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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:隣国の戦争)
隣国の戦争と吉田茂氏の発言について
このQ&Aのポイント
- 朝鮮戦争は1952年から1953年にかけて行われ、吉田茂氏はこの時期に内閣総理大臣でした。
- 吉田茂氏は隣国の半島の戦争が日本に経済効果と有益性をもたらすと発言したとされています。
- 吉田茂氏の発言は公の場で行われ、その具体的な場面については詳細は不明です。
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お尋ねの(1)について。 朝鮮動乱を当時の首相・吉田茂が、日本にとっては「天佑」と言ったのは事実ですが、発言の詳細は存じておりません。 昭和28年06月18日の衆議院本会議で当時の改進党・須磨議員の発言の抜粋です。 「昭和二十五年六月二十五日動乱勃発の際、わが国政府の要路が、不用意にも、この動乱は天佑であると暴言したと伝えられておりまするが、いやしくも一衣帯水の間にあり・・」 翌19日、当時の日本社会党・岡議員の発言の抜粋です。 「日本経済をこのような不安のはめに追い込んだ最大の責任者こそは、実に朝鮮動乱の勃発を天佑などと言つて迎えた吉田首相そのものの責任ではないか。」 国会議事録を読んでみますと、「天佑」の発言そのものについては、それほど追及されていないようです。 朝鮮動乱を「天佑」と呼んだことに対する国会での発言は、昭和27年07月03日の参議院本会議での日本共産党・須藤議員の発言が最初だと思います。 「平和を守るべきにもかかわらず、隣邦朝鮮の内乱を天佑と喜び・・」と発言していますが、 「天佑」そのものを追及しているわけではありません。 須磨議員の発言「この動乱は天佑であると暴言したと伝えられておりまするが・・」から想像すると、私的な会合で言ったのではないでしょうか。 そうであれば、伝聞の話となりますね。
- 参考URL:
- http://kokkai.ndl.go.jp/
お礼
ありがとう御座いました。 やはり吉田さんでしたか。いいことでは確かにないですが、国のことで苦労していれば、私的な会合で思わず出てしまう気持ちですね。 最近関西の知事さんでも、正直な本音を吐露してしまって、かの都知事までが何か抗議したりしている報道に接して、連想したことでありました。 私としては大事な下村湖人も、これに批判したノートを書いておられるので、重大なことかと思いましたが、天佑でしたか。 まぁ噛み付くような話ではないですね。下村湖人も少し虫の居所が違っていたのかもしれませんし、青年たちの教育者ですから、他の意図があったのかも知れませんね。 ご紹介のURLは、山本宣治などの演説をみる上ではとても貴重ですが、使い慣れないと難しいと存じました。 ありがとう御座いました。公人というのは本当に不自由なものですね。