 (6)
人によって見方が違うのですね… ほとんど酒ばかりついで回って、 ろくに料理も食べられませんでした。 …えらい!!!! と思いましたが。 でも、そういう評価が欲しいという訳ではないのですよね。 私の場合、宴会においては 誰にもお酌はせず、食べるだけ。たまにおしゃべり。 それはそれで、私も不器用な人間なのです。 私も30をとうに過ぎていますが 自分を変えようとすると、それにまたストレスを感じてしまうので 自分や周囲も含めてですが、居心地の良さを感じる自分の 生息地帯でがんばっています。そこで自分の価値を見出しています。 具体的には、お年寄りや小さなお子さんのいるご家庭 介護や悩みを吐き出したいといった方と行動することが けっこうあります。同年代より、 子供やお年寄りに受けがいいみたいです。 そこで、お互いに話をし、理解を深めることで 自分の不器用さを緩和させています。わかりあえないと思うから 自分は不器用なんだと思っていますので。 分かり合える場を探してみてはいかがですか? それはこういった掲示板やネットの世界でもいいと思うんです。 そこから実際行動に出て見たり、学べるものがあると思うのです。 それから、No.5さんの意見、納得出来ます。 宴会のしても、普段のコミュニケーションにしても しゃべりすぎて敵を作るってことあります。 一番厄介なのは敵が多いということですよ。
お礼
貴重なアドバイス、有難うございました。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
そんなに悔しいのなら、別に周りを気にしないでちゃんと料理を食べて、余裕あるときにお酌をしに回ればいいのでは無いですか? >誰もわかってくれないわからない、という気持ちと、 基本的に他人をわかることなんて無理です。 みんな他人をわかったつもりになっているだけで、本当にわかっている人など居ません。 なのにそんなありえないことを期待してちゃダメですよ。 >人に気を遣いすぎた経験から、過去それをやめて飲み会に参加したこともあるのですが、やはり説教ばかり食らいましたからね。 これは一切他人にお酌をしなかったのでしょうか? それは極端になりすぎですよ。 起用に食べながらお酌もということが出来ないのなら、まずはある程度食べることに専念して、途中からお酌することに専念して、最後に食べ残したものを食べることに専念すると言うことは出来ませんか?
お礼
貴重なアドバイス、有難うございました。
- john888
- ベストアンサー率27% (31/113)
私は全く違うタイプです。話を盛り上げることはできるし接待でも場もちがし商売上はプラスになることが多いです。でもだからと言って必ずしもいいことばかりではありません。本音を言ってしまうから敵を作る危険性が大いにあります。話は面白いから受けるけれども危険性もあると自覚しています。プラスどころか大きなマイナスになることも十分あります。あなたは自分では気がついていなけれど周囲に気を使っていて誰のことも悪くは言っていないようだからよく思うか心配する人はいても敵は作らないと思う。それにあなたのように気を使える人は意外と少ない。威張ってたり、説教グセがあるより好感が持たれる。悲観なんてすることはないからもっと明るく笑顔でいれば全く問題ありません。盛り上げることは実はそれほど重要ではないんです。
お礼
貴重なアドバイス、有難うございました。
>やはり必要以上に周囲に気を使い、ほとんど酒ばかりついで回って、 これは人とのコミニケーションの内だと思いますよ。 見る人はこういうところをちゃんと見てくれていますよ。 私も上手に立ち振る舞えるタイプではありません。 誤解を受けることも多々ありましたが、 これまでの人生、どんな職場でも、必ず味方になってくれる人が最低でも一人はいました。 そういう人がいてくれたことは、私の気持ちの支えでした。 ここでは誰も自分をわかってくれないなと思ってても、そういう人はふとした時に現れました。 ああ、見てくれてる人はいるんだと安心したものでした。 質問者さんの振る舞いを見てくれてる人はきっといますよ。 個性を大事にしつつ、 自分を変えたいと考えるよりも、 自分の個性に追加するという風に考えて こうありたいなと思う部分を少しずつ取り入れていったらいいのではないでしょうか。
お礼
ご回答頂き、有難うございます。
補足
>見る人はこういうところをちゃんと見てくれていますよ。 そうですね、周囲の視線を気にしてしまうので、逆にそれがすごいプレッシャーになるんですね。 人に気を遣いすぎた経験から、過去それをやめて飲み会に参加したこともあるのですが、やはり説教ばかり食らいましたからね。 うまくバランスよくできればいいのですが、その方法論がなかなかわからないんですよ。
- poyo3
- ベストアンサー率30% (260/857)
自分が不器用だと認めることではないかと思います。自分は不器用なのに起用な人と同じように振舞おうとするから苦しくなるのでしょう。 器用な人は別に演じているわけでなく自然にそういう行動ができるから何も苦しくはならないでしょう。 器用な人はそういう人生を歩んできて身に着けたことでしょうしあなたとはいい意味でも悪い意味でも違うのですからそれを同じでなければいけないと感じてしまう事が悩む原因かと思います。 確かに会社だと不器用な人間は損な役回りが多い気はします。 しかし器用でもないのに自分は器用だ、器用でなければならないと思って生きていると日々消耗するばかりです。 不器用な人には不器用な人にしか出来ない生き方があるでしょうから自分にあった生き方を見つけるほうがいいのでは無いかと思います。 器用を演じても人には多分わかっていると思います。 器用であれば幸せかといえばそうでも無いでしょうから。 個人的な意見ですので参考までに。
お礼
ご回答頂き、有難うございます。
- topy7014
- ベストアンサー率14% (211/1499)
本当に不器用な人は酒をついで回る器量も持ち合わせてないです。
お礼
ご回答頂き、有難うございます。
お礼
貴重なアドバイス、有難うございました。