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母への気持ちに悩んでいます。(長文です)
私は現在48歳の主婦です。 自分の母親への気持ちに悩んでいます。 現在母は82歳で一人暮らしをしています。 父は、私が14歳の時に病気で亡くなり、私(一人っ子)を育ててくれました。母はあまり体が丈夫ではなく、それでも頑張ってくれてたと思います。 経済的には、かなり苦しかったけど、それはあまり苦労だと思わなかったのですが、母親の「虐待」に苦しみました。 虐待は私が幼少の頃からで、多分躾の為だったと思いますが、 棒きれのような物で、体にあざが出来る程叩かれたり、柱に縛るなどは、日常茶飯事でした。 酷い時は、まな板で叩かれ頭を切った事もあります。 虐待される中で、私は「本当はいらない子供」と自分を責め続けました 父の仕事が、船乗りでしたので、年1、2度しか帰らず、留守を守らないといけない気持ちもあったかもしれません。 父の乗ってる船が港に寄港する度に、母は小学生だった私を一人置いて 父に会いに行ってたのを覚えています。 一応親戚の人には私を見てくれるようには頼んでたとは思いますが、 親戚の人もあまり来てくれなかったので、1週間一人で過ごす事もありました。 現在私も結婚して幸せな家庭を築くことができました。 ですが、一人暮らしをしてる母を看ないといけません。 主人も婿養子になると言ってくれていて、数年前に家を建て母の部屋も 作ってくれました。 私の中で、ずっと引きずってるのです。 あの怖かった虐待・・・。 それにこの年代になってから、母にどう接して良いのかわかりません。 一人暮らしなので1週間に1度は食事を持って行く様にしてるのですが、 自分でも苦痛でなりません。 母親も日に何度も電話を掛けてくるのですが、正直出たくありません。 寂しいだろうと私も分かっています。 主人にも虐待の事は話してません。 こんな私、親不孝なのでしょうか?
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虐待による、心の傷はなくなりませんよね。 私の母はひどいマイナス思考で、小さな事で人の幸せと比較し罵倒し、不幸な話には優越感を感じるらしく機嫌良くなります。 言葉の虐待になると思いますが、人格を否定する言葉を浴びて育ち、思春期には自虐行為・自殺未遂をしたり、胃潰瘍を繰り返し発症しました。父が善良な人だったので、救われましたが、今でも、精神的に躁鬱的な症状が出る時があります。心理学を学び、心理のコントロールができるようになり、子供たちも温かく寄り添ってくるので、守らなければとの想いで強くなれています。 母の反面教師のおかげで子育てには迷いないのですが、時々、子供の人格を否定する言い方で躾をしてしまう事があり、すぐに謝り反省するのですが、染み付いているのかと思うと、とても悲しくなります。 高齢となった今でも変わらず、孫たちにもひどい事を言ってきます。 「私は正直に思った事を言うだけ」と、人間の欲の部分を前面に押し出し、良いことを言ったりしたりすると、偽善だと否定します。 ありがとう。ごめん。は、家族には決して言いません。 やってもらって当たり前。やらないと親不孝者と責めます。 何度も、葛藤がありましたが、そんな母を恨む気持ちは消せません。 ただ、それはそれとして、命のレベルで母に接しています。 命のレベル。 どんなに苦しくても辛くても、命あることに感謝することです。 こうして、生きて、泣いたり笑ったり、愛するこどもたちと出会えたのも、私という命を生んでくれた人がいたから。 辛くなると、途絶えてしまわない命のつながりを考えます。 壮大な気持ちになり、この人がいたから、自分がいる。 これだけで、感謝できます。 今、幸せなのですよね? 幸せな自分がいられるのも、命をつないでもらえたからですよ。 それだけに焦点をおき、お母さんを見てみられてはいかがですか? 無理に、接することはしなくてもいいと思います。 命の部分で問題が生じた時に、助けてあげるだけで良いと思います。 寂しい思いをするのはお母さんの行動の結果なのですから、親不幸などと自分を責めることはないと思います。 気にされているのですから、もしかしたら命のレベルで自分の気持ちを整理してみて、今のお母さんには寂しい思いをさせたくないと感じれば、自然な行動ができるのではないでしょうか。 囚われているのは、過去に戻って感じる虐待への思いだと思います。 いろいろな経験をして生きているうちに、お母さんに対する気持ちは、変化をしていると思いますよ。 私は、今でも変わらぬ母の言葉の虐待にあっていますが、あの歳になるまで、煩悩にまみれ自己中心的な考えしかできない母が、かわいそうで仕方ありません。 そう思えるのも、自分が生きていることに感謝できるからだと思います。 一度、命のレベルで、気持の整理をされてみられてはいかがですか? 自分の心が軽くなります。
