ちょっと、設問からずれるかもしれませんが、
進化論と創造論を、どちらが倖せに近づけるかで考えてみました。
下記が、その考え方です。
自分が何ものであるのかを知ることは
人の生き方に影響を与える。
人は、意識がその人なりを決めている。
人が何を意識して生活しているのかで
当然のごとく、生き方が変わる。
「人間は猿のようなものから進化した」
という進化論も一つの信仰である。
それは、証明されているわけではなく、
人間的想像力が、納得しやすいというわけである。
一方で、創造論は、
「人は神が創造した」
という単純な信仰となっている。
それは、証明というよりも、
「信じて生きるか」「信じないで生きるか」の
意識の選択である。
さて、その意識の違いはこうである。
「進化論」
私の遠い過去の先祖は、「猿のようなもの」である。
私は進化の頂点にいて、私を超えたものはない。
「創造論」
私の先祖は、「神が作られた子」である。
私は神の子孫であり、まだまだ天の父には届かない。
どの意識で生きるのか、決めるのは自分である。
現代を襲う「うつ病」の危機から救うのは
どちらの意識だろう?
自分の存在意義を見い出せるのはどちらだろう?
死ぬ間際に、満足できるのはどの考え方だろう?
年間約3万人、1日約80人余りの自殺者は
何を求めていたのだろう?
何を失ったのだろう?
心を守らずして倖せはあるのか?
意識を育てずして満足感は生まれるのか?
人は、何がしかのものを信じないで生きることができない。
何を信じるのかで、人生が変わる。
何も信じないという人も、
「信じないという信念」を信じている。
あなたの宝物とはなんですか?
それが、あなたが仕える物であり、信じるものです。
「お金?」「財産?」「地位?」「名誉?」「人脈?」「才能?」
「健康?」「美?」
「あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。」
(新約聖書ルカ12:34)
「仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。」
(旧約聖書ヨシュア24:15)
私は、時代に揺り動かされない価値観を持ちたくて、
クリスチャンになりました。
今、心の安定があります。
どんなに、時代や環境が悪化しても、心の中には安らぎがあります。
以上、決めるのは、みんな自分自身です。
補足
一億年生きることがなくても、分かると思いますよ。 様々な状況証拠や生物学などから進化論が確かなものか、そうでないのか考えることはできるでしょう。それが科学的な見方というものです。