• 締切済み

死後の意識

こんにちは。前にも同じような質問をしていますが、長文だったせいか中々納得のできる答えは得られませんでした。もちろん感謝はしていますが...。 簡潔に書くと 死ぬと自分の意識または自我というものはないのでしょうか? 意識は脳から作り出されているはずです。 脳が死ぬと意識も消えてしまうんですか? でも、自分の存在が完全に無くなるとしたら幽霊の存在は、どうなるのでしょうか? 無になるのは恐ろしくて堪りません。なので眠ることも今では怖いです。 本当に、いつか木村藤子さんのところへ行こうか迷っています。 あ、やっぱり長文になってしまいましたね。すいません。

みんなの回答

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.11

 まず最初に以下の参考URLのページに載っている、私の回答を御覧下さい。 【参考URL】  幽霊の証明 (科学的にー   http://okwave.jp/qa/q5422641.html  読んで頂ければ、お分かりのように、霊魂の存在を否定しないと、高次脳機能障害という(現実に存在する事が確認されている)現象を、説明する事が困難になります。  従って、残念ながら脳が死ぬと意識も消えてしまい、霊魂等といった死後の生は存在しないと思われます。

  • arielsea
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.10

こんにちは。 回答になるか分かりません。 729tさんのように「無になるのは恐ろしくて堪らない」、「この想い誰か分かって、私はここにいる気づいて!」という人が、死んでもこの世を幽霊として浮遊するのだと思います。 幽霊の存在を否定する人、こんなこと言って不快になる人がいたらすみません。 実際に、何回かそういう人(一般に言う幽霊!?)に遭遇したから言います。 意識があって姿を現したりしているのかは分かりませんが、この世に未練(想い)がある人は彷徨うのだと思いました。 一般人の回答なので、こういう話もあるのかな、位に受け止めて頂ければと思います。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.9

この世に生きている人で、死後に復活した人はいるでしょうか。また、居たとして、どうやって照明できるでしょう。逆に死後が無いと言い切る人も証明する事は不可能です。 ということで、これから先は私だけの経験でしかなく、一つの話でしかありません。 人は日常でも様々な思いがありますが、そのほとんどは時間とともに忘れていきます。或いはうろ覚えに「なんとなく」記憶に残る程度です。しかし、大きな衝撃や強い執念は何年経っても忘れずに居る事があります。 人は死ぬと、次第に記憶が具体的でなくなり、最終的に経験だけが残ります。しかし、生きている時に強い衝撃や執念に囚われると死後も具体的に残ったりします。 だれも、昔の辛いことや悲しい事なんか覚えていたくは無いですよね。でも、「これ以上進むと壁にぶつかる」という体験は残って壁にぶつからない方がいいに決まっています。 魂も同じで、執念なんか残らず、かといって危険回避だけができる方がいいんです。それが記憶が消えて魂だけになる原理だとご理解下さい。 若いうちは死に望む必要はありません。だから死が怖いんです。死が怖いから危険な場所に近寄らずに済むんです。 でも、歳を取り、死が身近になってくると、死を「お迎え」と呼んで、自然に準備にかかります。 それまでは怖くて当然、怖いという事はまだまだ生きていける可能性があります。

  • gonchan08
  • ベストアンサー率60% (41/68)
回答No.8

自分自身の「意識」がどこから来たのか、今現在まわりの景色をながめているこの自分という存在は、いったい何なのだろう、子供のころとても不思議に思いました。たぶんほとんどの人は一度ぐらいは不思議に感じていると思います。母親に尋ねたらそんなくだらないことを考えるなと言われてしまったことがありました。 質問者さんは、何か近い将来「死」に直面しそうな状況に置かれているのでしょうか。具体的に死後の世界を想像しなければならないことがおありなのでしょうか。 わたし自身は霊や死後の世界も信じていますし、木村藤子さんや江原さんの話もとても好きなのです。こういった霊能者の人々の言うことが本当かどうか、今は確かめる術はありませんが、おそらく生きている間に感じている「意識」とはやや異なる感覚なのかもしれませんが、意識に近い感覚は死後もずっと継続されるのではないかと思っています。霊の存在を信じない人には理解できないかもしれませんけどね。だから、死んだとしてもそれは恐怖というよりも、以前亡くなった身内や友人、もしかするとペットにまで会うことができるのではないか、と今では楽しい気さえしています。