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なんという偶然、、、 too-moonさんとそっくりな人を知っています。年齢も、家族構成も。 私にとって最も身近な人、と言っておきます。 世間は、人間を外側からしか眺めませんよね。でもtoo-moonさんの心の中はいまでも「痛い」のですね。ご母堂様の声を聞くだけで、その古傷に今でも血が滲むのでしょう。心臓が波打つこともありますし、何でもないことができなくなることもありますし。およそ他人には理解しにくい事かもしれませんが、私にはそれがよくわかります。それはトラウマに過ぎない、などと言ってみたとろで何の役にも立ちません。問題なのは今でも「痛い」という現実なのですよね。 私は、あなたの夫のように、妻の老母を引き取る事を望んだことでしょう。私は、あなたの夫と同じようにできたらよかったかもしれません。 でも、私たちはそうはしませんでした。 私たちには子供がおり、それぞれに問題を持ち込みます。かつての「娘」が難しい問題に対処しているすぐ横で、それを厳しく批判するかつての「母」がいる、、。そんなことあるわけない、とおっしゃるでしょう。しかしそのような連想自体が、追いつめられた人間にとっては大きな恐怖なのです。 私たちの肩はもう背負いきれないという言い訳を用意しました。母も子も、すっかり離れて暮らしております。 ときどき会って、食事も持っていってあげてるtoo-moonさんは親不孝じゃありません。がんばってますよ。 ご主人は虐待の話は理解するでしょうが、今も続く「痛み」については、わかるまで時間がかかるかもしれません。でもやっぱりそれは、隠さない方がいいでしょうね。 ご無理なさらぬようお過ごし下さい。
- bouhan_kun
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今と昔では、物事の価値観がかなり変わっています。たとえば、給食時間に食べるまで居残りさせたら、昔は矯正教育だったのが、今では児童虐待と言うそうです。 その行為、今なら虐待で、逮捕、新聞テレビで報道となってもおかしくないでしょうが、少し前、3丁目の夕日とか、そのもう少し後の時代までは、きつい躾なんて珍しいものでもなかったのです。ほんとにどこまで悪意があってそうしたのか、それはご本人しかわかりません。 まあ、こういうことは、弱者、つまり、されたほうがどう思うかだけが問題という識者が多いのですが、そういう弱腰、事なかれの結果が、現代のように荒れて常識が欠如した子供たちを生んでる一環なのかもしれません。 と、いいながら、あなたは心に痛手を受けたのは事実。受けるほうのそもそもの精神の強さなんかも様々なので、ひとくくりに論じるのも変です。ともかく、旦那さんにすべて心情を言ってみてはどうでしょう。それだけで、かなり気持ちが楽になると思いますが。そして、可能であれば、お母さんとも、話し合ってみる。抱え込んでるだけでは、何も解決しませんよ。
- 10matsu
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決して親不孝ではないです。 こんなにも悩まれておられるのですから。 社会では、痛めつけた人とは二度と関わりを持たまいと思えばそうできますが、親子間ではそうもいきませんよね。 結局、何があっても切っても切れないのが親子の縁だと思います。 私の話ですが、私はある事をきっかけに数年来、父親と折り合いが悪く冷戦状態です。 事が起こったとき、父の人間性に私自身深く傷つきました。 その傷は今も生々しく、ずっと消えるものではないです。 でも、ふとした時に父の事が心配になったりするものです。 だけど、私の気持ちが許さない…自分の気持ちに葛藤しています。 拒絶する気持ちと心配する気持ち、その相反するものが上手く心の中で整理できず、一人で苦しまれているんだと思います。 ご主人に話されたらどうですか? 自分一人で抱え込むのは辛いものです。 私の場合、夫が全てを聞いてくれますし、第三者的なアドバイスもくれます。 また、父を寄せ付けない私に対し、夫は父と自然に接し、話し相手にもなってくれています。 自分の味方がいると思うだけで、とても安心すると思いますよ。 安心して気持ちにゆとりができれば、お母さんに向ける目も変わってくるかもしれません。
- zukozukozuko
- ベストアンサー率18% (6/32)
お母様とその件についてお母様がご健在のうちに一度よくお話をされる とよいと思います。お母様がその時どういう気持ちだったのか、自分が どういう気持ちだったのか。そして今お互いどういう気持ちなのか。 人はやはり話をしてみないと分からない部分がたくさんあります。 お互いの気持ちをよく理解すると次のステップが見えてくるように思い ます。 私の妻も同じような境遇でした。私は会話を勧めておりましたが、ずい ぶん長い間逃げていました。当然逃げている間中苦しみをひきずってい ました。ある時意を決し会話を持ちました。今現在100%お互いを理解 できるところまでには至ってはおりませんが、それでも氷が解けるよ うにお互いを理解しようと努力しているようです。 お話をされるのはすごく勇気がいることだと思います。でもお互いの気 持ちを知ることは大切なことだと思います。がんばってください。
