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宗教を作ったのは人間の失敗か?
最近、「宗教を作ったのは、人間最大の失敗だ」と言う意見を聞きました。 そう言えば戦争を分析すると、宗教が絡んでいることが、ままある様です。 又、世の中不穏になって来ると、宗教に頼りたくなると言うか、 神頼みになって来る面もある様です。 それぞれ一理はある様ですが、皆さんのお考えをお聞かせ下さい。 何か、ヒントにしたいと思います。よろしくお願い致します。
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Q:宗教を作ったのは人間の失敗か? A:そのとおりです。個人の内面における信仰にとどめておくべきです。 個人の信仰とは 人が おのおの ひとりの存在として 最大限に自由を享受するということの別名です。 これを 集団で 一つの目的としては 互いの励ましや助け合いのために 確かなものにしていこうとする宗教は しかしながら ことの本質において すでに 内面の自由を危ういものとします。 内面の自由に関して すでに 初めに その自由度(あるいは 信仰の確立度合い)を 測定し得るし だから 測定し得たと言ってのように 人びとをそれぞれ 評価し規定します。その組織内だけとしても 互いに互いの位置づけをします。というよりも ほんとうは・実際は 初めに 権限を持った人〔たち〕がいるわけです。この《指導者》が 人の信仰度合いを規定して その組織の活動をおこなうことになります。 うんぬん。 というわけで 要するに 宗教は 教祖・教義・教団を持つならば 内面の自由を 他人によって制約されたい・拘束して欲しいと言って出発するものです。 せいぜいが 研究・教育の集団であることにとどめるのが よいでしょう。学問・科学の立ち場なら 互いの評価・批判も 自由に 成り立つでしょう。 細かいところでは 教義を信じるというのは ことばの矛盾であり 論理の矛盾です。教義は 経験思考の対象です。信仰は 経験思考を超えたところに成り立つものであり 超えたところでしか成り立ちません。 宗教を信じるという表現は みづからの個人内面の自由を わたしは 放棄しますと言っていることに等しいわけです。その組織の中に 世の中の力関係と同じ力学を持ち込むぞと言っていることです。 信仰は 世の中のあり方に 疑問を呈して 譲歩しつつも 個人の自由を――無力ながら有効なこととして――確保しようとして 見出した事態です。これを放棄するのが それの組織集団化です。 世の中一般において 信仰をとおしての友や先輩といったかたちはありうるでしょうが 宗教組織上の先輩後輩などというのは 信仰を放棄したという宣言になります。
- siyahqalam
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人間最大の失敗は戦争です。 よく、「宗教は戦争の原因だ。だから良くない」 という意見を聞きますが、 そうやって人間の本性から目を背けていては、 いつまで経っても戦争はなくならない、と思います。 とは言え、神を口実にした戦争は古来絶えない訳で・・・ 戦争をする人は神に頼らずに武力に頼っているのです。 どんな宗教を信じようと、人殺しを正当化する時点で 正しい信仰とは言えません。 「苦しい時の神頼み」を否定する積もりはありませんが、 自分の心の平安が得られればそれでよし、 他人の幸福も世界の平和も願わない、 というのはおかしいと思います。
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- kana14
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宗派が価値観の共有集団で止まっていて、他に悪影響を及ぼさなければいいのですが、布教と称した価値観の強要活動が繰り返される、あるいは受け入れない者に災いが降りかかる等の不安を与えたりするのがあるから拒絶反応を示す方がいるのだと思います。 また、財物提供の半強制的な要求や癌が治る等有形・具体的な利益を謳うのは、私は拒否します。
お礼
有難う御座いました。
- maxmixmax
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失敗ですね。人間の成長を妨げていると思います。 分からない事は神様が決めたことにしよう!という思考停止に至りますから。 思考停止してしまえば、神様の名の下に財産を投げ出したり、 異教徒を虐殺したり、何の疑いもなく行いますからね。 信仰の度合いが深い人ほど、自分で自分の価値観を作る事が出来ない弱い人間だと思います。
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- augustinus
- ベストアンサー率26% (60/226)
かつてマルクスも『宗教は麻薬だ』と言ってましたね。 宗教が基となる戦争もいっぱいあると感じますが、所詮人間の勢力争いの一因です。 人間の欲がなくならない限り争いは絶えません。 だから宗教を戦争と単純に結びつける発想は微妙です。 また、宗教にすがるというのも精神的弱さを補完する手段の一つでしかありません。 酒におぼれるのも、女におぼれるのも、宗教にすがるのも同じだと思います。 人間は高度に知能が発達したおかげで、余計な心配事ばかり増やしていると老子が言っていますが、 宗教も知りすぎた人間が作り出した、様々な道具の一つです。 失敗か成功か?という質問は、人によって使い方を間違えたかどうかという視点で考えるより他はありません。 人によっては、今の科学偏重の文化に対して、科学も所詮宗教だと言ってのけます。 科学は結果論の積み重ねで、真理かどうか判然としないものがかなり多くあります。 飛行機も、本当は飛ぶ理論がよく分かっていないけど、とりあえず飛んでいるからこう解釈しよう、 と言って作られていると竹内薫さんも言ってました。 宗教や科学に関係なく、人間戦争しようと思ったらするし(民族紛争とか)、平和になろうと思ったらなるんです(今の日本とか)。 結局宗教に関係なく、人しだいなんでしょうね。
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有難う御座います。
- horahuki-dondon
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宗教が良いか悪いかの判断は、自分と他人の評価であり「意図と結果」が全てです。
お礼
有難う御座いました。
- hyakkinman
- ベストアンサー率16% (738/4426)
「失敗」とは、言い切れない気がします。 「信じる者は、救われるからです。」 「難病の人が、宗教を信じることによって、自然治癒力が増し、治ったり」するからです。 ただ・・・、「個人の自由」であるべきだったと思います。 「自分の宗教だけが正しいから、あなたもやりなさい。」という、「恐ろしい感覚」に負けた人間が「間違いなのだ」と思います。 あとは、「金儲けの道具にしてしまう」人間も。 相手が「団体」だったりすると、その圧力に負け「悲劇」がおこります。 悲しいことですが、「弱みに付け込む道具」として使われているものが多いですね。 「人の道・心」を説いたものが「宗教」のはずなのに、おかしな話です。 私は、創価学会員ですが・・・ あの「排他的洗脳型宗教団体」は、「他人の悪口を平気で言って、笑っています。」 「宗教家として、あるまじき行為」ではないか。と、抗議中です。
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有難う御座いました。