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白(黄)・青・赤切符はどっちが先?
現在、白(黄)・青・赤切符といえば、交通違反をした際に違反者に渡される切符ですが(間違っていたらすいません)、かつては、国鉄で3等級制が採用されていた頃の切符の色(1等が「白(黄)切符」、2等が「青切符」、3等が「赤切符」)だったそうで、偶然にも3種類全てかぶっていますが、これはどっちが先なんですか? 回答御願します。
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交通違反の切符のほうは実物を見たことがないので、本当に文字通りの色になっているか、色からそのように通称しているのか私にはわかりません。 一方、鉄道の切符は1等が緑色、2等が青色、3等が赤色でした。これは明治時代の創業時からほぼその原則だったようです。 昭和30年代には3等級のうちの1等がほとんど存在しない状態だったので、2等級制にしました。このとき1等は緑色、2等は青色を原則としました。但し、近距離の途中下車できない切符は赤色のままとしました。 で、44年ごろ等級制度が廃止になり、1等は特別車両と呼ばれ、硬券の場合緑色の特別車両券は緑色でした。2等は普通車と呼ばれ、乗車券は近距離が赤色、遠距離が青色が原則となりました。自由席の特急券が赤色、指定席の切符類が緑色になったのもこの頃です。また、今では当たり前になっているコンピュータ端末(マルス)により発行された券は緑色が原則でした。(近年変更され、現在は青色になっています。) なお、特別車両は通常は「グリーン車」と呼ばれていますが、それは旧1等が車両の横にグリーンの帯をして他の等級と区別していたこと、券の色が緑色だったことから、一般にも緑色=上等級というイメージがあったと言える為だと言われています。 反則切符の制度は、私の知る限り、戦後しかも昭和30~40年代ぐらいが起源だったと思います。その運用に当って、他の分野の行政で類似の制度があってそれを参考にしたとしても、それが戦前より前に始まっているとは考えにくく、「どっちが先か」といえば「国鉄の切符」ということになりますが、犯罪行為の程度の大小と鉄道のサービスの高級度合いを同一視するのはどう考えても無理があり、普通は「偶然」と考えるべきでしょう。
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- gootaroh
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詳細は他のご回答者様のとおりですが、常識的に言って、鉄道は明治時代から走っていますが、自動車なんて一般に普及したのは、たかだか戦後の高度成長期からです。どちらが先かは、断然鉄道側です。 同じ「切符」という通称ですが、反則切符は「交通反則告知書」又は「交通反則通告書」という通告書類であり、鉄道の側は運賃・料金を支払い、鉄道会社と運送契約を締結した証、つまり小さいながらも立派な「契約書」です。よって、性質が全く異なりますので、そもそも比較対象とするには無理がありますね。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 そうですね、やっぱり普通に考えてそうでしたね。 にしても切符もそう考えると深いですね。
- kuma-gorou
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一部訂正 誤)1960年(昭和35年)7月1日、等級を廃止、運賃ではなく、設備料金としてグリーン料金が誕生しました。 正) 1960年(昭和35年)7月1日、一等を廃止、二等級制となり、1969年(昭和44年)5月11日、運賃等級を廃止し、設備料金としてのグリーン料金が誕生しました。
- kuma-gorou
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反則切符の制度ができたのは、1966年(昭和41年)ですね。 それまでは、道交法違反の罰則刑(軽い違反は科料、重大な違反は懲役刑)でした。 なお、反則切符に色はありませんよ。 方や、鉄道については、1872年(明治5年)開業の新橋-横浜(現桜木町)片道運賃は、当初、上等1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭5厘。 当時、白米10キロが36銭、都内の電報が5銭だったことを考えると、相当に高額でした。 鉄道開業の際に、客車は3等級とされ、上等・中等・下等に区分したが、1897年(明治30年)11月に一等・二等・三等へと変わり、この時はら切符の色も客車の帯色に合せ、一等白(実際には薄い黄色)、二等青、三等赤となりました。 1960年(昭和35年)7月1日、等級を廃止、運賃ではなく、設備料金としてグリーン料金が誕生しました。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 こうしてみると、昔と今とでは、クラスの名前だけじゃなくて、運賃・料金の制度も大分変わっているんですね。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。鉄道切符と反則切符では、鉄道が先でしたか。しかもこんなに詳しく書いていただいて感謝感激です!!