お礼
私も逃げてるんだと思っています。 話しをする事で、その怖かった時の事が蘇るような気がします。 母から逃げたい、遠くへ行ってしまいたいと思った時期もありました。 何処か自分でも良い子を演じてきたんだと思っています。 その「良いこ」の殻を破らないといけないと自分にも言い聞かせています。 でも、出来ないんです。 そうですね、話しをする勇気も必要ですね。 先ずは、そうする事で母への気持ちが変るかもしれませんね。
- patogina
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大変な経験をされたんですね。 そんな中でも、優しい旦那さまと幸せな結婚をされているようで、他人事ながら嬉しくなりました。 私にはそのような経験があるわけではありませんが、書かせてください。 私はあなたが親不孝だとは思いません。 小さい頃にそんなに怖い目にあったのだから、恐怖が残るのはしかたのないことだと思いますし、どう接していいかわからないのも当然のことです。その上で、お母様のことを気遣うあなたは、優しくまじめな方だと思います。 今のお母様の態度がわからないのでなんともいえないのですが、何度も電話をしてこられるということ、また質問者さまも「寂しいのでは」と仰っていることから見て、当時のような暴力や、虐待(言葉などで)もなくなっているのではないかと推測します。もしまだあるようならまた別なのですが・・・。 お母様はもうご高齢のようですし、質問者さんとは力関係が逆転されているんではないでしょうか? お母様はもう、質問者さましか頼る相手がいないご様子、心細く思っていることでしょう。 あれだけ虐待しておいて今更!とお母様を憎く思っても仕方のないところで、一緒に住もうとまで気遣っていらっしゃる質問者さまには本当に頭が下がります。 虐待のことを忘れろとは申しませんが、残り少ない余生を幸せに送れるようにして差し上げてください。今のままでも十分だと思いますが、できることならお母様が「あんなに酷いことをした報いだ」と後悔しながらではなく、「酷いことをしたのにこんなにしてくれてありがとう」と感謝の気持ちで亡くなることができるようにして差し上げられたらと思います。 私事ですが、家の両親は大病を患い、余命宣告もされています。だからこそ、両親に何かしてあげたいという気持ち、このまま死んでしまったら自分が後悔するという気持ちで、今必死にもがいています。 質問者さまが、後悔することのないよう、出来る範囲でお母様に寄り添ってあげてほしいなと思います。 長々と失礼しました。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 私の中で、母への憎しみみたいなものが完全になくなってる訳では ないですが、一人暮らしの母を放っておけない自分もわかっています。 虐待(身体的)を受けたのは、中学生まででした。 現在は全くないですが、言葉の暴力はまだあります。 私を否定する言葉が、たまに出てくるのです。 それが、私にとってかなり苦痛でもあります。 人間年を取ると頑固にもなりますが、それだけではないようにも思えるのです。 昨年母も心臓病を患い、少しの期間でしたが入院しました。 その間も病院へ連れて行ったり、毎日見舞いにも行きました。 入院したとはいえ、大事には至らず、歩行出来る程度で、 病院から毎日のように電話も掛かっていました。 本当に苦痛でしたが、良い娘を演じてましたね。 それは自分でもわかっています。 回答者様がおっしゃるように、母は、私しか頼る人がいないと母から言われました。 多分、私の中では虐待はトラウマになってて、消えないと思います。 でも、悪い方向へ行く事なく、今の主人と知り合い結婚できたので、 悪い母だけではなかったと思うようにしたいのですが・・。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 とても親切な回答に感謝致します。 私の母も、世間体をかなり気にして、マイナス思考です。 今も時々、言葉の暴力を口にする母ですが、それは治らないと思います。 早くに父を亡くし、色々な苦労があったと思います。 母も、大変な家庭環境で育たのかもしれませんね。 私も子供2人いるのですが、二人とも成人して親元から巣立っています。 息子は昨年結婚して孫も生まれました。 主人と出会い、本当に良かったと思っています。 命のレベル・・命があったからこそ主人と出会い、子供も生まれ、孫も生まれた。 時間はかかるかもしれませんが、自分の気持ちを整理してみます。 ありがとうございました。