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「怒り」は実在する感情、でしょうか?
こんにちは。 心理学のカテゴリーと迷いましたが、こちらに致しました。 タイトルにあるように、 「怒り」の感情は、皆さんお持ちなのでしょうか? 私は「感じない」のですが、これは何か「問題がある」のでしょうか? 例えば、「理不尽な目に遭った時」。。。 私はひたすら「悲しみ」を憶えます。 どんな目に遭っても(なかなか酷い目にも遭っている、と思うのですが)、「ああ、私は今怒っているんだ」と思う事がありません。 自分に対する「反省」、 相手に対する「想像」、 すれ違いに対する「無念」、 相手に悪意を抱かせてしまった事に対する「哀しさ」。。。等しか、自分の中に見つけられません。 「怒り」は感情の中では「低次なもの」と言う事ですが、 私の他にも「怒りを感じない人」はいらっしゃるのでしょうか? 私は「変」なのでしょうか? いえ。。。「変な人」と評される事には慣れているのですが。。。笑 漠然とした質問で申し訳ないのですが、何か、回答頂けたら、と思っております。 よろしくお願いします。
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フロイトイズムですが どうも怒りというのは解離的現象から発生するそうです 簡単に言うと心理状態をざく斬りされたような現象です。 つまり自我がエスと連動していてそれが現象や他者から エスを自我から解離させられるとその反動で死の欲望〔タナトス〕が 沸いてきます、そのタナトスは自我と連携する ことになります、そのとき何かのある種の現象から エスを自我から受動的(~させられた)に解離させられ ると自我は不満足になりますからその不満足の自我と タナトスが融合するので【破壊性】として現れてくるのだ そうです。 なので怒りでなく悲しみという場合は他者(そのたもろもろ) に破壊性を向けるのではなくその現象に対しての虚しさとし て現れてくるということではないでしょうか? この違いは自我の能力の違いと言えるかもしれません はじめの怒りの方は自我を守るということだと思います 悲しみの方は自我が悟るということだと思います。 ちなみに自我の能動的(~した)なエスの昇華で自我から解離した場合 自我は【~させられた】のではなく【~した】と感じる わけですから満足となりますのでその後タナトスが沸い てくるのですがその場合自我が満足しているので怒りや 悲しみという不の感情ではなく、【安らぎ】とか【落ち着き】 などという【静】の感情が沸いてくるはずです。 つまりこれが超自我となるわけです。 なので育成過程で超自我を形成させるというのはまず自己満足 を旨く果たさせてあげることつまり子供を子供だからというなかば 投げ出しの目でみないということ、つまり自己に対する愛情を注いで やることがまず第一優先です、その後超自我として素敵な敬意とし て帰ってくるのだと思います。
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- bagnacauda
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やあ!ユッキン!おはよう!(笑) #11です。 ■私が「怒りを感じない」と感じた理由は、 *見栄っ張りの性格故、「怒りを人に見せたくない」と望み、 *「怒りを感じて」から「理性的な思考へ移行」する為の「時間の短縮」を長年試みた結果、 *「怒り」をすっ飛ばして、「悲しみ」に飛ぶようになった そうだねぇ…、「怒り」に限らず、感情を露わにしたり一生懸命になったりするのは、あんまり姿美しいモノじゃないという感覚は、誰でも20代くらいまで持っていると思う。 その後、「いや、感情を露わにしても、一歩退いて眺めるもう一人の冷静な自分がいれば、それはそれで良いのだ」と考える人間もいれば、ずっとそのままの人間もいる。 僕がわかっているのは、そんなところかな? 人間の「悪意」とか「底意地の悪さ」みたいなものを上手に発散しないとね♪ ■私が思ったよりもお茶目で気まぐれな方なのでしょうか。。。^^ うん♪ ■「怒り」に限らず、感情を露わにしたり一生懸命になったりするのは、あんまり姿美しいモノじゃないという感覚は、誰でも20代くらいまでの感覚 に相通ずるところがあるのかもしれない。 人間の感情って、たとえ怒りや悲しみであっても、ちょっと見方を変えると「滑稽」だ。 それを弄ぶことは、どんなに知能が低くても、運動能力がなくても、世俗的に評価が低い劣った人間にも、性体験が無くても可能だし、それを一歩離れて眺めれば滑稽でもある。 ただね、僕は、人間怒るときは怒ることで、自分の感情と理性をコントロールすることが出来ることが、「優れている」と思います。 