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抽象的な表現を使っての詩の書き方について

個人的趣味の範囲でファンタジー小説まがいなものを書いてるものです。 そこで、魔法を唱える呪文を抽象的な表現で書きたいのですが、中々思い浮かびません。 想像力の欠如と言われればそれまでですが、どうにか上達する手段はないものでしょうか。 何卒アドバイス宜しくお願い致します。

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  • zephyrus
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回答No.4

No.1です。 過分なお礼の言葉をいただき、回答者冥利に尽きるというものです。 急にお悩みのようなのでもう一度登場しました。 ここで問いかけていらっしゃる課題は、広くいえばレトリックの問題なのです。 レトリックとは、論理なり情感なり、自分が内に秘め、主張したいと思っていることを、より効果的に表現するための技術のことです。 いま、「この酒はなんておいしいのだろう」と言いたくなったとします。 けれどもこの言葉を、同席している他の誰かがすでに口にしてしまったとか、 この通り一遍の言い方では自分が抱いている気持ちが相手に十分に伝わらないのではないかとか、 もっと美しく述べたいと感じたとき、人は別の表現を工夫します。 たとえば「桃の花の満開の下にたたずむ天女のようにこの酒はわたしをこころよく酔わせる」とか、 「このバッカスの贈り物は神々の住むオリンポスの果樹園から収穫され搾られたものにちがいない」などと。 こうした表現上の工夫は、背後にしっかりとした明確な実感がなければ空虚なもの、うわついたものになりがちです。(上のわたしの例文なんか、その典型例でしょう、苦笑) こうした言葉の工夫を分類・整頓し考察したものが修辞学なんですが、それら特徴的な表現方法の命名は学者によってけっこうばらつきがあり、思うほど確立されたものではありません。 ネコとネズミのようにはっきり分類できるものではないし、われわれはそのような区別をしながら言葉を発し、あるいは綴っているわけではないからです。 メタファー(隠喩)は確かに大切な概念ですが、佐藤信夫『レトリック感覚』を多少とも身を入れて読んでいれば、(講談社学術文庫P.123) ◆詩における隠喩は別として、言語一般に関しては、隠喩はむしろおだやかなものであり、あまり意外性のないものである。 という卓見は忘れられぬところです。 近代から現代へかけて、少なくとも詩人たちにとっては、より本質的なものはイロニーまたはアイロニー(皮肉、当てこすり、逆説、一種の反語法、など広範な概念です)であり、アナロジー(類推、関係づけ)でした。 あるいはウィットとかユーモア、諧謔と呼ばれるもの。 (これも最近の詩では様子が変わりつつある印象です。しかし、ここのところはわたしではよくわかりません) レトリックの本を読むのはいいことです。それによって、 頭の中で漠然と雑居していたもろもろの表現のしかたに筋道がつき整頓がつき、 なにより、表現するということに自覚的になってきます。 先に触れた佐藤信夫のレトリックに関する著述は、わたしの知る限り講談社学術文庫で五冊出ていますが、 いずれも有益なものだし、読み物としてもたいそうすぐれたものだと思います。 けれどもこうしたものは、小説を書こうという実践家にとっては、 一二種に目を通して肯いておけばとりあえず十分なので、 それよりは生きた例文、すなわち他者が書いた小説とか、詩のアンソロジー、エッセイをよく読みこみ、 また幅広く読み、陳列品ではない、ナマの活き活きした表現に出会うことのほうがはるかに価値が高いし、よく身に着くことなのです。 そして感銘した表現、お気に入りの言葉の組みあわせを何度も口の端にのせ、空で覚えてしまったり、 またそれをもとに工夫、アレンジして自分なりの表現を試みたり、発想のヒントにする。 そのためには「もの」や「こと」に対する常日頃からのふれあい、知識や感覚や認識を深めることもとても大事だと、最初の回答でわたしはひかえめに述べたつもりです。 今回のご質問を読むかぎり、小説のなかに本腰を入れた「詩」を放りこもうというのではなく、 韻文の詩のような行わけのもの、魔法の呪文のようないわくありげなもの、すぐには意味の通らぬもの、 そうしておそらくは、あとで語句の一つ一つが解明されたとき、読者がなるほどなと手を打ってくれるようなもの、 そうしたものがお書きになりたいのかなと判断し、その一二の拙例を、「実践的」にやってみました。 あまり適切でなかったのが質問者さんにとってお気の毒(大汗)。 小説の雰囲気づくりや展開にとって薬味になる呪文(詩も、もともと呪文の一種なんですが)をあみだそうとすることは、 キャラクターや筋も考えあわせながらですから、なかなか工夫しがいがあると思います。 これによってプロットも変更を迫られたり、あらたなアイデアを思いつくきっかけになったりするかもしれませんね。