noname#101556
noname#101556
回答No.7

死ぬことや、死ぬときに味わう苦しみを考えると怖いです。 それにもまして、死んだら自分が消えてなくなるのは耐えがたい。この世からあとかたもなく永久に消える。有無を言わず、かけら一つ残らず消滅。スッキリと、なんにもなし。容赦のない「無」、何もない完全な虚無! (怖がらせてすみません。) 死んだあとも漂って考え事をしたり、上のほうへ上がったりしてまた降りて来て、家族や友達の様子を見たり、ちょっと不思議な方法で彼らに気持ちを伝えたり、彼らを助けたり、そんなことができたらいいですね。 こうして産まれて生きてきた自分です。何も残らないなどと考えたくありません。生き物ならいつか死ぬのは当然で、自分も死ぬだろう。しかし、今こうしているこの意識は体とは別のもので、死んでも意識は残るのだ。そう考えるとホッとします。 ◇ このような考えは古くからあったようです。昔の人も私たちと同じように賢く、このことを怖れ、伝え聞きやいろんな経験から、このような考えを持ったのでしょう。これは自分の本質に関わることで、切実です。だから疑いの余地なく確実に「死んでも意識は残る」というのが明らかでないと、夜も眠れません。では、「死んでも意識は残る」ということの、誰の目にも疑いの余地のない証拠はあるでしょうか。このあたり、私たちも、昔の人と同じようなものです。 しかし、決定的に違うことが一つだけあります。彼らよりも私たちのほうが後に産まれているということです。その意味は何だと思いますか。過去の知識の積み重ねです。彼らには判らなかったことが私たちには判っている。この点では絶対に私たちのほうが恵まれています。それも、確固としたゆるぎない証拠に裏付けられて、です。これは一般によく意識されていないと感じますが、その通りなのです。 多くの人たちが生活の中で経験したり考えたり、苦労の果てに手に入れた知恵はありがたいものです。実際、私たちの生活はそれらの知恵や知識の上に出来上がっていて、おかげで安心して暮らしていけるというのは確かです。それらは実際に役に立ちます。疑いの余地のない正しいことだからです。 しかしもっと確実、精密、大規模に、人類が世代を超えて組織的に進めてきた知識の探求の結果、といったものがあれば、もっと頼りになることでしょう。それは実際にあります。それは思いがけないほど進んでいて、私たちの普段の暮らしの感覚とかけ離れた感じさえします。 しかしそれは、多くの先人たちが数千年の間、物事を冷静に根気強く、知的に突き詰めていった結果、もたらされたものなのです。そこで明らかになったことは、ホッとすることでしょうか。残念ながら、必ずしも私たちの好みに沿うものばかりではありません。たとえば-  大昔、空から地球に、直系10キロほどの塊が新幹線の300倍くらいのスピードで降ってきて、広島の原爆の40億個分の爆発と阪神淡路大震災の7億倍の大きな地震と、現在の富士山ほどの高さの津波が起きてひどいことになり、生き物の半分以上が死に絶えた。  夜空に光る星の一部は大した前ぶれもなく大爆発を起こし、周囲の星を、そこに生物がいたこと、社会があったこと、歴史があったことなどぜんぜんお構いなく、ことごとく、粉々に吹き飛ばしてしまう。 数字や年代など不正確な点があると思いますが、どれも確固とした証拠のある、本当のことです。 ◇ 昔の人たちは、可愛い子供や親しい人たちが疫病のために目の前でバタバタ死んでいくのをどうすることもできなかった。しかし私たちは 「先人が厳格な証拠を重視した結果得た知識」 のお陰で、少なくともそのような苦しみから逃れています。しかも現在、知識は私たちの誰もが手に入れることができる。こんなにありがたいことはないではありませんか。にもかかわらず、多くの人たちは、知識とは、好きでもないのに学校で勉強させられるものだと思っています。もったいないことです。 ご自分が寄って立つところのものを求めるのですから 「議論の余地のない、ゆるぎない確固とした証拠に裏づけられた知識」の力を借りて考えなければなりません。実を言うと、それがもたらしてくれるものは、冒頭のような心配や不安など比較にならないほど壮大で、胸踊るようなものです。 めまいがするような極微も巨大も。イメージすらできない遠い昔も未来も。自然が生み出した気の遠くなるような複雑でエレガントな有様も。昔の人が見たら魔法としか思えないような現在の人の技も。証拠に裏づけられた知識がもたらしてくれる広い視野と感覚について、実感を持っていただくまでご説明できる余裕は、残念ながらここにはありません。 ただ、繰り返しますが、私たちは先人たちが苦労して得た豊かな知識をすぐにでも手に入れることのできる、恵まれた環境にいるのです。あなたは探究心に富んだ方です。ご自分で努力され、視野を広げることをお勧めします。 お読みになることをお勧めする、判り易い本の一例を挙げて終わります。 きっと答えが見つかると思います。 「サイエンスアドベンチャー」(上)(下) 新潮選書 カールセーガン・著 中村保雄・訳

