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上杉 鷹山の財政再建策と成功の度合い
上杉 鷹山(上杉 治憲)に興味があります。 (1)具体的な財政再建策とそれはどの程度成功したのでしょうか? (2)彼の伝記でおススメがあればお教えくださいませ。 5年前なにげなく立ち寄った伝国の杜に展示されている上杉公の業績の数々に感銘を受けました。 今月末に私も業績不振店の店長を任されます。 上杉公の行動から何かを感じとってみたいです。 最後にもう一点、上杉公は人員削減はどれ位の規模で行ったのでしょうか?
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>(1)具体的な財政再建策とそれはどの程度成功したのでしょうか? まず、最初に行ったのは、「自助努力」の精神を植えつけることから始めました。 例えば、これまでは米作中心で、その米の出来高により「年貢」を決めていましたが、当然、米作は天候に大きく左右され、また、どちらかと言えば「寒冷地」のため、米作での収入(年貢)には限界がありました。 そこで、鷹山が目をつけたのが、寒冷地に適した漆(うるし)、楮(こうぞ)、桑、紅花などでした。これまでは、これらの作物は栽培して収穫すれば、他国へ売買していました。 しかし、鷹山は、「これを加工すれば、もっと高く売れる」と提唱し、自ら桑や紅花などを城中の庭に植えました。 反対派の旧重臣らが、その桑の苗を全て抜いてしまう事件等が起きましたが、鷹山は、何度も黙って植え替えをしました。 そして、家臣、特に、下級の家臣たちにも庭や空いている土地に桑や紅花の栽培を奨励し、例えば、紅花は越後の小千谷(おじや)で紬(つむぎ)になっており、漆は能登で漆器などに加工されて高価で取引されていることを知り、自らの米沢で加工して、少しでも付加価値を付けることを断行しました。実際に小千谷から機織(はたおり)の技術者を高給で呼び寄せ、召抱え、機織技術の促進に努めた。 鷹山いわく「削れるところは削れ、必要なところには必要なだけ出資せよ」。 これには、旧重臣たちは、「我々は農民ではない」と、建議書を突きつけ、「我らは、幕府に主君の交代を訴えるを覚悟だ」と息巻いたが、前城主であった重定が聞きつけ、「このように石頭の連中を重臣に据えていたことが間違いであった」と切腹2名、後は全て謹慎を申し渡し、旧重臣である反対派を解任して鷹山を擁護しました。 やがて、鷹山の改革に共鳴する下級武士たちは、自ら荒地を開墾して新田開発や妻たちは、養蚕をし機織に協力しました。当然、こうした城中の武士たちが手本を見せたことにより、農民たちも、心を開いて、武士(主に下級武士ではあるが)たちと共同して殖産事業に加わることとなりました。 さらに、新田開発あるいは開墾をしていた下級武士や農民たちに、「せめてものわしの気持ちじゃ」と言って、町家から酒を買い入れ(正確には、鷹山の行動に感銘した酒屋の主人が無償で1斗樽を提供し)、陽の燦燦と照る中で汗を流して働く者たちへ一人一人自ら酒を注いで振舞ったという。 また、年号は不明ですが、 米沢城外の松川にかかる福田橋は傷みが激しく、修理が必要であったが、財政が逼迫していたため、藩では修理費が出せずに、そのままとなっていた。しかし、鷹山がまもなく江戸から参勤交代を終えて帰ると知った下級武士たち20~30人が、自ら、山の木を切り、橋の修理を始めた。農民たちも始めは遠巻きに見ていたが、「もうすぐお殿さまが帰ってきなさるんだってよ~」と話が広まり、橋の修理に1人2人と参加する者が増えた。下級武士たちは、彼らなりに、財政が逼迫している中で手当て(俸禄)をあたえられている。せめて、自分たちにできることはないか、と、始めた橋の修理であったが、農民たちも大いに協力し、橋は無事完成。 やがて、江戸から到着した鷹山は、その橋の見事さに感服し、橋の手前で馬を降り、徒歩で渡った。家臣たちは、「殿さまが徒歩で歩く(渡る)とはもってのほか」と、注意をしたが、鷹山は、「皆の汗とあぶらが浸み込んだ橋を、とうてい馬に乗って渡れぬ」と、橋の修理に携わった下級武士や農民の労せをねぎらった、と言う。 さらに、鷹山は、疲弊した農村に五人組、十人組というような組合組織を作り、お互いが協力しあう「互助精神」を作った。 