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メタファとは?上手くまとめられない・・・ご意見お願いします!(><)
初めましてこんにちは! 大学生ですが、最近授業にでてきた「メタファ」という単語(?)がどういうものよく分かりません・・(><) 課題で、中学生が聞いても「メタファ」とは何か?というものが分かるような説明をまとめてきてください(小レポートのような感じ)と言われたのですが、上手くまとめることが出来ずにいるので、ここで参考にしたいと思い質問させて頂きました。 先生に聞いてみたのですが、なんていうかちょっと難しい(ややこしい?)答えだったので(><) 自分では「見立て」や「隠喩」であるということはなんとなく分かったんですが・・・そこから分かり易く、かつ単純すぎない文章にまとめる事がなかなか出来ません(TT) 細かく述べようとすればなんだか専門的になりそうだし、かといって「見立て」「隠喩」だけでは単純だし・・文章力がなくて恥ずかしいのですが、どんな事でもいいのでご意見いただけたら嬉しいです!(^^)よろしくお願いします。
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- ghostbuster
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あることを知らない人に教えるときは、その反対のものも一緒に例に出して、比較しながら説明するとわかってもらえることが多いですよね。 たとえばエスカレーターを説明するとしたら、階段とどうちがうか、のように。 ここでもそれを使います。 メタファーを日本語でいうと隠喩です。 隠喩をエスカレーターとしたら、階段に当たるのが直喩です(ついでにエレヴェーターにあたるのが換喩なので、換喩(メトニミー)という言葉をちょっと頭の隅にでも入れておくといいかもしれません)。 隠喩と直喩はどうちがうか。 ・うれしくて、夢みたい。 …「夢みたい」が直喩です。 もうちょっとに高級にやってみましょう。モンテーニュはこう書きました、 ・法王ボニファキオ八世は、狐のようにその地位につき、獅子のようにその職務をおこない、犬のように死んだという。 …「狐のように」「獅子のように」「犬のように」が直喩です。これだけの文章なのに、ボニファキオ八世の人生が目に浮かぶようです。 つぎはご質問の隠喩です。 ・嘘みたい。これは夢だわ。 …「夢だわ」が隠喩(メタファー)です。「嘘みたい」は直喩。 高級バージョン。 ・思い知らせてやろう、君の白鳥がただの烏(カラス)だったと。 …「白鳥」「烏」が隠喩です。 これは『ロミオとジュリエット』の初めの方に出てきます。ロミオはこのときまだジュリエットのことなんて知らずに、ロザラインという女の子が好きなんです。そうして友だちのマキューシオが、ロザラインなんて目じゃないぜ、キャピュレット家にはすごくかわいい女の子がいるんだ、その子にくらべたら、ロザラインなんてカラス同然だ、いまは白鳥ぐらいに思っているのかもしれないがな、と言ってるわけです。事実、マキューシオの言うとおり、ロミオはジュリエットを一目見たとたん、ロザラインのことなんて忘れるんですが。 つまり、AをBにたとえるときに、「AはBみたいだ」「まるでAはBだ」とつくものが直喩、「AはBだ」と何もつかないものが隠喩です。 「AはBみたい」というとき、AとBはまったくの別物、性質において結びついているだけです。たとえばボニファキオ八世と「狐」や「獅子」や「犬」そのものは関係がありません。だからBのところには、その性質が似ている、とあなたが考えたら、何でも持ってくることができます。たとえば、「わたしの彼氏は小栗旬みたい」と言っても、あなたが友だちから「ハイハイ、のろけるのはやめてね」と言われるだけです。 けれども「AはBだ」と言い切ってしまうとき、AとBの類似性は、あらかじめ話す人と聞き手のあいだに認められていなければなりません。マキューシオが「白鳥」「烏」といったのは、白鳥が白く優美であることにくらべて、烏は黒く不格好である、という認識が、だれにも共通するから、そう言えるわけです。もしあなたが「わたしの彼氏は小栗旬だ」と隠喩のつもりで使ったとしても、だれもその前提を共有してくれないところでは、隠喩は成立せずに、あなたはただのうそつきになってしまいます。 「もの」と「たとえるもの」の結びつきは、詩のレトリックを別とすれば、直喩にくらべて隠喩の方が穏やかと言えます。けれども穏やかで誰にでも受け入れることができるために、言語体制のなかに組みこまれやすいのです。 たとえば「椅子の足」といったところで、いまではだれも「足」が隠喩とは思いませんが、これはもともとは隠喩だったのです(椅子が歩いていったら大変です)。「文化遺産」「人工衛星」「取っ手」「手がかり」、これらはすべて、もはや隠喩とも意識されなくなった隠喩の残骸なのです。 さて、以上を簡単に要約しましょう。 ・比喩(たとえ)のうちで、「AはBのようだ」「AはBみたいだ」とつかずに、「AはBだ」と言い切ることができるものがメタファーである。 ・言い切るためには、AとBの類似性が、あらかじめ話し手と聞き手のあいだに成立していなければならない。 ・日常語のなかにはすでにメタファーとして意識されることもなくなった、かつてはメタファーだった言葉がたくさんある。 だいたいおわかりになったでしょうか。
- suunan
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中原中也が「たとえば手という言葉を聞いてこれが手だと 考える以前に感じる手がある」と述べています。これがメタファーです。 中島みゆきの「真っ直ぐな線」の 「あんたの胸の扉からあたしの胸の扉まで ただの真っ直ぐな線を引いてみてそれがただひとつの願い」 ここでは「胸の扉」「ただの真っ直ぐな線」がメタファーであり、 巨大ロボットみたいに胸の出入り口が開くのではありません。 「土用波」 「ためいきまじりの潮風を泳ぐ 折れたカイトに見覚えはないか」 心象を歌ったもので、その場にカイトが存在するわけではない。 「ひとり上手」 「私の帰る家はあなたの声のする街角」 そこに家が建っているわけではない。家という言葉から 生まれる「安心できる長期的に頼れる個人的な」という イメージを示しています。 ・・・という具合です。
お礼
ありがとうございます(^^)なるほど・・・実際にそうではないのだけど、イメージで喩えている感じですね。 色んな使い方があるんですね!
お礼
とっても丁寧な回答ありがとうございます! なんか高級な感じがしてきました(^^) なるほど、対比させて説明してみると良いのですね、分かりやすいです! 「文化遺産」「人工衛星」「取って」「手がかり」・・・これらももとは隠喩なのですか!(>0<) とても参考になりました!なんとか出来そうです、ありがとうございました!☆