そのためにもやはり、世阿弥とシェークスピアかな?(笑) ついでに、「ショスタコーヴィッチの証言」というでっち上げなんだけれどもとても良く書かれた嘘の本を読みながら、彼の音楽を聴くのも面白い。 ショスタコーヴィッチは、スターリン下のソ連で、様々な怒りや絶望を抱えながら、生きながらえて、膨大な音楽を世に生み出した。 彼の音楽には、間違いなく人間の「怒り」も込められているし、それは美しくすらある。 結局は、能力が低く、知能が低いってみじめなことだ、、、といういつもの結論になってしまうのかも知れない。(笑) ところで、ユッキン!? 僕は、貴方を思って回答すべきではなかったのか?(笑) じゃ♪
お礼
再度の回答ありがとうございます!! 嬉しいな♪ お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 >いや、感情を露わにしても、一歩退いて眺めるもう一人の冷静な自分がいれば、それはそれで良いのだ」 はい。 「あんまり姿美しいモノじゃない」と思いつつも、そんな「人間臭さ」も愛おしく思います。 周りを見回しても、「完璧に見える人」ってあまり好きじゃありません。 特に私は小さい頃から、「何か一癖ある人」「何となく遠巻きにされる人」「イマイチ多数に好かれない人」を「好きになる傾向」があります。 だから、「美しくない=要らない」とは思えないのです。 「存在している=必要なもの」と思います。 何だか、どんな醜いものでも、要らない気がするものでも、悪影響があるようなものでも、「もったいない」「何かに利用出来ないかな?」と思ってしまう貧乏性です。汗 >ただね、僕は、人間怒るときは怒ることで、自分の感情と理性をコントロールすることが出来ることが、「優れている」と思います。 「上手なガス抜き」と言った感じでしょうか。 実際の私は「表現」が「怒りの形式を採る」事が多いです。 でも、「心の中は哀しみでいっぱい」だったりします。 ううーーーん。。。何だかよく判らなくなって来ました。。。 やっぱり、「外見」と「内面」が同じとは限りませんね。 >ショスタコーヴィッチは、スターリン下のソ連で、様々な怒りや絶望を抱えながら、生きながらえて、膨大な音楽を世に生み出した。 >彼の音楽には、間違いなく人間の「怒り」も込められているし、それは美しくすらある。 「音楽」の推薦まで。。。ありがとうございます。 ショスタコービッチって、なかなか聴かないのですが、ちょっと私には「特別な作曲家」なのです。 長年の片思いの彼の一番好きな作曲家でしたから。^^ 今度聴いてみます。 「怒り」と言うのは、「原始的」であるが故に、「膨大なエネルギー」を秘めているものかも知れませんね。 彼は「怒り」を「美と言う生産性に転化した」のですね。 私も「哀しみの先」を見つけないといけませんね。 >僕は、貴方を思って回答すべきではなかったのか?(笑) いいえ。 私を「思いやってくださって」、感謝しております。^^ 力強く奥深い人間らしい回答を頂けて、とても嬉しいです。 ありがとうございました!!^^
脳の神経伝達物質、ホルモンの存在を感情の基点とするならば、脳の研究は未発達ですが、多分(ほぼ間違いなく)怒りは感情ではありません。 根拠は怒りを衝動であると認識していると簡単に抑制できるからです。 私は動物的な威嚇行為としてあえておこることもありますが、そのようなコントロールも衝動に対して行っています。
お礼
こんばんは。 お礼が大変に遅くなりまして、申し訳ありません。 どうも、抽象的な課題なので、頭の中のモヤモヤが「具象化する」のを待つ必要がありまして、遅くなっております。 手前勝手な理由をお許しください。 >怒りは感情ではありません。 >根拠は怒りを衝動であると認識していると簡単に抑制できるからです。 「怒り=衝動」と捉えてよろしいのでしょうか? これはまた「目から鱗」の視点で、驚きはしましたが、とてもすんなりと受け入れられます。 私は、人の感情は、良く言われるように「喜怒哀楽」の四つ、に分けて考えながら、この質問を立てました。 (#6の方が新しい視点を下さっておりますが、今回はこの四つで考えてみたいと思います。) 喜怒哀楽、の四つのうち、「怒り」だけが、どうにも私には「性質が異なる」ように感じられたのです。 喜び/哀しみ/楽しみ。。。この三つは「生産性を含む」ように思えます。 「怒り」だけは、それを含まないように思えたのです。ひたすらに「非生産的な感情」に思えたのです。 この性質の違いを思った時、 これこそが「低次の感情」「最も原始的な感情」とされる根拠なのかしら、と思ったのですが、 「怒り=衝動」とするのならば、また違った考え方が出来るように思えます。 斬新な視点に感謝申し上げます。 ありがとうございました!!
