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どんどん自分の世界が狭くなっている気がします。

欝で、短期間ですが休職しています。 食事はなんとか一日1、2回取っており、最近暑いので なんとかお風呂にも毎日入れています。 でも、毎日寝て、また昼寝して、夜はぼんやりしてすぐ寝るという 繰り返しと、何をしても(たとえば、楽しいコントのビデオを見たりしても)つまらなく感じたりするようになり、ごちそうもぜんぜんおいしく感じません。 テレビでよく、夢に向かってがんばっている若者や 成功した人のドキュメンタリーが流れますが、それを見ると とんでもなく苦痛になって、すぐにチャンネルを変え、アニメなど自分にとって無害な番組に変えてしまいます。 心療内科に通院しており、先生に上のような話をして 先生もメモを熱心に取り、しっかり聞いてくれているようですが 毎回長期の休職を薦められ、同じ薬をくれるだけです。 日ごとに自分がだめになっていくようで、辛いです。 考えがまとまらなくなって、変な文章になってすいません。 完全に愚痴の内容ですが、アドバイスください。すいません、よろしくお願いします。

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  • x-nishi
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回答No.1

こんにちは。 毎日がつまらないって、つらいですよね。 休職している後ろめたさも手伝っているのかなと思います。 でも、人間誰もが、生まれてから死ぬまで、幸せで元気で全力で突っ走れるわけではないですよね。 学校教育というカテゴリーでは、希望の学校に入れなくて浪人する人がいる。 恋愛や結婚というカテゴリーでは、いい人に出会えなくて足踏みしている人がいる。時には失敗して傷つくこともある。 体の健康というカテゴリーでは、大きな病気をして会社や学校を長い間休む人がいる。 wertyuioopさんの場合は、たまたまそれが心の健康というカテゴリーだった、でも周囲の理解が少ないから、自分が悪者みたいに見えてしまう、というだけなんです。 これから楽しい人生を送るために、ちょっと休憩しているだけなんです。 食事もできていますし、お風呂にもちゃんと入れていますよね。眠くなったら寝ることができる。 心療内科にも定期的に通えている。先生が熱心にメモを取るくらい、自分の気持ちがきちんと話せている。薬もちゃんと飲んでいる。 それでも辛くなったら、こういう場所に自分の言葉で書き込みをして相談できている。 ほら。できることばっかりじゃないですか。 テレビの若者は、無理して見なくていいです。比べる必要もないし、気にする必要もありません。 チャンネルを変えて、自分にとって楽なものを選べばいいんです。これだって自分でできてますよね。 全然だめになってないですよ。今は休憩中だから、狭いところしか見えないだけなんです。休憩が終わったらその時は・・・・

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回答No.3

『精神疾患』は、自我だけで、人生を渡って行こうとする事。 自我だけを、認めて『それ』を、認められない事。 書けい-ー字を『意識』して書こうとする時、痙攣して、字が書けなくなる状態。 対人恐怖ー-人に会う事を『意識して』しまい、人に会えなくなる状態・ 不安障害-ー不安を(必要以上に意識して)心の中を不安でいっぱいにした状態。 パニック障害ー-不安を、『意識』し過ぎてしまい、不安を恐怖にまで大きくしてしまい         今度は、恐怖を、悪いものとして、心から追い出そうとして、かえって、心に         トラウマのように、残してしまう、状態。 不眠症-ー眠る事を『意識』してしまい、眠り難い状態になる事。 これ等は、全て同じ『原因』から、発症しています。自我と『それ』の対立と、矛盾からです。 どうしてかというと、『それ』は、無意識を、司る者、という事から起こされています。 人間が、最高の働きをする時は、『自我』は、関与していません。自我は『それ』に、任せています。 精神疾患の、大本は、自我が、自分で『解けない問題』を、抱えて、立ちすくんでいる、状態です。 無明と言う事は、自分の事が、分からない、という事です。悟りを開くと言う事は、 自分が、自分を知った。という事です。 脳の科学から、『悟りを開く』という事と『禅問答』が解けない事を、説明します。 人間には、左脳と、右脳が在ります。分離脳の研究で1,981年にノーベル生理 学・医学賞を受賞した。ロジャー・スペリーという、アメリカの神経心理学者の研究 成果が、有ります。 要点だけ、かいつまんで述べてみます。左脳の機能は、論理的に物事を、捉える事。 右脳は、空間的、言葉に出来ない物事、というものを担当している、という事です。 さらに、左脳に一つの人格。右脳にも別の独立した人格がある。というものです。 という事から、「人生問題に悩む事や、精神疾患に、陥ってしまう事」は、 「禅問答」を前にして、手も足も出ない『自我』と同じ事です。 それは、分別脳である「左脳」が主導権を握ってしまい、『解けない問題』を前に して「ニッチモサッチモいかない状態と言えます。」 そして、見性するという事は、自我の人格と、右脳の人格(仏性)が、出会うと言 う事です。 もう一度、別の言い方をします。自我が『苦しい』と言う圧迫を仏性から受け続け た時、その苦しみから、自我は『ギブアップ』します。是が『大死一番』です。 もう一度、他の言い方をします。仏性が、自我が苦しんでいるのを、助けようとして 手を、差し伸べています。その手を振り払おう、としている事が、苦しみです。 又、他の言い方をします。有限の身である自我が、永遠の命である仏性を、眺める事が、 『人間苦』です。仏性から言えば、その手を、遮られる事が『人間苦』です。 その出会いで、矛盾と、対立は解消されます。心は、穏やかになります、絶対の安心の獲得です。 それからは、右脳が主導権を持って、生きてゆくようになります。安心は続くことになります。 それは、分別を捨てた、生き方になります。それで禅坊さんは『分別を捨てろ』と言います。 森田療法と、禅というものを、学んで下さい。 禅の中には、不安の解消というものが、在ります。 不安を、不安として、もっと大きくしてしまう、認識の仕方と、 不安を、安心に変える、そういう、認識の仕方があります。 貴方が、ストレスを、安心に変える、そういう認識に変える。 そういう人間に、成長する以外は、安心できないかと思います。

  • my3027
  • ベストアンサー率33% (495/1499)
回答No.2

愚痴を話すのも重要ですよ。 そうですね。私も休職している時、全く同じ事を感じました。。。 何にも興味が無く、TV番組も感情に訴えるのは見れませんでした。好きな映画を繰り返し見ていました。ただ薬でボーとして1日が終わる。半年以上そういう時を過ごしました。病院の医者、カウンセラー、電話相談。誰と話しても、何も解決しませんでした。そして自分の内面ばかりに目がいってる自分に気がつきました。そして誰も助けてくれない事に気がつきました。医者も薬を病気を治してはくれません。「手助け」をしてくれるだけです。最後に前向きに考えをまとめ、立ち上がるのは自分自身です。私はそれに気がつくのに半年以上かかりました。 今は何も考えないで下さい。そういっても考えてしまい、悲観的な事ばかりになってしまうでしょう。矛盾するようですが、そうして考えている内にきっと開き直れる時がくるはずです。そう信じて今は充電してください。

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