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「倫理」とは個人の主観に基づくものなのでしょうか?

特に婚前交渉について気になるのでお願いします。 皆が皆ではありませんが、最近では婚前交渉が 昔ほど非難されなくなりましたよね? おそらく一昔前までは「性交渉は結婚してから!」 「結婚前に肉体関係を持っている女なんて嫁にいけない!」 (TVだけでしょうか?) みたいな風習があったと思います。 これは「倫理」面から見てですよね? それなら、今の若者が婚前交渉を行うのは、 倫理を無視した生き方なのですか? それとも、 「婚前交渉はするけれども  性交の最中は必ずゴムを付ける」という前提で行っていて、 それが倫理だと両性共に意見が一致していれば これは倫理に反した事にはならないのですか? 倫理とは個人の主観に基づくものなのでしょうか? それとも、これが倫理だ!とある程度認識はしているけれど 守ら(れ)ないだけなのでしょうか? 又、時代と共に倫理は変わっていくものでしょうか?

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noname#63054
noname#63054
回答No.7

要するに、相手あっての話です。 倫理とはせんじつめれば自分以外の他人に対するおもいやりの 気持ちです。 正しいとか正しくないという価値基準ではないです。 一人の主観が他者をどう見るかという時点で倫理の問題は 生じるのです。 それは、他者が客体として主観の倫理観の影響を受ける立場 というだけであって、主観そのものが客体である他者の倫理を 問うことに意味はないと理解すべきです。 自分はどう生きるか。自分は相手に何を施すか。そういう問題で あって、社会の倫理など問題にした途端に話はややこしくなる。 だってそうでしょう。他人の心を変えるには教育家か宣教師になる しかないですよ。 自分が実践していくこと、そして自分が、自分と違った倫理観の 人々を受け入れることが、自分がすべきことです。 倫理とは自分に課した枷であって、他人にそれを強制する言われも 意味も背景も理由も僕らにはないではないですか。 他人に厳しく、自分に甘い人間というものに対して、他人にやさしくする 生き方の指針がそれぞれの倫理観というものです。 なぜならば、人は時として自分が鬼とも思える言動を他人に対して 弄することがあります。しかし、そのことが自分に課した規範を超えた ものであったとしても、その結果はすべて自分に返ってくるわけで そのことを学びながら、その枷が本当に、相手と自分のために必要で あったかどうかを考え直すべきなのです。 婚前交渉がいいか悪いかなどアプリオリに決められない。これこそ 相手がある話で、相手がいいと思っていて自分も抵抗がないから いまは婚前交渉が一般化しているとも言えます。 しかし、生き方は多数決で決めるものではないし、倫理は生き方の 根底を支えるものです。 あなたが、枷として二人の関係にそれを必要とするなら仕方がない ことでしょう。 結婚前に妊娠する危険性という意味で相手をおもいやるために しないというのは、反面正しくて反面リスキーです。男女の関係は いくら肉体関係なしで長くつきあっていても理解の及ぶ範囲は知れて います。結ばれてはじめて判るレベルもある。そうなれば、逆に 本当の相手を知らずに結婚して失敗を認める不誠実さも倫理観と いう上では問題視されるべきではないでしょうか。 いや、僕はそれでも一生愛し続ける。 だから言っているんです。倫理とは、押し付けるものではないって。 相手が嫌だとおもったらどうするのでしょう。二人で話しあってきめれば いいことです。

  • at9_am
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回答No.6

> おそらく一昔前までは「性交渉は結婚してから!」「結婚前に肉体関係を持っている女なんて嫁にいけない!」(TVだけでしょうか?)みたいな風習があったと思います。 ほとんどテレビの中だけの世界だと思ったほうが実情に近いですね。 ちょっとデータを調べれば、結婚してから最初の子供が生まれるまでの期間が1年以内の夫婦というのが、昔から結構な割合でいたことがわかると思います。結婚後すぐにできる割合がそう大きく変わるとも思えませんから、婚前交渉自体は昔から行われていたことがわかると思います。参考までに厚生労働省のデータを参考に挙げておきます(参考urlに張れないので本文に張ります)。 http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2008.asp?fname=T04-14.html&title1=%87W%81D%8Fo%90%B6%81E%89%C6%91%B0%8Cv%89%E6&title2=%95%5C%82S%81%7C14%81%40%95%83%95%EA%82%AA%8C%8B%8D%A5%90%B6%8A%88%82%C9%93%FC%82%C1%82%C4%82%A9%82%E7%91%E6%82P%8Eq%8Fo%90%B6%82%DC%82%C5%82%CC%8A%FA%8A%D4%95%CA%92%84%8Fo%8Fo%90%B6%8A%84%8D%87%82%A8%82%E6%82%D1%95%BD%8B%CF%8A%FA%8A%D4%81F1955%81%602006%94N 実情がどうあれ、それを不道徳なものであるとするかどうかは別問題です。倫理観なるものは、ある種の「共同幻想」ですから、個人の主観ではなく、ある一定の集団の主観というほうがよいでしょう。 純潔信仰、なるものが存在しますが、たとえばある部族では処女=モテない、とみなされ、一段も二段も下に見られます。歴史的に俯瞰すると、純潔信仰がある社会は、多くが父系社会で、ある程度の家の相続が行われる層に限られています。日本でも武士社会は純潔信仰が相当強かったのですが、農村や庶民にはあまりなかったようです。これはひとつには、子供は母親にとっては事実だが父親には信仰である、という事情によるもののようです。 別の例ですが、たとえば金融業は、かつては非常に倫理的に悪いものだとされてきました。これは、かつての金融業が、現在の銀行などというよりはむしろ消費者金融のような活動を主としていたからです。これが、現在は企業の資金繰りそのほかに役に立つということから、現在では倫理的に悪いものとはみなされなくなりました。 したがって、このように倫理的なよい・悪いという観念は、ある種の理由を伴って時代とともに変化するものである、ということがいえると思います。