noname#74145
noname#74145
回答No.6

脳が死んでも意識は存在すると考える事が不思議でなりません。 貴方は脳以外で考えているのですか? 脳死、肉体の死=肉体その物の消滅 肉体が存在しないのに意識だけが存在するとは一体どういう事でしょうか。 どこかその辺に“意識”がフワフワと漂っているとお考えなのですか。 そもそも幽霊なんて存在しません、いや存在するという証拠は唯のひとつも無いし幽霊とはどのような物であるかさえ殆ど議論にさえなりません。しかも巷で言われている幽霊の特徴は自然科学の法則に反するものがとても多くそれは即有り得ないと言い切って良いかと思います。 ですから幽霊に関しては信じる信じないとかこの目で見たとか一つも客観的な証拠は存在しないのです。 そのような背景が在るのに何故幽霊などという物が存在すると考える人がこれ程居るのか全く理解に苦しみます。 人間誰でも一度は死にます、森羅万象すべての物に寿命があります。 太陽にさえ寿命があるのですから人間に寿命が在っても受け入れるしかありません。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.5

A1です。 自我というのは自分が自分である意識なので、二つに分かれたら違う自分なので自分ではなくなります。元は同じもののコピー、双子やクローンのようなものです。 けがで右手が動かなくなった場合、繋がっていれば動かない自分の右手と認識できますが、切除して他の何本もの右手を並べられたら、自分の右手はどれだかわかりません。右手が教えてくれることはありません。 それでも右手は自分だし、自分であった右手を他人に移植する事だってできるのです。自分の爪からクローン培養した人間は、自分じゃないですよね? 自分であった肉体を確認できた時点で、自分ではない事を認識するので幽霊は肉体を持っていた自分ではなくなります。その点では幽霊も転生と言えます。 生体と幽霊、ココロとカラダの区別どころか、肉体と肉体だって繋がらなければ別のものなのです。 だから幽霊がいるとしたら、それは自分ではなくほかの何かであることは証明できるのです。 >意識がなくなって自分が存在しなくなるという事実が怖いです。 眠っているのが怖いのは、自分の知らない所で何がおきるかわからないからですよね? 意識って自分の手や目や声の届く範囲でしか確認できないので、しまっているドアの向こうに自分の意識はありません。そこに自分が存在するかの確認はできません。 現実の世界もそのくらいあやふやなのですから、その範囲が狭くなるだけ。別に怖いものじゃないですよ。 ココロの持ち方ひとつで、生きているのも死んでいるのも同じ事になります。 霊などに頼らないで下さいね。幽霊だって元人間だからたいした力はありません。

