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平穏な生活とはなんでしょうか
結婚退職し、主人の勤務地に越してきました。まだ子供はなく専業主婦です。 今まで職場と家との往復のような生活をずっと続けていたため、趣味もありません。仕事ばかりの生活だったため、何か楽しみを持つことに変に罪悪感のようなものを感じます。 経済的には楽ではないので仕事に出ればいいのですが、こちらで就職した職場で人間関係にかなり苦しめられ退職したため、今度はどんな職場か怖いのが半分、疲れて休みたいのが半分といったところで、まだ具体的には仕事を探していません。 次に勤める時には、独身時代のように仕事に過度な入れ込みはせず、パートなどで家計を支える程度に働こうかとも思っています。 生活費さえそこそこあれば、ノルマに追われたり評価を上げようとやっきになったりせず、穏やかに暮らしていけるのではないかと想像しています。 けれども、仕事のやり甲斐くらいしか本気で打ち込めるものがなかった私には、穏やかな生活に移行したいという思いがあるにも関わらず、「日々平穏であることの幸せ」というのが本当はよく分からないのです。 主人が休みの日に一緒に散歩したり、植物を育ててみたり、そういうのも楽しいのですが、腹から笑えるような刺激も欲しいと思ってしまうタイプのようです。 私のようなタイプの人間は、平穏な幸せを理解できるようにはなれないのでしょうか? また、平穏な幸せとはどんなものなのでしょうか? 愚問ですが、お聞かせください。
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私も結婚退職で九州から東海地方に引っ越しをしてきました。5か月が経ちました。 きっと、貴方と同じような悩みをもった専業主婦は沢山いるのでしょうね。 かくいう私も、社会から置いてけぼりをくらったような想いを抱えていました。 今も完全に拭いされたわけではないけれど、旦那に食わせてもらっている立場のゆえ、その悩みすら贅沢な気がしていました。 でも、それは仕方がないこと。今の現状を楽しむために生きていくしかありません。 私は独身の時、切羽詰まったゆとりのない生活をしていました。 金銭的に余裕がなく、無論、精神的にも辛かったので、今の生活は有難いと思いました。 そこそこの生活をさせてもらっていて、日々の悩みもなくいられる・・・これは何て贅沢なことなんだろう、と。 辛くなった時は、過去のもっと辛い時期を思い出して、幸せを実感します。 精神的につらい時は、ご飯を食べるのも美味しく思えない、 欲しいものを買うのだって、こそこそ買って、嘘をついて過ごしていました。 今は好きなものが買える(高いものは買いませんが)食べたいものが食べられる。 家の中は私の趣味で好きなようにできる。 大好きなパンが食べたい時に食べられる・・・あぁ幸せ、とこんな感じです(笑) けして贅沢はしないけど、私の時間が自由に動いていく。 テレビも好きなだけみられるし、こうしてネットも好きな時間にできる。 天気のいい日に干した洗濯物が乾いていく楽しさ、洗濯物の匂い。 家の中を楽しく過ごしたいために色々考えて過ごしています。 最近、ごはん鍋を買って、夫婦二人で美味しく頂いています。 主婦友達に京都土産にお茶を頂いて、調度買おうかなと思っていたので、感激しながら美味しく頂いてます。 こういう普通なことが私にとって最高にうれしくて楽しい瞬間です。 夫婦で散歩は私の憧れです。素敵なことですね。 笑いが欲しい時は、お笑い番組をみて解消しています(笑)それだけで十分楽しめています。 私の良い所は、そういう普通をポジティブに楽しめるだなと思ってます。 それぐらい独身のころは、精神的に疲れていました。 仕事をされるのも良いと思います。どんな形であれ、経験を通して得られる幸せが確実にあるはずです。 主婦友達も、誰も知り合いがいない、今の土地にきて、働いてみたり試行錯誤して今の幸せをつかんでいる気がします。 働いていると、家事がおろそかになって旦那に申し訳がないことをした。 と笑いながら話していました。自分なりに居心地のいい状態を作り上げていったのでしょう。 私は働かないことを選びました。 家で旦那をまつ幸せが今の私に合っています。 慣れない家事で手一杯なので、いつか心の余裕ができたら始めるかもしれません。 でも、お金は沢山なくても、幸せでいられる得なタイプなのでこのままでも良いかなと思っているんです。 専業主婦といっても、心だけは自由でありたいですね。 主婦のカリスマ、若松美穂さんの本を読んでみては? 最近ネットで購入して読んでみました。専業主婦のことやいい事を沢山書いていますよ。 悩んでいる時に読んだらもっと心に響いたかもしれませんが、 今は楽しく過ごしているので、今のままで良いんだとコレを読んで改めて思いました。 ブログもありますよ。https://blog.benesse.ne.jp/tk/blog/circle01/ 貴方にとっていい形を時間をかけて探してみてくださいね。 結婚は新しく生まれ変わる最高のお膳立てと言われたことがあります。 どうか焦らずに、今の瞬間を楽しんでくださいね。
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補足:若いんだから「平穏な日々」を自己目標にされるのはいかがかなー。 結果的に「平穏な日々」に辿りつけば、それでいいと思いますよ!
