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他人に無礼をする子と叱れない親

先日見たテレビでの話です。 全くの初対面且つアカの他人の中年レポーターが、取材であるお宅に伺いました。目的は「畳に書かれた子供の落書きは、消しゴムで消せるのか」を検証するため。 裕福そうで大きな家には、お母さんと幼稚園~小学校の男の子数人が居ました。早速、消しゴム片手に正座し、奮闘を始める中年レポーター。一生懸命消そうとゴシゴシしている内に、小学校の男の子が絡んできます。最初は横で消しゴムのカスを飛ばしたりなどしていましたが、だんだん生意気になり、体当たりする等ちょっと暴力らしき行動をし始めました。他人の子供なので、何も言えずに汗を滲ませながらも一生懸命作業を続けるリポーター。更に男の子の行動はエスカレートし、背中に駆け上り思いっきりジャンプ、首や頭を踏みまくります。小学生と言えど体重もそこそこあり、頭を踏みつけられてジャンプされる様は正直不快に値する絵面でした。 真向かいでその様子を終始見ていたお母さんは柔かい雰囲気の持ち主で、何も言わずにただひたすら見て微笑んでいました。全く注意すらせず。 作業始めは何とか話題を出しながら笑顔を見せていたレポーターは、最後には笑顔は引きつり何も言えなくなり、とにかく早く作業を終らせたい一心だったのが見ていて分かりました。終ってからリポーターが汗を拭いながら一言。「しつけがなってないなー」。 まさにその通りだと思いました。見ていて腹が立ちましたし、悪い事は悪いと親が教えなければ、一体誰がマナーある人間に育てられるのかと。 この場合の子供の無礼な行為は、叱れない親に起因するものでしょうか?それとも子供特有の気質によるもので、たまたまこの子は開放的性格の為にリポーターにこのようにしてしまったのでしょうか?(例え親が怒っても同じようにしたのか?) また、この場合の叱れないor叱らない親は、一体なぜ注意しないのか。家族愛が、社会的常識(他人の頭踏ん付ける)に勝っているから?それにしても一言言う、子供をリポーターの上から降ろす位は出来そうな気がするのですが。 そして、この子供はこのまま叱られない環境ではどの様に成長していくのか・・・。疑問です。 私は元々子供嫌いなのもありますが、この出来事が不快で感情的になってしまい、心に引っかかって消化できないので上記の理由を解説願えないでしょうか?宜しくお願いします。

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回答No.4

多くの場合は親の影響によるものだと私は考えます、個々の性格の違いというのはありますが本来~子供とは真っ白なキャンパスのようなものです、そこに最初から上手な絵を描ける人などはいないでしょう。日常の様々な出来事・親&大人の振る舞い・学校という小さな社会、そういった順序を経て~物事を少しずつ学んでいくのだと思います。 ですからそういった行動をしてしまうのは、子供の責任では無く親の責任ですね。何も知らずに生まれてきた子供に対しちゃんとした躾をしなければ、それが良い事か悪い事か判断出来ずにやってしまうのは当たり前の話です。 なぜそうなってしまうのか?と言えば、いくつかの理由があると思います。 1:自分(親)自身が親からそういった教育をされていない場合、これは教えようがないですよね。 2:自分が愛情を受けずに育った場合、どうしていいかわからないと思います。 3:自分自身が大人になりきれてない場合、広い視野で物事が見れないので、結果的に人の気持ちがわかりません。 4:怒らない事が優しさだと勘違いしてる場合、将来的にその子供が恥をかいたり・社会に適応出来ないかもしれない事を見えてませんね。 今回の場合は♯1さんの仰るヤラセも無くはないですが、皆さん実際にそういう親子を1度は見た事があるはずなので、全体的な問題として考えてみました。

