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60年前の戦争時代おしえて
なにげなしに戦争についていろいろネットでみていたら、戦争時代は飢えに苦しんでいたと明記されてますが、田舎などは、畑があったり、海の側では魚釣りとかできていたんでは?と少し疑問におもいました。当時のこと聞いたりした方また年輩の方教えてください
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・田舎 田畑があり所有者や借地者は食料を生産していましたが、供出制度で国に収めていました。 それでも生産者は自給できていました。 戦争が激しくなって来ると働き手は徴兵制度で軍隊に入り働き手が減少し生産量は減少してきました。 都市部では配給で、次第に量が減少し苦しい状態になりました。 ・海 漁業者は燃料が不足し船が出せない状態で、手漕ぎでは漁獲はあまり望めません。 陸釣りでは自給にもならない程度の漁獲しか望めませんでした。 釣具も簡単な物しかなく餌は自給です。(干潮時に掘っていました) 最も苦しい状態は終戦後です。 物資は底をつき復員した軍人は溢れ放心状態で生産活動は停滞した状態で国民は飢餓になりました。
- URD
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田畑は男手が徴兵で兵隊さんになったので人手不足、肥料を作る材料もないから畑はやせてしまいました。 お魚は漁船に使う燃料もありません。竿で海岸で釣っていたら日本人みんな朝から晩まで魚釣りになってしまいますよ。 出来た作物を都会に送ろうにも鉄道は空襲でズタズタ、トラックはみんな軍隊に取られて燃料もなし。 ようやく出来たお米や食料は前線の兵隊さんに送るようお国に取られて、その食料も前線に運ぶまでに敵の飛行機や潜水艦に海の底に沈めらてしまいました。 ようやく戦争が終わったと思ったら大陸から引き上げてきた人たちも当然食べるので食糧不足。 戦中より戦後の方がひどかった という証言も多々あります。 もちろん、現在の日本が戦争状態になった場合はもっと悲惨なことになります。 カロリーベースで4割も自給できていませんし、輸入が途絶えればその数字もさらに低下します。
お礼
大変よくわかりました。僕があまりにも甘くかんがえてました。戦争時代の大変さが身にしみてかんじました。とても勉強になりました。
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大変よくわかりました。僕があまりにも甘くかんがえてました。戦争時代の大変さが身にしみてかんじました。とても勉強になりました。