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永遠の命
仮に永遠の命を得たとして、 あなたならどのように過ごしますか? 永遠に遊び呆けますか? それとも働いたり、遊んだり、勉強したり、悩んだり、恋をしたり、くだらないこともしたり、今と変わらない事を続けますか? それともできるだけ他人の為に役に立てるよう生きていきますか? 割合など(永遠に割合というのもおかしな話ですが)お聞かせ下さい。 生活圏は永遠にこの世にいるわけではなく、あの世に行ったり、また出てきたりで過ごしていけるものとします。
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hosiboshiさま、こんにちは。 思うところを書いてみたいと思います。 「永遠」は「永遠よりちょっと前から永遠よりちょっとあとまでの観測者がいなければ、そもそも成り立ちません」…この文自体も成り立ちませんがw 結局は過去も未来もこの「今」この瞬間の連続の中には存在しないですから。つねに初めてで一度きりの「今」を生きているのですね。つねに変わり続けているから何かを感じたり考えたり出来るわけで。 「永遠」と言うと「変わらない」というくくりが出てくるように感じます。 もしそうなら「永遠」と言った時に「命」は成り立たないという考え方も出てくると思います。 <<生活圏は永遠にこの世にいるわけではなく、あの世に行ったり、また出てきたりで過ごしていけるものとします。>> とのことですので、「無限」(限りが無い・きりが無い)輪廻の繰り返しの中でいろいろな生を死を繰り返すと言う可能性を考えたとき。どのように生きるかですね。 この世の中は思い(自分勝手な考え・感情)とおりにいかず、法則にのっとって常に移ろい行くものというのは現代の物質科学や人の心の流れを観るに明らかなことと思います。 自分勝手に妄想し、他者の迷惑にも、(そのときは良いと思っても法則的には)自分にとっても迷惑で悩み苦しみの多く発生することをなせば、どうもがいてもその結果は出るでしょう。 逆の、明確に物事をみて、他者の役にも立って、自分の役にも立つことで悩み苦しみを減らす、滅することに励む人にとっては、どうもがいてもその結果が出るでしょう。 「今」を善く生きるか悪く生きるかによって、その次の瞬間に「悩み苦しみ」を生むのか減らすのかが決まってくると考えます。 次に生まれるところが決まるとしても、この法則が道を決めるように感じます。 結局は今の我々がどう生きるのかと言う問いとなるように感じます。 その上で回答を試みようと思います。 生きていくこと自体他の生命を搾取し、散々に迷惑をかける存在だと感じています。ただでさえ苦しみを多く生むのに、妄想で感情で煩悩で身口意の行動によってさらに多くの苦しみを自他に生んでしまっています。 まずこの余計な自他への苦しみをなくすべく、道徳的な生活を心がけ(戒・楽に生きるための生活の法則)慈悲喜捨の心を育て(定・集中力)、妄想概念に飲まれないように「ありのまま観る(ヴィパッサナー)」訓練をします。 気楽にくつろぐ様に、今やるべきことを理解しきちんとやる、不放逸の態度で。無理しすぎないように適度の俗世の楽しみを教授しながら気楽に精一杯。 そして最終的には、悟り、生まれの性質を絶ち、涅槃に入ること、にチャレンジしたいと考えています。 始めた瞬間から心軽く徐々に執着を絶ち、自他の苦の減少、幸福を享受できるこの八正道を一歩一歩歩いていきます。 スマナサーラ長老のダンマパダの本「一日一話」「一日一悟」や「一日一話366話」・「現代人のための瞑想法」がおすすめの書籍です。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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- 8942
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物理学者になります。 この世の仕組みを解明するため 永遠の命をもって解明し続けたいです。 どこまでも解明し続けるのです。
お礼
勉強はいいですね。 自分から興味のある分野なら、かなり楽しい要素が多いと思います。 回答有難うございました。
- dongri5656
- ベストアンサー率8% (8/100)
永遠の命があったら自殺してみたいですね。 >遊んだり、勉強したり、悩んだり、恋をしたり というのは飽きますよ。恋や女も同じ相手だと 一週間で飽きてきてうざったくなります。 セックスも同じですね。結婚してわかりました。
お礼
回答サンクスです。 参考にはなりました。 でも最初の一文はそうなる気もいたします。 死にたくなる場面も多くなるかもしれません。
- koko_u_
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第一段階 人類が滅亡するまでゆるりと過ごす。最後の一人が死に絶え、自分が永遠の命を授かったと知るでしょう。 第二段階 地球が消滅するまで腰を落ち着けて待つ。太陽の業火に焼かれて真理を悟るでしょう。 第三段階 宇宙がその役目を終えるまで精神のみの存在として漂う。時間の概念は喪失し永遠と思われた命は終焉を迎えるでしょう。
お礼
終わりがなければ辛いかもしれません。 終わりがなければ孤独と戦うことが多くなるでしょう。 人は永遠を望まないし、実際耐え切れないと思うのです。 永遠を得た場合、払う代価は永遠との戦いになるのかもしれません。 とても手強い相手だと思います。 死に救いや希望を見ている部分もわずかながら人間にはあるからです。 回答ありがとうございました。
お礼
回答有難うございます。 >「永遠」は「永遠よりちょっと前から永遠よりちょっとあとまでの観測者がいなければ、そもそも成り立ちません」…この文自体も成り立ちませんがw これは至極最もな永遠に対する答えだと思います。 無限 なども当てはまると思います。 そしてこの観測者に当たる単語も存在だけはしていますので、想像や物語を描く場合などは永遠という物をある程度リアルに考えたり組み立てることもできます。 >気楽にくつろぐ様に、今やるべきことを理解しきちんとやる、不放逸の態度で。無理しすぎないように適度の俗世の楽しみを教授しながら気楽に精一杯。 そして最終的には、悟り、生まれの性質を絶ち、涅槃に入ること、にチャレンジしたいと考えています。 これらは永遠の命がなくとも100年の人生があれば可能ではないかと思えます。 やはり途方も無い年月ですので、なにかを生み出す(作る)のが良いのではないかと思います。 これは自分の場合ですので、涅槃に入ることでも大勢の人を数に限りもなく救ったり安らげたりすることが出来るだろうし、とても良いことだとおもいます。 個性によってやはりできることが違うのは当たり前ですし。 口答で答えることが出来るだけでも回答者様が高い人間性を秘めているであろうことが思われます。 素晴らしい人生を送られますことを。 >俗世の楽しみを教授しながら気楽に 今しか出来ないことや他者との係りを存分に楽しんでくださいませ。 ご回答ありがとうございました。