tobitatu
質問者

お礼

>個々の性格の違いというのはありますが本来~子供とは真っ白なキャンパスのようなものです、そこに最初から上手な絵を描ける人などはいないでしょう。 非常~に共感します。子供って残酷なことをしたりしますよね、しかしその行為が残酷と認識するには、時間と経験と精神的成長が不足しているので、残酷な行為をしたからといって、必ずしも性格に異常ありとは決め付けられない。その成長の間に何かしらの教育を経て初めて認識できるんですよね。やはり正しい認識を持った大人による子供への精神的介入って大事ですよね。 >ですからそういった行動をしてしまうのは、子供の責任では無く親の責任ですね。何も知らずに生まれてきた子供に対しちゃんとした躾をしなければ、それが良い事か悪い事か判断出来ずにやってしまうのは当たり前の話です。 納得です。確かに。そう考えると、今回の子供の行動には本人の性質云々も関係するけど、未完成の人格の段階では大人のしつけ不足が響いたと考えるのが妥当ですね。 1番は連鎖しそうですが、経験値の無い事柄を教えることは難しいですね。4番もそうですね、確かに。2と3番は相互関係がありそう。 他人に無礼を働く子供は日常でも目にするのですが、人の頭を踏んづけて楽しそうに遊ぶ子供は中でも強烈でした。。 非常にまとまった回答ありがとうございます。

その他の回答 (12)

回答No.13

>叱ることをしないのは、愛情の欠如に起因するという事でしょうか? 基本的なことを記載せずに誤解を生んでしまったようです。すいません。 叱ると怒るは全く異なる行動として記載してます。 ”叱る”は、叱られる側の人格形成や将来の為に愛情を持って行う行動であって、そこに多少の怒りはあったとしても憎しみはありません。”叱る”には、叱る側に責任と愛情と努力が必要です。 一方”怒る”は、不快な事件に対する動物的回避行動、または、単に感情を発散すること主眼があります。怒る側は自己保存しか念頭になく相手への思いやりはありません。 同じ”そんなことするな”でも叱ると怒るでは意識が異なるということですね。 したがって、叱られる側の将来の人格形成が大切だと言う思いが、叱る立場にある側に強ければ強いほど、叱られる側の間違った行動を”叱る”という行動で正そうとするので、そうしないのは、その思いが不足していると考えます。 さらに、その思い(愛情)が不足していること自体を非難しているのではなくて、楽な方向に流されることに歯止めを掛けようともしない精神性を非常に残念に思うんですね。

tobitatu
質問者

お礼

再回答ありがとうございます。なるほど、「叱る」と「怒る」の違いですね。定義も理解しました。そうですね、おっしゃる通りかと思います。愛情ゆえに相手の人格形成を助けるがゆえに、時には自分の心を鬼にして叱る事もあるかと思います。それは親としての自覚と責務に溢れた行為であり、先の回答者様がご指摘された「嫌われたくないから友達の様な関係を維持したいから、叱らない(叱れない)。」親には欠如していますね。”友達親子”感覚の親は、叱る事は出来ないけれど、感情に任せて怒る事はあるかもしれません。 bananasand様の危惧なさっている、「楽な方向に流されることに歯止めを掛けようともしない精神性」については、私自身にも思い当たる節があります。私は未婚ですが、楽なほう、楽なほうへと流される、またそれを選んでしまう自分については日常沢山見られるのです。この楽に流される精神と、子育てのしつけについてはまた別に垣根があると思っていますが、人のフリ見て我がフリ直せ。批判に溺れて自分の幼稚な部分を見過ごす事無く、自分自身にも問題意識を持っていこうと思います。 今回の皆さんの貴重なご意見を参考に、これからの生活の心の糧にしていきたいと思います。回答ありがとうございました。

tobitatu
質問者

補足

この場をお借りして・・・。 皆様、大変思慮深い方ばかりで勉強させていただきました。貴重なご意見を寄せてくださって感謝しております。回答いただきありがとうございました。

noname#74145
noname#74145
回答No.12

文面のままだとしてやらせなど一切無く何故叱らないかと言う部分に的を絞って考えます。 我が子を社会に適応できる真っ当な人間に育てる、と言う意識が無いのかも知れません。 子供の自主性を尊重しやりたい事は干渉しないで自由にさせる、こんな事が現代的な教育だと勘違いしているのかも知れません。更に友達のような関係を崩したくない、子供に嫌われる親になりたくないなどの心理状態もチラホラ見えますね。 世間には結構居ますよ、そのように子供に真の愛情を注がない親が。 我が子を本当に大切に思っているなら社会性をきちんと身に付ける躾をするのは基本中の基本ですからね。 まとめると 我が子の人格形成よりも今の友達のような親子関係を崩したくない、子供に嫌われたくない、と言う心理とその前にそのような行動が異常であると言う認識が無いのかも知れませんね。想像力の欠如です。

