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私と母は共依存であると指摘されました。
私は、今精神科に通院中の身で、主治医からボーダーライン人格障害との診断を受け、それとは別に、カウンセラーから自己愛性人格障害との指摘を受けています。 私は母に、悩み事や日々何を感じたかなど、心のうちを 何でも話してしまいます。 また、今私は母とは別に暮らしていますが、毎日のように電話をして話を聞いてもらいたいと思っています。 そんなふうでありながら、私は反面、母に暴言、暴力を振るってしまうことがあります。 それは私の気持ちをちゃんと正確に受け止めてもらえなかったり、だめだしをされたり、神経をさかなでられたりと言った場合に起き、母に暴言をはいたあと、自責の念にとらわれ、ODなどせずにいられない気分になります。それは、母に申し訳ないという気持ちではなく、母に対していまだ攻撃する自分を恥じることか起きるものです。 カウンセラーからは私と母の関係を「共依存」と指摘されました。 共依存が、アルコール問題等を抱えた人の夫婦関係などに見られる、ということも知っています。 私の場合はアルコールの問題ではないし、共依存といっても、私の場合、どのあたりが共依存なのかわかりません。 セラピストに聞いてみれば良い話ですが・・・ 私自身で調べたところ、共依存者は依存されることに依存している、といったものでした。私は母に依存しており、それを母は必要としているのでしょうか? 母は確かに、「私がいなくなったら生きていけるのだろうか」と思っているようでもあります。 そんなことを改まって口に出すことはしませんが・・・ 私と母の共依存関係が不健全なよからぬものだとして、どうしていくべきでしょうか? 私はすぐに母に電話したり、会いに行きたくなってしまいますが、その気持ちを我慢して、母と接触する機会を減らすことが、この問題の解決になるのでしょうか? 我慢していたのでは、何か意味がないような気もします。 しかし、私は母と同居していたときは、もっと暴力などが激しく深刻でした。別居してからは、物理的にできにくいということもあり、減ってきてはいます。 このことをどのように考えていけばよいのでしょうか。
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- taksa
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はじめまして 共依存関係とのことですが、質問者様の質問文を読む限りでは共依存ではないと感じました。 質問者様は小さい頃(子供のとき)にお母さんに甘えられていましたか? 小さい時に両親の愛情に接していられないと、大人になりきれない状態(世間一般で言う【アダルトチルドレン】に近い感じ)だと思います。 自分は医者ではないので断言はできませんし、思い違いかもしれませんが、自分にも似たようなところがある為、気持ちはわかります。 一度、精神科の医者かカウンセラーに相談してみてはいかがでしょうか? すぐには無理でも自立できないといけないと自分は言われましたので・・・ 質問者様の参考になれば嬉しいです。
- spoonhat
- ベストアンサー率0% (0/4)
母に毎日電話していろいろ話す親子はどこにでもいます。私の知り合いは結婚していますが、実家の母に電話はもちろん風邪を母がひけば娘が、いっしょに病院、そのあと母とお買い物お食事。よく行く旅行もいっしょ。嫁ぎ先の家には自分の母専用のはぶらし、ちゃわんもあるそうです。母は娘をたよりきり娘も母がいきがいです。まさに共依存関係です。が問題がなにも起きてません。なので共依存だから問題だとはいえないのではないでしょうか。 暴力という問題は別居ということでかなり効果があるのでは。 依存関係だけを原因にしない方がいいと思います。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 そういう仲良し親子も大勢いるのですね。ちょっと安心しました。 ただ、その親子の場合、母が娘を頼っているのですね。 私は私が母に依存しており、母はそれに応えている、といった風でしょうか、、、暴力という問題は依存関係だけが原因ではないのでしょうか・・・
- hipotama
- ベストアンサー率50% (116/231)
