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何故、今異例判決が?

長崎市長射殺犯に死刑判決が下りました。 いろいろな意味で極めて異例な判決ですが、 もし、この犯人が射殺したのが、公職の地位にいない一介の選挙活動員のような人間であっても、同じような死刑判決が出たのでしょうか?

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noname#107565
noname#107565
回答No.1

おそらくは、出なかった…ような気はします。 公判をすべて傍聴して事実を知っているわけではないですし、その事例事例によっての事情などもあるので、適切か「極めて異例」かは私には判断はできないですが。 この判決が確定するかしないか…それはともかく、厳罰化をして社会的にインパクトを与えたという意図は、理解できなくは無いです。犯罪事実としては一人の人間の殺害ですが、候補者に投票しようとしていた人の「権利(この候補者に投票しよう)」をも奪ったわけですから…それについて罪に問われるのか法をどのように犯しているのか?は非常に難しい判断が求められるわけですけれど。

noname#29999
質問者

お礼

こんにちは ご回答ありがとうございます。 今回の事件は金銭強奪目的でなかった、被害者が一人である、前科がない(殺人において)被告に対する死刑判決は、異例であるとの事ですね。 民主主義の根幹を揺るがしたそうですが、 例えば選挙遊説中の政治家を射殺したのが、一見して怖いおじさんでなく、見た目がカワイイ女性だったりした場合、同じ条件下で同じ判決が出るのかなどと考えてしまいました。

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  • colmon
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回答No.7

#6です。再び回答させていただきます。 私も質問者さまの言いたいことはよく分かります。とても健全な考え方だと思います。 しかしながら、論点(と言うか視点)がずれているような気がします。(失礼な言い方ですが、どうか怒らないでください) まず、今回の判決ですが、確かに「異例な判決」ですが、それは「異例な事件」だから、であることを認識すべきでしょう。 個人が個人を殺す殺人事件は、残念ながら日常的に起こっています。ですが、「暴力団員」が「行政トップ(首長)」を行政機関に対する「ゆすり」を起因として殺害するなんて事件は、日本では滅多に起こりません。起こってはいけないのです。 これを、例えば暴力団員同士の抗争の場合の「1人殺害」懲役8年程度に合わせたら、行政、一般社会の「敗北」です。懲役を終えて出所した犯人は、暴力団の世界では「英雄」になるでしょう。ヤクザの世界には「血のバランスシート」という考え方があります。敵の玉(行政トップ)を殺害して、懲役刑なら「完勝」「圧勝」です。 と、いうような事情も「考慮すべきではない」のでしょうか? 暴力団員同士の殺人事件と今回の事件を「同等」に扱うのが正しいのか? 今回殺害されたのは市長でしたが、仮に暴力団員に殺害されたのが「首相(内閣総理大臣)」だったとしたらどうでしょう? 社会的影響は数百倍、数千倍ですが、それでも裁判官は「普通の殺人」と同じ扱いにすべきなのか? そうするのが、弱者も含めた日本国民の利益になるのか? 質問者さまは被害者の「社会的地位」など「(犯人を)取り巻く諸々の条件」を裁判では「考慮すべきではない」とお考えのようですが、だとすると、裁判とは事実関係(例えば殺害人数)のみを判断する行為になります。「3人殺害、はい死刑」「1人殺害、はい懲役10年」とか。それが果たして「民主」主義なのでしょうか? 「諸々の条件」を取り除いてしまえば、自己の欲望のために幼女を誘拐して強姦して殺害した事件も、長い介護で疲れ果て「母さんもうダメだ。ごめん」と言って老母を殺害した事件も、同じ量刑にせざるを得ません。「少年」というのも、広義で「社会的地位」ですよね。少年法も廃止せざるを得ません。 「社会的地位」だけではないのです。それもこれも含めて、裁判で論争に論争を重ねて、裁判官が熟慮に熟慮を重ねたうえで判決を下す、その方が民主的ではありませんか。 どうでしょう? いろいろな考え方があるでしょうが、恐らく今の裁判制度は上記のような考え方に沿っているように思います。

noname#29999
質問者

お礼

再度、ありがとうございます。 論点がずれているとのご指摘ですが、そうでしょうか? ご回答が何か一歩も今回の暴力団員の判決が妥当であったか無かったかの域を出ていないのが残念です。 死刑制度賛成が大多数のネットで、今回のようなヤクザに死刑判決が下りた事の正否を問いかける事の無駄はとっくに気づいております。 私はこの判決が妥当かどうかという事では無く、もし、同じ犯罪が起きた場合、そして被害者や犯人が違う立場の人間であったなら、現実にどういう量刑になっただろうという事を考えていただきたかったのです。 (想像での回答になるでしょうが) 勿論、量刑にはいつの場合も情状酌量は考慮に入れられてしかるべきです。 ですからご指摘のような、自己の欲望のための犯罪と、介護疲れの犯罪とは違いがあるのは当然です。 そして、これこそ、量刑は、犯罪の質そのもので決められるべきと言う、私の主張です。 このようなケースは、犯罪の質(種類)の違いであって犯罪者の社会的立場の違いとは言えないと思います。 介護疲れの挙げ句の殺人も、欲望のための殺人も、同じ社会位置にいる人間が起こしうる犯罪です。 社会的地位によって量刑を違える事と、情状酌量とはまったく違う次元の問題だと私は認識しております。 事件そのものについては、異例であるとは私は思いません。事件当時者が亡くなったかどうかの違いで、政治家を狙った犯罪は過去に沢山ありましたから。 最後に、私の疑問に真摯にお答えくださって本当にありがとうございます。 私は誹謗中傷でなければ自分と違う意見でも聞く事は大好きです。 また何かの時はよろしくお願いいたします。 ありがとうございました。

