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交尾からSEXに変わった時期

人間は昔サルだったようですが、 交尾(本能)がSEX(知識)に変わったのはいつごろと考えられるでしょうか。

みんなの回答

noname#160718
noname#160718
回答No.9

 Jagar39です。  SEX、というより性行動とコミュニケーションですが、ボノボでは雄雌間だけでなく近親間以外の全ての性と年齢の組み合わせで性行動を行います。  闘争後のチンパンジーが互いに抱きしめてキスをする行動もそうですが、これらの類人猿では性行動は繁殖と一部分離していると見られています。すなわち、闘争後の和解や闘争そのものの回避に役割を果たしているようです。  これはすなわち、性行動が「和解したい」あるいは「闘争を回避したい」という"意志"の表明に利用されている、ということでしょう。  ですから「性行動がコミュニケーションの手段となっている」と言えるのでは?そしてヒトはそれを最大限に活用しているように思えますが。  また、本能行動の定義を「内的要因」と「外的要因」のみによって成立する(意思は介在しない)行動、とすることにも疑問を感じます。結局、どんな活動(精神活動も含めて)も、とどのつまりは体内の化学反応に起因しているわけですから、厳密には全てその定義に当てはまってしまうのでは。  条件反射(いわゆるパブロフの犬)は「学習による行動」で内的要因と外的要因のみによって成立する行動ですが、そこには「意思」は介在しません。これは本能行動でしょうか、それとも学習行動?  条件反射には大脳皮質も関与しているわけですが、その反応の仕方もあらかじめプログラムされているわけですから、私はこれを本能行動に入れた方がすっきりすると思うのですが・・・  つまり、ヒトだけでなく知能を持った動物の行動は、本能のみに起因する行動と知識のみに由来する行動にきっちり分類することがそもそも無理なのでは。ruehasさんも言われているとおり、そもそも本能を補完することこそが知能の存在意義なわけですから。  なので繰り返しになりますが、ヒトの性行動を「本能か知識か」とざっくり分けて捉えようとすることが根本的に無理があると思うわけです。犬や猫やネズミの性行動だって両者が入り交じっているわけですから、あとは単にその比率の問題だけになってしまうのでは。  とすれば、ヒト(と一部の類人猿)の性行動が他の動物と比較して特異的なのは、「繁殖と性行動が分離している」ということで、そこに注目した方が面白いのでは、ということです。  ちなみに「青い珊瑚礁」ですが、私は普通にあり得ると思います。  すなわち、何の知識も与えない男女でも子供を作るでしょう。仮に「青い珊瑚礁」を10組のカップルで実験すれば10組とも子供を作るだろう、くらいに思ってます。無事に産まれる率はもっと少ないでしょうけど。

shift-2007
質問者

お礼

>何の知識も与えない男女でも子供を作るでしょう これが可能なら今回の質問はする必要がなかったです。 しかし、私のこととして考えれば自分のペニスを女性のそれに挿入しようなど天地がひっくり返ってもしないと思います。 その上、腰振るんですよ。Jagar39さんは予備知識なしで自分にそれができると思いますか。 ご回答ありがとうございました。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.8