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
はじめまして。(笑) 朝からボケてみました♪ 僕にも「怒り」の感情はあります。 その一方で、他人の怒りを第三者として見た場合、共感できることだけではなく、むしろ「滑稽」に思えることも少なくないという事実も知っています。 当事者は激怒しており、当然の怒りであっても、当事者以外の人間から見ると「何をそんなに怒っているの?バカみたい。(笑)」ということも少なくない。 この世には、怒ってしかるべきことが少なくないです。 金正日だってムガベだって、そうだ。 先日の無免許飲酒運転で3km人間を引きずった話だって怒るべき事だ。 でも、多くの怒りの対象は、当事者以外にとっては、「なんだ、そんなこと?(呆)」ってことが多いのかも知れない。 オバマ次期合衆国大統領は‘Change’という言葉を掲げて勝利しましたが、僕は‘control’という言葉が好きです。 支配ではなく、ちょうどよいぐあいに調節・管理するという意味の‘control’ これは、世阿弥の演劇論である、「離見の見」でもあるし、西洋的な「役になりきる」でもある、そういう「状態」。 漠然とした答えでした♪
お礼
回答ありがとうございます! ハイ、初めまして。^^ 最近穏やかに下火になっていた焚火に「石ころを投げ込んで」、火がはぜるのをお楽しみのご様子。 私が思ったよりもお茶目で気まぐれな方なのでしょうか。。。^^ >その一方で、他人の怒りを第三者として見た場合、共感できることだけではなく、むしろ「滑稽」に思えることも少なくないという事実も知っています。 はい。 その「滑稽に見える自分」が我慢ならない、と言う思いは強くあります。汗 (見栄っ張りです。笑) >この世には、怒ってしかるべきことが少なくないです。 >でも、多くの怒りの対象は、当事者以外にとっては、「なんだ、そんなこと?(呆)」ってことが多いのかも知れない。 この手の「悪意」は、私は「他人事」とは思えないのです。 自分の身に実感するくらい、「想像」してしまいます。 苦しくなります。 そして、「悪意の側」の事情も想像するのですが、「どうしても正義が無い」と思える場合、やはり「絶望的な悲しみ」を感じます。 でも、「どう考えても正義が無い」と結論付く場合って、そんなに多くはない気がします。(甘いですか?) 色々と此処で伺って、考えてみました所、 私が「怒りを感じない」と感じた理由は、 *見栄っ張りの性格故、「怒りを人に見せたくない」と望み、 *「怒りを感じて」から「理性的な思考へ移行」する為の「時間の短縮」を長年試みた結果、 *「怒り」をすっ飛ばして、「悲しみ」に飛ぶようになった 。。。。と言った感じ、かも知れません。(何だか、かなり投げやりな。。。笑) >支配ではなく、ちょうどよいぐあいに調節・管理するという意味の‘control’ はい。「調和」ですね。 以前「音楽にどっぷり」だった頃は、人と自分の間にいつも「和音」を聴いていました。相手によって調も響きも異なるのが楽しくて楽しくて、毎日耳を澄まして生活していました。^^ 今はしばらく離れていますので聴こえなくなっちゃいましたけれど。。。 頑張ります。^^ ありがとうございました!!
- hamakkotarou
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怒りは支配欲に比例すると思います。 ある対象を自分の思い通りにしたい場合に対象が自分の思い通りに ならなければたぶん怒りを感じ,自分の思い通りにするための手段を 尽くすようになるでしょう。 自分の思い通りにならなくていいと思っている対象に対しては 対象がどんなことをしたとしても気にならないので怒りを覚えることは ないはずです。 それから自分の思い通りにしたいことが思い通りにならなくても、それ を許すことができるのならば怒りは軽減できていると思います。 怒りは自分の思いによって現れたり現れなくなっているだけです。 また,怒りと悲しみは表現の仕方が変わっただけだと思います。 対象に対して幻滅を感じていれば怒りではなく悲しみを感じるのだと 思います。
お礼
回答ありがとうございます。 とても新鮮な視点を頂き、感謝しております。 補足も書き込ませて頂きましたので、ご覧頂けましたら嬉しいです。 何だか「独り言をつらつらと。。。」と言った感じになってしまって、頂いた「簡潔で奥深い回答」と月とすっぽん。 自分で読み返して恥ずかしくなっております。 ありがとうございました。
