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小学生の甥っ子が登校拒否です
私の姉の子供が昨夏より小学校に行ってません。小学3年です。 特にいじめられてる訳ではなく、友達も沢山いるようです。 今でも、近所の公園で暗くなるまで友達と遊んだりしています。 その子には2つ下の妹がいます。 とても活発な子です。細かいところに気の付く子で、おとなの表情や心理を察知するのがとても長けているような印象があります。 悪く言えば顔色をうかがう、、といいますか。 学校に行かない理由を聞くと「お母さんが心配だから」と。 その発言の真意は計りかねてます。 お母さん(私の姉)は昔から感情を溜め込むタイプではありました。 今の旦那さんとは30台に出会い、出会って3日目で結婚を決めたそうです。第一子出産直後、うつ病になり、精神科通いをしてました。 今は落ち着いてます。 なぜ落ち着いたかというと、某宗教に入信したのがきっかけではないかと。 その宗教は決して金品の寄付等を強制するような団体ではないし、 私もよく名前は聞くので、特別な不信感はいだいておりませんし、 姉の信仰心を否定する気もありません。 ただ、甥は平日昼間から、学校に行かず、その宗教の活動に参加しているのです。そこでは積極的に大人たちの手伝いをし、とても生き生きと活動しているようなのです。 で、その宗教の教師(?)達が言うのは「子供に無理強いをしては決していけない。自発的に行くようになるまで待つのです。受け入れるのです」と言う内容とのことで、未だに学校に行かない状況は変わっておりません。 旦那さんはとても厳しい人なのですが、最近はやはり自信を無くし気味な雰囲気、表情です。 元来、甥を厳しく育てていましたが、その手法に自信がなくなったのでしょう、、 もう一人の姉がその子の為に、と心理カウンセラーを紹介したのですが、「これは夫婦の問題だから。今の宗教に任せてますから」と聞く耳を持ちません。 本当に親が心配だから、学校に行かないのか?? となると根本原因は親にあるのか?? それともやはり学校で何かがあったのか?? 信仰が絡むので、とてもデリケートなのですが、 明日、日曜の晩、私の両親と私で、姉夫婦の家庭に伺い、話し合いの場をもつよう私が提案し、一応行く事になりました。 もちろん、子供達が寝た後で。 おじである私が一番意見を言いやすい立場なので、遠慮なく発言するつもりなのですが、原因を絞るのはとても難しそうです。 うつ、宗教、登校拒否、、、 私はもちろん、私の両親にも少し手に負えなくなってきたので、 皆様のご意見を頂戴したいと存じます。
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仏陀が力説した「中道の教え」 すなわち、 「世の中には二つの極論がある。 一つは、欲望の赴くまま快楽にふけること。 もう一つは、自分で自分を苦しめることに熱中すること。 この二つは共に無益なことであり、 仏陀はこの二つの極論を捨てて中道を悟った」という教え ですが、 ここで言う「自分で自分を苦しめることに熱中すること」 とは直接的には(徹底的な)苦行的修行を指しますが、 現代風にアレンジして言えば「現実社会を無視した宗教生活」 とでも解釈できるでしょう。 とすれば、「二つの極論」を現代風にアレンジした 一つの解釈として 「規律ある宗教生活を無視した現実主義オンリーの考え方」 「現実社会を無視した宗教生活」 その両極端を指すとも言えるでしょう。 つまり、宗教は時には 「規律&悟りの点で人々に内面的&対社会的豊かさをもたらし」 ますが、時には「洗脳&反社会的ともいうべき麻薬の類」 ともとれなくもありません。 今回の質問で、最もご心配なされているのは (お姉さまの宗教生活ではなく)お姉さまの息子さんの件 とも言えるのですが、比較的まともな宗教団体で ある以上、更には「教育権の所在」が第一位的には親権者 であって、義務教育期間とはいえ、小中学校の義務教育機関 は第二位的地位にあること。親権者にも信仰の自由が あって、その信仰の自由に基づく教育方針にも、第二位的地位 にある小中学校の義務教育機関であっても、虐待等の例外的事由に 該当しない限り、強制的にその家庭に介在できないこと が原則である点を再確認しなければなりません。 ただ、国家の定めた義務教育期間である以上、 義務に従うべくベクトルで行動する事も「ある種の義務」 (国家&学校と親権者との暗黙の契約の一種)であるが ゆえに、特に不登校児童の対処に学校サイドも頭を 悩ましているわけです。人身の自由が憲法上保障されている 以上、学校サイドも強制はできない。