お礼
補足いただいて、ありがとうございます。 そうですね。「平穏な毎日を幸せに感じよう!」って、精神鍛錬みたいにして無理に老成(?)しなくてもいいのかも知れません。 Husky2007さんや他の回答者の方々のように、その時々は精一杯その境遇を生きて、そりゃあ時には「金曜日の妻たちへ」とか「くれない族」みたいな主婦の不満も出るかも知れませんが、それはそれとして、自分の感じるがままに生きてみて。 「平穏な幸せを感じよう!」と力むのではなく、「結果的にそうなっていられれば幸せ~」というくらいの方が、近道のような気もしますね。青い鳥は実は我が家の籠の中にいた、という話みたいに。
27歳で四国の片田舎の工場に転職。 年収120万円で妻の連れ子3人と我が子の6人暮らし。 そりゃー、どん底の生活でしたね。 が、そういう中でも1980年にローンでパソコンを購入。 5年後には近畿一帯の支店と工場を結ぶオンラインシステムを構築。 これはモデムフォン1号機が発売されて僅か半年後のこと。 日経新聞の取材なども受けて高揚感や達成感などを感じた時代でした。 やがて、工場の製造部門の実権も握りました。 そういうことで、全製品は私の設計で私が構築したシステム化で生産されることに。 そういうことで、工場2階の役員室に居を構えて25年が経過しています。 が、が、バブルの崩壊で今や工場は青息・吐息の状態です。 Q、お仕事をされていたことで得られた高揚感や達成感などは・・・。 A、もう、十分です。(だが、つまらない!実に、つまらない!) 私は、仕事の高揚感や達成感の向こうに色んなものを見てきました。 私は、偉そうに役員室から指揮してきましたが、それを実現したのは工員達。 全ての改善・改革がもたらした利益は、彼らにこそ還元すべきです。 だが、辞表を叩き付けての進言にも関わらず資本の論理が優先しました。 「お前は、どうあっても労働者サイドに立ち続けるのか?」 「お前は、どうあっても工場のトップの地位を拒否するのか?」 「私の思想信条、プロレタリアートとしての立場は譲れません!」 「私は、全体の利益のために働いてきた訳で出世が目的じゃありません!」 「もうよい、お前のすきにせい!」 ところで、定年まで一年を切り、改善・改革で先頭に立つこともなくなりました。 実に、実に、つまらない毎日です。 だ、だからOKWaveで暇つぶし。 「不可能を可能にする」、「乗るか反るかの賭けにでて勝ってみせる」。 一旦、このように決意したら72時間という不眠不休も。 この過程での言い知れぬ高揚感こそが、私に「生きている」との実感を与えてきました。 それが今、一斉に消え去ってしまいました。 実に、実に、つまらない毎日です。 「おい!こうなりゃー、島に帰って第二の人生だ!」 「再び、『どん底』生活が始るがいいかい!」 「そ、それって面白いじゃない!ハスキー犬でも、また飼おうよ!」 「そうしよう。そうしよう」 「こんな私達でも、島じゃ役に立つかもしれないね!」 まあ、どこまでも「平穏な日々」には飽き足らない私ら夫婦でもあります。 それと、「淡々とした日々」に幸福を感じているが奇妙に同居している私ら夫婦でもあります。
お礼
Husky2007さん、早速再度回答いただいてありがとうございます。 最初の回答では、私お説教されているのかと感じていましたが、こんなにユーモラスにご自身のお話を書いてくださって・・・ありがとうございます。 そうですよね、やはりHusky2007さんも最初から仙人のように生まれついた訳でなく、そういった数々の武勇伝も修羅場もおありだったんですよね。それを不屈で乗り越えていかれる人が、そこにやりがいを感じないなんて、あまりにも不自然で・・・。 でも・・・逆説的かも知れませんが、Husky2007さんが敢えてユーモラスに『実に、実に、つまらない毎日です』と書かれているのが、最初の回答に書いてくださった「平穏な毎日を楽しむこと」を実践していらっしゃることを証しているように感じられます。だって、誰だってつまらない毎日だからこそ、生活の細部に目が留まりもし、今まで花が綺麗だなんてことは忘れてたけど、今はそれがくっきり見える・・・のではないかと思うからです。 Husky2007さんの回答を拝見して、もしかしたら「平穏な生活を楽しめる」ようになるには、私が今の生活を『実に、実につまらない』とも感じていることを率直に認めたほうがいいのかなぁ、とも思いました。 “主人に養ってもらっているのに、つまらないなんて罰当たりだ”とか、そんな風に自分の思うがままの感受性に蓋をすることが、逆に道端の花を見ても目を曇らせていたのではないか?と。 人生の先輩の回答をありがとうございます。
