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不当な言動に対処する方法と社会的評価の恣意的な低下について
- 自己の社会的評価や名誉を不当におとしめる発言について、公の場やビジネスの場での対処方法について教えてください。
- 日本の伝統的慣習である「和」の存在意義について考え、現代社会において「和」が搾取手段として機能し、格差社会を助長していると思うかについてご意見を教えてください。
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沈没船ジョークをご存じでしょうか。 救命ボートが足りないとき、沈没船の船長はこのように呼びかけます・・・ イギリス人には 「紳士はこういうときに飛び込むものです」 ドイツ人には 「規則では海に飛び込むことになっています」 イタリア人には 「さっき美女が飛び込みました」 アメリカ人には 「海に飛び込んだらヒーローになれますよ」 フランス人には 「海に飛び込まないで下さい」 日本人には 「みんなもう飛び込みましたよ」 見事に国民性を言い表していると思います。 日本人については、主体性がなく、多数派に追随する傾向が(特に国際舞台では)強いということです。 その理由を一言では説明できないでしょうが、儒教の影響もかなりあるように感じます。 【質問1】 A.もちろん事実に基づいて反論しますが、理不尽な攻撃がある場合は、理論的反論で相手が反省することはないでしょう。 たいていは論点のすりかえによって、あくまでも自分の主張を押し通すはずです。 ですから、相手を説得することは考えず、第3者に悪い印象が残らないように、本来の業務でフォローを試みるでしょう。 悪口をいいふらす人が少しくらいいたとしても、有能な仕事人は孤立化しにくいと思います。 B.極力落ち着いて事実を述べます。 それが「反論」であるかどうかは、内容よりも語調や表情で判断する相手が、プライベートでは多いと思います。 ですから、「反論」でないような言い回しで、事実から、相手が自らの論理矛盾に気づくことを狙います。 それでダメでも、時間をおくと変化が見られる場合もあるので、焦らず、相手を敵視しないことです。 不幸にして相手を説得できなくても、こちらからは「悲しい誤解」というスタンスを崩さず、寛大に接します。 それでも敵対してくる相手なら、よほどの地域のボスでない限り、相手が地域から浮いてしまうことでしょう。 【質問2】 大企業の儲けのために様々な「制度改革」が弱者を苦しめている時代ですね。 たとえば、財政赤字から福祉・教育・医療の水準の切り下げがどんどん進んでいます。 もともと、国や地方自治体の多額の借金のほとんどは、アメリカの要求通りに「内需拡大」という名目で無駄な道路や空港をつくったために生まれたものです。 その上、消費税収入と同じくらいの額の大企業減税も行われています。 つまり、庶民の税金がゼネコンに代表される大企業に吸い取られている形です。 にも関わらず、「世論が税金の無駄遣いに厳しくなってきたから」という理由で、生活保護が縮小されたり、貧乏人は病院に行けない制度になったりしているわけです。 これなどは「和」を口実に使われて格差社会が広がっている事例と思いますが、いかがでしょうか。
お礼
あはははは。面白いですね。 >イタリア人には 「さっき美女が飛び込みました」 これには大笑いしました。 本題のほうも参考になりました。 ご回答どうもありがとうございました。 福祉の切り詰めも問題ではありますが、 非正規雇用者の時給を月給に換算すると、 生活保護の受給額よりも安い場合があります。 これは大きな社会問題ですね。 生活保護を受けている人の中には、 働きたくても働けない本当に困っている人もいます。 しかし、それに便乗して、 単に働く気のない人も生活保護を受けているとすれば、 まじめに働く人間はやりきれませんね。 「隣人(同胞)同士の助け合い」も「和」と同様に、 狭い島国では大切な文化でありますが、 まじめに汗を流して働く人間を尻目に、 生活保護制度に便乗する人間がいるのは困りものです。