(ほとんどが慣習上進級 できるようですが)原則的には不登校というのは、その背景的 事由を問わず、(不登校期間の長さによって)学校で定められ ているカリキュラムが未消化であるとみなされ、留年という ペナルティーを科せられるわけです。 従って、貴殿は親類ではあるが親権者でないがゆえに、 「教育権の第一位的たる親権者」ではないのであって、 親権者にアドバイスはあっても教育権の決定権は ないわけですよね。更には、担任を中心とする学校サイドも 保護者(親権者)&生徒との話し合い、家庭訪問等の形式的な やるべき処置は既になされているものと推測できますので、 仮に貴殿が(親権者の立場ではなく)親類の立場で学校サイドとの 話し合いの場を設けたとしても事態は進展しないと思います。 そして、宗教団体そのものに交渉する道もなくはないのですが、 親権者が同意している以上、(親類にすぎない)貴殿が介在する 隙間もないとも言えます。 児童相談所に親類として面談してみる方法もありますが、 ここも基本的には(極端な人格破綻者でない限り)保護者(親権者) の意向を重視しますので、終局的には事態は進展しないと思います。 ただ「終局的」とはいえどうでしょう。一度、お近くの 児童相談所にて「貴殿と(姉の)子と児童相談所の職員」と 三者で話し合いの場を設けてもらい、児童相談所の職員から 学校に行く意義を諭してもらったらどうでしょうか? 生徒との関係が希薄になりがちな担任等に説得される よりも、セラピストの面も強い児童相談所の職員の方が 意外と有効性があるかもしれません。 そして、貴殿は上記のようなやるべきことをやったら、 たとえ姉妹とはいえ、姉の今後の行動に口を突っ込まない 決断も大切です。虐待等の異常事態にない以上、「親権者」 「学校サイド」そして「本人」に全てを委ねるしか 道はないと思うのです。 もちろん、貴殿の知恵を張り巡らせ、「(姉の子)本人」に 直接対話にて継続的に諭すのは自由です。但、強制にならない限り。 その際、最初で述べた「中道の教え」の意義を、子供に 分かるように噛み砕いて諭す姿勢が大切だと思いますよ。
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- marimarimariru
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NO.5です。 お礼ありがとうございました。 ちょっと誤解があったようですが、不登校になった女の子は同じ教会の人の娘です。 私は息子(一人っ子)しかいません。 ややこしい書き方ですいません。
補足
延べ9件のアドバイス、まことにありがとうございました。 たった今、5時間にも及ぶ家族での話し合いが終了いたしました。 結論からお伝えしますと、とて建設的な時間がすごせました。 当初は感情のぶつけ合いに終始し、どうなる事かと思いましたが、 当の両親は、「原因は私達、親にある。親が変わらなければ、子の不登校は変わらない」という厳然たる事実を直視していました。 宗教に関しても、当の本人達の言葉を信じる事にしました。 宗教の場では、とてもストレートに指摘をされているとのことでした。 「あなた達夫婦の関係が上手くいっていない事の鏡として、子供が学校に行ってないんだ!!はやく両親が成長しなさい!!」 と、えらく厳しく教授されてるようでした。 回り道かもしれないが、両親の更なる成長=登校再開、との認識は、 私、そして私の両親と同様、当の両親も心底痛感している様子が 話の中で伝わりましたので、しばらくは静観して見ようと思っています。 私自身、人生において迷った際、書物や諸先輩のアドバイスに救いやヒントを求めることはあります。 今回のケースで言うと、私の姉夫婦は、宗教の場での教えが、それのようです。 私達の家庭には珍しく腹を割った話に終始しました。身内という甘さなのかもしれませんが、今は、その言葉を信じてみようかなと。 少なくとも、姉夫婦がその宗教に出会っていなければ、もっともっと ひどい結果に繋がっていたのではないかと、、、 と、考えれば、今の現状を静観するほか無いな、と結論付けました。 しかし、不登校という現実がある以上、安心は出来ません。 今回の様な「ざっくばらん」な場を継続的に持つ、 という合意だけは何度も何度も確認しました。 それを裏切らない限りは、姉夫婦を信頼して見ようと思っております。 皆様のアドバイス、全てプリントアウトし両親も目を通させていただきました。 それが無ければ、もっと早くに話し合いは「決裂」で終わっていたに違いません。 根本的な解決に至ったわけではありませんが、 われわれ家族の中の何かが変わってきた実感だけはあります。 上手くお伝えすることは出来ませんが、 今回の相談はとても意味のあるものでした。 本当にありがとうございました。
- sarasarato