tobitatu
質問者

お礼

>子供の自主性を尊重しやりたい事は干渉しないで自由にさせる、こんな事が現代的な教育だと勘違いしているのかも知れません。 そうですね。母親が何故に最低限のマナーであり、しかるべき・正してあげるべき時に叱らないのか、その疑問が残っていましたが、imuzak5320様の回答の中にそのヒントが盛り込まれているように感じました。”友達親子”なんていうのも流行った時期がありましたね。子供に嫌われるのを恐れて叱れないのだとしたら、その人の幼少期に受けた愛情が欠如していた為かなとも思いました。人に嫌われる事を回避する為に、良い顔をするのはよくあることですので。それがなぜに子供に向けられるのか…私が未熟すぎるのか、分かりません。親子が、友達だけの関係になってしまっているのは、やはり親として何かを履き違えている気がします。回答いただき、ありがとうございます。

noname#82286
noname#82286
回答No.11

>生命体の本質を見抜けていないという事だと思います。 この「生命体の本質」とは、具体的にどういった事ですか?人間の魂のような物をさしているのでしょうか。 いやまあ魂ん~まあ魂も含まれますがその子供の気質とか人間という動物の本質みたいなところです。 そうですねこういう言い方はどうかとも思いますが犬を飼う時、犬は動物で野生本能が存在しているのにもかかわらず、その本質を見抜いていないまま育ててしまうということです。 本質を見抜いていれば、まあ見抜いてというよりか感覚的というか直感的というかそういうのがあれば無意識のうちに対処しているはずです。 ですがそこで感じないと、もはやなぜ犬が暴れるのかなぜ犬が言う事きかないのかが分からないはずです。もし、無意識なり専門なり理解していれば自然と対応できるはずです、まあそれが無いということが言いたかったわけです。

tobitatu
質問者

お礼

あなた様の1通目の回答から考えると、子供の破壊的な側面を理解して対処する事が必要不可欠なのに、このお母さんはその本質を意識的にしろ直感的にしろ、その側面を捉えられていないところに今回の問題が表出してしまったという事でしょうか。簡単に言うと、今回の子供の行為を親が問題視できていない事に問題があるという事でしょうか。ちょっとおっしゃりたい事が分からず自分の解釈となりましたが。 犬の例えが人間に適用できるかは疑問ですが、本質を見抜いていれば無意識に対処できるのかと言えば、そうではないところに人間の問題の難しさを感じますね。回答ありがとうございます。

