• 締切済み

自民党の一党支配が続いたわけを教えてください

自民党の一党支配が続いた理由を選挙制度などから教えてください。 小選挙区や中選挙区はトップ当選のみしか当選できないので 第一党、第二党が当選しやすかったということですか? また、選挙制度がかわった理由や小、中選挙区の問題点なども教えていただけないでしょうか よろしくお願いします

みんなの回答

  • modify
  • ベストアンサー率10% (66/634)
回答No.8

選挙に行かない人が自民党を長年温存してきたと言える。自分一人くらい行かんでも世の中は変わらん! と思っている人が余りにも多い。自民党はそんな人のお陰でこれからも政権を握り続けるでしょう。

  • edoduki
  • ベストアンサー率15% (68/445)
回答No.7

90年代に入るまではなんだかんだで上手くやってきたからです。 同時にその間に政官財の癒着による腐敗も進んできました。そういった腐敗の中やがて権力に群がるだけの政治家ばかりが自民党に増え、またそれを自民党員たちも好み、よりいっそう腐敗の構造が色濃くなって、何はなくとも権力党という理念無き政党自民党ができあがって行ったと言うことですね。

回答No.6

政策の内容はさておき、選挙制度で、というのであれば、自民党と共産党しか、政権を取るつもりがなかったから、というのがあげられます。 少なくとも、野党第1党であった社会党に政権を取るつもりがなかったから、ということが言えます。 中選挙区制というのは、選挙区の中で、上位数名が当選する、というシステムです。 国会で政権を獲得するためには、議会の過半数の議席数が必要になります。もし、A区という選挙区の定数が3人であったなら、最低、その選挙区からは2人を出していなければ、政権を獲得することはできません。 仮にA区の政党別の得票率が、自民党50%、社会党30%、共産党20%だとします。 この場合、もっとも得票数を獲得した1人が議席を獲得する小選挙区制ならば、自民党がすんなりと議席を獲得します。しかし、複数の議席の場合、そこで、政党の戦法が重要になってきます。 そこで、考えられるパターンは以下の通りです。 ・自民党、社会党、共産党が全て3人ずつ候補をたてた場合。 自民党の各候補は16.6%の得票数、社会党は各10%、共産党は各6.6%です。すると、自民党が3人当選となります。 ・自民党、社会党が3人、共産党が2人の場合。 自民党は16.6%、社会党は10%、共産党も10%。自民党が3人当選。 ・自民党3人、社会党2人、共産党2人の場合。 自民党16.6%、社会党15%、共産党10%。これでも自民党が3人当選。 ・自民党3人、社会党2人、共産党1人の場合。 自民党16.6%、社会党15%、共産党20%になります。この場合、共産党が1人、自民党が2人の当選者になります。 ・自民党2人、社会党2人、共産党1人の場合。 自民党25%、社会党15%、共産党20%で、こちらも自民党2人と共産党1人です。 ・自民党2人、社会党1人、共産党1人の場合 自民党25%、社会党30%、共産党20%。よって、自民党2人、社会党1人が当選です。 ・自民党1人、社会党1人、共産党1人の場合。 それぞれ1人ずつ当選。 と、これだけのパターンがあるわけです。 ただ、単独で過半数を取るためには、最低限、2人以上を公認しなければなりませんから、自民党は必ず2人以上の候補を擁立していました。その結果、自民党同士で食い合って共倒れ、ということもしばしばありました。 一方、社会党は、そのようにせずにいた部分が多くありました。上のパターンでもわかるように、候補を絞れば、過半数はとれずとも、1人は当選させることができたからです。政権を獲得して、政策を実施するのではなく、当選者を出して、野党として存在感を示し、政策に意見を反映させる、というのが社会党の方針だったのです。 数字の裏付けもあります。例えば、消費税導入を巡って反自民の勢いが強かった1990年の衆院選。衆院の定数512人に対して、社会党は149人しか候補を立てていません。もし、全員が当選したとしても、これでは政権を取れません。同じ選挙で自民党は338人の候補を立てています。 つまり、ここでわかるのは、中選挙区の選挙戦略の中で、自民党以外は、そもそも過半数を取ることを放棄していた、ということが言えると思います。 それが自民党による一党支配が続いた大きな要因と言えると思います。