貧しい農村では、老人や障害者は「厄介者」として、肩身の狭い思いをしていたが、働けないなら「庭の池に鯉を飼え」。その餌くらいはやれるだろう、と、鯉の養殖などにも知恵を働かせた。 また、火災や風水害で一村が危機に瀕した折には、近隣の村々が援助をすることも定めた。 鷹山が当主になった頃は、疲弊した土地を去る者も多く、当然、年貢は見込めない時代であったが、「殖産」により農民も生き生きとして働くようになり、鷹山は90歳以上の老人をしばしば城中に招き、「長きにわたりご苦労であった」と、酒色や金品を振舞ったという。苦しい時代を共に生きてきた者たちへの「ねぎらい」と同時に、子々孫々まで、この地で生き抜いて欲しい、と言う願いが込められていた。 義父重定の古希(70歳)の祝いには、領内の70歳以上の者738人が酒樽を贈られ、鷹山自身の古希には4560人に酒樽が振舞われたという。 まあ、長々と書いてきましたが、結論としては、漆や楮、桑、紅花等の地場産業に「付加価値」を付けることで、ただ単に「物売り」ではなく、「加工」して、少しでも「高く」売買することを思いついたことに、大きな意義があるのではないでしょうか。 >>(2)彼の伝記でおススメがあればお教えくださいませ。 堂門冬二氏の次の本はいかがでしょうか。 http://www.amazon.co.jp/%E5%85%A8%E4%B8%80%E5%86%8A-%E5%B0%8F%E8%AA%AC-%E4%B8%8A%E6%9D%89%E9%B7%B9%E5%B1%B1-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%AB%A5%E9%96%80/dp/4087485463 >>最後にもう一点、上杉公は人員削減はどれ位の規模で行ったのでしょうか? 極論で言えば、旧重臣(鷹山の反対派)、およそ6~7人の排除だけで、それ以外の「人員削減」は一切していません。 ただし、下級武士・・・例えば、足軽(足軽と簡単に言いますが、武士としては最下位ではありますが、れっきとして武士です)などでは、当然、俸禄だけでは食べていけず、武士を捨てて農民になった者も数多くいます。その人数は歴史書にも書かれていないので不明です。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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おはようございます・・・と、言っても、もうお昼。 「釈迦に説法」でしょうが、私のパチンコの歴史。 (1)私が初めてパチンコをした頃は、釘も単純に何段かの横並び、入賞も穴の下に3本くらいの釘があっただけ。そして、台の裏に人が入れるスペースがあり、呼び出しボタンを押すと、台の上から、おばちゃんが「どうしたん」と顔をのぞかせる。「入ったけど出ないよ」と言うと、台の裏でザラザラと玉を継ぎ足す音。 (2)釘がランダムになり、入賞の穴の前に小さな箱が設置されるようになった。左手に玉をザクッと持ち、台の右下にある穴に、左手の親指で玉を1個づつ送り込む。そして、右手でバネ式の握手で玉をはじく。左手の親指のスピードとはじくタイミングで上手、下手が分かる。 でも、最後の1発に「1発入魂」ではじくと、入賞したりして、大喜び。この頃、「美玉一心」などというパチプロを描いた漫画が大ヒット。釘士と客の駆け引きの時代。 (3)初めて「チューリップ」が出回る。最初の頃は、真ん中に1個だけのチューリップ。 (4)チューリップが真ん中と左右とかに設置され始める。 (5)チューリップが天穴、真ん中、左右、下、と6個くらいになる。 (6)チューリップも真ん中は2個入るまでは閉じないようになる。 (7)ギャンブル制がさらにヒートアップして、天穴に1個入賞すると、全部のチューリップが全開になり、天穴のチューリップに玉が入って閉じないかぎり、すべてのチューリップが全開。しかし、2000発で打ち止め。打ち止めになると、店員が来て、チューリップを全部閉じて行く。この頃から自動ではじくようになる。 (8)スロットが出始める。1~9の数字だけで、台の左下に3個のボタンがあり、自分で見当をつけて、3個のボタンを押す。