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.10

あー、こういう感じの場面、私も見たことあります。 見てるこっちの方が赤面しますよね。とは言え実生活のなかでは、よその子どもさん注意するということを避けがちであることも正直なところです。とくに中学生くらいになると。。。小学生くらいまでは、なんだかんだ言って、まだ素直ですけど。 私の母が、よく嘆いていたことに「むかしは隣近所が親の目の届かないときに悪さをしてる子を叱ったもんやけど、最近は隣近所どころか親が知らん顔や」と。 作家の田辺聖子さんは、むかしは親が激しく叱りつけているときには隣のおばちゃんなどが出て来て、泣き叫んでいる子どもの横に立ち「もうしません、かんにんかんにん」と子どもの代わりに頭下げて謝ってた、というふうに仰ってました。 また、以前、新聞で読んだことですけど、新幹線の車内で子どもたちが走り回ったりして騒ぐので、見かねた欧米系外国人のかたが注意したら、子どもの親がムッとした顔で睨みつけてきたのだそうです。そこで、注意した外国のかたは「あなたがた、自分の子どもに何も言えずに、私のような外国人に代わりに注意してもらって、恥ずかしいと思いなさい!」と仰ったそうです。 その頃の私は、まだ若く、そういう話を見聞しても「おとなの責任」「社会全体の責任」というものを人ごとのように思っていましたが、考えてみたら、もう人ごとじゃなくなってるんですよね自分自身がイイ年した社会人の端くれなんで。 私自身が、くだんのレポーターだったら、、、 「うりゃっ!」とか言って子どもの後ろから羽交い絞めのマネをするとか、 「とー!」とか言って子どもの頭に軽く手刀を当てるマネをするとか。そして子どもの母親に「おかーさん、おかーさん、お願いしますよ」と泣きつくマネをするとか。こういう場合は視聴者の目もあるわけですし、できるだけユーモラスにいきたいですね。 3歳児まではどうとか、よく聞きますけど、うちの母は「何歳からってことはない。生まれたときから、その年齢なりの躾は始まる」って言ってました。まあ考えてみれば、3歳を境に急に厳しく言い出したら子どもは戸惑うかもしれませんし、或いは3歳くらいまでは大した悪さもしないでしょうけど、ただ、確かにテレビ局のスタッフがドヤドヤ上がりこんできたら、それでなくてもテレビに出るというだけで子どもは特にコーフンするもんでしょうけど小学生ともなれば、最低限度、してはいけないことの区別はつけられるはずと思います。欠点とかじゃなくマナーの問題なんで。お客さんのアタマを踏んづけるというのは、性格の欠点以前ですから。それ以上に、その母親の神経疑っちゃいます。なんかカン違いしてるとしか。。。 親の勝手な都合でヒステリックにガミガミ言うのは百害あって一利なしだと思います。そういうのって子どものほうも、よく見抜いて、いずれ親を侮蔑するようになります。でも叱るべき時に叱らない叱れないというのも大問題だと思います。最低限度、してはならないことって、しょっちゅうガミガミ言わなきゃならないほどもないのでは? 「畳に落書き」って、その小学生のガキいや男の子がやったんでしょうかね?もし小学生にもなって畳に落書きなんかするようでしたら、そうとう躾が悪いのも確かなんじゃないでしょうか。 私が小学生で畳に落書きなんかしたら即、親に怒鳴りつけられたでしょうけど、お客さんのアタマ踏んづけたりしたひには即、張り倒されるはずです。本を跨いだだけでも叱られましたもの。首に抱きつくとかなら笑って注意されるくらいで済むでしょうけど。 あ、そう言えば会社の上司が飲みの時に、子どもの頃の思い出話で言ってましたが、お客さんが脱いだ背広を預かっていて、その背広の背中部分いっぱい、クレヨンか何かで、べったり塗りつぶし、お父さんに死ぬほど、どつかれたとか(女性の上司ですよ笑) 私なんか夏休み、好物のすいかを思わず両手に一切れずつ持っただけで、叔母に「なんですか!行儀の悪い!」と手をピシャッと叩かれたものです。レストランで、周囲のテーブルの食べてる人たちをキョロキョロ眺めただけで、「なんですか!キョロキョロするんじゃありません!」と、また叔母が。ふふふ、なつかしい。。。 仮にテレビ局がヤラセの可能性と言ったって、そんな絵を撮ったところで何がオイシイのかな~?と疑問ですし同時に、ディレクターとかがカメラに映らない位置からでも「撮影の支障になるから」と母親に子どもを止めるよう指示出しするなりできなかったのかしら? もっと勘ぐって「レポーターいじめ」とか。テレビ局の人間関係ってドロドロしててイヤラシイと聞いてます。 そのうえ、お茶の間を通して子どもの教育にも悪影響をもたらすとしたらテレビってのは。。。 気質という面では、エネルギッシュな子、奔放な子、おとなしい子、子どもの個性も生まれながらに、いろいろですが、その子の個性に合わせた教育法が必要でしょう。画一的な方法では、その子なりの長所を伸ばすのは難しいのではないかと思います。また、長所を伸ばすこと、それを拠り所にして本人の自尊心を育て、ひいては恥ずべき行動を慎むということを自発的に選択していくことに繋がっていくだろうと思います。 しかし、最低限度のことというのは、これは個性もヘッタクレもない。社会的人間である以上、皆一律です。 御質問の事例に挙げられたような子どもの将来に関する予測の一つとして考えられることは、「逆恨みし易い」人間になる、ということです。 親にさえ叱られたことがないのにと、学校の先生や会社の上司に注意や叱責を受けて怨みに思う。通りすがりの人に注意されたりしたひにゃ尖がった物でブスッ、とやっちゃう。 なぜ注意されたか、なぜ叱責されたのか、「なぜ」は考えない。 ひたすら「注意された」「叱責された」現象の表面だけを根に持つ。 そして被害者意識だけを肥大させていく。 これは、親の勝手な都合で、のべつまくなしガミガミやるのも同様な効果をもたらすであろうと思われます。