補足
こんにちは。 簡潔ながら、とても奥深い回答で、何度も読み返しました。 ありがとうございます。 >怒りは支配欲に比例すると思います。 「新鮮な視点」にハッと致しました。 「怒りは支配欲に比例する」。。。。「支配欲」ですね。 実は、私は幼い頃から二十歳までは「何かと怒りを感じ易い質」と自覚しておりました。 「怒り」と言っても、「理由の無い事」が嫌いな私ですので、一般的な「反抗期」等と言う形ではなく、「世の中にある理不尽に対する怒り」が多かったように思います。 真面目に働いている両親が、なかなか楽にならず、両親より、遥かに「不真面目そう(ごめんなさい)」に見える人々が「豊かな生活」をしている事、等を「悔しい」「腹立たしい」と心底思っておりました。 そして、私自身に向けられる「理不尽(と勝手に解釈していた)」に対しても、結構「カッとなる」事が多くありました。 おそらくその「癖」は、「二十歳がピーク」だったように思います。 そして、そのピークと、私にとって「理不尽過ぎる理不尽」が同時に降り掛かって来たように思います。(それが「ある大事件」になるのですが。。。) そこで「すっかり立ち位置を見失い」、右往左往する期間が三年程あり、やっと落ち着いて来たかな。。。と言うのが此処五年程です。 そして、気付いてみたら「怒りの感情が薄れている」ように思って、少し不安になったのです。 「怒りが薄れた理由」は、 *自衛の策(これが一番に浮かびました) *人間的成長(育児による忍耐力増強?笑) と私自身は考えております。きっと、この「両方」なのだとは思いますが、気になるのは、「自衛の策」の理由が「より大きく影響していたら。。。」という心配です。 「歪み」や「無理」が在るのなら、「矯正したい」と思ったのです。 >自分の思い通りにならなくていいと思っている対象に対しては >対象がどんなことをしたとしても気にならないので怒りを覚えることは >ないはずです。 これって、私としては「あまりやりたくない感じ方」なのです。 ちょっと「社会に対して無責任な反応」だと感じるからです。 そして、「子を育てる者」として、「あまり相応しくない姿」だと思うからです。 >それから自分の思い通りにしたいことが思い通りにならなくても、 >それを許すことができるのならば怒りは軽減できている 出来れば、こちらの感じ方で生きて行きたい、と思っております。^^ >また,怒りと悲しみは表現の仕方が変わっただけだと思います。 はい。私もそう思い至りました。しかし、 >対象に対して幻滅を感じていれば怒りではなく悲しみを感じるのだと思います。 この部分に関しては、未熟者が失礼ながら、「ちょっと違う」気が致します。(申し訳ありません!) 私は、誰に対しても、何に対しても「希望を捨てたくない」と考えている者です。また、「身勝手な期待(幻)」を持たないように。。。と心掛けております。 ですので、「幻滅」と言う「ネガティブな評価」を、私は「したくない」し、「していないつもり」なのです。 ですから、「悲しみを強く感じる」事は、「怒りを不当にねじ曲げている」可能性が大きいかも知れません。 勿論、私の未熟さ故、自分の中の「ネガティブ評価」を「無視している」可能性も捨て切れませんが。。。汗
- kadowaki
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こんばんは。 心理学にも哲学にも疎いのですが、つい好奇心を刺激させられましたので、ピント外れの回答をさせていただきたくことについてなにとぞご海容のほど願い上げます。 ちなみに、良くも悪くも凡人を自認する私の場合、喜怒哀楽の感情は人並みに持っているつもりですが、その露出、表出の程度となると、周囲の平均的な人間に較べてやや抑制気味かなと自己判断しております。 ところが、わが愚妻ときたら、テレビや新聞、井戸端会議で仕入れてきたネタなどに対して、喜怒哀楽の感情を露骨なまでに表出しないではいられないのです。 今は馴れましたが、結婚した当初は「ハア、世の中にはこういう人種もいるんだ!」と心底驚かされました。 思うに、いわゆる「喜怒哀楽」の基本的感情の中で、「怒り」こそが外界や他者との関係において、最も強烈な感情の化学反応を起こすのではないでしょうか。 