横一列に数字が並ぶと、1500発ぐらいまでかな?出た。 (9)8と同じタイプだが、今度は、奇数が並ぶと、次に再度並ぶ確立が高くなる。「確変」が登場。 (10)スロットが数字だけではなく、絵模様になり始める。スロットも自動停止で、機械任せになる。 (11)スロットの絵が動いたりするようになる。この頃からかな?「再抽選」などと、嬉しいような、イライラするような。 (12)そして、現在のように、キャラクター物が次々と登場。 まあ、多少記憶違いもあるでしょうが、私の頭の中のパチンコ博物館です。古き良き時代もあったように思います。
お礼
ありがとうございます^^ >おばちゃんが「どうしたん」と顔をのぞかせる。 そういえば、熊谷時代の常連のお客様の口癖「そうなん?」を思い出しました^^ 熊谷地区は「そうなん」(そうなの)「ダメなん」(ダメなの)といった感じの言い回しがあって、何かホッとしたのを覚えています。 私がリアルタイムで知っているのは、(9)あたりからですね。 「黄門ちゃま」「ミスパチプロ」・・・平和の機種が熱かった~! (2)は確か、私が新卒採用の会社説明会の進行をしていたときに、人事部長が学生相手にこの説明したら、学生は興味津々で聞いていたのを覚えています。 最近、業界新聞に掲載されていたのですが、この業界の7割以上が「最近の遊技機はつまらなくなった。」との回答をしていました。 bungetsu様のような素晴らしいユーザーに戻って来て頂けるような快適な遊技空間を創っていかなければと思っております。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんばんは。 >>入社5年間で「埼玉県の熊谷・寄居・狭山」の3店舗でマネージャー業務を行っておりました。(その時でしたら、JRか東武鉄道か西武鉄道でbungetsu様からアドバイスを頂きに行けたのですが・・・。) そうですか。埼玉県でも展開されているのですね。大企業の部類に入るのではないでしょうか。個人的なことをあまり書くと、このサイトの規約違反になりますので控えますが、私の住まいは、狭山市の隣の市です。目と鼻の先です。 前文で、 >>私も「中毒」で通い詰めていた頃の経験でも、朝一番で入り、閉店までいる客でも、極端に言えば、立ち上がるのはトイレだけ。それだけ熱中している、ということでしょう。 と、書きましたが、それを見ている、知っている、と言うことは、私自身も開店から閉店まで「へばりついて」いた、と言うことです。 でも、昼飯も夕方の「おやつ?」も、その店で全て用が足りた、と言うことです。そして、何時間おきにはコーヒーのサービスもある。「おしぼり」のサービスもあるので、手や顔を拭いて、もうひとふんばり・・・「頑張るぞ~」と気合を入れなおす。 変な話ですが、名前は知らなくても、結構「顔見知り」ができたりして・・・。「お兄ちゃん、頑張ってますね~」「おっちゃんも、もう5箱か、いいな~」などと、声をかけたり、かけられたり。 と、言うことは、その人たちも常連さんだった。 でも、大概は「ネバッタ」甲斐があり、小遣い稼ぎはできました。 店にとっては、大のお得意様でしょうね。(店が損する方のね)。 そして、店員さんとも「顔見知り?」。 景品に換える時、レジのお姉ちゃんと、こんな会話もありました「もう、5発あれば、景品1個だよ。そこらで拾ってきな」ですって。 まあ、都会に近いとは言っても、人の情はどこも同じです。 ご健闘を祈念しています。
- 川原 文月(@bungetsu)
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そうそう、もう一つの提案。 コーヒーやジュースとまではいかなくとも、安い「麦茶」あたりのサービスはいかがでしょうか? 夏は「冷たい麦茶」、冬は「暖かい麦茶」。これをキャスターに乗せて、お客にサービス。 そして、とりあえず、パン屋の販売の昼時と夕方5~6頃。全員に「無料サービス」。1日その2回だけでも違うのでは? 自販機の売り上げは落ちるかもしれませんが、とにかく、お客は買いに行くのが「めんどう」なのです。 そして、店としても、台に「しがみついて」いてくれれば良いのでは? 「損して得とれ」!