こんにちは。 #5です。回答をお読み頂きありがとうございます。 >これは生殖活動がコミュニケーションの手段としても使われるようになったということでよろしいでしょうか。 >子孫を残すという生物にとっての生きる目的ともいえそうな重要課題が本能から外れてしまった(本能だけでは子孫を残せなくなったという意味で)というのがいまひとつ納得できません。 不明な点がありますならば幾らでもご説明はさせて頂きますが、 さて? 納得できないと仰られましても、私の回答にはこのようなことは一言も書いてないはずですが。 コミュニケーションという言葉が何処から出てきたのかは分かりませんが、生殖行動とコミュニケーションではその「目的・動機」が異なりますので、SEXをコミュニケーションの手段として用いることは生物学的に不可能です。 「コミュニケーション」とは個体同士がその「意志」や「情動」に関わる情報を伝達するということです。これに対しまして、生殖行動とは性的欲求を実現するための手段でありますから、これで自分の意志を相手に伝えることはどうやってもできません。 SEXの動機とは性的欲求であり、この性的欲求とは自分の意志ではありません。コミュニケーションといいますのは言動や行動の結果を基に相手の意思を理解するということです。 では、この場合は性交を受け入れるか拒否するかによって初めて相手の意志が判明します。従いまして、SEXは手段として用いられたのではなく、それは飽くまで「相手の行動の結果」に基づいてコミュニケーションが成立したということです。SEXを「愛情の確認」と解釈するのは構いませんが、これによってコミュニケーションが円滑になることはあっても何らかの意思疎通が行なわれているということではないです。 因みに、誤解のなきよう念のため補足しておきますと、本能行動といいますのは「個体の内的欲求」と「外部環境からの信号刺激」によってコントロールされています。そして、生殖行動の場合は相手の個体の「性的特徴」というのが信号刺激となりますので、これは一種の「非言語コミュニケーション」です。ですが、只今申し上げました通り、本能行動の場合は「遺伝的に定められた情報」しか伝達することはできませんので、これを個体同士の意思疎通と呼ぶことはできないわけです。 このように、本能行動とは自分の意志ではなく、「内的欲求(内的動因)」と「環境情報(外的誘因)」によってコントロールされています。従いまして、この二つの要因が揃うならば本能行動はその場で無条件に成立していまいます。これは、動物が生きるために生殖行動や摂食行動が確実に実現されなければならないからなのですが、これでは生後環境における複雑な変化には十分に対処することができません。 では、私が申し上げましたのは、新皮質の発達した高等動物は生後の学習結果を「多彩な行動選択」に反映させることができるということです。従いまして、「本能か知能かの線引き」といいますのは「本能行動と学習行動の比率」によって評価されるものです。そして、前回答で述べました通り、学習行動とは本能行動を効率良く実現するためにあります。 何故かと言いますと、それは本能行動では生後環境の変化に柔軟に対処することができないからですね。幾らお腹が空いたとしましても、我々は勤務時間中に摂食行動を行なうことはできません。状況に応じてこのような判断を下すのが学習行動です。 人間は本能行動で子孫を残せないのではなく、学習行動を用いなければ社会環境に適応することができなくなったということです。このため、我々人間が本能行動をより確実に実現しようとするならば、その学習行動の比率は極めて高くなります。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >SEXをコミュニケーションの手段として用いることは生物学的に不可能です。 でも、ラブホテルや避妊具は実際にあるわけですがそれとは違うのですか。 >人間は本能行動で子孫を残せないのではなく、学習行動を用いなければ社会環境に適応することができなくなった しかし、本能から交尾という情報が抜けてしまった理由にはならないと思うのですが。