人間の場合、怒りと共に交感神経の活性化、血圧上昇、心拍数増加という生理的な変化が認められますが、これと同じ現象が、動物が自分の縄張りに他の動物が浸入してきたときにも生ずるということを何かの本で読んだ覚えがあります。 そういう意味では、やはり、「怒り」は実在する感情と言えるのかもしれません。 で、私としては、「怒り」の有無や強弱ということが、他者との関係におけるどういう気配り、気遣い、深謀遠慮によって規定されているのだろうか?についてずっと興味や関心を抱いてきました。 >私は「感じない」のですが、これは何か「問題がある」のでしょうか? 人間である以上、誰しも《快感原理》に逆らった生き方をするのは不可能だと思いますが、それでも、大人の場合と幼児の場合とでは《快感原理》の表出の仕方が異なり、大人はより《現実原理》を重視しますよね。 たとえば、より長いスパンで利害得失、損得計算をした方が、結果的に《快感原理》に則っているという現実的な判断や対応をしたがるとかというふうに。 素人判断で恐縮ですが、yukkinn66さんの場合、こういう《現実原理》重視が極端な形で出現しているケースとは考えられないでしょうか。 とすると、こういう場合、当然ながら無意識裡においては、「怒り」に対する強い抑圧が掛かっているのではないかなと考えたくなります。 それが現在のところは、「反省」、「想像」、「無念」、「哀しさ」等々という、《現実原理》優先の形に昇華?されているのではないかなと臆測せざるを得ません。 また、こうなった主たる原因・理由となると、やはり、「「ある大事件」、結婚、三度の出産、育児」等々しか考えようがないわけで、私を含めた多くの凡人の場合、「ある大事件」以外の諸経験をくぐり抜けてくる過程で、中途半端に《現実原理》に即した生き方を学習・獲得してきたとすれば、yukkinn66さんの場合、もしかして「ある大事件」が引き金になって、《現実原理》どころか、「怒り」が(仮にせよ)消滅した一極点にまで至り着いてしまったのではないでしょうか。 ちなみに、わが愚妻の場合、「怒り」を含めた喜怒哀楽の感情をほとんど原色のままで平然と露出しながら生活していますので、これは四半世紀ほど共棲してきた愚夫にもよく理解できないのですが、生まれてこの方、対人関係で悩んだようなことが一度でもあったのかなと疑うほどです。
お礼
こんばんは。 回答頂き光栄です。^^ いつも理論立ててすっきりと語られるkadowaki様の回答に読み惚れております。^^ ご自身を >周囲の平均的な人間に較べてやや抑制気味かな とおっしゃり、奥様を >、喜怒哀楽の感情を露骨なまでに表出しないではいられない とおっしゃっておられますが、やっぱり「夫婦は凸凹が合う」のでしょうか^^ 我が家では、私が「まあ、何か事情があったんだよ」と思うのに対して、夫は「まずは怒る!怒る!」汗 毎日「まあまあ、そんなにまでカッカしないで。。。。何か事情があったんだよ」となだめている感じです。^^ でも、その「怒りを表現出来る」夫が羨ましくもあります。(ちょっとうるさいけど。) 私は違法駐輪の道を塞ぐ自転車を、「蹴っ飛ばす」なんて出来ませんから。汗 本当は腸煮えくり返っていたりしますけれど。 あれあれ?やっぱり「気付いていない」だけで、「怒りを生じる事はある」じゃない?? やっぱり「頻度の激減」のようですね。 >「喜怒哀楽」の基本的感情の中で、「怒り」こそが外界や他者との関係において、最も強烈な感情の化学反応を起こす #12の方が「怒りは感情ではなく、衝動だ」とおっしゃっておられますが、それもこういう事なのでしょうね。 そして、《快感原理》と《現実原理》。。。。 皆様へのお礼のあちこちに、「怒りに対する嫌悪感」を書いておりますが、それを持ち続け、改善を試みた結果が「現状」である事は認識しています。 その「改善」を「劇的に促進」させたのは、kadowaki様がご指摘の、 >「ある大事件」が引き金になって、《現実原理》どころか、「怒り」が(仮にせよ)消滅した一極点にまで至り着いてしまったのではないでしょうか。 これはやはり認めざるを得ない、のですね。。。 出来れば、これと関連づけたくない、と思っていたのですが。。。 私の「負の記憶」です。 でも、この経験によって、自己変革が出来つつあるのなら、報われるような気がします。 後は「無理がたたって逆行(=《快感原理》まっしぐら!!)」しないように気をつけねばなりませんね。^^ 素敵な奥様と、お風邪等召されませんよう、お気をつけて。。。。 ありがとうございました!!