- 川原 文月(@bungetsu)
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アッハッハハ・・・!!?? >>(bungetsu様、ここはひとつ弊社のエリアマネージャーとしていかがでしょうか?(笑)) 私が、あなたの店に入職したら、エリアマネージャーどころか、遊戯マネージャーで、毎日、タダで玉をはじいてしまいます。そして、ドル箱を重ねて、しっかり、換金していたりして・・・。 でも、それもちょっと、面白いかも・・・。 なぜ? サクラとなって、この店は「こんなに出るんだ」と、ドル箱を積み上げて見せるのも一つの「景気付け」かも・・・。もちろん、換金は無しで。 話は少しズレますが、良くスーパーで万引きが起きますよね。そこで、スーパー側では、お客に似せた保安員を店内の巡回させていますよね。 私が、実際に見た現場では、保安員もただ店内をウロウロするのではなく、籠を持って品物を適当に入れて、ある一定?の時間になるとレジを済ませます。そして、また、店内の巡回に回っていました。 なぜ、それが分かったかと言うと、家内と行ったスーパーで、その店はトンカツなどは、お客が選んできた肉をすぐにその場で揚げてくれる・・・というような店でした。したがって、家内の買い物にも時間がかかりました。私は、レジの外側で待っていました。そしたら、一人の女性がレジを済ませました。品物を手早くビニール袋に詰めて、外に出るのかと思いきや、ビニール袋を持ったまま、何食わぬ顔で、店の奥の職員専用出入り口に消えました。そして、しばらくしたら、また、籠を持って店内を歩き回っていたのです。 その時、「あっ、あれが保安員か・・・」と分かったわけです。保安員もただただ店の中を歩き回っていては、逆に、お客に「怪しまれる」。そこで、本当に買い物をしているのだ、との見せ掛けの演技だったのだと思います。 さて、話を戻しましょう。 パンの販売に注目されたようですが、私の考えられる「注意点」が幾つかあります。 (1)賞味期限・・・と言うよりも、「賞味時間」が限られています。 (2)どのようにして「仕入れ」をするかは分かりませんが、売れ残りが必ず出ます。売れ残りが多く出れば、店としては「赤字」です。 (3)そこで、近くのパン屋と「契約」して、パン屋自身に売らせること。そうすれば、売れ残りはパン屋で処理しますから、店が処分する必要がない。閉店してから、パン屋へ「返品」などは無理でしょう。 (4)次に、例えば、景品交換場所の近くに陳列したとしても、お客に「買いにこい」では、先に述べた自販機と同じで「殿さま商売」。私自身の時のことを考えても、ほんの少しの距離でも、買いに行くのは「めんどうくさい」。パン屋にお客の周りを回ってもらうことが「肝心」です。 私も「中毒」で通い詰めていた頃の経験でも、朝一番で入り、閉店までいる客でも、極端に言えば、立ち上がるのはトイレだけ。それだけ熱中している、ということでしょう。でも、店としては、それくらいに多くの客が「ハマッテ」くれれば、ガラガラになるよりは「景気付け」には十分な効果ではないでしょうか。 結論:とにかく、お客に台に「へばりついて」いてもらうこと。 どんなにお客が入っていても、ウロウロしているばかりでは、何の意味もない。 とにかく、台に座らせておくことが「大前提」では?? まあ、私の住まいは「埼玉」です。近くであれば、あなたの店を見て「何かのアドバイス」はできるかもしれませんが・・・。 頑張ってください!!