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質問者

お礼

zephyrusさん、再度のアドバイス大変感謝しています。 まず、アドバイスを読みながらいろいろと考えさせられる事がありました。 その1つは、文学部に通っていればもっと深い知識が得られたのかもしれないという事です。 今更ながらそれについては後悔をしています。 ただ、本当の想像力に長けた人物が書くとしたら、自然と浮かび上がってくるのではないか、と思ったりもしました。 それが本来当たり前の事かもしれません。 だからこそ、書店に出るだけの本が書けるのだと・・・・・・。 そう考えると多少なりとマイナス思考になってしまいます。 zephyrusさんがおっしゃる 『けれどもこうしたものは、小説を書こうという実践家にとっては、 一二種に目を通して肯いておけばとりあえず十分なので、それよりは生きた例文、すなわち他者が書いた小説とか、詩のアンソロジー、エッセイをよく読みこみ、また幅広く読み、陳列品ではない、ナマの活き活きした表現に出会うことのほうがはるかに価値が高いし、よく身に着くことなのです。』 とか 『そのためには「もの」や「こと」に対する常日頃からのふれあい、知識や感覚や認識を深めることもとても大事だと、最初の回答でわたしはひかえめに述べたつもりです。』 に関してはとても重要な事と解釈しているつもりです。 これからはそれらを念頭に入れながら頑張っていきたいと思う次第であります。 どうもありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.3

お礼欄拝見しました。 えーと、質問者さんには前の回答はあまり適切ではなかったですね。 ごめんなさい。参考文献も、ちょっと合わないと思う。もうちょっと実践的なものの方がいいかな、という印象を受けました。わたしはここらへんの本はあんまり読んでないんだけど、ブラッドベリの『ブラッドベリがやってきた』とかル=グゥインの『夜の言葉 ファンタジー・SF論』とかはもうお読みかしら。 ただ、前の回答で言いたかったのは、考え方としてはこういうことなんです。 ファンタジーに出てくる預言者とか長老とかって、ものごとをストレートには言いませんよね。質問者さんはそれを「詩の形」と表現しておられますが、ものごとを直接には言わない、別のものになぞらえて言う、その言い方がメタファーなんです。 なぞらえるときは、視覚的ななぞり(メロンのような形をしているから「メロンパン」)とか、内容的ななぞり(ありえないこととして「太陽が西から昇ってくる」「真夏に雪が降る」)とか、いろいろありますが、いずれも「あることを直接に言わないで別の言い方をする」やり方です。 ここで質問者さんがすることは「別の言い方」を探すことです。言いかえれば、それが「メタファーに翻訳する」ということです。 「間もなく思いもかけないような悪いことが起こるだろう」 →メタファーに翻訳すると…… 「間もなく」:時のメタファーを探します。月のかたちか、太陽や星の位置か、潮の満ち干は使えないか、花が咲くとき、動物の出産などの時期…… 「思いもかけないような」:これを言い表すようなメタファーを探します。森が動く、川が涸れる、魚が空を飛ぶ、石が降ってくる…… 「悪いこと」:闇のメタファーが有効です。どんな闇だろう。悪さの質に応じて、ふさわしい闇があるはず。 こんなふうに、まずやることは、ありきたりの表現で伝えたいことをまとめること。そうしてそれを「翻訳」するんです。そんなふうに考えていくといいと思います。 アスランにしてもアイハルにしても、何で直接言わないのだと思います? 予言するぐらいなら、先のことがわかってるんだろう、だったら教えてくれればいいのに、とわたしはコドモのとき、ずいぶん思ったものでした。 それは、物語の機能から考えると、こういうことができます。出来事が起こるなかで、主人公にその出来事の意味を「発見」させるためです。予言の意味を「ああ、それはこういうことだったのか」と発見することは、同時に「出来事の意味」を発見することです。 そうして、それはわたしたちの日常のアレゴリーでもある。 ああ、あのとき、あの人がああ言っていたのは、こういう意味のことだったのか、とか、あの人があのときああしたのは、こういう考えがあったのか、とか、あとになってわかることがあるでしょう? そういう「発見」は、わたしたちのものの見方を、たぶん少しだけ深めます。 物語はそれを「仕掛け」として持ち込んでいくわけです。 主人公が「発見」する、すなわち、読者も一緒に「発見」するのです。 作者である質問者さんがここでやることは、「それは××だ」と教えてやる代わりに、それを箱に入れて、穴に埋めて、その場所の地図を書くことです。地図はできればわかりにくい方がいい。その「解読」→「発見」のプロセスが物語なのです。 おもしろい地図を書いてくださいね!