- bobanga
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こんばんは。 不安な気持ち、お察しします。 >私は「感じない」のですが、これは何か「問題がある」のでしょうか? 掲示板のやり取りだけで断定することはできませんが、 日常生活に支障が無いなら、気にする必要は無いと思いますよ。 もし日常生活に何らかの支障が出ているなら、それは治療の対象ですが。 >例えば、「理不尽な目に遭った時」。。。 >私はひたすら「悲しみ」を憶えます。 >どんな目に遭っても(なかなか酷い目にも遭っている、と思うのですが)、「ああ、私は今怒っているんだ」と思う事がありません。 >自分に対する「反省」、 >相手に対する「想像」、 >すれ違いに対する「無念」、 >相手に悪意を抱かせてしまった事に対する「哀しさ」。。。等しか、自分の中に見つけられません。 >実は、二十歳の頃までは「頻繁に感じていた」気が致します。 >でも、「ある大事件」、結婚、三度の出産、育児と体験して来る中で、最近はこの感情が「薄れて来た」または、「頻度が格段に減った」と感じるのです。 >それこそ、「怒りって何?」と言った感覚なのです。 様々な経験により、パーソナリティが良い感じに成長したのでは? 激しい怒りを抱きやすいクライアントに対して、 質問者様のような状態になることを勧める先生も居ますよね。 >ところで、私自身は「怒り」と言う感情に、「理不尽」と「非人間的」なもの、を強く感じます。そして、「理不尽に自分を突き動かす」感情である「怒り」を、私は物心ついて以来、「毛嫌い」して来たように思います。 >「理不尽」「非人間的」加えて、「幼稚」と言ったところでしょうか。。。 >「怒りが薄れている」今の自分の方が、「怒りに突き動かされていた」頃の自分より、「格段に人間味がある」ように思えるのです。 >こんな自分の感覚が、「正しい」のか、それとも、「何かを無くしてしまった」と言う事なのか、。。。。と少し不安になり、質問させて頂いた次第です。 以下の書籍をお勧めします。 どちらも一般向けの書籍ですから、わかりやすく書いてあります。 (読めば「私は正しい」と安心できるんじゃないかなぁ? という気はします) http://www.amazon.co.jp/%E6%80%92%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E2%80%95%E5%BD%B9%E7%AB%8B%E3%81%A4%E5%88%9D%E6%9C%9F%E4%BB%8F%E6%95%99%E6%B3%95%E8%A9%B1%E3%80%881%E3%80%89-%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%A0%E3%83%83%E3%83%AC-%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9/dp/4901679201 http://www.amazon.co.jp/%E6%80%92%E3%82%8A%E3%82%92%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%80%81%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BA%BA%E2%80%95%E7%90%86%E6%80%A7%E6%84%9F%E6%83%85%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%82%E6%B3%95-REBT-%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%80%92%E3%82%8A%E3%81%AE%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E6%B3%95-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B9/dp/4760821384 因みに…… >「怒り」の感情は、皆さんお持ちなのでしょうか? まだまだ人間ができていないので、怒りが生じることも多々あります(汗) 参考になれば幸いです。
お礼
こんばんは。 お礼が遅くなりまして申し訳ありません。 判り易く暖かい回答に感謝致します!^^ >もし日常生活に何らかの支障が出ているなら、それは治療の対象ですが。 「今の所」、「支障」は感じないのですが、此処まで20数年生きてきまして、自分の事を「つい自分を無視し易い人間」の上、「無理が長続きする」と自覚しておりますので、「支障の早期発見」のつもりで質問させて頂きました。^^ 「気付いた時にはニッチもサッチも。。。汗」と言う事が何度か有りますので。。。 >様々な経験により、パーソナリティが良い感じに成長したのでは? そうだと良いですよね!エヘッ。。。 「そう言う部分」もある、と冷静に見ても思うのですが、「心配性」の性格故、「他の可能性の検証」をせずにはいられないのです。。。涙 でも、こちらで様々な知識を頂きまして、「無理せず気を付ける方法」が見えつつあります。 本の紹介、ありがとうございます。 「自分の心を歪める事無く、穏やかにすべてを受け入れ、自分の道を行く」事が出来たら、嬉しいですよね。 ありがとうございました!!