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お母さんの病気が良くなって嬉しいんでしょうね。宗教のおかげと言う事ですから、当然率先して母親の病気が良くなるお手伝いをしているのでしょう。 まだまだ何よりお母さんが大事の時期ですから。 母親の気持ちを変えるのは不可能だと思いますよ。宗教に嵌っている人には世間一般常識は何も通じません。 その子の将来ですが、このまま小学校も中学校も不登校で、高校は進学せず、そのまま宗教に入信し、宗教の機構で働いて一生を過ごすんだと思います。 親がそれでよいならそれも一つの選択だと思います。 昔、お坊さんになるためには、3歳くらいからお寺に預けられて修行をするのが普通でした。一休さんとかね。 一般の世界で生きて行かないなら問題ないと思いますよ。 一般の世界の貴方からみれば可哀想だと思うかもしれませんが、小さい時からその世界しか知らない子供は案外順応してしまうものです。 幅広い選択肢がなくなってしまうだけです。 私は無宗教ですから、選択肢はたくさんあったほうが良いと思うのですが、普通に大学まで卒業しても、宗教機構で働いている人もたくさんいます。 初めからその道しかないだけのことです。 長々書きましたが、もし、きちんと親を説得できれば、もちろん普通の世界で学ばせるのが一番良いと思います。多分難しいでしょうけど・・
- piis111
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宗教団体のコミュニティー・フリースクール・養護学校・民族学校など社会で特定の人だけを集めて教育している所では生き生きしていても実際の社会にほり出されたとたんに生活出来無くなると聞いた事があります。 社会福祉関係の人達とも繋がりを持つようにして注意してください。
今回の場合、親に問題があると感じます。 というのも、もし学校に問題があるのだとすれば、転校ということがでてこないのが不思議だからです。 子供が学校に行かない理由が親が心配だからというのは、本当の理由なのかもしれません。親の心配がなくなれば、学校に行きたいのでは?とも感じる言葉でした。でも、その子は、学校に行きたいとは言いませんでしょうね。自分よりも母親の方が心配なんですよ。 今回の話し合いは、お姉さん夫婦は助けを求めてきているわけではないんですよね? 子どもと同じように母親の心配をしてみてください。 きっとお姉さんはその宗教に助けられたのでしょう。なので子供も助けてくれている宗教のお手伝いをすることが楽しいと感じるんだと思うんです。 産後のうつから精神病に通っていたそうですが、その時に助けになったのが宗教だったとすると、それ以外の人達が何を言っても解決しないように感じました。夫婦の問題も宗教にまかせているということから、宗教以外の言葉に耳を傾けさせるのは困難だと思います。 でも、周りは心配しているということを表現することは大切だと思います。子供には、もし学校に行きたくなっら、相談にいつでものるからというのを伝えるだけはできるけど、解決にもっていく話し合いは難しいかと思います。言えば言うほど、相手は聞かないと思いますから。 私の親族には宗教ののめりこんでいる人はいます。 外部の人間が、言えば言うほど離れていきました。逆にそのことを抜きにすれば、普通の会話はできました。 今、日常会話は普通にしていますか? なぜ子供を学校にいかないかの原因をさぐるのではなくて、母親の気持ち、子どもの気持ちに共感するような感じでいった方がいいような気がします。共感してくれない相手には、誰も相談なんてしたいと思いませんよね? 話し合いがうまくいくといいですね。
お礼
アドバイス、ありがとうございます。 ご指摘どおり、共感抜きに話し合いは成立しないと思います。 こちらから持ちかけた場なので、「押し付け」にならないように相手の言葉に耳をきちんと傾けていきます。 結果については、最終回答者様の補足欄にてご報告いたします。
- marimarimariru
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これって児童虐待にあたるのでは? 必要な教育を受けさせないということで、いわゆる育児放棄(ネグレクト)の一種ではないですか? それと心理的虐待にもあたると思います。 私はクリスチャンで息子もクリスチャンです。 息子がクリスチャンになったのは聖餐式でのグレープジュースとクラッカーが食べたかったからです。 でも、「今はイエス様を信じるようになった」と言っています。 しかし、宗教にのめり込む人の中には日本の義務教育を軽視する人が少なからずいます。 私の教会にも「『子供が学校に行きたくない』と言ったから」と言って休ませていました。 