• ベストアンサー

霊とは…

どうもこのカテゴリーの諸氏は「霊」とくると、異常な反応をおこされる。(その証拠は、その論拠はと、理詰めでこられる。) その実、お墓参りには何の抵抗もなく行っておられる。まるで、大槻教授と、某たま出版社のTVタックルのようである。 「愛」とは何である。「無償の愛に生かされている」その具体例を示せ、などなど。結局、その人当人が体験しないと解らないと思わずにはいられません。 そこで、みなさまにお聞きしたい。 あなたは、灰になったら全て終わりなのか、 それとも、とわに続く、たましいの修行場なのか、と。 「  」 余りにもお粗末な質問をさせて頂き、恐縮しています、それに、このページが削除されない事も、切に祈っております。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.16

<<あなたは、灰になったら全て終わりなのか、それとも、とわに続く、たましいの修行場なのか、と。>> 私と言うシステム・構成要素は、五感と意識の六根。または色・受・想・業・識のシステムの相互関係。 これ以上には発見できません。 そしてこのシステムはそれぞれが原因・結果となり、法則性をもって流れていく様子もなんとなくは理解できます。 その中で、正しい方法で精進しなければ、苦しみの増す方向へシステムがいきやすいことも解ります。 苦しみを滅していく道・正しい方法の精進も自己の理性の度合いによって確認できます。 肉体はいずれ壊れるでしょう。壊れてもこの巨大な力を持つシステムが消えてなくなる事は考えにくいです。次のなんらかな結果となると憶測いたします。 それが輪廻と言われるものでしょう。それが変わらぬ「私」かはちょっと解らないです。「私」自体何なのか発見できません。「私」と思っているものがあると感じているだけで、常に変わり続けるシステムですから…。常に違うものに生まれ変わっていますから。 輪廻を信じようが信じまいが、この世で自分のためにもなり他人のためでもあることをすべき。理性的な道徳的な人間になるべき。と言うことは同じだと思います。 その論理的道徳的に反論の成り立たない道である「八正道」を多く実践し、心明るく笑顔で暮らすために精進することは、いかなる生命にとっても役に立つことでなすべきことではないだろうかという見解を愛好して大事に持っています。 霊については、「そんな生命がいても何もおかしくない」との見解を持っています。科学教の方々は論拠なく、論拠がないとその題を否定しているのですから理性的ではありませんし、科学自体をどれだけ理解しているのでしょうかね。かたくなに見解を押し付けたり決め付ける人も同じ。理性的とはいえませんね。 解らないものは解らない。どの範囲でこのような結果がみられたからこのようなものではないかと言う見解を持っている。その上で理性的に論理的に柔軟に話す人こそ、他人と自分の自由を重んじる尊敬すべき人といえるでしょうね。

h1r0s13
質問者

お礼

お忙しいお時間を頂きましてのご返答、有り難く思います。

h1r0s13
質問者

補足

久々に古里へ帰った感じが致しました。 青葉若葉の間を通る、すがすがしい皐月の風の香り、とでも言うのでしょうか。 「ああ、何という懐の深いお方なのか」「情けのあるお方なのか…」 という懐かしい古里の感じが致しました。

その他の回答 (34)

  • t-x052
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.4

私も霊は信じておりませんが、先祖は大事に思います。 御先祖様あっての自分ですから・・・確かに矛盾してますね。 死を意識して生きていく事への恐怖を少しでも和らげるために霊という考えがあるのだと思います。映画「ゴースト」のように死んでも霊になって愛する人を見守ることができたら最高ですが、現実は死=無だと思います。

h1r0s13
質問者

お礼

全然違います。この世は、三次元から九次元まであります。そして440億人の人たちがそれぞれの境地におられます。また何時抹殺されるか、消去されるか分りませんので、手短にお話しします。これらの人たちが一同に会するのは、この三次元だけなのです。自分と意識レベルの異なる人たちと、同一の時間を共有できるのは、この三次元のみなのです。

h1r0s13
質問者

補足

補足が遅れて申し訳ありません。ちゃんとしたお礼も言わず、ごめんなさい。

noname#94836
noname#94836
回答No.3

私自身は死んだ時点で終わりだと思ってます。 死んだらそれはただの物体。 「死」の捕らえ方は、その人の宗教観などにも左右されるものです。 人がどう思うか関係ないのでは? また、現実に現在の科学では解明不能な事態というのもあります。 私はそれを霊の仕業だとは考えませんが、現在科学では解明できない超常現象ではあるのでしょう。

h1r0s13
質問者

お礼

死とは宗教観などとは、一切関係ありません。この世の衣を脱ぎ捨てたでけです。ご回答ありがとうございました。この欄が、何時消えるか心配です。スタッフの皆様の良心に期待しています。

h1r0s13
質問者

補足

ちゃんとしたお礼も言わず、申し訳なく思っています。

noname#128382
noname#128382
回答No.2

>余りにもお粗末な質問をさせて頂き、恐縮しています、それに、このページが削除されない事も、切に祈っております。 あまり過剰に反応されない方がよろしいかと。。。 さて本題ですが、 自分自身は、灰になったら「ハイ!オシマイ」 別にしゃれでもなんでもないのですが、そう思っております。 ですが、残された者にとってはそうはいかないような気がします。 たとえば、もし親が亡くなったら、「どこかに魂があってきっと見ていててくれる」と心の中で思うことでしょう。 千の風になっての歌詞のように、きっとその人の骨なんかが何かの物質に変化して、どこかに漂うことを願うでしょう。

h1r0s13
質問者

お礼

それがつい先ほどですが、また削除されてしまいました。 お話の本題ですが、 立場上言えないことが多々あると思います。その人が科学者、教育者、医学者、それに哲学をかじった方、法律家もそうです。お気持ちは察します。ご回答ありがとうございました。

h1r0s13
質問者

補足

後々気がつきましたが、補足も付けず申し訳ありませんでした。

回答No.1

『魂の修行』かどうかは判りませんが、生命は永遠だと考えます。 肉体は、ただの入れ物。 生まれ変わりを繰り返し、過去・現在・未来と続いていくモノだと思います。

h1r0s13
質問者

お礼

ご回答有難う御座いました。 正に、正しい考え方だと思います。もう少し踏み込んでお話しますと、私たちが地球に来る前から、輪廻は続いているし、この太陽系が滅びる前に、新たな惑星への旅立ちでの中でも、進化をとげると思います。

h1r0s13
質問者

補足

補足が遅れ、まことに申し上げ御座いませんでした。こらからは何事にも誠意を持って、ご回答していきたいと思います。

関連するQ&A