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質問者

お礼

自分は、ghostbusterさんが気分を害するような事を書きましたでしょうか。もし、そうでしたら謝ります。どうもすみませんでした。 自分は、ghostbusterさんからのアドバイスで初めてメタファーと言う言葉を知りました。 確かに少し難しげではありましたが言葉の表現方法を変えるという事は1つの方法かな、と思いました。それで本も買ってみようと思ったのです。 アドバイスの内容に関して言えば、直球ではなく変化球的な感覚で受け取ったんだと思います。 でも、とても参考になったのは事実ですし、紹介して頂いた本に興味があるのも事実です。 故に大切なご意見として今も受け取っています。 それと、質問内容を書くときに例題みたいなものを書いておけばもっと分かりやすかったのかな、と後悔もしています。 新たに書いて頂いたアドバイスも大変参考になりました。 何だかいろいろご迷惑をおかけしたようですが、自分としては有り難く読ませて頂いています。 どうもありがとうございました。

回答No.2

質問者さんが書きたいのは、たとえばこんなせりふなんでしょうか。 「暗闇山の  山から生まれ  山の中を歩いてた  わしが作った輪の中くぐらせ  おまえを元に連れ戻そう」(レスリー・マーモン・シルコウ『悲しきインディアン』晶文社) だとしたら、「抽象的な表現」ではなく、こういう種類の表現はメタファーと呼びます。 抽象的と考えるから、わかんなくなっちゃうんです。 抽象的というのは、その指示対象がどこにもない言葉です。「誠実」とか「友情」とか、お望みなら「形而上」とか「帰納的」とかいくらでも小難しくできますが、「それ」を引っ張ってきて見せることができないような言葉。だから抽象語を操っていくと、どんどん話は難解になっていきます。 そうじゃないんです。 ファンタジーやあるいはアメリカ・インディアンの話、アフリカの民話、そういうなかで語られるのは、メタファーです。 メタファーによる表現を作りだす。 そう問題を設定すると、きっとずっとうまく考えられるはずです。 「メタファーは、つねに具象を耕し、抽象を生む。しかし、この抽象の実は、純然たる抽象ではない。具象の種から育った抽象である。だから、私たちは、ことばを感じることができる。この《感じ》が完全に失われたとき、ことばは、土の香りをきれいに洗い流し、単なる約束ごととしての記号になってしまう。《人間的意味の形成の問題》を追求するとは、ことばの根を、土ごと掘り起こし、その生きた姿を、つぶさに観察しようとする努力にほかならない」(瀬戸賢一『メタファー思考』講談社現代新書) わたしたちがたとえばアイハルの言葉やメディシン・マンの言葉に心を打たれるのも、そこに単なる「記号」ではない、「土の香り」が残っているからです。おそらく質問者さんが作品の中に持ち込もうとしているのもそれなんじゃないか。だとしたら、目指すのは「土の香り」のする「メタファー」です。 直接的な表現を、メタファーに翻訳するのです。 では、どうやってメタファーに翻訳したらいいんでしょう。 実はわたしたちの思考そのものがメタファーでできている。だから、それを使うのです。 簡単なのは、光と闇を使ったメタファーです。 「光」という言葉の最大の特徴は「明るさ」です。 「明るさ」はメタファーとして意味を展開するとき、大きく分けて ・輝き ・希望(未来との結びつき) ・明らか(わかってきたこと) の三つの方向をとります。 たとえば人の「輝かしさ」を表現したいとき、あるいはわからないことが徐々にわかってきたとき、「光」のメタファーを使うことができます。 自分が表現したいものは「光」(あるいはその対義語として「闇」)のカテゴリーに属するものである、と大きく考えてから、次第に絞り込んでいきます。 どういう「光」なのか。朝日のような光なのか、白熱灯のようなぎらぎらした明かりなのか、それとも闇夜のロウソクなのか。 あるいは、「動き」のメタファーというのもあります。 「立つ」は活動の基本形、その対義語「横たわる」が死を象徴することもあるように、「生」そのものを意味します。 しっかりと立っていることを示すメタファーによって、その人の生の、あるいは思想の、人格の揺るぎなさを表現できる。 その「しっかり立っている」さまは、大木のような姿なのか、広い野原に一本だけ立っている木なのか、かかしのように、まわりとは異質な姿なのか。 「立つ」から動くことにしましょう。 「世の中の動き」「議論の進行」というように、わたしたちは実際に動いているわけでもないものごとを「動き」というメタファーによって理解しています。 動く、移ろう、流れる、ものごとが変わっていくことは、わたしたちにとって「動く」ことなのです。 その動きは、季節が移り変わるように動いていくのか、それとも歩く速さで、あるいは新幹線の車窓を流れる風景のように? さらに「動き」には方向があります。上昇、下降、わたしたちはこのメタファーによって、さまざまなものごとを理解しています。「昇進」「上流階級」「上位」「お上」…上にあるものを、わたしたちはときにあこがれ、ねたみ、あるいは抑えつけられ、意向をうかがっています。 その「上」にあるものはどんなメタファーでとらえるのが適当か。 まるで目の上にある「たんこぶ」のよう? 空を泳いでいる「凧」? 「星」? このようにわたしたちの認識をかたちづくっているメタファーには「視覚」とか「運動」とか「空間」とか、いくつか基本的なカテゴリーがあります。ですから、おもしろい表現を作りだそうと思ったら、まずこうしたカテゴリーを理解すること。そうして、それに基づいて、別のものと結びつけてやるのです。 先にあげた瀬戸さんの本にはそれがあげてありますから、ご一読をおすすめします。もっと詳しく知りたかったら、レイコフとジョンソンの『レトリックと人生』を。あとは佐藤信夫の『レトリック感覚』もわたしたちになじみ深い日本文学の例文がたくさんでてきます。 あ、メタファーというのは何なんですか、というのであれば、ここで回答していますから、良かったら参考にしてみてください。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4037636.html