最初は集団登校を「『どうしてみんなと一緒に行かないとダメなの?バカみたい』と娘が言ったから一人で行かせている」と言ってました。 それからしばらくして不登校です。 「あまりにも個性的過ぎて普通の団体行動が難しくなったのか?」と私は思いました。 子供は今は転校し、かなり自由なイングリッシュクリスチャンスクールへ行っています。 その子も >とても活発な子です。細かいところに気の付く子で、おとなの表情や心理を察知するのがとても長けているような印象があります。 そっくりな印象です。女の子ですけど。 今回の場合もどうも親の影響が強いみたいですね。 親から「一緒に行った方が良いと思う」とか「ついて来て欲しい」って言われたら断りませんよ。 それに母親の心理状態が非常に不安定なのでしょうね。 だから >「お母さんが心配だから」 って言葉が出るのでしょう。 この母親の心理状態を安定させなければ、この子は学校には戻りませんよ。 「お母さんは大丈夫」と思う環境がととのうまでは学校へ行っていても気が気じゃないし、落ち着かないでしょう。 本来はその役割は夫である父親がやるものなんですけど、その夫が逃げているような状況なので男の子が母親の精神的な夫代わりを勤めているのでしょう。 なんだか哀しいですよね。 宗教は自由ですけど、義務教育まで犠牲にして子供を巻き込むのは間違っています。 お姉様には宗教は否定せず、精神科を受診させた方が良いと思います。 また、お姉様のご主人にも逃げないでと言った方が良いでしょう。 この男の子が学校に行かないのは母親だけのせいではなく、父親も共犯者ですよ。 まずはお姉様の精神的な安定を求めて下さい。 でないとこの男の子は落ち着かないと思います。
お礼
アドバイス、心より感謝いたします。 娘さんの、笑顔にあふれたスクール生活が目に浮かびます・・・ ・・・・ 確かに今回のケース、児童虐待、心理的虐待といえますよね。 親の影響による不登校、という思いはますます確信に近づいてきました。 母親の心理状態を安定させる、、、 恐らく、今の宗教活動で少なからず安定は感じているのでしょう、本人は。但し私には「極度の依存」状態にしか見えないのです。 明日の話し合いには、まずは私の考えを封印し、当の両親の「本音に耳を傾ける」ことに集中したいと思っております。 姉、旦那さんが、自分の「心」に正対し、吐露してくれる場にしたいです。その上で、自分達の現状を客観的に見れているのかどうかも確認したいです。 その際はアドバイスを参考に、「現状」に気づいてもらえる方向に運びたいと存じます。
- O_K-O_K
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男の子って、父親より母親の存在感を大きく感じますし、母親が不安定な精神状態だったりすると、とても寂しく心配になる気持ちは分かります。 宗教の活動に参加してる時は、母親の精神状態も安定していたり、母親と一緒に何かをしてるような共感が得られるのではないでしょうか。 小学3年ですから精神的にも未成熟です。 宗教の影響も大きく受け易いと思います。 宗教の教師?の言葉や教えが今の登校拒否にどれくらい影響しているかはわかりませんが、あくまで義務教育の期間なわけですし、 母親の精神状態や子どもが母を思う気持ちも理解しようとせず、「子供に無理強いをしては決していけない。自発的に行くようになるまで待つのです。受け入れるのです」 といった非常識な言葉を平然と言ってしまう宗教が、子どもに悪影響を与えていない保証は何も無いと思いますよ。 本来なら、母親ともども脱会させるのが一番なのでしょうけど、宗教にハマってしまった人の多くは、聞く耳を持たないでしょう。 あなたのご両親など頼りになる方がいらっしゃれば相談の幅も広がると思いますけど、父親にもお話しされて、市町村などの児童福祉課の家庭児童相談室などにご相談されてみては如何でしょうか。
お礼
未成熟な子供が、母親との宗教活動に共感を得ている、 とのご意見、とても的確なご指摘だと思いました。 当の両親がそれを感じているかどうか、 明晩確認できればいいなと考えています。 できれば私の指摘前に両親の口から聞きたいですが、、 アドバイス、ありがとうございます。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