noname#160718
noname#160718
回答No.7

 再びJagar39です。  発情期の喪失と一夫一妻制については、ほぼNo.5さんの回答に同感ですが、少しだけ違和感があります。  というのは、発情期の延長が見られるボノボやチンパンジーは乱婚型であり、オオカミ等の季節繁殖動物に強固な一夫一妻制を保持しているものがみられるという事実があるからです。  なので一夫一妻制の成立に発情期の延長または喪失は、少なくとも必須条件ではないのではないか、と思います。  ヒトの場合、身体能力や身体的特徴ではなく「知能」をもって生存のための武器とする進化の方向を選びました。  知能とはいわば学習能力ですから、知能が高まればそれを生かすために「学習期間」の延長が要求されます。つまり「子供時代」が長くなければなりません。  そのため、未熟児の状態で産まれ、かつ成人までに時間がかかるようになり、それは育児の手間を飛躍的に増大させ、そのため母親1人では育児が不可能になった、という筋書きが一夫一妻制の成立には最も重要な要件だった、というのは誰が言ってたんだっけ?モリスだったっけか。  そのため、メスがオスを確実に繋ぎ止めておくためには、「いつでもやらせる」ことが非常に有効で(下世話な表現で申し訳ないです)、その結果ヒトのメスの発情期は失われていった、という順序の方がしっくりくる様な気がします。  ・・・結局同じことを言ってるような気もしてきましたが。  まあ、同じようにどちらかと言えば「知能派」であり、子供の育成にも非常に時間がかかるチンパンジーが乱婚型で、それでちゃんと社会が成立していることを考えると、ヒトが一夫一妻制を確立させた要件は他にもまだあるような気もしますけど。  結局、一夫一妻制が確立して道徳観念等とも結びついたのは、ヒトにもっと知恵が付いてヒト社会が階層化、つまり支配者層というものができてきてからなのでは?という気がします。支配者層が成立すると「血筋」という概念ができるわけで、そこで初めて乱婚では社会が成立しなくなったのでは?  というわけで、質問者さんの「本能か知識か」という問いは、やはり非常に曖昧で線引きが難しいのですよ。  性行動が「繁殖」という本来の意義だけでなく、コミュニケーションのためという別の意義を持ったのは、ボノボがそういう性行動を発達させていることから、人類の成立より前なのはほとんど確実なように思われます。また、人類に特有の現象でもなく、少なくとも生理学的には多くの動物がその要素を持っている、とも言えると思います。  しかし、学習というだけでなく道徳とか社会の維持など、別の概念を性行動に結びつけるといった、それこそ人類特有の性行動のあり方については、社会の階層化が前提条件になるので、せいぜい数万年前、といったところではないでしょうか。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 数万年前ですか。 人類の成立より前だとするとSEXの知識はどうやって子供に伝えられたのでしょう。 言葉や文字がないとすると、親や仲間のそれを見て学習したのでしょうか。

noname#160718
noname#160718
回答No.6

 Jagar39です。面白いですね、No.5さんの回答。  それに関連or補強する話を1つ。  性行為にはオスの生殖器が勃起することが不可欠ですが、その「勃起中枢」は仙髄あたりに存在します。この勃起中枢に向かう求心的神経は陰茎はもちろん、腰周囲に全体的に分布しています。  ま、簡単に言えば、「下半身(腰回り)への物理的刺激が勃起を誘発する」というわけです。ここまではいわゆる「反射」になります。  ただ、我々人類のオスが日常的に経験しているとおり、物理的刺激なしに勃起することは多々ありますよね。  それは何かというと、大脳から勃起中枢を介することなく直接勃起津競ることができる神経回路が存在している、ということです。No.5さんが言うところの「バイパス回路による性ホルモンの分泌」とは少しだけ違う話になりますが。  まあそんなわけで、我々ヒトのオスは「妄想によって勃起する」ことが可能だというわけです。この妄想による勃起は、仙髄を破壊されて「物理的刺激による勃起」が不可能になった人でも可能だということです。ただし腰髄を破壊された人は不可能ということですから、この神経回路は腰髄あたりから出ていることが判ります。  一方射精ですが、これもやはり「射精中枢」なるものが腰髄にあります。陰茎からの刺激を受けた射精中枢が射精の指令を出すわけです。  これも私達ヒトのオスは、ここにも大脳が関与していることは経験的に知っています。でも、それは勃起に対する関与よりは弱いようですよね。妄想だけで射精することはできませんから。  まあ夢精はまさに「大脳が射精を支配している例」と言えるでしょうし、中には覚醒時にも妄想だけで射精に至ることができる人もいるかもしれませんが。  と考えると、確かにヒトは(少なくともオスの性行動において)大脳が支配する割合が多そうです。  でもそれが「ヒトに固有の現象」かというと、そうでもないような。  犬が好きな人に遊んでもらっている時、興奮のあまり物理的刺激を受けていないのに勃起することはよくありますし、大脳の関与もありそうな気がします。  ある程度大脳が発達した動物は、多かれ少なかれ勃起中枢や射精中枢といった「反射系」にもバイパス経路を持っているのでは、と思っているのですが、そうなると「本能か知識か」という線引きをどこでするのか?という問題がますます難しくなるような気がします。

shift-2007
質問者

お礼

補足説明ありがとうございます。 >「本能か知識か」という線引きをどこでするのか? 本来、本能にあった記憶が外部(本やビデオ)に置き換わったというのはひどく面白くはないですか。 人間とはエロ本なしには子孫を残せなくなった生命といえないでしょうか。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.5