- kesyouita
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#4です。お礼ありがとうございます。 私こそ、何かのお役に立てたのあればとても嬉しいです。 貴方の今抱いている飢餓感はとても大事なことなのです。 悩んでそれについて向き合って悩んでこそ、成長があると思います。 既婚男性は何を望んでいると思いますか?(もちろん全てのではありません) 家を守ってほしいというその前に、貴方が笑顔で輝いていてくれることなのですよ。 主婦友達が運動をしています。カーブスいう女性限定30分フィットネスです。 友達が私に勧めてくれました。もちろん旦那にも勧めてくれて、 友達紹介割引で入会金が3分の1で入れました。 旦那が私のためになればと、許してくれました。 週3通っていて、32の大人なのに、外に出るという気楽さを覚えてしまいました。 お金を使うからと家にずーーっといました。でも、表情は曇っていくばかりです。 「孤独だ」と泣いて旦那に訴えたこともあるんです(笑) 貴方はご主人に心の曇りや悲しみを話したことはありますか? 図書館に行くのもよいですよ。本を読んで知識を増やす。とても大きなことです。 出来ることは何かあるはずです。 気になることがあれば、この際自己投資だと思って初めて見るのもよいでしょう。 自己投資はけして無駄にはなりません。 友達は、昔、字が汚いことを気にして、お習字教室に軽い気持ちで生き始めました。 今では自分の教室を開くほどになり、師範クラスの方と会合など接する機会が増えたそうです。 贅沢なディナーは無理だけど、ランチやお茶ぐらいなら気軽に楽しめると思いませんか? 旦那が仕事の時にあえて行くのです(笑) とても優雅で、世間と何かがつながっている気がしてきます。 皆が働いている時に、自由な時間があることが幸せに思えてきます。 どこで人間関係が広がるかわかりません。 どこで人生が変わるか分かりません。 働くにしても、期間限定で初めてみるのもよいと思います。 新しい世界をみるおつもりで、あくまでもお金は二の次。 精神的に制限を与えない方向で、その方が人生を楽しめると思います。
お礼
たびたびありがとうございます。 現状の受け止め方は、kesyouitaさんと私では全然違うのに、不思議とディテールは似ているところも多くて、くすりと笑ってしまいました。 フィットネスに通っているのですね。実は私も、独身時代唯一の趣味らしい趣味がフィットネスだったのです(笑)。結婚して一緒に住むマンションを決めた時も、実は決め手は隣がフィットネスクラブだったというのもあるのです。 でもkesyouitaさんの仰るとおりです。主人は仕事の都合で週に1~2日しか帰ってこないので、一日中私が家に篭って次第に元気が無くなっていくのを見て、「お金の問題じゃなく元気でいて欲しいから」と、そこに通うことを薦めてくれるのですが、やっぱり私は尻込みしてしまうんです。主人だって小遣いがほとんど無いに等しい状態で毎日仕事で頑張っているのに、私はそんなことで家計費を使えないですから。 こんな時、正直「昔なら自分でガンガン稼いで、フィットネスクラブの会費だって払ってたのに・・・」と思ってしまい、それが引いては「こうして五体満足で一人前の大人なのに、働かない私は怠け者だ」という悶々とした気持ちにまでなっちゃいます。 働いてはみたものの、今まで経験したことのない人間関係の難しい職場で、結局辞めました。それもまた、自分を責めてしまい落ち込んだ気分に自分をさせてしまう材料になってしまいました。 主人も、kesyouitaさんと全く同じことを言ってくれます。私が明るく元気でいてくれることが、私が家計を助けることより大事なんだと。 回答いただいた、 >精神的に制限を与えない方向で、その方が人生を楽しめると思います。 というのは、沁みました。 私は、今まで頑張らねばならないと思って、いろいろと自分を縛ってきたのかも知れません。