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質問者

お礼

まず、メタファーという言葉を教えて頂き感謝します。 初めて耳にしました。でも、まだ未知の領域多し(冷汗 自分が求めているものがメタファーなのかどうかはまだいまいちよく分かりません。 分かりませんが、自分に欠けているものを補ってくれるのではないかと密かに期待してます。 URL見ました。ちょっと難しかったです。 それでも、紹介してもらった本はチェックしようと思っています。 どうもありがとうございました。

  • zephyrus
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回答No.1

いろいろやり方はあると思います。 今とっさに思いついたところでは、 具体的なものを抽象名詞化する。  地球⇒青の美徳 ある言葉を別の言葉に置き換える。  昼⇒天使の羽ばたき  夜⇒蝙蝠(こうもり)の腸管 抽象名詞を主語に据え、人格化し、ほかを助詞やその他で、いわくありげに組みあわせ、一文にする。  「青の美徳は天使の羽ばたきを右の耳で聞き、やがて蝙蝠の腸管をみちびく」 「地球上では昼のあと夜が来る」、と言ってるだけなんですが(笑) 「パソコンをたちあげる」のも、 「光よ来たれ。すべてのワームと鉄の環とが結託せよ」 と書いてみる。 「電気」を密接に関連する言葉「光」と言い換え、 二進法の表記「0」と「1」の形状を鉄の環とワームに見立ててみたわけです。 (なんらかの関係、共通するものを読者が見いだせなければ、 それは単に突拍子もないだけだし、読者は後でも前でもそれを知っても何の共感も持ちません) もちろん、0なら0の形状は、輪ゴムでも腕時計の外枠、月、金星、なんでもいい。 思いついたもの、イメージしたもの、 その場にふさわしいもの、ふさわしい言葉の組みあわせをあれこれ考えてみてください。 私の単語が古くさいようなら、感覚の新しい単語で置き換えてみてください。 くるくる全体の色あいが変わって見えてくると思います。 上にあげた例は純粋に言葉遊びです。 断じて「詩」ではないことはおことわりするまでもありません。 本物の詩人は、みずからのイメージを掘り下げてゆき、言葉と言葉の働きをまさぐり、 世界とのまったく新しい関係を発見する人のことなのかもしれません。 今回は小説の中の魔法の呪文ということなので、 雰囲気を盛り上げる言葉遊びに徹した方法(らしきもの)を一二ならべてみました。 もし参考になるようであれば、これらをヒントにオリジナルなものを考えてみてください。 上達法は、もとより私もよくわかりませんが、 ハードなものも含め、いろいろ広く読んでみる、 自分でも日ごろから表現の練習をしてみる、 「もの」や「こと」の一つ一つに、ふれたりかいだり叩いてみたり、理解を深めてみる。 といったことが必要なのかもしれません。

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質問者

お礼

正直言って、これ書いてアドバイスを頂けるなんて思ってもいなかったので凄く嬉しい気持ちで一杯です。 内容も凄く勉強になりました。できれば、もっともっとご教授頂ければなどと思ってしまいます。 いやぁ、悩みが悩みだったので本当に嬉しいです。 勇気を出して書いてみるものですね。 お礼はポイントでしか返す事ができないのですが、勘弁してください。 本当にありがとうございました。