こんにちは。
これは全く関係ないと思います。
科学的な定義というものはありませんが、まず世間一般で「頭が良い」といういのはいったい何を指すのかと言いますと、
これは恐らく
「大脳皮質の学習結果を基に正しい判断を下すことができる」
ということになると思います。
ですから、大脳皮質により多くの学習が積み重ねられ、これによって正しい結果を選択することができるならば、当然、学業成績は良くなります。そして、それは取りも直さず、どのような結果が得られれば良いかをちゃんと理解するということですから、これはピアノの演奏に限らずスポーツでも何でも同じことではないでしょうか。先の結果をきちんと考えて行うひとといいますのは何をやっても上達が早いと思います。
ですが、とはいいましても、それは飽くまで本人の努力の結果でありますから、このように頭が良いといいますのは「上達の早さ」には係わるかも知れませんが、実際の「技術の高さ」を裏付けるものではないと思います。
では、ここで本題に入りますと、
「大脳皮質の思考能力」と
「ピアノの技術の高さ」
ここに直接の関係というのは何もないです。
何故かといいますと、我々の脳内で実際にピアノを演奏するのは大脳皮質ではないからですね。
ピアノの練習方法や創造性の追及といったことには大脳皮質の高度な機能がどうしても必要です。ですが、譜面通りに指を動かすという命令を実現しているのは、これは大脳皮質ではなく、「小脳」や「大脳基底核」などといった運動系の中枢に学習される「運動記憶」というものです。そして、この運動命令に「感情導入」なるものを行っているのは何を隠そう「大脳辺縁系の情動体験」であり、果たしてここでは大脳皮質の学習記憶というものは一切使われていません。従いまして、幾らたくさん勉強をして頭が良いからといいましても、それでピアノの演奏技術が高くなるということは間違ってもないわけです。
頭で考えても良い演奏はできませんよね。その理由は、我々の脳はピアノの演奏に大脳皮質の学習結果を使うことができないからです。
このように、勉強ができるのとピアノが弾けることといいますのは、これは我々の脳の構造上、少なくとも解剖学的には全く無関係です。
「頭の良い悪い」というのに科学的な定義はありません。ですが、大脳皮質の思考結果といいますのはそのまま学業成績や社会行動として比較的はっきりと外に現れるものですから、どうしてもこの辺りが評価の対象になってしまいます。
頭が良いといいますのは、そのひとが大脳皮質を使ってたくさん努力をしたということなのですから、この評価は別に誤りではないと思います。ですが、これによって現れる個人差といいますのは飽くまで大脳皮質で行われる「知的作業」に限られた部分だけです。ですから、音楽やスポーツなどといった「熟練行動」では、通常、ここに大脳皮質の学習結果が傾向や個人差としてはっきり現れてしまうということはまずないと思います。と言いますよりは、当たり前のことではありますが、勝つのは勉強のできるひとではなく、それは訓練を積んだひとでなければなりません。
「知的作業」とはいったいどのようなものかと言いますと、例えば「文章」を扱うといったのがそうです。これは、そのほとんどが大脳皮質で行われる言語情報を用いた純粋な知的作業です。
では、ピアノの譜面を見てその通りに指を動かすというのは、これは果たして「知的作業」でしょうか。実は、最初は間違いなく知的作業に分類されるのですが、ここで大脳皮質を使って指に命令を出しているうちはお世辞にもピアノが弾けるとは言いません。
このような訓練を繰り返すことにより、やがて小脳には譜面通りに指を動かすための「運動記憶回路」というものが形成されます。この運動記憶が学習されますと、視覚から入力された音符の情報は小脳で判定され、運動命令は大脳皮質を通さずにそのまま指の筋肉に伝達されるようになります。
キャッチ・ボールや自転車の運転など、このような運動学習によるものを「熟練運動」といい、大脳皮質での知的作業の段階を卒業したピアノの演奏といいますのは、果たして全てこちらに当たります。
ピアニストの目は鍵盤を見ていませんよね。譜面から得られた情報が四分音符であるならば一拍伸ばし、♯が付いていれば自然と別の指が動きます。このようなことをいちいち大脳皮質で判断しているようでは逆立ちしてもまともな演奏にはなりません。
そして、この作業に感情を導入していますのは、「大脳辺縁系の情動記憶」というものです。ここでは耳や目から入った情報を基に「情動反応」を発生させます。この大脳辺縁系に発生した情動反応が小脳に送られますと、鍵盤を叩く指の強さや速さが微妙にコントロールされます。
このように、ピアノの演奏では大脳皮質の認知機能というものは全く使われていません。ピアニストは小脳や大脳基底核を使って譜面の情報に素早く反応し、大脳辺縁系の働きによって感情豊かな演奏表現を実現しています。
ここで判定に用いられていますのは大脳皮質の学習記憶ではなく、「運動記憶」や「情動記憶」というものです。このような反応といいますのは実際に行ったり、自分に感動した体験などがなければ獲得されることはありません。そして、これが大脳皮質の学習記憶と大きく異なりますのは、それは大脳皮質では記憶情報を繰り返し反芻することができるのに対しまして、こちらでは「実際の体験入力」というものが積み重ねられませんと「神経回路の強化が進行しない」ということです。
従いまして、我々の脳内で熟練運動の習得といいますのは、これは果たしてその名の通り、ただ鍛錬あるのみ、ということになります。大脳皮質がどんなに高度な思考を行ったとしましても、それが実際の演奏技術に反映するということはありませんし、情動体験の未熟なひとに感情表現を憶えさせるというのは、これはたいへん困難なことだと思います。