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EPR パラドックス
EPR パラドックスそわかりやすくまとめるとどういったことなのですか? 色々なことが記述されていますが、どうまとめたらよいのか教えてください。
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光学屋なんで、耳学問の域での理解でお答する非礼をお許しください。 EPRの否定的決着が明らかになったのは、実はアスペらが、ベルの不等式実験を厳密に行った1980年代以降だと思われますから、比較的最近の成果だと、言えるでしょう。 そこで、温故知新、まず歴史を振り返ってみると、 1927年2月、ハイゼンベルクがフェレズ公園を散歩中、有名がγ線顕微鏡の思考実験を思いついて、不確定性原理に至った時点が、20世紀物理における最大の哲学的成果への戦闘開始だったとすれば、ボーア/アインシュタイン論争を経て、1935年3月にアインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンの3人が、EPRを著した時が、古典物理学と20世紀物理学の関ヶ原の決戦だったと言えるかと思います。 相対性理論より、はるかに深遠で人間の想像力を超えたこの哲学は、しかしそのあまりの意外性により、最終検証の最終決着手段もなく、水面下に沈みます。ところが、CERNのベルが1965年頃に、検証可能な不等式を導いてから活性化し、理論・技術両面の進歩で実験が可能になる1980年頃、最終決着へ向かうわけです。 この一連の流れの中で難しいことは 1)不確定性原理、の真の理解 2)EPR論文と、ボーアの反論文の理解 3)ベルの不等式の理解 4)アスペらの実験の原理 でしょうが、じつは1,2,3,4の順番、つまり昔の成果ほど、理解が困難のように思えます。 さて、EPRには、実は2つ知っておくべきことがあります。 1)EPRの主筆が、ドイツから移住したばかりのアインシュタインではなく、ロシアから来てドクターをとったばかりのポドルスキーだったこと。 2)しかも、アインシュタインの分かりやすい明快な議論や思考実験を反映しきれない内容であったこと。 なぜ、ボーアという百戦錬磨の敵に対して、アインシュタインが二軍クラスのドクターをあえてぶつけたのか?そのあたりの事情が、私にはまだよくわかっていないのですが、亡命したばかりで多忙な上、英語に堪能でなかったアインスタインが、あえてポドルスキーにまかせてしまったというところなのかもしれません・・・後で、これほど有名な種論文になるとは予想もしないで。 もし、アインシュタインが、彼一流の明快な語り口で、論文を展開していたら、もっとこの議論は盛り上がったのかもしれません。 このあたりの事情を予め知っていると、ご理解が深まるかと思います。 さて、肝心のEPRを否定する(パラドクスを肯定する)事の本質ですが、たぶん、もうさんざ、啓蒙書レベルの思考実験などは読まれておられることでしょうから、私の理解を一言だけアドバイスとして進呈することで済ませていただく事にしたいと思います。 この世の中は、「時間・空間の中を、場の粒子が動き回っている」というイメージ(実数空間)として存在するのではなく、「4億年前・ある場所でシーラカンスが空に月を見て、そして今、この時間・この空間で、私がパソコンのモニターを見ていたという条件の下に存在する(たとえその事実を記録する素粒子が一粒もなくても)。」という事、すなわち関数空間として存在するという事です。 あなたが、この文字を読んだ瞬間、全宇宙を示す波動関数(状態ベクトル)は「あなたが、この文字を読んだ」という関数に射影するのです。 ですから、4億年前にある星から出たコヒーレントな光子対が、4億光年離れた地球の上で、全く別々の光路を通ってきても、(宇宙全体を示す波動関数が、元々同じ光子であった事を記録しているので)、干渉してCCDの上に像を結ぶのです。その4億年の間に、なに一つの連絡・相互作用を持っているわけでもないのに・・・です。 この事が理解できて、はじめて、EPRパラドクスを受け入れる気持ちになれると思います。
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- Mell-Lily
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量子力学的な相関関係を持つ二つの素粒子が、空間的に離れた位置に存在するとき、一方の素粒子の物理量の測定が、他方の素粒子の物理量を確定するということです。
お礼
イメージがつかみやすくなりました。 ありがとうございます。
お礼
とても詳しい歴史的背景の流れ的なお話をありがとうございます。 まだまだ勉強不足のため、EPRパラドックスをどう受け入れたらよいかはっきりとはわかりませんが、今後もう少し詳しく勉強してみます。