こんにちは。 これは恐らく人類が「発情期」というものを失ったのが変化の始まりであり、それは極めて初期の時代ではないかと思います。そして、これが現在の「一夫一婦制」や「親族単位」などの社会構造の基盤と密接に繋がっています。 学習行動としての性行為はサルでも可能です。 この場合、SEXを知識として捉えるならば、それは「学習行動を用いて本能行動を実現すること」ということになります。サルは「自慰」を覚えますが、これは脳内に「生後体験記憶の獲得」を必要とする明らかな学習行動です。 オスのサルの脳では「大脳辺縁系の情動反応」による性ホルモンの分泌が確認されています。 「大脳辺縁系」は本能行動を司る生命中枢の後から我々高等動物の脳内で発達した「学習機能を持つ新皮質」であり、過去の体験結果に基づいて「情動反応」を発生させるのがその役割です。 本来、性ホルモンといいますのは生殖中枢の反応によって分泌されるものですが、我々高等動物の脳内では大脳辺縁系を中継中枢とする系統が身体広域の自律神経系に対して「並列バイパス回路」として接続されています。このため、我々の身体には本能行動を実現するための「無条件反射」だけではなく、大脳辺縁系の情動反応に従う様々な「情動性自律反応」が発生するようになっています。 従いまして、オスのサルの脳内で発生した情動反応による性ホルモンの分泌は本能行動として与えられた生殖行動をより効率良く達成するために後天的に獲得された「学習行動」ということになります。自慰を覚えることができるのは、それはサルの大脳辺縁系が「過去に体験した性的快感」を報酬刺激として学習するからです。 このように、自律神経系に出力を持つ大脳辺縁系が過去の体験結果を学習するならば、我々は自らの性的欲求をより能動的に達成することができるようになります。ところが、メスのサルには「発情期」という生理的条件が伴うため、これが欲求の発生や学習に大きな制約を与えていました。 「人類の誕生(アウトラロピテクス)」は現在からおよそ600万年前のことですが、ほぼ同時期に進化・分岐したチンパンジーやボノボは人類に最も近縁であり、そのメスには「発情期の延長」という現象が発生しています。人類がどのような経路で発情期を喪失したのかはまだ判明していませんが、我々の祖先は極めて早い時期からその制約を逃れ、学習行動による順応を実現していたと考えられます。 では、これによってどのような変化が起きるかと言いますと、まず、学習結果に基づいて行動を選択すれば過去と同様の性的快感を報酬として繰り返し獲得することができます。そして、その有難い報酬を与えてくれた相手に対して特有の情動反応が学習され、これによって誘導される接近行動が「恋愛感情」です。ならば、自分にとって大事な相手を誰かに取られてしまっては困りますし、これによって他の夫婦と同じように自分の子供や家庭を築きたいというのは、これは学習結果を基に未来を予測した「計画行動」です。 学習行動とは本能行動をより効率良く実現するためにあります。人類はこのようにして子孫繁栄を目的とする本能行動をその複雑な社会構造に巧みに適応させました。そして、この社会構造を維持するためにはルールや道徳観が必要になります。このため、人間の社会には「性的道徳観」というものが定着し、我々は他人の女房に手を出したり人前でむやみにHをしたりすることができなくなりました。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >人類が「発情期」というものを失ったのが変化の始まり これは生殖活動がコミュニケーションの手段としても使われるようになったということでよろしいでしょうか。 子孫を残すという生物にとっての生きる目的ともいえそうな重要課題が本能から外れてしまった(本能だけでは子孫を残せなくなったという意味で)というのがいまひとつ納得できません。 子孫を残すよりもコミュニケーションのほうが重要になったということでしょうか。