tobitatu
質問者

お礼

あなたのお母様のお話、作家の田辺聖子のお話、外国人が日本人の親に諭したお話、なるほどと面白く拝見させて頂きました。この話を聞く時に「人の子なんだから余計な口出しはするもんじゃない」と憤りを感じるか、「人の子であれ、最低限の事を親が教えてあげなくてどうする」と問題意識を感じるかでその人の立ち位置が分かると思いますが、私は断然後者です。 今回の場合はそうですね、ユーモラスを交えながらも注意を促すという手もあったかもしれません。リポーターという仕事柄、子供と親に注意するのはタブーかと思いましたが、その心構えは大事だと気付かされました。 テレビと見慣れない他人が家に上がり込んだら子供は興奮すると思いますが、さて、頭を踏み付けて遊ぶのは良いのか?良くないですね。ではその行為を叱る事は果たして「叱りすぎる親」なのか?私はそう思いません。最低限のマナーを教えるのは適切な叱り方の範囲だと思います。それを叱りすぎと捉える人が、全く叱れない親なのだと思います。あなた様のご意見には非常に共感できる部分が多いです。そして、あなた様もしつけられた経験があるから、私と同じように今回のこの子供の行為に疑問をもち、考えるところがあったのだと思います。(私よりしつけが厳しい印象は受けましたが…) 落書きはその男の子がしたのかは分かりませんが、お客様への無礼の仕方から見て、最低一筆は関ったのではないかと想像させられます。 >仮にテレビ局がヤラセの可能性と言ったって、そんな絵を撮ったところで何がオイシイのかな~? この番組は、放送時間帯や検証内容からして世の奥様方をターゲットにした番組だと思いますので、このいやがらせがオイシイ画にはならないと思うところに、テレビ側の思惑のせいだという可能性は低いと感じてます。 >しかし、最低限度のことというのは、これは個性もヘッタクレもない。社会的人間である以上、皆一律です。 正にそうです。個性を伸ばす事と、最低限のマナーを教える事、これは別事象だと思います。 ある程度成長してしまってから他人に正しく諭された場合に、親にさえ~された事が無いのに!と反発を感じるのはあるかもしれませんね。ある程度大人になりプライドも育っているので、怒られた理由より怒られた事自体に怒りを覚える。プライドゆえに何をしでかすか分からないと考えると、少し恐いですね。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.9

貴方と質問と他の回答者さんのご意見を拝聴していると、どこにこの退廃の原因があるか見えてきました。親が叱らなかったのも問題ですが、他の方のご意見の中に、レポーターの態度を問題にしている方が一人もいらっしゃらなかったからです。 一様、テレビ局に良くあるヤラセという究極の堕落はなかったものとして回答致します。 この場合もし私がレポーターだったら、私はまず子供を叱責します。そして、お母さんを嗜めます。きっと子供は見知らぬ他所のおじさんから怒られたら、一遍でいたずらをやめるか、泣き出すでしょう。また、お母さんもそのことで再教育されたでしょう。 子供達の躾は、社会の責任として親ばかりではなく皆でやって行くものだと言う、最も当たり前なことが判らなくなってしまったのが原因で、このような見苦しい子供が周りをうろちょろするようになってしまったのです。 経験の乏しい子供達には、まだ話ても分からないないことがいくらでもあります。叱ることによって害がある方が、叱らないで害がある場合より多いなどと言っているうちに、このような不愉快な子供達が氾濫するようになってしまったのです。 >この子供はこのまま叱られない環境ではどの様に成長していくのか 他人を思いやることができず、他人の心の痛みを理解出来ない大人が出来ます。親ばかりでなく周りの大人達は、将来他人の心の痛みを理解できるようになる人間を育てるためにも、やって良いことと悪いことの間にはケジメあるのだと言うことを、勇気を持って大いに叱り付けて教えてあげましょう。そうでなくては、子供達が可哀想です。

tobitatu
質問者

お礼

確かにそうですね!誰もリポーター(第3者)の責任とは考えていませんでした。当日が初対面であり、仕事上の出来事であったことから、当事者の問題と盲目的に考えていたからだと思います。 >子供達の躾は、社会の責任として親ばかりではなく皆でやって行くものだと言う、最も当たり前なことが判らなくなってしまったのが原因で、このような見苦しい子供が周りをうろちょろするようになってしまったのです。 とても納得しました。そうですね、社会全体が教育者であるのが理想的であり、「教育」の本来の意味はそこを含んでいたのかもしれません。例えば全くの他人でも、日常でこの様な無礼な子供を見かけたら注意するのが成熟した大人としての責務なのかもしれません。 今回の場合に限っては、リポーターにとっては仕事上遭遇した出来事であり、また画像として残りますし、リポーターという仕事の性質上、もし注意して上司の叱責をかったらその後のリポーター生命の致命傷になったかもしれないと考えると、注意するのは難しかったのではないかと思います。撮影後に被験者のご家族から苦情が上がれば、叱る態度が正しかったとしてもその後の仕事に影響を受けますし。 その後の子供の成長に関しては、実は同じ意見を持っています。他人を喜ばせる事はもちろん大事ですが、反対に痛みを与えるのは最低限避けなければいけない事柄です。その為にしてはいけない事は教えてあげなくてはいけませんね。私も日常で遭遇したら、必要に応じては教えてあげようと思えるご意見でした。ありがとうございます。