- kvlv6c6g
- ベストアンサー率0% (0/1)
平穏な幸せを理解するためには、平穏に暮らせない生活を体験するのが一番だと思います。 そして真に「平穏に生きたい」という願いを持つことです。 まず私は2年ほど前、仕事が嫌になって辞めました。 やりたくもない仕事を嫌々やらなければならない毎日に疲れ、気ままに生きたいと思ったからです。 仕事の煩わしさから解放され自由になったとき、「これが平穏か」と実感しました。 あと私はつい最近まで6年間ぐらいアパートで独り暮らしをしていましたが、ある事情から引っ越しました。 原因は隣室と真上の部屋からの騒音です。 ある日突然、明らかに不快な物音や話し声に継続的に悩まされるようになりました。 寝ようと思っても、その音のせいで寝れない。 何度本人や管理会社に苦情を言っても改善されない。 本気でその相手を殺したいと思うほどイライラさせられました。 それで泣く泣く引っ越しましたが、そのとき「平穏であることの幸せ」とは何なのかハッキリ理解できましたよ。 誰にも、なにものにも邪魔されず干渉されず心乱されることのない生活ができる。 これが「平穏であることの幸せ」だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >誰にも、なにものにも邪魔されず干渉されず心乱されることのない生活ができる。 納得しました。これなら私にも理解できるつもりです。
Q1、私は、平穏な幸せを理解できるようなるのでしょうか? A1、それは判りません。 若い頃に「平穏な幸せ」を理解できないで老人になった妻の母。 やっぱし、「平穏な老後」ってのを迎えることができないでもがいています。 「少女の時代には、『こうだった』、『あーだった』」と愚痴る日々。 「結婚してからも、『こうだった』、『あーだった』」と愚痴る日々。 そういうことで、義母の実の弟や妹ともじょじょに疎遠に。 そういうことで、実の息子との実家暮らしも上手くいかず。 そういうことで、我が家に転がり込んだのが5年前。 「なんでー、家の中にハスキーやゴールデンがウロウロしているのよ」 そういうことで、僅か一ヶ月で、「こんな家に住めるか」との捨て台詞を吐いて実家へ。 が、所詮、平穏な老後を実家で送れる性格じゃありません。 「俺が迎えに行くから、また、我が家の離れでも暮らしたらいい」 そういうことで、昨秋より再び義母の妻は我が家に住んでいます。 が、が、所詮、平穏な老後を我が家で送れる性格じゃありません。 多分、妻の母が「平穏」ってのを知ることは最後の最後までないと思います。 Q2、また、平穏な幸せとはどんなものなのでしょうか? 私共夫婦にとって、「平穏な幸せ」とはかなりはっきりしています。 それは、昨日と変わらぬ日常が朝にやってきて夜に終っていくことです。 そして、再び朝が巡り来れば昨日と変わらぬ日常が始ることです。 「みんな、何の変哲もない日々の繰り返しの中に幸福ってのを見つけているもんよ!」 「そんな日々は、退屈でしかたない」 「犬との散歩での山野草との出会いに感動したり。それで、いいじゃない!」 「道端の草になーんであたしが感動しなくちゃならんのよ!」 「そうやって、部屋に篭って愚痴ってなさいよ」 「ああ、そうさせてもらいます」 どうあっても、私ら夫婦とは幸福観ですれ違う妻の母です。 どうあっても、淡々とした日常の一コマ一コマの中に転がっている幸福が見えない義母。 逆に言えば、そういうのが見える日常を獲得することが「平穏な幸せ」を手中にしたということ。 そのように思う義母との日々です。
お礼
回答ありがとうございます。 Husky2007さんは、お義母様や私のような感性には否定的でいらっしゃるようですね。 お義母様のお話は参考になりました。世代に関わらず何かを求めてしまう(別に美化した意味合いではないですが)人はいるのだということで。 Husky2007さんは男性の方ということですが、現在お仕事はされていらっしゃるでしょうか? もしされていらっしゃらないのであれば・・・・お仕事をされていたことで得られた高揚感や達成感などは、現在はどのような場面で感じられますでしょうか?