お礼
あいにく、現在の私の住まいは九州の西端の「長崎県佐世保市」です。 ・・・が!私が新卒で入社したパチンコ企業は40店舗展開しており、入社5年間で「埼玉県の熊谷・寄居・狭山」の3店舗でマネージャー業務を行っておりました。(その時でしたら、JRか東武鉄道か西武鉄道でbungetsu様からアドバイスを頂きに行けたのですが・・・。) やはり、都会はノウハウの宝庫!素晴らしい経験をさせてもらいました。現在の会社で埼玉時代のやり方を説明すると、部下は目を丸くして聞き入ってきます。 (それこそ、bungetsu様のご説明に感動するワタシ状態。) 田舎者の私が、埼玉でお客様から育ててもらいました。 九州の西端で、埼玉で培った感謝の気持ちをサービスという形で 出すことでお客様への感謝の気持ちを部下と共有したいです!
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 >>店舗はパチンコ店です。 あなたから、具体的な職種が公表されました。 私も、パチンコは好きで15~20年前には、ほとんど「中毒」になっていました。今は、全くやっていません。 しかし、私は、ある1店舗だけにしか通いませんでした。 その店も近隣に競合するパチンコ店がたくさんありました。 でも、私のお気に入りは、その1店だけでした。大変「盛況」でした。 (1)2~3時間おきに、店員が1人1人に「おしぼり」を配って周った。 熱中してくると、特に、負けが込んできたりすると、焦りとくやしさで、手や顔がベトベトになりました。そんな時、店員の「どうぞお使いください」と、夏は「冷たいおしぼり」、冬は「暖かいおしぼり」を全員に配って回り、15分後位に回収して回りました。まさに、頭を冷やすための清涼の一服でした。 (2)灰皿の掃除をこまめにしてくれた。 ヘビースモーカーになると、小さな灰皿はすぐに一杯になりました。そんな時、時々、店員が掃除機で各灰皿を綺麗に吸い取って回ってくれました。時間が経つと、灰皿からこぼれた吸殻や灰が台や椅子の周りに落ちる。=汚れる。=汚い店。 でも、これも考えてみれば、閉店後の店員の店掃除も短時間で終わる結果につながったのではないでしょうか。 それに、店員全員が常に走り回っているわけではなく、ブラブラしている店員も中にはいると思いますよね。手の空いた店員や交代制などで実施すれば・・・と、思います。 (3)コーヒーまたはジュースが配られた。 これは、どれ位の時間間隔だったかは忘れましたが、熱心?な人になると、開店早々に店に入り、極端な人は閉店時間まで居座りました。 その店にも、当然、自販機があり100円とか150円で、各種の飲み物を販売していましたが、熱中していると、買いに行くのも「めんどうくさい」。負けていると「この100円でもう数発打てる」と、中々買いには行きませんでした。 でも、その店は、多分、そんなお客の心理をつかんで「損して得取れ」の精神だったのではないでしょうか。 (4)パンの販売。 契約したパン屋だとは思いますが、昼と夕方(5時前後?)になると、パン屋が「カレーパン」「焼きそばパン」「ホットドッグ」「サンドイッチ」などを籠に入れて、お客の周りを売り歩いていました。 そうそう、思い出しました。このパン屋の販売と同時にコーヒーかジュースのカップ1杯の「無料」サービスもありました。 どんなに一日中ネバルお客でも、さすがに、弁当持参はありませんよね。そんな時は、一日中のお客であっても、今、飛び込んだばかりの客であっても、「じっとしていて」食べられる。これは便利でした。 パン屋は、おそらく、売り上げの何%かは「ショバ代」を店に還元したとは思いますが・・・。それと、店側にしても、昼食時間になるとガラガラよりは、椅子にいてもらい、玉をはじいてもらっていた方が売り上げも上がるのでは??? (5)大当たり!!・・・箱の交換のお手伝い。 