回答No.8

>そして、この子供はこのまま叱られない環境ではどの様に成長していくのか・・・。疑問です。 >私は元々子供嫌いなのもありますが、この出来事が不快で感情的になってしまい、 愛情を注いで慈しみ、育み、叱ると言うことと 逆に、放置し、怒ることとの大きな違い。これは、愛情の欠如に他なりません。 なぜ、こんな風になってしまったのでしょう。 諭し叱るより、感情的に怒る方が楽。 極端に言うなら、 買うより盗むほうが楽。 懸命に生きるより、麻薬に溺れた方が楽。 そういった、堕落への傾向が至る所に出てきています。 これは、単に子供へのしつけ、接し方、教育の問題だけではないのです。 今後、2、3世代は、相当苦しまないと1990年代よりも豊かな状態にすることは出来ないようにも 思えますね。

tobitatu
質問者

お礼

間違っていたらごめんなさい。つまり、叱る責任を放置するのは責任を背負う事より楽だという例えでしょうか?そう踏まえると読み取れる様になります。 >愛情を注いで慈しみ、育み、叱ると言うことと 逆に、放置し、怒ることとの大きな違い。これは、愛情の欠如に他なりません。 叱ることをしないのは、愛情の欠如に起因するという事でしょうか?愛情の度合いを1~100として縦線グラフにした場合、上に行く(愛情が高い)ほど叱る率が高く、下に行く(愛情が低い)ほど叱る率も低いとは考えにくいのですがいかがでしょうか。愛情が低くても叱る率が高い事も考えられる為です。 子供のしつけの垣根を越えて、~より楽だからという選択をしてしまう人間の問題を考えれば、確かに >これは、単に子供へのしつけ、接し方、教育の問題だけではないのです。 と考えられますね。

noname#82286
noname#82286
回答No.7

 単純に私見なので完璧ではありませんが参考に書いて見ますと。 子供の悪ふざけは破壊による楽しさから来るときがあります。 もちろんそれだけではありませんが今回はそれに相当するなにかだと思われます。  まず初めに>小学校の男の子が絡んできます>と書いてありますので、フラストレーションかなにかを解放してくれる存在を求めているというのが伺えます。もちろん見方によっては遊んでくれる存在を欲してるとも捉えることも出来るかもしれませんがあまり善い反応ではありません。大抵のお母さんはここで「はいはい後でね」とか何とか言って切り抜けて、「カワイイ子供ね」とか思うのでしょうがこれが大いに間違えで、本当はイライラしているのです。つまり子供からしてみたら「何だよ遊んでくれねーのかよ、おもしろくねーなー!」と思っているわけです。  もう分かると思いますが、その後レポーターが無視した後に消しゴムのカスを飛ばしたのは好く言えば「構って欲しいよー」悪く言えば「お前おもしろくねーなー!フラストレーションのはけ口になれこのやろうー!」の合図ということです。そこで更に無視をされたんで>背中に駆け上り思いっきりジャンプ、首や頭を踏みまくる>という行動にでたのだと思います。  何故こうなるのかといえば気質とか叱れない親とかにも起因があるかもしれませんが、単に生命体の本質を見抜けていないという事だと思います。見抜けていれば対策も取れますが見抜けて居ない場合対策以前の問題と言う事になると思います。まあどうしてこうも親が子供の本質を理解できなくなったのかは僕には分かりませんが対策としては、その子の生かせ方を変える事だと思います。  心理学用語で『昇華』などと言われていますが要は雰囲気を変えてやることです。その子供がいくつか分かりませんが3歳~4歳位ならまだ間に合いますし、そうでなくても出来る限り子供の生活を変えてやることが重要だと思われます。

tobitatu
質問者

補足

回答ありがとうございます。読んでいて後半がちょっと理解できなかったのですが、 >何故こうなるのかといえば気質とか叱れない親とかにも起因があるかもしれませんが、単に生命体の本質を見抜けていないという事だと思います。 この「生命体の本質」とは、具体的にどういった事ですか?人間の魂のような物をさしているのでしょうか。

