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「命は大切だ」とか「生きているだけで素晴らしい」とか言う人が嫌いです。
私はmixiをやっているのですが、「命は大切だ」とか「生きているだけですばらしい」といった内容の日記を書く友人がいます。私はそのようなことを臆面もなく言う(書く)人が虫酸が走るほど大嫌いです。しかし、なぜそのようなことを言う人が嫌いなのか、うまく説明することができません。この私の気持ちを説明しているような本などはありませんでしょうか。中島義道さんなどが書いているかも…と思って探してみましたが、見つけることができませんでした。 また、それ以外にも、「命は大切である」「生きているだけですばらしい」という意見に疑問を呈し、反論しているような著作、もしくは、そうである理由を分かりやすく明確に論じている本も同時に探しております。心当たりのある方、オススメの本がある、という方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただきたく思います。よろしくお願いいたします。
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わたしも中島義道さんなら書いているような気がします。 昔読んだ記憶があるのですが『私の嫌いな10の人びと 』(新潮社)にあったかなあ、と思って検索してみたら、こんなページがヒットしました。 http://www.shinchosha.co.jp/books/html/439703.html ここにある 「定型的な言葉を使って何の疑問も感じない人。自分の信念を正確に表現する労力を払わない人。周囲から発せられるその時々のサインを尊重せず、自分の殻(安全地帯)の中に小さく閉じこもってしまう人。」 というのが、質問者さんの > 「命は大切だ」とか「生きているだけですばらしい」といった内容の日記を書く友人がいます。私はそのようなことを臆面もなく言う(書く)人が虫酸が走るほど大嫌いです。 の答えになるのではないでしょうか。 あと、いっそ倫理学の本を読んだ方がいいかもしれません。 加藤尚武の『現代倫理学入門』には、 「10人の命を救うために一人の人を殺すことは許されるか」とか 「10人のエイズ患者に対して特効薬が一人分しかない時、誰に渡すか」 と具体的な問題が提起され、「倫理的に考える」というのはどういうことかが示されています。 具体的な問題にもっと興味があれば『倫理問題101題』(マーティン・コーエン ちくま学芸文庫)もおもしろい。 この本には「どう考えたらいいか」という考え方の筋道は示してありますが、結論は出してありません。 たとえばこの本のジレンマ1に、沈んでゆく船から救命ボートで逃げようとしているときに、「ひとりでも多くの船員を助けるべきかどうか」という例題が載っているのですが、「命は大切だ」とか「生きているだけですばらしい」といった定型文では解決できない問題ですよね。 そういう定型文を使う人を批判するならば、質問者さんの側に、もういっぽ踏み込んだ考えなりなんなりというものを持っていくことが必要ではないのでしょうか。そういうときの、考える訓練の助けになると思います。
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- O_tsu_kid
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「ジョニーは戦場に行った」 ・・・悲惨すぎるかも。本当は読まないで欲しいくらい。 映画「蛍の墓」も。 生きていてあれだけ悲惨なら、とても「生きているだけですばらしい」 なんて言えません。 あと思いついたらまた書きます。
お礼
戦争の話ですか…読んでみます。 生きていても悲惨な状況であるのを見ると、とても「生きているだけでいい」とは思えませんよね。ご回答ありがとうございます。
haraguro5さんには「嘘」「欺瞞」「偽善」に聞こえるのでしょう。 普遍的見解ではありませんが、了解可能です。 特に「嘘」についての参考文献。 それと「博愛」も研究するといいでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。嘘と博愛ですね、分かりました。
ウルトラマンとかスーパーマンが言うなら構いません。 かなり強いからどんな命でも救えるでしょう。 しかし「弱者は助けてもらって当然の権利がある。自分で強くなる義務はない」という発想を帯びたらやですね。 人間の優しさも強さも限界があります。それでも生命尊重以上のものを証明しようとした「武士道/新渡戸稲造」 なんかをお勧めします。
お礼
ご回答ありがとうございます。武士道、読みます。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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haraguro5さんがANo.2のお礼で書いているのを呼んで、気持ちが分かる気がしました。 私もあまりにもまともなことを、まともに、一言居士のように、大声でいう性(さが)でして、よく反発されてきました。 反発されると、余計分かってもらいたくて、余計しつっこくいうのですね。そうするとへそ曲がりは反対の態度をとったり、皮肉ったり、斜めに構えて対応するのですね。 ずいぶん納得できなかったけども、haraguro5さんの側で回答をかくという立場で、そういう人の気持ちが理解できました。 今次のご質問で出てきているお友達のこととは或いは違うかも知れませんが、勉強になりました。私には知恵の矢として今後、心していきます。