回答No.5

 社会の中の個人の生き方であれば、社会的側面を度外視や無視、否定したりすることはおかしいと存じます。  婚前交渉の許容は一概に是非を論じることのできないテーマであると存じます。  社会の側からであれば、公序良俗の中での、基盤的社会秩序が考慮されるべきだと存じます。  普通人(曖昧)の普通の観念は社会的には重要だと存じます。  それがどうだかというのは、非常に難しいと存じます。

  • tyr134
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回答No.4

「時代と共に倫理は変る」が正解でしょう。 もちろん、オセロのコマがひっくり返るように一気に変るのではなくて、徐々に変化していくんでしょうね。 その「過渡期」には、「古風な」や「行きすぎだ」といった論争が行われることになるんでしょうね。 「婚前交渉」も、価値観が変遷したので「容認」されるようになったんでしょうね。 その一方で、「性交渉の若年齢化」やそれによる「性病」や「妊娠」の問題も増えたのでしょう。 因みに、戦後から現在まで「性=穢れ」という「キリスト教的」なイメージがあるような気がします。 しかし、日本は元来「性=神聖なもの」と捉える文化がありました。 日本各地には、男性器・女性器に見立てたご神体が色々と転がっていますし、「祭り」の中には、性交渉するようなものもあったようです。 また、「夜ばい文化」みたいなものが日本にはあり、例え婚姻関係にある人も襲ってたようです。 ただ、明治以降は近代国家を目指す政府の方針のもと、これらの文化は廃れていったと言えます。(祭りとしては、性交渉はしない形で各地に残ってます。) http://local.goo.ne.jp/leisure/spotID_TO-30000800/ http://www.tochio.net/hodare/ まぁ、昔は合法で認められていたことでも今行えば立派な「犯罪」ですので、、、。 昔の価値観は今の価値観とかみ合いませんし、逆に今の価値観でそのまま昔の価値観を判断するのも誤りですね。

noname#118935
noname#118935
回答No.3

早い話、新品と中古のどちらを選ぶかとなれば、誰しもが新品を選ぶ。 ここにおいて倫理は関係ない。ひとが新品を好むのはそれが倫理的だからではなく、 中古より新品をよしとする嗜好の問題に過ぎない。 身も蓋もない言い方をすれば、処女は新品である。一方、セックス体験をすませているのが中古の女性。古い女性がいいか新しい女性がいいかは、嗜好の問題であって倫理の問題ではない。ここから迷路に分け入る。 風俗に行くオトコは、性を倫理的に考えていない証拠だ。かかるオトコは、性の倫理をうんぬんする資格はない。あなたの彼は、風俗に行くオトコであるか?もちろん、あなたはそんなオトコとはつゆ思っていない。ここにひとつの闇が息をひそめている可能性があるが、さしあたりそんなことはどうでもよろしい。問題は倫理だ。 あなたは処女であるか?倫理にアタマを悩ませているところをみると、処女であろう。男性体験をたっぷりと楽しんでいる身なら、いまさら倫理もないだろう。間違いなく処女だ。 「処女ではありません。そんな魅力のないオンナと思ってるのですか」などと話の腰は折らないでほしい。 風俗に行かないオトコと処女の組み合わせか・・・ 世話が焼ける。しかし、まあ、ふつうに考えれば、 結婚までそのままのカタチで進むのが倫理的というものだろう。 そのままゴールめざして突き進むことにエールを送りたい。

noname#80116
noname#80116
回答No.2

 すべては 個人の良心の自由から その自由として 自己表現が持たれると考えてください。倫理は その結果です。特に 社会的な ならわしとしての結果です。もし掟があるとすれば 良心の自由 自由であれということが それです。  つまり 《「倫理」とは個人の主観に基づくもの》です。その主観の中身を充実させ 品のよいものとしましょう。  《婚前交渉》は ひとりでは決められない倫理の問題でもありますが 二人で考え決めてください。自由です。

noname#53661
noname#53661
回答No.1

倫理とは社会の慣習の中で適用される規範です。時代によって変遷するものです。昔の日本では夜這いやお祭りでの一夜の契りは当たり前だったそうですから、文明開化以降に純潔主義運動でもあってちょっと前まで婚前交渉に対する非難があったのではないでしょうかね。 現在は国立社会保障・人口問題研究所の調査結果によれば18才~34才の80%が婚前交渉に賛同しているそうです。よって現代において婚前交渉は決して倫理・道徳に反するものではないという考え方もできると思います。 ただ宗教的な要素もありますのですべてに通用するわけではありませんが。