noname#66078
noname#66078
回答No.6

このテレビ番組は、番組側の方からこの家族に出演を依頼したのでしょうか。 それとも家族の方から番組に落書き消しを依頼したのでしょうか。 前者ならば、その母親が子供に注意しないのは理解できます。 リポーターの方が収録させて貰っておいて「しつけがなってない」と言う方が筋違いです。 いえ、どちらから依頼したにせよ、子供のしたことは無礼ではないか? と言いたくなるのはわかります。 確かにこの子供のしたことは躾が悪いと言われてしまうことです。 でも躾、教育には色々な考え方があるのです。 三浦(山口)百恵さんも子供が小さい時、男の子だから多少の暴力にはあえて叱らない方針だと何かで読みました。 そして私の知る範囲でも、あえて叱らない育児を実践しているお母さんは多いです。 私は心理学関係の仕事をして育児問題にも携わってきましたが、どちらかというと「叱らない子育て」の弊害よりも「叱りすぎる子育て」の弊害の方が多いです。 子供というのは、一回一回注意されたことで学習することは、殆どないのです。 むしろ叱りすぎることで本当に大切なことを学ばせねばならない時、親の説得力が薄くなるのです。 それに人間は欠点を直そうとすると成長が止まってしまうのです。 悪いところは直そうとせず、良いところを伸ばすのが効率的な育児です。 良いところを伸ばしてやれる家庭なら、子供は放っておいても勝手に善悪の判断くらいつくようになります。 このテレビ番組の件ですが、私がこの母親の立場なら、番組の方から依頼してきたなら子供が多少無礼をしても「リポーターさん我慢してね」と構えていると思いますよ。

tobitatu
質問者

お礼

番組撮影に至った経緯は分かりませんが、撮影を受けたご家庭は有名人宅ではありませんし、落書きの検証は裕福な家庭ではなくても達成できたと考えるに、今回のご家庭は自主挙手したか何かだと思います。仮にリポーター側が無理を言いお願いをしていたとすれば、今回の子供の行為は正当化されるのでしょうか…。私には疑問です。 「叱らない子育て」と「叱りすぎる子育て」についてですが、両者を対比させるなら正しくは、「叱りすぎない子育て」と「叱りすぎる子育て」ではないでしょうか?「叱らない子育て」の位置関係は、この中間だと思います。この認識のズレが、あなた様の「叱りすぎる子育て」に憎悪を持たせているのかなと感じました。そして、今回私が指摘したいのは、「叱りすぎない子育て」からの視点です。今回の場合は、体当たり位はまだ何とか目をつぶるとしても、子供が頭を踏み付けジャンプする行為とそれを黙認する行為は、「叱りすぎない子育て」に因るものだと思います。 >むしろ叱りすぎることで本当に大切なことを学ばせねばならない時、親の説得力が薄くなるのです。 おっしゃる通りだと思います。そして、今回の最後の行為は「本当に大切なことを学ばせねばならない」 ここに含まれませんか?立派に働き社会の一端を担っている大人に対して、最低限度してはいけない事ぐらい教えてあげて欲しいのです。その大人の頭を踏む行為を何とも思わないのであれば、同年代の子供や年下の子供に今回以上の行為をしても何とも思わないのかもしれません。 >子供は放っておいても勝手に善悪の判断くらいつくようになります。 その姿勢は、非常に疑問です。