- magga
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感情は大きく別けて 「 怒り 」拒否感・不満感・除けようとする 「 欲 」引き入れようとする 「 無知 」混乱・眠気・気力減退 の三つに別けられると思います。 自己の中に有る暗い感情である拒否感・不満感の認識を見誤っているのでなくて、怒りが少ないのならばそれはすばらしいことと思います。 完全に感じない人は「阿羅漢」となると思いますw 「現代人のための瞑想法」をオススメしときますw もし怒りが少ない方ならばより冥想の効果を実感できると思いますよ。
お礼
回答をありがとうございます。 お礼が大変遅くなってしまいまして、とても申し訳なく思っております。 どうかお許しください。 >感情は大きく別けて >「 怒り 」拒否感・不満感・除けようとする >「 欲 」引き入れようとする >「 無知 」混乱・眠気・気力減退 こういう分け方も有るのですね! 何だか「感情」って、とても「それだけで語れるもの」ではないですね。。。。 >自己の中に有る暗い感情である拒否感・不満感 はい。 私は「暗いもの」「醜いもの」が嫌いです。 世の中には様々なもの、人が溢れていますけれど、私は「生物は、明るいもの、美しいものを見て、目指して生きるべきだ」と考えております。 そうする事が「先物としての自然」であると思うのです。^^ 「暗いもの/醜いもの」を「否定する/捨てる」のでは無く、共存しつつ決して「それが主流」にならぬように心掛けて行く。 これこそが「調和」ではないかな?と考えております。 私が私の中で行いたい「調和」は、「怒りを消す」のではなく、「怒りの生じる切っ掛けや様子」を把握し、そのエネルギーを「より生産的なものに変換したい」と言う事です。 ここで皆様の回答を頂き、このように纏まって来ました。 >「現代人のための瞑想法」をオススメしときますw はい。ありがとうございます。 探して読んでみたいと思います。 本当にありがとうございました!!^^
>私は「感じない」のですが、これは何か「問題がある」のでしょうか? 私も過去、そのように感じた時期があります。 これから書くことはyukkinn66様のことじゃなく私自身のことです。 私も怒りを「感じない」時期があり自分に問題があると感じた時期がありました。 そしてそれは今思えばその通りでした。 私は夫の両親と同居で子供生んだ後「社会不安障害」という病気になりました。 義両親の前で良い嫁になろう。親の前では問題のない嫁にいった娘を演じ、辛いことがあってもそれを飲み込んで夫の前でも誰の悪口を言わず怒りも悲しみも感じまいとしておりました。 私は言われた事を受け入れることができず、それでも怒りや悲しみの感情も発することができず「抑圧」された感情はどんどん大きくなり、忘れようとすればするほど、自分でなんでもない、なんでもないと言い聞かせようとすればするほどその葛藤は大きくなりそれが不安を大きくしてきました。 認める、受け止めることが出来ないから怒りや悲しみの感情を否定する感情の抑制があります。 よって感じないとするならば一度是非専門家へ相談をされることをお勧めいたします。 人を憎んだり恨んだり怒りをもち続けることは大変ですが、放棄することもどこかで歯車がおかしくなってしまうでしょう。 今はストレスがありますか?それはきちんと正面から受け止めることができますか? 受け止めることが出来ないからその感情を封鎖していませんか? 怒りで悲しむ自分を受け入れることができないのではありませんか? 変な人というよりもとても精神的に心配だと思います。 どうぞお大事になさってください。
お礼
こんにちは。 暖かい回答をありがとうございます。 実は、私は鬱病の治療中でもあるのですが、kelly585様もちょっと近い感じですね。。。^^ お加減はよろしいのでしょうか? ご無理なさらないでくださいね。 >認める、受け止めることが出来ないから怒りや悲しみの感情を否定する感情の抑制があります。 はい、「自己防衛」の為の策、ですね。 私も気付いた時点で、真っ先にこれを疑いました。 実際に記憶と感受性を「自分の意志で封じた」時期も在りましたので。(やれやれ。。。ですね。汗) でも、今回は「何だか違う」気がする、のです。 このgooでも、鬱病等を患う方々をよく見掛けますが、意外と「他罰的」な方が多いのだな。。。と驚いています。 「外へ発せる」と言う事は、時に私には「羨ましく」さえ思えます。 そうは言っても、「他人に刃を向けない自分」が、私は結構好きなのですが。。。^^ んーーー。。。「怒りを消化する方法」を「会得」した、と言う事なのかな、とも思います。 この質問を立ててから、もう一度自分の中を深く探ってみたのですが、 どうやら、「怒りを感じてから」「理性的な思考に移るまで」の「所要時間」が、かなり短くなった可能性もあるかな。。。と思いました。 きっと、「怒りを感じなくなった」と私が感じる理由には、「いくつかの場合分け(条件分け?)」が出来るのだと言う気がします。 「怒りの対象」によっては、kelly585様のおっしゃる「感情の封鎖」をしている場合もあるのだと感じます。 ご心配頂きありがとうございます。 kelly585様も、どうかお大事になさってください。