- hyakkinman
- ベストアンサー率16% (738/4426)
心が平らなままに「毎日、同じことの繰り返し」ができること。 に、無上の喜びを感じています。 「会話をし、泣き、笑い、他者を思いやる・・・」 「平凡の極致」ですが、「心身ともに、健康であることの証」です。 「刺激」といえば・・・、 いろんな人と、会話をする中での「相手の笑顔」です。 それだけで、充分です。 「いじめ・うつ・殺人」など、心の戦争が起きている「日本」・・・ 「飢餓」など、明日食べるものが無い人がいっぱいいる「世界」・・・ どげんかせんといかんです。
お礼
回答ありがとうございます。 仰るとおりだと思います。 しかしながら、正直観念的とも思います。 皆様の意見を総合すれば、私は「恵まれすぎ」なのだと思います。 「恵まれすぎている」私が、それ以上の喜びのようなものを求めてしまうことを止められるには、何か天災にあうなどの不幸が必要なのでしょうか・・・。
- honn1mono1
- ベストアンサー率38% (172/445)
平穏な幸せとはどんなものですかとのことですネ。 平穏な幸せとは。 健康であること、美味しい食事が出来ること、綺麗な水が使えること。 家族がいること、友達がいること、夜眠れること。 好きな景色を見れること、住む家があること。 これらすべて平穏な幸せなことです☆ 平穏な幸せといいますか、これらが出来ない人がいるのです。 病気の人で毎日苦しんでいる人もいます。 また、経済困難で自殺にまで追い詰められる人もいるのです。 身体障害者であなたのいう散歩すら出来ないで、 病院で寝たきりの人もいるのです。 そのようなことを考えたら平穏というのはなんとありがたいことでしょうか☆ 平穏なことは実は幸せなことなのですよ☆ あなたも今平穏であるからそのことに気が付いていないだけです。 平穏であるということは恵まれているということです。 当たり前のようでありますけれど、何一つ当たり前ではないのです。 健康であることもありがたいことならば、住む家があることもありがたいこと。 主人がいることもありがたいことで感謝できることなんですよネ☆ このように、今平穏であることでそれがもう幸せなことなんですよネ。 世界には住む家もなくて、病気で死んでいく子供たちが沢山入ます。 あなたのようなタイプの人間でも平穏な幸せは味わうことはできます。 平穏な幸せの中において、楽しいことをみつけて暮らしていくことが。 そのまま、幸せなことであり、ありがたいことなのですョ☆
お礼
回答ありがとうございます。 >世界には住む家もなくて、病気で死んでいく子供たちが沢山入ます。 仰るとおりと思います。しかし正直、私には少々観念的な比較のような気がしています。 これも、豊かな日本しか知らない世代だからだと言われてしまえばそれまでですが。 「平凡な幸せの中で楽しみをみつけて暮らしていくことができる」と回答してくださいましたが、その楽しみとは、私の生活でいえば質問文で書いた主人と散歩したり園芸したりといったことかと思います。でもそれだけでは、今まで生きてきたペースと違いすぎます。 もっと強烈な刺激を求める気持ちを、飼いならしていくことはできるのでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 拝読して、なんだか涙目になってしまいました。変かもしれないですが、ありがとうございます。 >私も結婚退職で九州から東海地方に引っ越しをしてきました。5か月が経ちました。 きっと、貴方と同じような悩みをもった専業主婦は沢山いるのでしょうね。 かくいう私も、社会から置いてけぼりをくらったような想いを抱えていました。 今も完全に拭いされたわけではないけれど、旦那に食わせてもらっている立場のゆえ、その悩みすら贅沢な気がしていました。 でも、それは仕方がないこと。今の現状を楽しむために生きていくしかありません。 まるで自分の気持ちを書き表していただいたかのような文面でした(しかも私はここまで整理できていないのに)。 kesyouitaさんと私が異なるところと言えば、独身時代の生活だと思います。私の場合は、運よく成長業種の会社に勤めたために、何の技術もない女性社員ながら今の主人の給料と同じ程度の額をもらっていました。当然仕事もそれなりにきつく、お金よりも私的な時間の方が貴重でした。ですから、嫌らしい言い方ですが「娯楽も時間もお金で買う」と割り切っていたところがあります。でも、それが私のちっぽけなプライドであり張り合いでした。 kesyouitaさんの仰るとおり、専業主婦は「旦那に食わせてもらっている立場のゆえ、その悩みすら贅沢な気がしていました」というとおりです。私は、主人とすれ違いの生活になりたくなければ、もう新しい価値観にシフトするしかないと思っています。 今度は働くにしても、働くことにのめりこまないようにしようと思っています。 kesyouitaさんが、私のような主婦の今後について、働くことも働かないことも断罪せずにただ穏やかに聞いてくださることに救われました。 薦めていただいた本、読んで見ます。 私もkesyouitaさんのような穏やかな時間の流れ方を楽しめるようになりたいと思います。