  • ponboko
  • ベストアンサー率51% (64/124)
回答No.5

私はこの番組は見ていないと思うのですが、そういう場面を見るとテレビの前で何とも言えない、悲しい、恥ずかしい、イライラする気持ちになってしまう一人なので、思わず回答してしまいました。 子供に関わる仕事をしていまして、今は一児の母です。その両面からも回答できればなと思います。 子供にもいろいろな性格の子供がいます。特に男の子は体力を持て余してるの?と聞きたくなるような、攻撃的な激しい動きをする子も多いです。 特に子供というのは、「興奮しやすく乗りやすい」。ちょっとテレビ局のカメラとかがあって「撮られてる」と思うと、やたら大人のような言葉遣いをする子もいれば、はしゃいでしまう子もいると思います。 その上、ちょっとはしゃいでみて怒られなければ、どんどん行動をエスカレートさせてしまうのが子供というもの。ところが、子供というのはエスカレートする行動を自分ではなかなか抑制できないのです。 そんな訳で、この子の行動がエスカレートしてしまったのかな、と思います。 ただ、そういうのを「ちょっとやりすぎだよ」と止めてあげるのが親だと思います。「3歳までは好き勝手にやらせて、3歳からは世間の常識を少しずつ教えていく。」というのが私の考えです。 今は、育児書を読んでいても、「見守って」とか「叱らない」という言葉が並んでいるんですよね。それプラス、社会の「叱れない雰囲気」と「ことなかれ主義」が合わさって、確かに叱らない親が増えていると思います。 でも、きちんと育児書を読むと、決して「叱ってはいけない」「見続けて良い」とは書いていないし、「甘やかす」ことと「甘えさせる」こととは違う、ということも書いてあるのです。だから、そういう本を読むなら読むできちんと読めば良いのだけれど、例えば題名だけとか、立ち読みだけとかで読んだ気になっている母親が多いのかもしれません。 このお母さんもそうなのかもしれませんね。テレビに映っている自分ばかりを気にしていたのかもしれませんが、やはりそれでも、普段からきちんと叱れるお母さんは、そういう時でも𠮟れると私は思ってしまいます。 本人的には、「見守って」いたつもりなのかもしれませんが、端から見れば非常識な親子極まりないですよね。 この子がどう育つか、ということですが・・・。 これから巡りあう大人、友達にかかってくると思います。 あるいは、このお母さんが気付くか。 でも、どうあれ、この子が少しでも良い方向に向けばなぁと思います。

tobitatu
質問者

お礼

回答文を拝見して、お母さんはテレビに映っている自分を気にして、子供の行動を注意できなかったのかとも思いましたが、普段きちんとしつけをしていたら悪い事は最低限心得ていると思うので、あそこまで無礼な行動はしないと思うんですよね。やはり普段から注意した事無いのでしょうね。「甘えさせる事」と「甘やかすこと」は違う。非常に共感します。甘えさせる事しかしない人は、子供が他人に注意されたらとても怒ります。親である自分でさえ怒らない程かわいがっているのだから。 親は子へ、その子が親になった時にまた子へというしつけの循環は、成り立つのかも知れません。私は厳しいしつけで育ったので、無作法な子供の行動はついつい目に付いてしまいます。反対にしつけられなかった子は、今回のお母さんの様に成長するのかなと思いました。厳しくはしなくても良いので、最低限は教えてあげて欲しいなと切に願います。

回答No.3

個人的な意見ですが 子供の性格と親のしつけの因果関係が知りたいのだと思いますが 例えば兄弟がいる家庭で子供たちが全員同じ性格かというと必ずしもそうではありません。 このことを考えれば子供の性格が親のしつけに起因していないように思えます。 じゃあ人間の性格は何に起因しているのかと言うことになるのでしょうが親のしつけはその中の一つと言う事だと思います。 ですからやはりしつけはしないといけませんし家庭の中以外のことも注意する必要があるとおもいます。 友達関係、学校、家庭、これらの子供を取り巻く環境さらに遺伝的なものまで含め人格形成に関わっているのではないでしょうか。 しかしながら最低限親の立場で常識的なことは教育するのが義務だと思いますのでこの常識がわからない親では子供も常識的に育つとは思えません。 ”この親にしてこの子あり”というのはこのことでしょう。 >この子供はこのまま叱られない環境ではどの様に成長していくのか わからないというのが答えだと思います。 どこかで親以外の人に教育され常識的になると言うこともありえます。

tobitatu
質問者

お礼

>じゃあ人間の性格は何に起因しているのかと言うことになるのでしょうが親のしつけはその中の一つと言う事だと思います。 ああ共感します。しつけは性格形成の一端を担っているに過ぎないという事ですね。性格は個々のもので、しつけは直接根底に作用しているわけでは無い。納得です。では今回の行動が子供の気質に起因しているとして、その抑制力となるべきしつけがその子には無かったので表出してしまったのかな。 >しかしながら最低限親の立場で常識的なことは教育するのが義務だと思いますのでこの常識がわからない親では子供も常識的に育つとは思えません。”この親にしてこの子あり”というのはこのことでしょう。 同じ事を考えていました。この子が親になった時、またそのスローガンの如き状態を繰り返すのではと…。 >どこかで親以外の人に教育され常識的になると言うこともありえます。 そう教育できる人がいれば良いなと思いますが、子供時代の限られた時間に教えられる人は限られますよね。やっぱり親が一番適役であり義務を持ってると思うんだよなあ。