お礼
私のわがままな意見を勉強になったと言っていただいて恐縮です。ただ、このように意見を交わすことでお互いいろいろと考えるきっかけになって、いいですよね。
ちょっとまだ、ご質問の骨子自体が定まっていなかったのかな? >なぜ私は「得意気に語るのが気に食わない」と思ってしまうのか、という疑問がわいてきたのです。 あなたが >得意気に語る >臆面もなく 言ってる(書いてる)という感じを持ってしまうのは何故か。 これまでのご回答者がたと、あなたのお礼の文を拝見するところによれば、どうやら 「分かってもおらんだろうくせに分かったような口きいてやがる」 「ごリッパな演説を垂れてやがるが、てめえはどこまで理解したうえで実践できてんのかよ」 というようなハンパツ心を感じておられるらしい。そういうことで宜しいですか? そして、あなたご自身は >実際、その友人の言っていることは至極真っ当であることはわかっております。 ということですから、そういう考え方に基本的には同意する立場なんですね? それなら要は「わざわざ言うんじゃねーよ」というハンパツ心だけが理由ということになりますか? しかし、わざわざ言ったっていいじゃねえですか。 俺なんか「恥ずかしくて」言えねえよ、よく「臆面もなく言えるなぁオメエはよ」という程度のことなら、「恥ずかし」いと思わない者は言うでしょう。それだけのことです。 >なぜそのようなことを言う人が嫌いなのか、うまく説明することができません。 恥ずかしい、とか恥ずかしくない、とかいう感性の違いが問題だと思ってるのか、分かってもいないだろうことを「臆面もなく」言ってのけることを「恥ずかしく」思わないことが問題だと思ってるのか。 感情的なものでしかないのなら「うまく説明することができ」ないのは当然です。これは、あとで申し上げることとも密接に関連してくることです。 ところで >「命は大切である」「生きているだけですばらしい」という意見に疑問を呈し、反論しているような著作、もしくは、そうである理由を分かりやすく明確に論じている本 >普遍の真理としての「命は大切である」という理由を説明できません。 そのことを批判している本だけでなく、明確に大切であると説明している本も同時に探しているのです。 こちらが実は、ご質問の本意であるとするなら、なるほど、 >理由を分かりやすく明確に >普遍の真理としての「命は大切である」という理由を >批判している本だけでなく、明確に大切であると説明している本 が、見つからないとあっても不思議ではないでしょう。 宗教的の教えでもなくて何処の誰が、そういうことを「明確に」「大切であると」「理由を」「説明」できますかね? 人を殺しては何故いけないのかを哲学的に説明するのが、なかなか困難であるのと同じことです。 その「SNSで得意気に語る」のが、あなたのご友人ならば 「命は大切だ」「生きているだけで素晴らしい」 そう思う理由を根拠を挙げて説明してみろ、と本人に対してツッコんでみたらいい。 もちろん宗教に関係なくして、明確な根拠を挙げることなどできずに情緒的な確信モドキでしか返答できないでしょう。そこで「結局分かってもおらんくせに臆面もなく得意気に語るのは、やめとけよ、なっ」と言ってやりゃいいんでは? そして、ついでと言っちゃなんですが、あなたご自身が 「命は大切だ」と思うなら、それは何故か。思わないなら、何故か。 「生きているだけで素晴らしい」と思うなら何故か。思わないなら、何故か。 を、考えてみることです。 確かに、上滑りしたような言葉に反感を感じるのは共感しますが 人の言ったことや意見に、うまく説明はできないけどハンパツせずにいられないというときは >虫酸が走るほど大嫌いです。 という質問者ご自身の言葉にも表れているように、自分自身も感情だけでしかないことも多い。相手に、ただハンパツ心を向ける前に、そうせずにいられない己自身に問うてみる。自分を棚にあげたテツガクなどありゃしません。 医療関係の道に進まれるなら「定型的な言葉を使って何の疑問も感じない人」こういう、いわばステレオタイプ的思考力しかない人は患者にとっても困り者でしょう。 >自分を確立し、信念を持って正しいと思えるように行動できるような人間になりたい 「信念」というのも難しいもので、自己の欺瞞に気づかない人の「信念」ほど傍迷惑なものはありませんので、そのへんは用心してください。実際、行動に移す段階になると「SNSで得意気に語る」レベルでは済まなくなります。 これを良い機会に、自分自身を徹底的に追及する道具としての言葉の扱い方を学んでみてはいかがかと思います。
お礼
「命が大切だ」ということを明確に説明することが難しいのはわかっております。だから哲学という学問が成立するのでしょうし。ただ、「こういう理由で命は大切だと私は思う」と言っている方はいるかなあと思いまして。 私も一応は考えています。「生きているだけで素晴らしい」とは必ずしも思いません。理由も説明できます。が、「命が大切である」もしくは「大切でない」はいまだ分かりません。考えてはいるのですが。 自分の欺瞞ですね。気を付けます。ご回答ありがとうございます。
- w-hiterose
