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念書について
私事ではなく、友人の夫婦間の問題についてなんですが、 助言をいただければと思います。 友人は結婚して20年ほどになります。 友人の旦那様は、恐い人で頻繁ではないですが、気に入らないことが あると友人に暴力をふるっていました。 お酒もよく飲み、よく暴れて友人を困らせていました。 そんな生活がいやになり、3年ほど別居生活をしていましたが、旦那様から「気に入らないところは全部直すし、酒も飲まないし暴力もふらないし、大切にするから帰ってきてほしい」といわれ、帰る 準備を進めています。私からみても旦那様は丸くなったように感じましたが人の本質はなかなか変えられないもの。「暴力をふるわずやさしく します。しなかったら慰謝料を払い、離婚します。」というような内容の念書を作成したほうがいいとアドバイスしました。 友人は、今せっかっく関係がよくなったのに、形式的な文章を みせると旦那様の機嫌が悪くなりそうで、言い出せないとの事です。 念書はやはり形式的ではないとだめですか?もっと簡単に 約束事のような感じで書くだけではだめなのでせようか? 他にも何か気をつけておくほうがいいことなど、 アドバイスがあれば教えてください。
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No.3の者です。念のため追記しますね。 法的拘束力ある内容を記載した念書は、その内容につき一定の証拠となり得ます。例えば、金銭借入の事実を記載し、返済日・返済方法等を記載した念書は、金銭消費貸借契約およびそれに基づく返済についての証拠として採用され得ます。裁判実務でそのように扱われていますから、弁護士実務でも同様です。 要するに、実務では「念書」というタイトルに縛られていないということです。 この理は「覚書」でも同様です。裁判実務において、契約の内容となりうるものを記載した「覚書」は、証拠方法上「契約書」として扱われます。中央線云々の記述も見られますが、それはJRが「『その』覚書には法的拘束力がない」との立場を採ったものであり、覚書の一般論として述べたものではありません。 また、法的拘束力のない内容を記載した「念書」については、裁判官の心証を得るための間接証拠ないし補助証拠として活用できます。この点、本人の署名ないし記名押印ある「念書」は、上手に主張すればその記載内容につき有利に活用できます。 もちろん、心証の問題ですから「有利になり得るが不利になることもある」というのは否めませんが、少なくとも実務は、相手方の反論があればそれで「終わり」などという単純構造になっていませんし、心証の問題は実際に事件を担当した裁判官や調停員がどのような印象を持つかの問題であって、第三者が断定できるものではありません(私は「役立つ」と述べたに留まります)。それから、署名や記名押印が本人のものかどうかで相手方が争ってくることもありますが、それは記載内容の活用とは別問題です。
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- hahahapart
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証拠には「証拠価値」と「証拠能力」の二つの考え方があります。 一般的に裁判ではどのような証拠を提出してもOKであり、それは証拠価値の問題です。 しかし実際にそれを証拠能力ありとして判決の決定打にするかどうかは個々ケースバイケースです。 金銭消費貸借契約について話が出ましたので、事例を。 最近グレーゾーン金利というのが問題となりましたが、本来は貸金業規正法の上限金利である18%が本来の金利であるが、借主が同意しているのであれば出資法の上限金利まではOKというのが問題となりました。 当然消費者金融側は「同意している」として、契約書などを裁判所に証拠提出しますが、裁判所では「同意契約は成立していない」として差額を返しなさいというのがグレーゾーン金利問題です。 つまり、契約書でも念書でも覚書でもいいのですが、そういう書面があったとして裁判になって提出すれば証拠価値はあったとしても、最終的な審議において証拠能力なしと判断されるケースがままあります。 ですから念書があれば、契約書があれば絶対だという思い込みは皮算用もいいところです。 その契約が有効に締結されていなければなりませんし、締結されていたとしても違法なものや公序良俗に反していればその契約自体が無効です。 さらに言えば錯誤に基づく契約であれば、これもまた無効です(民法第95条) そもそもこの話、裁判における証拠能力の話をしているのではなく、念書そのものの法的拘束力の話題ですから、ちょっと飛躍した論議の持込なんですけどね。 例えば接近禁止の仮処分命令をとったところで、刃物もって突進してくる人にはそんな命令書ただの紙切れでしかありません。 殺そうと決意してやってくる人にそんな命令書かざしても糞の役にも立ちません。
