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幼少期の「場所の記憶」について
既出の質問でしたらお許しください。 幼少期の思い出の場所に大人になってから行ってみたら、ずっとこじんまりとした狭いところだった、ということが、私はしょっちゅうあります。小さい頃の記憶の中では、もっと広くて大きな場所だった、という印象が強いわけです。そういう話をいろんな人から聞いたことがありますので、きっと誰にでもあり得ることだと考えています。 私は長い間、単にそれは「幼児期は身体が小さいから、周りのものが大きく見えたのだ」と思っていましたが、近頃家族とその話題をしているうち、どうもそんなに単純な理由ではないのでは・・・という気になってまいりました。 実際のところ、どういうわけでこのような記憶の食い違いが生じるのでしょうか?
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・発達経緯 ・身長 ・先天的空間認識 ・主観認識 この4つが主にあるように思います。 発達経緯というのはその人の生き方ですが 人の生き方によってその空間がそのような存在なのかというのが違いって居るわけです、常にそれは変化しているので、その影響である種その部屋が大きく見えるというのはあると思います。とくに幼少期のころは自分は精神的にも立場的にも小さいんだという認識がありますから、その逆に空間側を大きくすることによって自分は小さくないんだという暗示に掛けることでバランスをとろうという意図があるように思います。 身長ですがこれは視点ですね、視点が高いと低いとではある種見え方が違って下から眺めるというのと上から眺めるというのは物理的に違ってきているのでそう見えるというものです。 そして先天的空間認識これですが、この空間認識というのは大いなる母をイメージする事によって包括されたいとうある種の願望みたいなのが生まれて育ての親が居ない空間が大きく見えるというものです。とくに幼少期の頃はこのイメージは大きく写るのが特徴だと思います、もちろん空間認識の先天性で小さい頃には空間を大きく見せるという単純な理由もあると思いますが、それにまして親の代打になる空間というのはある種大いなる母をイメージする感じに自己選択されるというのもあるのかなと思います。 そして主観認識これは心理状態よってその主観が集中的になっているとまわりが漠然化するという現象が働くので周りが大きく感じるということもあると思います、特に幼少期のころは熱中すると他が見えにくくなるのでその間に外敵に狙われる可能性が高くなるので周りを無意識化するのと同時に周りを大きく感じることによって瞬時に認識できるような先天的本能システムをとろうとしているのかもしれません。これも先天的ですが先ほどの先天的とは違いある種主観的変化による先天的変化ということになると思います。
- harrywithers
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まず、質問者さまが気づかれているように、視点の高さの問題があります。 当然、低い視線からは、場所、土地は広く感じますし、 子どもの頃の身体の大きさとの対比で広さを記憶していると、 大人に成ってから、改めて記憶の土地に行くと、狭く感じるのは、当然のことと思われます。 そして、人は、無意識の内に記憶を作り変えて行きます。 「(子どもの頃)広かった」との“思い(込み)”が質問者さま自身の記憶を 長い年月をかけて作り変えて行った可能性が大きいと考えられます。 ※昔読んだ本の記憶ですので・・・思い違いがあると思いますが・・・(汗) アメリカで、ある記憶の実験が行われました、 満員の劇場で、逃げ回る男が、刃物を持った男に刺され、劇場から出てきた観客に 犯人の服装、帽子の色など思い出して答えてもらう実験でしたが、 1000人以上の観客の中で、犯人の服装・風体を正確に覚えていたのは、僅かに数%だったそうです。
お礼
ありがとうございます。 >人は、無意識の内に記憶を作り変えて行きます。 実はわたし、これもしょっちゅうなのですよ。<(^ー^ι) 他の家族が昔の出来事についての記憶が一致していても、私1人違っている、ということが多々あります。 集中して情報を取り込む、ということも苦手なのかも・・・だからまさに書かれているように、偶然犯罪現場を目撃し、オマワリさんから聞き込みをされたとしても、とてもじゃないですが全く自信がありません。
- Sompob
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子供は視野が狭いから。 大人なら一目で見渡せる処、子供はそうでないから。 子供が道路から飛び出すのは、車が見えてないから。 ただでさえ背が小さい処へ、視野が狭い為余計に見え ない。 乗り物の運転を、例え大人と体格が同じでも子供には 認めない理由の一つでもあります。 という事です。
お礼
ありがとうございます。 そう言えば昔、自動車教習所で「子供は、車が近づいてきても平気で横切ろうと飛び出す場合があるので要注意」と教わったことを思い出しました・・・きっとそういうことなのでしょうね、
お礼
やはり単に物理的な要因だけでなく >自分は精神的にも立場的にも小さい・・・ という認識も、無意識にあるということなのでしょうか。 本題からちょっと外れますが、「幼い時のこの場所はもっと広かった」という 記憶と同時に、昔のその記憶が「幻想的に」変形されている、と感じることもあるのです。奇妙で、不思議な、幼児期だったからこそイメージできるような映像となって刻まれてます。我ながらも、こうして改めて考察すると奥深いものだと思います。興味深いお話をいろいろ書いてくださって、ありがとうございました。