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私の命は大切だ、だからあなたの命もまぁ大切だ。 私が生きている!そのことだけですばらしい。だからまぁあなたも生きてるだけですばらしい。 そんなところではないでしょうか? 近しい人の死を心から悲しんでいる人も、 「あなたがいなくて“私が”さみしい・困る。」 生きたいと願っていた人が、不慮の事故で亡くなった無念に思いをはせて、いたたまれなくなることはあるでしょうね。 私は生きているだけですばらしいとも、命はそれだけで大切だとも思えません。生きていることが正しいことなのかもわかりません。 もし、全ての人が急に神の声が聞こえて(創造主でも閻魔様でもいいやw)、「生きていること、神から離れて俗世で生きようとすることがあなたがたの原罪だ。それに気づかず生を願う者は地獄行き!」と言われたら? 地獄に行きになっても、二度と神の下へ帰れなくても、それでも生きたい!命は大切だ。という人には本当に大切なのでしょうね。(それが罪でも、です。) 反論している本ではありませんが、個人の自我は個人だけのもの、という一元論(唯脳論?)を説いてる? 前野隆司さんはどうでしょうか? 命は大切だ。なんて普遍な事柄のように語られるのが私も好きではありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。前野隆司さんですね。ぜひ読んでみます。
- hosiboshi
- ベストアンサー率9% (15/158)
この世の中には宗教がないと生きられない、まともには生きてはいけないようなところが多く存在しています。 失礼ながら、そういう世界を知らない、物質的にひどく恵まれた場所にいるからこそ、こういう(「命は大切だ」とか「生きているだけで素晴らしい」とか言う人が嫌いです)言葉が出てくるのではないのでしょうか。 人間の見ている世界は様々です。 現代の日本であっても、そういう言葉が自然と出てくるようなひどい時間を過ごしてきた方もおられます。 大変失礼ですが私はこういう言い方をされる方がとても嫌いです。 質問者様は前に進もうとしてこういう考え方をされているのだと感じたので、根本的に人間的に嫌いだというわけではありません。 ただもういいも悪いも無いでしょう。大人であろうが子供であろうが考え方のレベルも様々で、子供でありながら老けていたり、大人でありながら幼稚。人間は各人のレベル差が激しすぎると思うのです。 そして幼稚な大人が校長や医者になり、ひどく優れた人物が、一手に労を負うのです。 ただ、ただの前向きな文章すらを否定できるということは、あなたがひとりの人としてはかなり未熟であることの証明でもあると思うのです。
お礼
確かに私は恵まれていると思います。世の中にはとても酷い状況で過ごしている人がいることも分かっています。しかし、すごく貧しく、食糧もろくにない困窮した生活をした人が、恵まれた人が「生きているだけで素晴らしいんだよ」と言っているのを聞いたら納得されると思いますか。私はそうは思いません。むしろ殴られても文句は言えないと思います。まあこれは極端な話ですが。 >ただもういいも悪いも無いでしょう 私はいい、悪いと言っているのではなく、「嫌い」だと言っているのです。 >ただ、ただの前向きな文章すらを否定できるということは、あなたがひとりの人としてはかなり未熟であることの証明でもあると思うのです。 これは言われてみるとそうかもしれません。 hoshiboshiさんのように私の意見に否定的な意見を述べていただけると、非常に参考になります。決して皮肉ではなく。ご回答ありがとうございます。
- nabayosh
- ベストアンサー率23% (256/1092)
まあSNSに限りませんがね、本当のことでも堂々と主張すると、かえって疑わしくなるのです。 「今何かしてたでしょ」「ううん、なんでもないよ」 本当になんでもなかったとしても、「なんでもないよ」という主張は疑わしくなる。 そんな言葉のマジックがあるのかもしれません。 「命は大切だ」とか「生きているだけですばらしい」といった主張は、ことさらにするとわざとらしく、かえって逆なのではないかと疑わしく感じるものではありますね。 つまり、haraguro5さんも「命は大切だ」「生きているだけですばらしい」と<信じたい>タイプの人なのではないかな、と思うのです。 内心信じたいタイプの人が、言い当てられたかのような主張をされると、かえって信念が揺らぐということはありそうです。 天の邪鬼的な性質が、嫌悪感を覚えるのかもしれません。 まあこれは憶測なんで、外れているかもしれないし、外れていたとしても誰が困るものでもないので、参考程度に。l で、私なんですが、私もかなりのひねくれものでして、形容詞を信用しないんですよ。 「命は大切だ」……大切大切というけれども、どれだけ大切かということがわからない。際限なく大切にすることもできるし、少し粗略めに大切にすることもできる。それで形容詞は話半分に受け取ることにしています。ひねくれものの私としては、「命は大切だろう、でも命は大切だというほど大切ではない」という風に感じています。 で、私のような人間からすると、「生きていることはすばらしいと同じくらいすばらしくない」と思っているくらいですから、haraguro5さんの友人の語り口には偏向を感じざるを得ません。 嫌悪はしないけれども、しらけます。