- maimaisus
- ベストアンサー率8% (6/75)
回答になっていなかったらすいません。 怒りを感じないって事は、逆に喜ぶ事の感動も薄れて来ていると思いますが、いかがでしょうか? 多分、あなたは、感覚的に物事を判断しないタイプの人ではないかと思います。 もしくは、たんに、怒りと言う感情を否定しているだけかも知れません。過去に怒る事で大きな過ちをおかしているとか、そう言った事があると、そうなりやすですね経験からすると。
お礼
お礼が遅れて申し訳ありません。 >回答になっていなかったらすいません。 いいえ、とんでもない。 とても「深い問いかけ」に感謝しております。^^ >怒りを感じないって事は、逆に喜ぶ事の感動も薄れて来ていると思いますが、いかがでしょうか? そうですね。。。ついつい「ネガティブな感情」に気を取られがちで、「喜ぶ」「楽しむ」「嬉しい」等についてはあまり気にしていませんでした。 んーー。。。「感情を表現する」のが「苦手」なのは確か、です。 さらに、その為に「感情をそのまま感じる」事も「苦手」。。。と言うか「一瞬躊躇う癖」があるように思います。(臆病者です。。。。涙) もうちょっと、「先の見えない心の動き」を「おおらかに捉える必要」があるのかも知れませんね。 ところで、 >過去に怒る事で大きな過ちをおかしているとか、 これって、「経験無い人」っているのでしょうか? ん。。。?やっぱり私が「臆病者」なのかな。。。。涙 ううーーーん。。。 ありがとうございました! 頂いた回答を参考に、もう少し「自分の心の動き」を探ってみます。
- Butz
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こんばんわ★ >「怒り」は実在する感情、でしょうか? 私は実在すると思う方ですね。 私自身あまり怒らないのですがたまにやっぱり怒ります。 それは自分の大事な友達の事を馬鹿にされたり、けなされた時です。 自分の事は無関心なので怒りませんが、友達の事を言われた時は例え親、兄弟であっても怒りを覚えますね。
お礼
こんばんは。 >私は実在すると思う方ですね。 そうですね。私自身、「完全に感じていない」訳では無いようです。 >私自身あまり怒らないのですがたまにやっぱり怒ります。 >それは自分の大事な友達の事を馬鹿にされたり、けなされた時です。 はい。 私も「こどもの安全」と「夫の人格」が関わった時は「怒り」を感じると思います。 「怒りのセンサー」が「反応するもの」「反応しにくいもの」が在るようです。^^ >自分の事は無関心なので怒りませんが、 はい。私も、です。^^ 私に関して「理不尽な事』に遭ったら、やっぱり「怒り」ではなく「悲しみ」なのです。。。 まあ。。。。いいのかな。。。。? 「自分よりもこども!」の育児期に特有の感情の動きかも知れませんね。 簡潔で判り易い回答に感謝致します!! ありがとうございました。
お礼
回答頂き、ありがとうございます。 >怒りは解離的現象から発生する つまり、外からの刺激に対する「自己防衛の手段のひとつ」と言う事でよろしいでしょうか? >エスを自我から受動的(~させられた)に解離させられると >【破壊性】として現れてくる 破壊性。。。と言う言葉にハッと致しました。 そうなのです。「怒り」に潜む「非生産性」が私は嫌いなのです。 >自我の能動的(~した)なエスの昇華で自我から解離した場合 >自我は満足となりますので >【安らぎ】とか【落ち着き】などという【静】の感情が沸いてくる うーーーん。。。要は、「自分の言動全て」に「自分の意志を意識」していれば、「刺激に対応する反応」は「生産的なもの」になる、と勝手に解釈しました。^^ 二十歳のある大事件、ですが、 あれは、あまりにも「自分の意図と乖離した結果」が出てしまい、呆然としたのです。 自分の善意が悪意にすり替えられる。 努力が他人の業績になり、立場がすり替えられる。 私が護って来たものが、悉く破壊されており、その事にその時まで全く気付いていなかった「自分の落ち度」。 「あーーー私は無意味な事をしていたんだ」と当時は思いました。 でも、その時迄の「自分の努力」を「間違っていた』とは、私はどうしても思えず、何年も堂々巡りに考えて来ました。 まあ、「他人に対して責任を持とう」とした事、「責任の範囲」を間違えていたのかな。。。と。 それは、こども達を世話していても思います。 こどもが牛乳のコップをひっくり返したからと言って、「私が手伝っていれば」「私が少なく注いでいれば」等と、考えたって「出来っこ無い」のです。 怪獣は三人、対するこちらは私一人、なのですから。^^ その代わり、自分の言動は強く意識し、忘れないようになった気がします。 勿論、「こども達の失敗」が「私の失敗」にならないように「言い訳の為の資料集め」です。笑 そっかーーーこの方法、ちょっと嫌だなと思っていたのですけれど、結構生産的なんじゃありませんか!笑 。。。と、勝手に結論付けて喜んでおりますが、 「解釈に間違い」がありましたら、訂正をお願い出来ますでしょうか? あーーーでも、何だか「すっきり!」してしまいました。 ありがとうございました!!^^