  • colmon
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回答No.6

こんにちは。 死刑の適用に関しては、1983年の永山事件の裁判で最高裁が判断基準となる「永山基準」を示しています。(犯罪の性質、犯行の動機、犯行態様・特に殺害方法の執拗性と残虐性、結果の重大性・特に殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状) 今回の判決は、「被害者数」よりも「社会的影響」を重視した判断だったのでしょう。「社会的影響」とは、言うまでもなく「選挙の自由を奪い、民主主義の根底を揺るがした」ことです。 その「社会的影響」を構成する要因として、暴力を生業とする「暴力団員」が、暴力を抑えて治安を守るべき行政のトップである「市長」を殺害したことは、非常に大きな部分を占めるのは明らかです。厳罰が下らなければ、市民は怯えますし、「行政対象暴力」を増長させる可能性もあります。 ご質問の「犯人が射殺したのが、公職の地位にいない一介の選挙活動員のような人間の場合」ですが、その部分だけを引っ張り出して論じてもあまり意味はないと思います。他にもいろいろな要素がありますよね。 例えば、殺害した犯人が対立候補関係者で、ものすごく残虐なリンチを加えて選挙活動員を殺したとしたら、死刑判決が出る可能性は大きいです。なぜなら、世間の人々に選挙活動自体を恐れさせ、「社会的影響」が甚大だからです。 被害者が市長か一般人か、犯人が暴力団員か女性か、など部分的にだけ見て判決がでるわけではありません(もちろん、部分も大事な要素ではありますが)。また、最近は、被害者人数などで「機械的に」判決が下るわけでもないということですね。

noname#29999
質問者

お礼

こんにちは おっしゃる事は大変良く分かります。 被害者がどういう立場の人か、犯人の外見がどうか、その部分を引っ張り出して論じる事に意味があるか無いか、それは一概に言えませんが、疑問に思った事は捨てておけない厄介な性分で、つい質問してしまいました。 しかし、この判決が異例である事は私ばかりでなく、報道各社の一致した意見だったと思います。 ただ、私個人として感じたのは、量刑の決定に人間の社会的立場が大きな部分を占めるとすれば、今回の事が前例となり、社会に貢献している人と社会から庇護を受けている弱者は裁判の場でも格差がつく事になりますね。 オリンピックの選手を殺した人は厳罰に処され、障害者を殺しても軽い処分で終わる。 大企業の雇用主は社会に貢献しているから、これを殺したら極刑に処され、ホームレスを殺しても執行猶予付きの判決だけ。 これが民主主義と言えるのだろうかと考えたわけで、今回の判決にケチを付けたわけではありません。 来年に裁判員制度開始を控えて無関心ではいられない問題だと思います。 このように考えて来ると結局、格差社会は我々が容認しているという事になるんですね? 今後の同じようなケースを注視して行きたいと思います。 ご回答ありがとうございました。

  • phj
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回答No.5

民主主義を根幹から揺るがす犯行だから極刑というのは、至極もっともな理由だと思います。 現代日本ではあまり考えられないですが、選挙の争点が今後、その地域を大きく変えるようなものだった場合、選挙に立候補している人物を実力で排除するというは、まさしく「民主主義を根幹から揺るがす犯行」といえると思います。 そのような事例が無くても、民主主義が有る程度の手続きによって秩序を保っている以上、立候補者を殺害するというのは、根本を揺るがしかねないのです。 今回の事件はある意味、立候補者を殺害するすればその人が実行しようとしている行動(改革など)は阻止できると教えているようなものです。 判決が極刑になるのは、当然といえます。

noname#29999
質問者

補足

こんにちは 民主主義を揺るがす犯行は厳しく裁かれるべきという考え方には賛成です。 昔から、報道関係や政治家を狙った犯罪はマスコミの格好の話題になり、強く糾弾されて来たと思います。 ところで、視点を変えて質問をしてもよろしいでしょうか? 元々の質問は、被害者の社会的立場を問題にしましたが、 もし、今回の犯行がまったく同じ条件の下で、犯人が女性だった場合はどうでしょう?結果は同じ極刑になったでしょうか? 一見、弱々しげな印象を与える女性の犯行であっても、社会や、民主主義を揺るがす事には変わりがないと言えますが。 気が向きましたらお願いします。