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.5

自民党の一党支配の成功要因は、冷戦時代に、共産主義・社会主義に対する恐怖心が国民や財界にあり、当時の野党第一党だった社会党(現社民党)より、自民党に票が流れたからです。これが一番、大きな理由です。だから、冷戦が終わるとともに、自民党の力が落ち始めたわけです。 選挙制度について言えば、昔の衆議院の中選挙区制度は、強力な与党である自民党にとって都合の良いものでした。中選挙区で上位複数が当選という制度だと、複数の自民党議員が内部で競争を繰り広げることで、ますます党勢が増し、死に票が少ない分だけ自民党候補が複数当選するという状態にありました。 衆議院はその後、2大政党制の実現をめざすべく小選挙区比例代表並立制という制度に変わりますが、自民党は勢いが衰えながらも、強力な組織力を誇る公明党と組んで、与党の地位を保っています。この選挙制度は、選挙を何回と重ねるごとに、2大政党へと勢力が収束してゆき、政権交代が日常化するというメリットがある一方、少数意見の政治への反映が難しいという問題点があります。 参議院の選挙制度は、衆議院とは違った問題点を持っています。いわゆる1票の重みの格差が、衆議院は2倍程度で収まっているので合法的なのに対し、参議院は5倍もあるのです。これが正しい選挙制度と言えるのか、難しい課題です。個人的な意見を言えば、選挙区の概念をなくして、全国区や比例代表のみにしてしまえば良いと思います。これなら、1票の重みの格差という問題は存在しませんし、衆議院とはちがって、少数意見の政治への反映もやりやすくなるでしょう。

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6195)
回答No.4

 簡単にいうと自民党が現在ある政党の中では比較的まともだからです。  しかし、その閉塞感からゆえか、このままではいけないと戦後、何度か自民党の一党支配が崩れた時期がありました。  近年の例では  社会党 村山政権  新進党 細川・羽田・海部政権です  しかし、村山政権では阪神・淡路大震災の時自衛隊による救済活動を止めて大量の死者を出した経緯  そして、新進党政権では混乱で政局が無茶苦茶になりました なんだかんだ言って まだ・・・自民党がマシなんです

回答No.3

自民党の一党支配は85年頃に終わっています。 80年代後半は自公民体制(自民・公明・民社) 93年、自民党が大分裂を起こし野党に転落します 94年、選挙制度改革が実施されたものの、反自民勢力が破綻     自民・さきがけ・社会党によって社会党政権が生まれます 96年、自民党政権復活(自さ社連立政権) 97年、新進党の崩壊があり、連立解消もあって自民党単独になります 99年、自民党・自由党・公明党の連立体制 00年、自公体制に移行 現在に至ります。 小選挙区比例並立制導入は現在の野党である民主党系議員の希望(政策内容によっては政権交代が起こりやすい)で成立した制度だったのですが、96年の総選挙で新進党(大半が現在民主党議員)が大敗北します。それ以降も自民党が有利な状況です。結果的に大きな波が起きたのは96年の総選挙で新進党(当時の党首は小沢一郎)が惨敗し、国民は反自民より自民の方がマシを選んだときです。  中選挙区制では地元の要望や組合の意向を受けた議員が当選しやすいものの、地元に密着した自民党の方が有利という状態でした。  小選挙区制に移行することで良い政策が打ち出せるかがカギになります。 次期総選挙は次の点が論点になるのではないでしょうか? 自民党…21世紀に進めた政治・財政改革への審判(公共事業・財政支出の抑制)…浮動票を中心とした選挙 民主党…公務員の権益保護と郵便局再国有化、大規模公共事業の実施…自治労・郵政関係者などの組織票を中心とした選挙 国民新党…土木工事を中心とした公共事業の復活

回答No.2

複雑な部分ははしょって、簡単な仕組みだけ説明しますね。 各地方で当選するためには、地方をうるおす必要があります。 どうやれば、うるおうかと言うと、公共事業を引っ張ってくるのです。 そうすれば、工事がはじまり、ゼネコンがうるおい、 ゼネコン雇われた人がうるおい、 その食事や生活必需品を供給する人たちがうるおいと 地方景気がうるおいます。 では、公共事業を引っ張るにはどうすれば良いかというと、 中央官庁への人脈と賄賂が必要になります。 当然、中央官庁を制しているのも、自民党なので 自民党の方が、他の政党より有利になります。 公共事業、賄賂、人脈という仕組みを一旦作ってしまえば、 日本の選挙の仕組み上 第一政党が落ちる事は、 これまで、ほとんどありえなかったのです。 道路財源をこれほど、反感をかってまで、確保するのは その仕組みにすがって来た裏返しでもあります。 地方の人にすれば、自分たちがうるおえば、 日本がどれだけ借金をしょいこもうが、 考えない身勝手な人が多かった結果でもあるでしょう。 彼らにしてみれば、 そのつけを払うのは、孫子の代の話なので

  • urirsz
  • ベストアンサー率16% (1/6)
回答No.1

良くも悪くも現実的な政策をとってきたゆえに支持されたんでしょう。 とりあえずここまで発展させた功績は大きいです。 まず、中選挙区はトップのみが当選するわけではありません。 ゆえに与党候補が2人当選したりするわけで派閥政治になったわけですね。 小選挙区は政権交代が起こりやすく、与党が下手をすると一気に野党が当選します。前の衆議院選挙では与党が2/3も握りましたよね。 今度はどうかしりませんが、与党は苦戦を強いられそうです。 中選挙区はその点無茶に議席数が変わらないので安定と言う面もあります。また死票が減ります。ゆえに民意の反映という観点からは小選挙区より良い制度かもしれません。 変わった理由などはWikiなどで見られたほうが背景が詳しくて宜しいかと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA%E5%88%B6

関連するQ&A