私は命を大切だと考えていますし 場合によりますが、生きているだけで素晴らしいといった言説に 非常に説得力を感じます。 ただ、ポイントは > そのようなことを臆面もなく言う ことですよね。 > 虫酸が走るほど大嫌いです。 話が逸れますが ファッションデザイナーの山本耀司氏を追った映画「都市とモードのビデオノート」 http://www.amazon.co.jp/%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%A8%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E7%89%88-%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9/dp/B000G1R3SA のオープニングが、確か「アイデンティティ、大嫌いな言葉だ、虫唾が走る。」 というセリフだったと思うのですが ふと、その映画のことを思い出しました。 そういえば耀司さんがある講演で 「僕はイッセイさん(同じファッションデザイナーの三宅一生氏のこと)みたいに 世界はひとつだ~!なんてことは思っていても、恥ずかしくて言えませんが」 と皮肉っていましたが、私もどちらかというと耀司さんに近い意見を持っています。 > この私の気持ちを説明しているような 多分「命は大切だ」とか「生きているだけですばらしい」という言葉には ドグマティック(教条主義的)な響きがあるのだと思います。 こういう言葉を使うときは気をつけないと ファシズム的~非常に全体主義的で排他的に見えることがあると思います。 だから「そのようなことを臆面もなく言う人」は懐疑力に欠けると感じますし そのデリカシーのなさには特に恐ろしさも感じます。 以上、私による説得力のない説明でした。 私からのおススメの本ですが > 「命は大切である」「生きているだけですばらしい」という意見に > 疑問を呈し、反論しているような著作 というリクエストにピタリと的中するものは思いつきませんし あまりにストレートに的中しているのも、これまた嘘っぽいような気がしましたので ちょっと変化球で、坂口安吾の「日本文化私観」と「堕落論」をおススメします。 坂口安吾と言えば、無頼派を代表する作家ですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%A0%BC%E6%B4%BE 「日本文化私観」「堕落論」ともに青空文庫で読むことが出来ます。 http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42625.html http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42620.html
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も坂口安吾は好きで読んでおります。「私は海を抱きしめていたい」が好きです。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
- ベストアンサー率29% (231/773)
こんにちは。 たとえばこんな光景を想像してみてください。 ____________________________________________ ワイドショーで弓矢が突き刺さったカモが放映されています。 Aさんが「かわいそうに。」とつぶやいています。 Bさんがが「ひどいことする人がいるわね。」とつぶやいています。 さて。 AさんとBさんは今どこで何をしているのかというと、 高級料亭でカモ鍋を食べています。 _____________________________________________ このような、うそ臭さに違和感を感じるのではないですか? 生きるためには他の命を犠牲にせざるを得ない、 というのは当たり前のことで、 「命を大切に思う」人なら、 そのことに「罪」を感じつつ、 「罪」を感じつつ、 どうしようもない矛盾を抱えて生きているのだけれど、 ある人はその矛盾を抱えることを放棄し、 自分は神聖である、と言って生きている・・・ ・・・ように見えるところに疑問を感じるのではないですか? わたしとしては、 わたしは生きていたいです。 たぶん他の人・生き物も、生きていたいのじゃないかなあと思います。 ですから「できる限り」「命を大切に」したい、とは思ってます一応。
お礼
ご回答ありがとうございます。 その通りですね。その矛盾は抱えて生きていきたいですね。参考になります。
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お礼
URLまで張り付けていただき、ありがとうございます。やはり中島氏が書いているのですね。私は中島氏のように自分の感情を分析することがまだ上手くできないのですが、この中島氏の「定型的な言葉を使って何の疑問も感じない人」というのは近いです。ただ、それを完全に答えとしてしまいますと、それこそ中島氏の言う「物事をよく感じない人、よく考えない人」になってしまいます(笑)というのは冗談ですが、みなさんのご回答に返答している間に少し自分の考えも少しまとまりつつあります。 加藤尚武の『現代倫理学入門』ですか。内容を見る限りかなり興味があります。私は将来、医療関係の仕事につくつもりでいるので、必読ですね! ご回答ありがとうございます。