「共依存といっても、私の場合、どのあたりが共依存なのかわかりません。」という質問から答えていきたいと思います。文面からは詳しいことは分かりませんので、一般論になってしまうと思います。共依存はアルコール依存症の家庭でなくても起こると思います。DVの家庭で暴力を振るう旦那さんに、離婚しようとしない奥さんの場合を考えてみます。いくら暴力を振るわれても、「私がいなければ主人はダメになってしまう。」と考えずるずると泥沼に入り込んでしまいます。DVだけでなく、借金を繰り返す、ギャンブルに走るなどの例もあります。それは、夫婦だけでなく友人関係でも起きるし、下手すればカウンセラーとクライアントの治療関係でも起きることもあります。 ところで、質問者の場合は乳離れ、子別れができないのではないでしょうか。一般にある程度の年齢に達した親子は、それを自然に行います。しかし、親心としては何時までも子供は子供として見てしまう傾向があります。しかし、ある程度の時期になれば子供を一つの人格を持った人間として接する様になります。しかし、質問者の場合お母さんは子供が境界性人格障害ということで、いつまでも「私がいなければ子供がダメになってしまう。」と考え子別れできないと思います。 一方、子供の方は人格が発達してきて、いつかは親の庇護から巣立ち乳離れします。質問者の場合は境界性人格障害ということで、その疾病の特徴である「見捨てられ恐怖」の為に乳離れできないのではないでしょうか。そんな情況を見て、カウンセラーは「共依存」と見立てたのでしょう。 それでは今後どうしたら良いかということに書きたいと思います。境界性人格障害の人は、「十分に自分が受け入れられた」という実感が持てないのだと思います。その実感が持てないために、何時か自分は見捨てられるのではないかという恐怖をいつも持っているのだと思います。その恐怖を自分で克服するために、この障害の特徴である「賞賛とこき下ろし」があると思います。この障害のある人達に接するには「十分に受け入れ」ながら、「ある程度の距離」を取ることが必要になってきます。 お母さんと別居しているというのは、カウンセラーの勧めだったのでしょうか。物理的に距離を取るということは良いことだと思います。次に「十分に受け入れる」ということですが、質問者は「私はすぐに母に電話したり、会いに行きたくなってしまいますが、その気持ちを我慢して、母と接触する機会を減らすことが、この問題の解決になるのでしょうか?」と書いています。別に我慢する必要はないと思います。ただ方法が問題になると思います。直接会いに行ったり、電話では感情的になって何の問題の解決になりません。 携帯のメールを使って、自分の思いを伝えてはどうでしょうか。文章ですと、自分を客観的に見られます。質問者は「母に暴言をはいたあと、自責の念にとらわれ」と書いていますが、その瞬間は怒っていても文章を書いている内に冷静になれます。パソコンでなく携帯といったのは、携帯では送信できる文字数が制限されているので、自分の思いをまとめなくてはなりません。それで、更に自分を客観的に見られます。 この方法は、中3の境界性人格障害が疑われる女の子と1年間接した時に用いました。その期間はその子は安定していました。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 母が子離れしていない、という点については、疑問なのです。母は私を年相応の、大人として扱おうとしているが、私が子どもでいようとして、母を追っているという風なのです。 子供のときから、母に十分に甘えられた、母から可愛がられた、という実感は持てませんでした。むしろ、だめな子と見られていた、早く自立してくれれば良いのに、と思われていたという感覚があります。常に寂しさを抱えていたと思います。それで私が母にしがみつくわけです。 そういう状態の私を、(境界性人格障害かどうかということとは別に)母が見ていて、私なしで大丈夫だろうかと考えているのではないかと思います。 改善策としての、携帯メールのみのやりとりに関しては、寂しさを感じます。 境界性人格障害の特徴としてあげられる「見捨てられ」という言葉に関して、私はぴんと来ないのですが、よくよく考えてみると、母から見捨てられた、ほかにも父から見捨てられたときも、逆上して暴言、暴力に訴えていると思います。
お礼
私は共依存と呼ばれるものとは違うのでしょうか。 私は小さい頃、遠慮がちな子供でした。 それに私は双子だったため、母親が子供にかける分量も 少なかったのではないかと思います。 そのうえ、母は家事などを完璧にこなしたいタイプで、それもおそらく しっかりと時間をかけて行うほうだったので、子供のほうをあまり注意してみていなかったのではないかと推測されるのです。 それで、私は甘えたいけれど、十分に甘えられたとは思えないんです。 アダルトチルドレンという言葉の、本来的な意味は、機能不全家族のもとで育った成人した子供、という意味のようですが、一般的には大人こども、のようにとらえられているようですね。私も一般的な意味におけるおとなこどもであると思います。精神科医、カウンセラーにはかかっています。カウンセラーに、共依存であると指摘されました。