noname#189246
noname#189246
回答No.4

>意識は脳から作り出されているはずです。 脳が死ぬと意識も消えてしまうんですか? [霊は無いと決め付ける事に根拠はありません。何故なら意識の正体(クオリア)はまだ解明されていないからです。クオリアが分からないのに脳がなくなったら意識も無くなるという根拠は無いんですよ。クオリアが脳神経信号の連続であるというのなら、この心はなぜ電気信号ではなく心であるのですか??そのリンクがまだ分かってないというのですよ。だから意識が脳由来であるという根拠は無いんですよ。] (私がだいぶ前書いた投稿のコピーです) 心と電気的信号が何故イコールなのですか?よく考えてみてください。脳神経の電気的信号なだけだったら無味乾燥な反応でしか無い訳じゃないですか。心には脳神経の電気的信号を超えた何かがあるとしか思えないじゃないですか。それから察するに心は脳という肉体を超えた媒体によるものではないでしょうか。脳はあくまでも心と肉体の連絡役のコンピュータのようなものなのではないでしょうか。 心が肉体由来でないなら、肉体が滅ぶのと関係なく存在する事になります。つまり、生前持っていた意識、個性、記憶などすべて継続する事になるのです。肉体からの反応(感)がなくなるだけです。そして夜夢を見るような感じで心の世界が展開されていくのではないかと思います。 木村藤子さんは、ググッてみたら親交のあるタクシー会社が出てきて、そこに問い合わせれば連絡先を教えてくれるそうですよ。ただし、予約の電話が鳴りっぱなしでなかなかつながらないそうです。下北沢にお住まいだそうです。参考URLに情報乗っけときます。

参考URL:
http://personal.okwave.jp/qa4300156.html
noname#113957
noname#113957
回答No.3

私は人類なので人以外のことは分かりません。 人は肉体と魂で構成されてます。 肉体は現時点で観測可能な物資で、魂は現時点では観測不能な物質。 宇宙の構成物質で既知のものは数パーセントに過ぎず、 他はダークマターとダークエネルギーと呼ばれてます。 ダークマターやダークエネルギーの存在を仮定しないと、 宇宙のバランスが取れてる理由が説明できないからです。 魂はダークマターやダークエネルギーの一種。 肉体の存続の為に欲があり、魂はそれの影響を受けている。 肉体が停止し崩壊が始まった時に、魂は肉体から離れ精霊となる。 欲があるから自我があり、精霊への純化に従い自我は消えて行く。 純化された精霊は宇宙生命(生命中核)と一体となり個は失せるが、 生命中核集合体の中での意識は存在し続ける。

  • umach
  • ベストアンサー率35% (600/1691)
回答No.2

個人的意見を述べます。 意識や自我とは、脳という回路に流れる電流と考えています。 つまり、脳死=意識の消滅です。 幽霊は会った事が無いと言うか存在自体否定しています。 もともと無だったので、元通りになるだけです。 死を怖いと感じるのは生存本能ですよ。 この先あなたの順番は必ず来ますから、それまでに悲観せずに楽しんでおいた方が良いと思います。

s729t
質問者

お礼

やはり、脳死とは意識の消滅ですか。。。 悲しいです。 でも亡くなった方は死後、よく上から見ている と聞きますよね? こればっかりは、霊能者の方などに聞かないと わかりませんが。 そして幽霊の存在を何故否定するんですか? 私の知人にも霊感がある人が何人かいるのですが 嘘をついているとは思えません。 でも、回答してくれて ありがとうございました。