政策の内容はさておき、選挙制度で、というのであれば、自民党と共産党しか、政権を取るつもりがなかったから、というのがあげられます。
少なくとも、野党第1党であった社会党に政権を取るつもりがなかったから、ということが言えます。
中選挙区制というのは、選挙区の中で、上位数名が当選する、というシステムです。
国会で政権を獲得するためには、議会の過半数の議席数が必要になります。もし、A区という選挙区の定数が3人であったなら、最低、その選挙区からは2人を出していなければ、政権を獲得することはできません。
仮にA区の政党別の得票率が、自民党50%、社会党30%、共産党20%だとします。
この場合、もっとも得票数を獲得した1人が議席を獲得する小選挙区制ならば、自民党がすんなりと議席を獲得します。しかし、複数の議席の場合、そこで、政党の戦法が重要になってきます。
そこで、考えられるパターンは以下の通りです。
・自民党、社会党、共産党が全て3人ずつ候補をたてた場合。
自民党の各候補は16.6%の得票数、社会党は各10%、共産党は各6.6%です。すると、自民党が3人当選となります。
・自民党、社会党が3人、共産党が2人の場合。
自民党は16.6%、社会党は10%、共産党も10%。自民党が3人当選。
・自民党3人、社会党2人、共産党2人の場合。
自民党16.6%、社会党15%、共産党10%。これでも自民党が3人当選。
・自民党3人、社会党2人、共産党1人の場合。
自民党16.6%、社会党15%、共産党20%になります。この場合、共産党が1人、自民党が2人の当選者になります。
・自民党2人、社会党2人、共産党1人の場合。
自民党25%、社会党15%、共産党20%で、こちらも自民党2人と共産党1人です。
・自民党2人、社会党1人、共産党1人の場合
自民党25%、社会党30%、共産党20%。よって、自民党2人、社会党1人が当選です。
・自民党1人、社会党1人、共産党1人の場合。
それぞれ1人ずつ当選。
と、これだけのパターンがあるわけです。
ただ、単独で過半数を取るためには、最低限、2人以上を公認しなければなりませんから、自民党は必ず2人以上の候補を擁立していました。その結果、自民党同士で食い合って共倒れ、ということもしばしばありました。
一方、社会党は、そのようにせずにいた部分が多くありました。上のパターンでもわかるように、候補を絞れば、過半数はとれずとも、1人は当選させることができたからです。政権を獲得して、政策を実施するのではなく、当選者を出して、野党として存在感を示し、政策に意見を反映させる、というのが社会党の方針だったのです。
数字の裏付けもあります。例えば、消費税導入を巡って反自民の勢いが強かった1990年の衆院選。衆院の定数512人に対して、社会党は149人しか候補を立てていません。もし、全員が当選したとしても、これでは政権を取れません。同じ選挙で自民党は338人の候補を立てています。
つまり、ここでわかるのは、中選挙区の選挙戦略の中で、自民党以外は、そもそも過半数を取ることを放棄していた、ということが言えると思います。
それが自民党による一党支配が続いた大きな要因と言えると思います。