「自発的に行くようになるまで待つ」と言う言葉は、一見大変頼もしく聞こえるのですが、それだけでは「片手落ち」なのでは無いですか?。 小学三年生の子供の「自発性」など、ある意味たかが知れていますし、それ以上に「大人の動向」に敏感に反応し、行動するのが本来の「子供」というものです。 「手を差し伸べる存在」が居るのかどうか、ということ無しに「自発性」というものを語るには、子供の心は弱すぎるのです。 学校側がどのようなアプローチをしているのかが気になるところですが、特に学校側に問題が無いのであれば、私は登校させるべきと考えます。 大人達の中に居ることで「育たない感情」はいくらでもありますし、子供達で解決していく事…例え、ボロボロに傷ついても…は、大人がいかような「方策」を立てたところで得る事が出来ないものです。 「旬」と言えば良いかもしれませんね。 その「機会」を、むざむざと奪う事が、果たして「大人の役目」なのかどうか、私は大変に疑問に思っています。 ここから先は「推測」ですが、甥っ子さんが今、どのように考えているかを推測してみたいと思います。 「男の子」は、母親に対する親愛を「無条件に」持つものです。 女の子もそうですが、男の子にとって「身近な異性」である母親には「思慕」と同時に強い「関心」を持つものです。 ゆえに「理解不能」な事態(この場合は母親の病状などです)に直面したとき「自分はいかように振舞えば良いのか?」を構築していくというパターンをとります。 母親が「宗教に入信している」という事実があり、それを「一番大事にしている」と彼が感じ取ったならば、彼が「母親に対してできる事」というのは、自分自身も「入信する」ということなのではないですか?。 「置いて行かれたくない!」という「恐怖感」もあると思います。 周りの大人達が「大事に」接してくれているから、彼も「自分の選択に間違いはない」と信じているのだと思います。 これは「推論」でしかありません。 しかし長野県の「K市」で起きた事件のように、宗教が持つ力というのは、悪いほうに傾けば、大変悲劇的な事件を巻き起こす事だってあるのです。 乱文でわかりづらかったかと思いますが 「大人の世界と子供の世界は分けるべき!」 というのが私の持論なので、こういった意見と相成りました。
お礼
tombanさん、ご回答、心より感謝いたします。 やはり、母親への親愛を基にした行動の結果が、今の現状なのではないかなと思えてきました。 大人の世界と子供の世界はわけるべき、 というtombanさんの持論、 心から賛同いたします。 明日の話し合いの結果は、最終回答者様の補足欄にてさせていただきたく 考えております。 取り急ぎお礼まで、、、
- successman
- ベストアンサー率0% (0/1)
断定するのは良いことではありませんが、 親の責任が多い可能性が高そうです。 友達が多く、よく遊んでいるのならば、 その子の人間関係には問題はなく、学校も楽しいはずです。 なのに学校に行かないとなると、それは親が子供を宗教団体の集まりに連れて行ってる、と推測できます。 小学3年生だと、なかなか親に対して自分の意見をいえるほど意志が強くはありません。 となると、やはり親の言うことを聞いてしまいます。 さらに、義務教育を受けずに別の活動をする、いわばサボるという行為に対する責任の重大性にも気がついてないはずです。 そこは親がしっかりと学校に行かせる義務があります。 そもそも義務教育は読んで字の如く「義務」です。 どんな理由があろうとも行かなければなりません。 その義務を親が無視して、自分が入り込んでいる未だ知らなくて良い世界に引きずり込もうというのは、教育として大きく間違っています。 旦那さんも、唯一解決できる可能性を持つ人間なので、もっと頑張るべきです。 厳しい意見を書いてしまいましたが、これは今の日本にも共通する大きな教育問題です。 すぐ解決するべきです。 長文申し訳ございません。 これが貴方のお姉さまの家庭の問題を解決できるものとなってくれれば、私も非常に嬉しいです。
補足
親に責任があるのでは、というのは私もうすうす感じています。 ただ、おくまで私の推論なので、断定は出来ません。 親に対して自分の意見を言えるほど意思は強くない、、、 そうですね。おっしゃるとおりだと思います。 子供は責めるべきではないことだけは間違いないですね。 小学3年生ですから。 明日の話し合いは、先入観を無くし、まっさらな気持ちで、 当の両親の考え、思いを確認する場に出来たらいいのかな、 と思っております。 succsessmanさんのご意見はうちの両親も拝見いたしました。 結果のご報告はさせていただきますね。 ありがとうございます。
お礼
miyanowakiさん、アドバイス、心より感謝いたします。 無学の私にとって「中道の教え」の現代アレンジはとても勉強になりました。 そして「教育権の所在」ですね。 私、miyanowakiさんのご意見を頂戴していなければ、 明日の話し合いにおいて危険な深入りをする所でした。 甥との直接対話も少し考えましたが、未熟な私ではまだ危険かなと。 まずは明日の話し合いで、miyanowakiさんの教えを胸に、 当の両親の思いを確認し、その思いを共有できる場にして行く所存です。