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行政法上の許可と特許の差異について

行政法上、許可は、命令的行為として、一般的禁止を特定の場合に解除する行為とされ、特許は、形成的行為として、特定の権利、包括的な法律関係を設定する行為とされています。 そして、両者の差異は、命令的行為と形成的行為であることの性質上、対象となる権利が、国民が生まれながらに有している活動の権利であるかにかかってくるのかと思うのですが、この判別が難しいです。 例えば、自動車の運転免許は、許可ですが、道路運送事業の免許は、特許です。 同様に、公衆浴場の営業免許は、許可ですが、道路運送事業の免許や鉱業権設定の許可は、特許です。 こうなってくると、何をもって「生まれながらの権利」とするかという解決されない問題に陥るような気もするのですが、この判別は、実際のところ、覚えるしか方法はないのでしょうか? ご回答よろしくお願い致します。

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回答No.2

覚えるというか…。 個々の事案について、個別に検討して理解する以外にないようですね。 そもそも、ある行為についての免許制度が、講学上の許可であるのか、特許であるのかという区別(つまり、質問者さまがいうところの「国民が生まれながらに有している活動の権利であるか」の区別)も、明確に線引きができるものではなく、実は相対的なものでしかありませんから。 たとえば、自動車の運転免許。 道路交通法によれば、同法の目的は、「この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。」(第1条)という、かなり消極的なものです。これは、道路交通というのは、本来、旅行の自由(居所移転の自由・憲法22条)の保障ともあいまって、国民が自由にできるはずのものであるという理解から出発していると思います。ですから、同法に基づく車の運転の免許も、本来は「国民が生まれながらに有している活動の権利」を、公共の福祉の観点から一般に規制し、特定の場合(試験に受かった場合)にだけその禁止を解除するという「(講学上の)許可」なのでしょう。 一方、鉱物(地下資源)というのは国の所有物ですから、それを誰に掘らせるかは国の自由ということで、鉱物を掘る権利は「国民が生まれながらに有している活動の権利」とはいえないと思います(誰しも、他人の所有物を処分する権限を持たないから。)そうすると、鉱物の採掘の許可というのは「(講学上の)特許」というふうに理解できそうです。 講学上の許可と特許とについて、言ってみれば、これらが両極端のケースではないかと思います。 そこで、次に、道路運送法を見ると、どうなるでしょうか。 同法の目的は、「貨物自動車運送事業法…と相まって、道路運送事業の運営を適正かつ合理的なものとし、…道路運送の総合的な発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とする」ものであるとされ、具体的にどういうふうに「道路運送の総合的な発達を図」ってゆくかは、国土交通大臣の政策的判断に委ねられるような組み立てになっています。その背景を考えると、おそらく、道路運送という仕事やその健全育成ということは、国の交通政策全体の中で、どのように位置づけるかという国土交通大臣の裁量的判断が必要だから、ということでしょう。そう考えると、本来、営業の自由(憲法29条参照)が保障されるとはいいつつ、(国の交通政策全体とは関係なく無限定に)道路運送営業を営むことが「国民が生まれながらに有している活動の権利である」とは、いえないように思います。 そうすると、道路運送営業の免許は「(講学上の)特許」ということになりそうです。 もっとも、自動車の運転免許にしろ、将来、あまりに自動車の台数が増えて、道路という量的に有限な公物の上で、誰に、どのような目的で自動車の運転を許すことが国民の福祉の増進に結びつくかという政策的判断が必要な社会情勢に、もし仮になれば、そのときは、自動車の運転免許だって、「(講学上の)特許」であると理解される日が来るかも知れません。 私は、両者の区別を、あまり限定的・形式的に理解しないほうが良いのではないかと考えています。

  • h2goam
  • ベストアンサー率27% (213/786)
回答No.1

行政法に関しては結局覚えるしかないですよ。 行政法は結局行政法学ともいえる社会科学なので今回の質問の絶対的回答が出るものではないのです。 覚えるといっても何のために覚えるかによって覚えるべき範囲は変わって来ますが質問の内容の範囲なんて基本的に如何でも良いことなので全部覚える必要はないですね。 試験等に必要な範囲で覚えてください。

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