- hahahapart
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「念書」とか「覚書」という類のものは法的拘束力はまったくありません。 だからこそ、裁判所などを使わず示談した場合、公正証書にしろと言うのも理由の一つです 実際に実例があり、国鉄(現在のJR)と東京都杉並区役所の間で中央線は立川までの複々線が完成するまでの間、杉並区内の駅には平日快速を停車させますという覚書が交わされています。 しかしJRは「覚書には法的拘束力がない」として、それを一部無視した運行を現在は行っています。 JRが無視したダイヤを組んだとき、当時のマスコミもずいぶんと騒いだものです。 念書だとか覚書なんていうものはその程度のものです。 さらに言えば裁判所の民事での判決ですから法的拘束力はありません。 相手に賠償命令が出ても、それだけでは強制的な取立てをできず、差し押さえをするのはあくまで別な事件です。 仮に今後離婚裁判などに発展した場合、証拠として提出することはいいとしても、相手が「そんな物書いていない」「サインは捏造された、印鑑は同じ家に住んでいるのだから自由に使える」と反論されれば終わりです。 後は裁判官がどう判断するかですが、証拠能力が著しく低下することは避けられません。 だからこそ公正証書にするのです。 また、有利かどうかも微妙です。 それはその内容が反省を促しているとはいえ一方的であり、公序良俗に反しているともとられかねません。 さらに言えば「やさしくする」という定義もあいまいであり、定義があいまいな和解と言うのは本来成立しません。 実際この点が争いになると「俺は優しくした」「私は優しくされていない」と言い出すと、その判断は何を基準にすればいいのでしょうか?このように定義をつけられないものは本来、念書などに入れられません。 そうすると、念書はないよりはいいという程度であり、それが絶大な法的強制力を有しているわけではないので、あまり皮算用にならないことです。
- ok2007
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念書は、法的拘束力のある内容がそこに記載されていれば、相手方の債務不履行等を立証するのに利用できますから、法律上十分に意味のあるものだといえます。 また、法的拘束力のない内容が記載されているときも、当事者が任意に意思・観念等を通知したものとして、裁判官等の心証を得るのに役立ちます。 お書きの「暴力をふるわずやさしくします。しなかったら慰謝料を払い、離婚します。」との内容は、法的拘束力のないものと考えられます。そのため、離婚調停・離婚訴訟において、調停員や裁判官の(その奥様にとって)有利な心証を得るのに役立つといえます。 念書の記載方法は、特に様式があるわけでもなく、また制限があるわけでもありません。そのため、「形式的な文章」でも構いませんし「約束事のような感じで書く」のでも構いません。 なお、お書きの事実関係においては、「寝た子を起こす」ことにならないよう細心の注意をすべきと思います。
- hahahapart
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ANo.1氏言われているように念書には法的拘束力がまったくありません。 良いとか悪いとか何についていっているのかよくわかりません。 念書書いたところで、いざ暴力振るおうとしたときにそれをかざせばおとなしくなると思いますか? 念書はキョンシーのお札でも、水戸黄門の印籠でもありません。 「そんなものクソクライだ」と言えば、以上終了です。 法的にいろいろときちんとしておくという手は無きにしも非ずですが、念書すら言い出せない人には無理でしょうね。
お礼
そうなんですね!!念書は法的に通用すると思っていたので、とても勉強になりました。
- n_kamyi
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これは法律問題ではなくて人生相談ですね。 法律的に言えば、そんな念書紙切れに等しいです。 また、そんな念書を要求したら、たトラブルの種になると思いますよ。 夫婦のことは夫婦にしかわからない様々な事情があるものですから、あまり立ち入らないほうが良いかと思いますよ。 いらぬとばっちりが来るだけです。
お礼
ありがとうございます。人生相談でも相談したいともいます
お礼
どうもありがとうございます!!とても役に立ちました。細心の注意をはらいつつ、友人にアドバイスしたいと思います