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心の痛みについて
よろしくお願いします 辛い経験というのは、存分に感じ取り惨めさを噛み締めストレスとしてとことん向き合って感じた方が、きちんと人の痛みもわかるようになるのかなと もし「この位のこと何でもないさ」って無理に強がったとしたら、その人は、その経験を軽く考え、人にも「それくらいのことで!」というようになるであろうし、痛みに鈍感になることで他の感情も感じにくくなるのではないかと思います。 いじめっこの家庭に問題があるのも、こういうことが関係していそうと思います 悲しみや苦しみは感じたくない感情ですし、泣いてばかりいると弱虫と言われるかも知れませんが、でもむしろ積極的にきちんと感じ尽くすようにしないと、人の痛みがわからないというようにおかしくなるような気がします。 それとも、やはり出来るだけ意図的に嫌なことは過小評価し、マイナス感情は感じない方が心を守れるのでしょうか 皆さんはどう思いますか 意見お聞かせいただければと思います。
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物事はひっくり返せば、間逆の性質になる要素を備えています。 人の痛みが全っ然わからないように見える人間こそ、 深い痛みを感じられる可能性があるのです。 辛い経験は、明るく人を笑わせる話に転じることがあります。 現実から目をそらすような無理強いでは何も変わりませんが、 辛い現実を受け止めた上での発言なら、ポジティブな印象を受けますね。 涙を流すことについては、体にとって自然な反応でしょうし、必要なことと思います。 ですが泣いてばかりはいられない、というのが現実なわけで、どうしても歪むところは歪むかもしれませんねー。 私は、現代人、人前でもっと泣いてもいいと思うんですけど、やっぱ、鬱陶しいと感じるのだろうなぁ。男泣き!なら素敵かとも思うんですが。(話ずれそうすみません) 心の守り方にも色々ありますが、生まれつき繊細な人とそうでない人がいるのは確かっぽいですね。 それくらいのことで!と言う人は生理的に相手を理解できない運命で、 単に自分の価値観を信じすぎてて押し付けているだけな感じがします。 想像にも限界があり、理解できないけれど解る努力をする、それが痛みのわかる人間なのかもしれません。
- honn1mono1
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辛い経験や苦しい経験を味わった人は思いやりがもてて、 その苦しみ、悲しみから相手の痛みが分かるようになれるのでしょうね。 人に優しくなれるのでしょう。。。。 苦しいときは苦しいで通り抜けていけば相手の苦しみも分かるでしょう 私は少なくとも苦しいことは苦しいと感じれる心こそ、 その問題を過小評価せずに大切にしているのだと思います。 人を思いやるために苦しみも悲しみも必要なもの。 だから、苦しみやつらいことは悪いことではないんですよね。 それに振り回されるのはよくないですけれど。 辛いときは辛いと受け止めていけば人に優しさや愛が向けれるでしょう☆ すくなくとも私は辛いことは辛いと涙ながらにも通り抜けた方がいいと思います☆ 私は人を愛していきたいと心底思いますからネ☆
お礼
ご回答ありがとうございます。 >辛い経験や苦しい経験を味わった人は思いやりがもてて、 その苦しみ、悲しみから相手の痛みが分かるようになれるのでしょうね。 そうですね。honn1mono1さんはとても優しい方だと思います。 そうあって欲しいのですが、そうでない人もいますよね…。 自分のストレスのはけ口に、弱いものをいじめるような人です。 同じように辛い思いをしたはずなのに、自分より弱い人を見つけて同じことをする人って虐待問題でもあるようですね。 そういう人は、自分の幸福追求に必死になって、他人を虐げることを何とも思っていません。 苦しい経験をしたら、それで反省できるのかというと全然そうでない。 結局、その人の人間性にかかってくるのかなと思いました。
- precog
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過ぎたるは及ばざるが如し。 >辛い経験というのは、存分に感じ取り惨めさを噛み締めストレスとしてとことん向き合って感じた方が、きちんと人の痛みもわかるようになるのかなと それはあんまり関係ないですね。十分な分析ができて、対策がわかったとき役に立ちます。 買ってする苦労は「買ったんだ」と思う分、効果がないです。そこには必ず逃げがあります。本当にどうにも出来ないときに初めて挫折感を味わいます。しかしそれは必然でなければなりません。 >もし「この位のこと何でもないさ」って無理に強がったとしたら、その人は、その経験を軽く考え、人にも「それくらいのことで!」というようになるであろうし、 乗り越えられるなら、それも一つの方法ですよね。根堀葉堀やってたらきりがないです。 >痛みに鈍感になることで他の感情も感じにくくなるのではないかと思います。 その方法の限界について知らないと、極端なことをしてしまいますよね。 >いじめっこの家庭に問題があるのも、こういうことが関係していそうと思います さすがにそれは違うでしょう。犯人捜しも結構ですけど、結論ありきでは歪んでいきますよ。 >それとも、やはり出来るだけ意図的に嫌なことは過小評価し、マイナス感情は感じない方が心を守れるのでしょうか それもあります。 自分を守るということと、他人の痛みがわかるということはそれぞれ別のスキルで、矛盾しませんよね。あるのは、現実に直面したときのトレードoffです。それはそのたびに考えるしかありません。思考停止はどちらも良い結果を生みません。 それと子供に完成された精神を求めるのは間違いです。子供は大人より失敗に学ぶことを許されるべきです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >根堀葉堀やってたらきりがないです 確かにそうですね。粘着気質になりそうですね… ある程度、心には遊びもないとというのは思います。 >自分を守るということと、他人の痛みがわかるということはそれぞれ別のスキルで、矛盾しませんよね 矛盾しない人は人間が出来た人ではと思ってしまいます。 私は、自分が辛いとその憂さ晴らしを他人にぶつける人を結構みてきました。 他人の痛みがわからず、自分を守るために他人を利用しているんですよね。 それは、つまり、「自分を守るために」「他人の傷みをわかろうとしない」となり、別のスキルであるはずなのに、表裏一体でイコールでつながっている人が多いと思います。
お礼
ありがとうございます。 なるほどですね。歪むところは歪むし、傷ついている人ほど表面的には明るくそれを昇華している可能性もあるということですね。 人間、全てピュアには生きられないのかもしれませんが、でも、人を思いやる気持ちは持っていたいと思いますね。理解できなくても、何となくでも、大変なんだなあと思うことは出来るはずですものね。