「何番さん、大当たり!」と放送があると、すばやく店員が来て、箱を用意してくれる。 また、「何番さん、レンチャンでの大当たり!!」と放送されると、店員が飛んで来て、箱の差し替えや椅子の下への移動を手伝ってくれました。確かに、レンチャンで大当たりすると、次の箱を用意する必要もあるし、一杯になった箱を椅子の下に置く余裕さえありません。良く、見かねて隣の客が一杯になった箱を椅子の下へ移してくれたりしますが、客から言わせれば「何のために店員はいるのだ?」でしたね。 (6)最後のお手伝い。 客が遊びを終えて、「精算機?(=玉を数えてくれる機械)」に向かおうとしていると、大当たりを連発した人は何箱も持って「精算機」へ向かいますよね。そういう時、店員が一緒になって運んでくれる。中には、極端に言えば10箱位の人もいますよね。そうすると、1人で運ぶには、2~3回行ったり来たり。そんな時のお手伝いは、最後にお客を送り出す「また、来てくださ~い」のサインですね。 (7)小さいお子さんに「飴玉」の無料サービスと駐車場の巡回。 今は、小さいお子さんを連れて入ることは「禁止」なのでしょうが、昔は、結構いました。子どもは当然遊べませんからウロチョロウロチョロ、そんな時、店員がポケットから「飴玉」を出して、控えの場所で、少々の遊び相手。 そして、これは今は「義務」付けられているかは分かりませんが、駐車場の巡視。良く、車に幼児を閉じ込めて「熱中症で死亡」などとありますが、店の「評判」にもかかわりますよね。 まあ、あなたの店でも、すでに実施している事例はたくさんあるとは思いますが、私が「中毒」で通った「お気に入り」の店の様子を話してみました。
お礼
ありがとうございます。 パチンコの遊技をされながらも、いろいろなことに着目されておられたのですね。 (bungetsu様、ここはひとつ弊社のエリアマネージャーとしていかがでしょうか?(笑)) 私が早速試してみたいと感じたのは「パンの販売」ですね。 最近はどこのライバル店も敷地内に食べ物屋があります。 残念ながら赴任先の店舗にはありません。 お客様が食事休憩で席を立たれたら、遊技意欲が低下されるようで その後の滞留時間が短くなり、競合店に行かれてしまいます。 さあ、ここからが知恵の出しどころですね! ロス率が少ないパンは何だろうか? スタッフ全員で考えてみます。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんばんわ。 NO2.のbungetsuです。 もう一言付け加えさせていただきます。 (1)鷹山(治憲)は、人員削減はしない、と、前回書きましたが、武士の「削減」はしていませんが、藩主に就任早々、奥向女中たちを50人から9人にまで「削減」しました。 はっきり言ったら、治世中には、この奥向きの「削減」と鷹山の反対派重臣7名の「解任」だけです。 (2)成功の秘訣は、先にも述べた通り、「付加価値」を付けることで、藩の財政も、また、下級武士や農民たちの収入増加につながりました。 (3)天明5(1785)年2月7日に「伝国の辞」という「家訓」を残し、義父重定の子治廣(はるひろ)に一旦は家督相続をさせ、35歳という若さで「隠居」となりましたが、治廣には、その能力がなく、6年後の寛政2(1700)年に、隠居をしながら、藩政の改革を進めました。 (4)文政5(1822)年に鷹山は72歳で他界しましたが、翌年の文政6年の米沢藩財政帳では、江戸や藩内の商人、豪氏からの借財11万両を全て返却し、なおかつ、5,000両の備蓄ができていた、と言われています。 (4)余談:鷹山は、2歳年下の重定の娘「幸姫(よしひめ)」を正室としていましたが、「幸姫」は生まれながらの「精神薄弱」でした。しかし、鷹山は、たびたび、幸姫の元を訪れ気遣いました。ただ、幸姫は一生涯「お手が付く」ことはなかったようです。 (5)藩政改革を行っていた時代、下級武士たちの多くが、たびたび、藩の俸禄を貰うには忍びない、と、一介の農民になることを申し出をしましたが、「俸禄以上の働きをしてくれ」、そして、「武士が手本を見せることで、農民たちも必ず付いてくる」と、武士の「削減」はほとんどしませんでした。 >>今月末に私も業績不振店の店長を任されます。 まあ、私に言えることは、鷹山を見習うとすれば、単なる、「人員削減」ではなく、その店の周辺の人々は何を欲しがっているのか。 そして、「あの店にしか無い」。だから、「あの店に行かなくては買えないのだ」と言う「目玉商品」は何かを見つけ出すことではないでしょうか。 また、ブティックなどで改装をしたりしますが、今度は余りにも高級過ぎてショーウィンドだけ見て通り過ぎる。こんなこともありますよね。 少し、話はズレルかもしれませんが、東京の巣鴨の地蔵通り・・・おばちゃま方の原宿で、「赤いパンツ」が大ヒットしていますね。 あるTVで、そこの店員いわく「赤いパンツを買うついでに、他の商品も売れる」でした。 確かに、集客業務は大変です。私も、若い頃、自営業をしたことがありますが、断られても断られても訪ねる。そして、私は企業相手の商売でしたが、その断るために応対してくれた人に、当然と言えば当然のことですが、必ず「お忙しい時間、ありがとうございました」と頭を深々と下げて戸口まで後ずさりをし、ドアを出る前に、誰も見ていなくても、もう一度腰を折ってお辞儀をし、ドアをきちんと閉めて退出する。 その内、一軒二軒と、おっかなびっくりで私のところに注文が来るようになりました。製品は、必ず、間違いのないものを届ける。 とにかく、どのようなお店かは分かりませんが、周辺の人が相手なら、その人たちは、何を欲しがっているのか。 もっと言えば、あなたの店まで、わざわざ足を運ぶには「どうしたら良いか」を、あなた自身が考えると同時に、店員の意見も聞いてみてはいかがですか?一見奇抜なアイディアも、また「正論」かもしれませんよ。 そして、業績の良い店員には、それなりの「評価」をしてあげる。 業績の悪い店員にも、「業績を上げなさい!」ではなく、「この次は頑張ってね」の励まし・・・でしょうかねぇ。
お礼
誠にありがとうございます。 bungetsu様の文章は何度読んでも胸が熱くなります。 店舗はパチンコ店です。 毎日具体的な数字が出ますので非常にシビアです。 設置機種も立地条件も近隣の競合店と同等であるにも関わらず、業績不振の原因はズバリ、スタッフの危機意識の欠如です。 「本社は経費を投入してくれないので、業績不振は当然だよ・・・。」 という甘えが根本原因です。 現在のリーダー(店長)が部下に対して、後ろ向きの発言が多く、職場全体に“負け犬根性”が蔓延しています。 なんとか知恵を出して窮地を乗り切ろうという意識が低いのです。 「無難に勤務しておけばそれでOK」という感じで一日一日をうまく切り抜けている様に見えます。・・・・という感じだったのですが2ヶ月前に3週間程、私がエリアマネージャーという立場から店長に様々な指摘や指導、プロジェクトの指揮をしたところスタッフが見違える様にやる気を見せ、ほんの少し業績が上がりました。 スタッフがこんなに「素直で前向き」であるということが分かっただけでも大きな収穫です。 「リーダー次第で組織は変われるのだな。」という思いを強く持ちました。 では明日スタッフ全員に対して、bungetsu様が教えてくださった上杉鷹山公の知恵を伝えます。 本当にありがとうございました。
- donguridog
- ベストアンサー率5% (5/100)
売上高予想による、人員削減だと思います。
補足
そのへんを具体的にぜひ。
お礼
bungetsu様 誠にありがとうございます。 感動致しました。 「付加価値」という点は創意工夫を感じますね。 刺激を受けました。