#6です。再び回答させていただきます。
私も質問者さまの言いたいことはよく分かります。とても健全な考え方だと思います。
しかしながら、論点(と言うか視点)がずれているような気がします。(失礼な言い方ですが、どうか怒らないでください)
まず、今回の判決ですが、確かに「異例な判決」ですが、それは「異例な事件」だから、であることを認識すべきでしょう。
個人が個人を殺す殺人事件は、残念ながら日常的に起こっています。ですが、「暴力団員」が「行政トップ(首長)」を行政機関に対する「ゆすり」を起因として殺害するなんて事件は、日本では滅多に起こりません。起こってはいけないのです。
これを、例えば暴力団員同士の抗争の場合の「1人殺害」懲役8年程度に合わせたら、行政、一般社会の「敗北」です。懲役を終えて出所した犯人は、暴力団の世界では「英雄」になるでしょう。ヤクザの世界には「血のバランスシート」という考え方があります。敵の玉(行政トップ)を殺害して、懲役刑なら「完勝」「圧勝」です。
と、いうような事情も「考慮すべきではない」のでしょうか?
暴力団員同士の殺人事件と今回の事件を「同等」に扱うのが正しいのか? 今回殺害されたのは市長でしたが、仮に暴力団員に殺害されたのが「首相(内閣総理大臣)」だったとしたらどうでしょう? 社会的影響は数百倍、数千倍ですが、それでも裁判官は「普通の殺人」と同じ扱いにすべきなのか? そうするのが、弱者も含めた日本国民の利益になるのか?
質問者さまは被害者の「社会的地位」など「(犯人を)取り巻く諸々の条件」を裁判では「考慮すべきではない」とお考えのようですが、だとすると、裁判とは事実関係(例えば殺害人数)のみを判断する行為になります。「3人殺害、はい死刑」「1人殺害、はい懲役10年」とか。それが果たして「民主」主義なのでしょうか?
「諸々の条件」を取り除いてしまえば、自己の欲望のために幼女を誘拐して強姦して殺害した事件も、長い介護で疲れ果て「母さんもうダメだ。ごめん」と言って老母を殺害した事件も、同じ量刑にせざるを得ません。「少年」というのも、広義で「社会的地位」ですよね。少年法も廃止せざるを得ません。
「社会的地位」だけではないのです。それもこれも含めて、裁判で論争に論争を重ねて、裁判官が熟慮に熟慮を重ねたうえで判決を下す、その方が民主的ではありませんか。
どうでしょう? いろいろな考え方があるでしょうが、恐らく今の裁判制度は上記のような考え方に沿っているように思います。
お礼
こんにちは ご回答ありがとうございます。 今回の事件は金銭強奪目的でなかった、被害者が一人である、前科がない(殺人において)被告に対する死刑判決は、異例であるとの事ですね。 民主主義の根幹を揺るがしたそうですが、 例えば選挙遊説中の政治家を射殺したのが、一見して怖いおじさんでなく、見た目がカワイイ女性だったりした場合、同じ条件下で同じ判決が出るのかなどと考えてしまいました。