  • taro1121
  • ベストアンサー率43% (178/409)
回答No.4

「サルだった」 生殖活動は哺乳類以前からの行動です そして人もその流れの中で生きていると考えます 生殖本能とあなたがおっしゃられる「SEX(知識)」とは別物ではないでしょうか 表現したかったのは「記憶」とか「愛」だと受け取ります 大脳の小さな動物でも記憶と愛は存在し、直接的な生殖活動以外に性的な行動をとることがあります。鳥の一夫一婦の行動もこれに当るのと思います 逆に、人の性行為から本能を欠如させたと考えるとこれも色々な矛盾はおきます しかし、言葉の意味を汲み取れば、人が文字を残し、共通の感覚を覚えるようになってから「知識」は飛躍的に発達したと考えます

shift-2007
質問者

お礼

それほど崇高な考えは持っていないのです。 単純に知識なしで性行為ができなくなった時期が知りたかったのです。 ご回答ありがとうございました。

回答No.3

本能と知識という単純化は不可能ですよ。多くのほ乳類で性衝動はあっても性本能はない、といえます。最初は試行錯誤です。本能の定義はなかなか難しいのです。 チンパンジーやボノボ(ピグミーチンパンジー)では、性的な行為がコミュニケーションとして用いられています。直接的に子孫を残す以外の目的の性行動が見られるのです。 ボノボとチンパンジーの共通の先祖は、人類と彼らの共通の先祖が別れた後に分かれている(人類の先祖と、チンパンジー・ボノボ共通の先祖が分岐したのが最初)ので、こういったコミュニケーションの手段としての性行動は、人類と、チンパンジーとボノボの共通の先祖の、その両者の共通の先祖にすでに萌芽が見られたと考えられるでしょう。

shift-2007
質問者

お礼

生殖行為が本来の目的と違う使われ方をしたために本来の目的を忘れてしまったのでしょうか。 ご回答ありがとうございました。

noname#160718
noname#160718
回答No.2

 一応獣医師で、大学では繁殖学の研究室を出ているのですが・・・こういう問題にはあまり関係ないですね。  それはともかく、「交尾」とは後配位に限った用語ではありませんので、「直立二足歩行説」は論じること自体にあまり意味がないでしょう。類人猿の中には正常位で「交尾」するものもありますし。  また、直立二足歩行と正常位の「交尾」が直結しているわけでもありません。直立二足歩行をするようになってからも、後配位が「交尾」の主力体位だった時代は長かったと考えられていますし。解剖学的にはあまり関係ないです。  ま、体位の話は質問の趣旨から外れるのでこのくらいにしておいて。  まあそもそも、性行為を「本能」と「知識」に分類する意図がよく判らないです。知能を持つ以上は、性行為に限らず本能だけの行為なんてあり得ませんから。  極端な話、犬の繁殖だってヒトに飼われて他の犬と接する機会がないまま成犬になった犬の場合、うまく交尾ができない事例が最近多く見受けられますから、何らかの「知識」が介在している可能性だってあるわけです。  またヒトにしても、下世話な話、何の知識があってもとりあえず「勃たないと」何も始まらないわけですが、その部分は依然として本能が鍵を握っているわけでしょう。  ヒトに限らずある程度の知能を持つ動物は、本能だけ、知識だけで成立している行為はほとんどあり得ませんから、後はその比重だけの問題でしょう。  ヒトの場合、明らかに「知識」の比重は他の動物と比較して大きいですが、それもその境界をどこに置くかという客観的な基準がないと考察もしにくいですよね。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 昔の映画で青い珊瑚礁というのがありましたが知っていますか。 子供のころに無人島に流れ着いて、その後成長した2人に子供ができるんですが、SEXの知識がない人間が本能だけで可能なのだろうかと思っていました。 確かに性行為という現象をみれば本能と知識とを分けることは無理だと思いますが、人間にとって知識がなければ絶対に性行為はできないと思うのですがどうでしょう。

noname#238121
noname#238121
回答No.1

2足直立歩行になった時からです。その時から性交、それまでは後ろからの交尾だと思います。学者ではないから、正しくはないとは思いますが、当たらずと言えども遠からずですかね?

shift-2007
質問者

お礼

あ、いや 性行為が本能から知識に変わった時期が知りたいのです。 ご回答ありがとうございました。

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