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創造主なる神は存在するか?
身内も友達もいない自分は神を信じたいと思っています。 一人で私は神との交流を試みましたがうまくいきませんでした。 やはり神を信じるには既成の宗教に頼るしかないのでしょうか? 神は既成の宗教からではないと返事をしてくれないのでしょうか? 既成の宗教に入らずに創造主なる神を一人で信じている方がいましたら 信じれる理由をお聞かせ下さい。
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信じれる理由というか、神にしろ仏にしろ創造主にしろ、その表現は様々であっても、あるものを言い表しているかと思われますが、それはおそらくは『大いなる存在』かと思われます。この存在を能動的に探求するものが哲学であり、受動的に信じようとするものが宗教かと思われますが、学問と信仰、あるいは積極、消極の違いはあれ、その志向するものは同じでしょう。 結局、十人十色、立場や価値観等が異なっても何らかの『大いなる存在』を探し、信じ求める者にとっては哲学や宗教は一種のツールであることは間違いないでしょうが、それ以外でもその『大いなる存在』を我々に感じさせるものは色々とあるかと思われます。 例えば、地球と太陽の配置距離、今より近い、あるいは遠かったりしたら一体どうなっていたでしょうか。我々が存在するに適したこの絶妙の距離は偶然でしょうか。また、大気中の雲の量は、ほぼ常に地球の表面積の50%に保たれているのはどうしてでしょうか。あたかも窓のブラインドのように太陽光を調節しているみたいなのですが、これは偶然の産物でしょうか。 私の観るところ、世の中には偶然という言葉で片付けて仕舞っている必然がかなり多いように感じられます。それらの必然の背後には、どうしても何らかの力が働いている、つまり、『大いなる存在』があっても何ら不思議ではなく、それを否定する方が非合理的ではないかと思っています。 ですから、表現は違えど『大いなる存在』の存在は疑う余地のないものと確信しています。
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- cyototu
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日本人は親が亡くなると遺影に手を合わせるようになります。そのとき初めてご先祖さまの加護に気が付くのです。ご先祖様の加護を受けるには既存の宗教に入る必要もなく、また何の教義もいりません。その時が来るまで待ってみたらどうですか。
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わたしの経験から言って もうすでに あなたの家の玄関にまで 神は来ているのではないでしょうか。 戸を開けて 迎え入れてください。受け容れるというのが 信じるという行為です。その名だけでも 保つなら 信じることになりますよ。 理由は それぞれの情況や経緯が あるでしょうが 無根拠です。無根拠という根拠によって 信じます。というより 無根拠じたいが 神です。 何か 頭に思い描いたものが 神なのではありません。また 何か善いおこないをしたから 信仰が与えられるというものでもありません。宗教やその組織が 根拠になるものでもありません。 あと 《交流》ということですが 神と 顔と顔を合わせて まみえるのは まだわれわれにとって 無理だと思います。無根拠ですから。 信じるのは 非思考です。何かこう考えたから 信じることになったというものではありません。
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