  • kantansi
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回答No.4

No.2です。一般人と公人、政治家では、同じ状況下の殺人事件でも量刑に差が出る可能性はあると思います。 そういう区分でなくとも被害者の立場、事件の社会的影響の大きさ等は量刑を決める上での大きな要素ではないでしょうか。 また、人の命の重さに差をつけるのも仕方がないでしょう。 いたいけな幼児が殺された場合と、暴力団員が殺された場合でも、人の命の重さに差はないから量刑は同じにすべきだと質問者さんは言いきれますか? 一人の殺人で死刑判決というケースですが、一番新しく印象に残っているのは、奈良県で、小林薫と言う新聞配達員が猥褻目的で幼女を殺害した事件です。 その他営利誘拐殺人の場合は被害者が一人でも、まず100%死刑判決が出ています。 念のため、添付「戦後の死刑囚リスト」で、一人しか殺してないケースを探してみましたが、私の想像以上に多いのに驚きました。 事件の内容が記載されているものだけで、リストのうち71人が、一人殺しただけで死刑囚となっています。 事件の内容が分からないものの中にも結構被害者一人だけと言うケースがありそうゆえ、総数では100人近くが一人殺害で死刑判決を受けているのではないでしょうか。 特に次のようなケースが、殺された被害者が一人でも、死刑判決が出るようです。 1.営利誘拐殺人 2.刑務所の看守や警官の殺害 3.殺害後放火したり、遺体をバラバラにしたりした凶悪なケース 4.猥褻目的の幼女殺害 5.殺人事件の再犯(殺人罪で服役出所後の再殺人) http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage29.htm

noname#29999
質問者

お礼

被害者の立場、与える社会的影響にによって量刑に差が出て当然と言う、ご回答者の考え方良くわかりました。 >いたいけな幼児が殺された場合と、暴力団員が殺された場合でも、人の命の重さに差はないから量刑は同じにすべきだと質問者さんは言い切れますか? 言い切れません。 しかし、罪の有る無しや量刑の重さは、被告の社会的地位や彼を取り巻く諸々の条件では無く、現在裁かれている行為そのもので決められるべきだと思います。 純粋無垢な子供は生きる権利があって、ヤクザは生きる権利なしというような考え方は私は好きではありません。 参考資料等、お手数掛けました事、感謝いたします。 ありがとうございました。

  • umemomi
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回答No.3

ああ、明らかにおかしいですね。 現に一般人の殺人事件で、この「被害者一人」というケースで「死刑」なんて、今まであったのか?という感じですね。 当然、殺人は裁かれて然るべきですが、「民主主義への冒涜」とか何とかは、思想の自由を保障された憲法上から見ても、殺人の事実はともかく、民主主義を冒涜したからといって量刑に反映させるのは、そもそも憲法違反ですわね。 共産主義者がタバコをポイ捨てしたからといって、いきなり実刑判決が出るのと同等ですね。 最近は本当に法曹界の倫理・論理レベルが低すぎます。 誰がどう見たっていきなり「死刑」なんて、有り得ないでしょ。 裁判員制度も司法の放棄だと私は考えていますが、まともな司法も立法も行政も無いとなると、最早、八方塞ですね。

noname#29999
質問者

お礼

こんにちは 思想の自由は保障されてはいても、それを暴力で押し通そうという考え方は法治国家では受け入れられませんね。 この被告の場合は思想的なものばかりでなく、利害も絡んでいたようですので、何か複雑な感じです。 しかし、私個人としては、現在日本人の傾向である、犯罪者に対して「万死に価する」的考え方には非常に気味悪いものを感じます。 ご回答ありがとうございました。

  • kantansi
  • ベストアンサー率26% (658/2438)
回答No.2

「行政対象暴力として極めて悪質で、民主主義を根幹から揺るがす犯行」と言うのが、判決の大きな理由ゆえ、被害者が一般人ならまず死刑判決は出なかったはずです。 ただし、殺人の被害者が一人だけでも、営利誘拐殺人の場合はほとんど死刑判決が出ていますし、累犯の場合も死刑判決が出る可能性が高くなっています。 統計的に関西での裁判では一人殺しても死刑判決が出る可能性が高く、関東での裁判の場合は、その可能性が低いと言われているようです。

noname#29999
質問者

お礼

こんばんは やはり一般人と公人、政治家では、同じ状況下の殺人事件でも量刑に差が出るとお考えですか? しかし、民主主義を根幹から揺るがす犯行と言いますが、人の命の重さに差をつけるのも、民主主義の精神である自由と平等を犯す事になるような気がします。 あいにく、私は一人の殺人で死刑判決というケースを他に知らないのですがそれは最近の事でしょうか? 各新聞社の社説なども、こぞってこの判決を賞賛しているようですので、疑問を抱く方がおかしいという事になるのかも知れませんね。 ご回答ありがとうございました。